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18.神様
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「……俺、実はスラム街の生まれなんですよ」
「スラム街?」
「ああ……リオン様はわからないですよね。スラム街ってのは、貧乏な人間が住んでるごちゃごちゃした汚い所ですよ」
「そう、なんだ……」
目の前のエルと貧乏という言葉が結びつかなかったが、エルの暗い顔を見るに、あまりいい記憶ではないことは理解出来た。
「ほんとにクソみたいなところでしたよ……生まれたころから貧乏で、母親は病気で死んでしまって。最悪なことに借金もあったから、借金取りにぼこぼこにされて売られそうになって。でもそんなときに――陛下が助けてくれた……ぼろぼろの俺を拾ってくれたんです」
エルの表情がすうっと変わったのがわかった。闇を覗いているような暗い瞳に、ふっと柔らかく明るい光が混じる。リオンにはそれがどんな種類の感情だかすぐに分かった。恋情だ。恋情というよりは愛に近い大きな気持ちだ。
「……エルはオースティンのことを愛しているんだね」
「え?」
エルが驚いたようにこちらを向く。その顔は薔薇の花のように真っ赤になっていた。動揺したように視線があちこちに彷徨っている。
「な、なんで……」
「わかるよ。顔に全部出てる」
「えっ」
思えば最初から、エルは心の裡が全部表情に出ていた。リオンをよく思っていないこともすぐわかったし、不機嫌さは背中にさえ表れていた。とても正直な人なのだ。
エルは焦るようにぱくぱくと口が開いたり開いたりしていたが、急にふっと肩から力を抜く。その顔には悲しみと切なさが浮かんでいた。
「愛しているなんて恐れ多いですよ……。俺にとって陛下は、神様みたいなものだから」
『神様みたいなもの』
その言葉にリオンははっと胸を衝かれた。
よくわかる気がした。自分にとってクレイドはそんな存在だったから。
「俺は陛下のためならなんでも出来るんです。あの人が幸せになってくれるのならなんでもいいんです。だから……」
エルは泣きそうな目でリオンを見た。そして静かに頭を下げる。
「お願いします、陛下の番になってくれませんか? 陛下には……この国にはあなたが必要なんだ。俺じゃ駄目なんだよ。リオン様じゃないと――……」
リオンは言葉が出なかった。こんなに痛々しい顔で、それでも愛する人のために必死に言葉を紡ぐエルを見ていると、わけのわからない感情が込み上げてくる。
この感情はなんと呼ぶのだろう。憐憫というのだろうか、切なさと呼べばいいのか。胸が共鳴するように軋んで、痛くて痛くて仕方がない。
「どうしてエルはそんなふうに思えるの?」
気が付くとリオンはそう漏らしていた。エルが驚いたように目を瞬く。
「エルの献身も愛も――オースティンには届かなかったのでしょう? 確かにエルがしたことは悪いことだけど全部オースティンのためだった。でもオースティンはエルを側から追い出した。話も聞かなかったじゃないか。それなのにどうしてエルはまだ、そんなことが言えるの?」
エルは何度も瞬きをしていたが、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「……確かに俺の愛は陛下に届かない。だけどその愛はなくなるわけじゃないでしょう。どっかに少しは残るでしょう? それが少しでも陛下の役に立つなら――俺はそれで満足なんです」
「エル……」
どうしてこんなにエルは強いのだろう。どうしてこんなに大きな愛が持てるのだろう。
それに比べて自分は弱くて迷ってばかりだ。クレイドに自分の愛が届かないという理由で子供のように泣いて喚いて逃げ出した。情けなく不甲斐ない気持ちで、リオンはぐっと唇を噛みしめて俯いた。
エルはそんなリオンをしばらく見つめていたが、急に「さて」と言って立ち上がった。
「私はそろそろ仕事に戻りますので。リオン様も戻った方がいいんじゃないですか」
「……うん」
「あれ? そういえば護衛の兵士はどうしたんですか?」
言われて今さらながらに思い出した。
護衛の兵……? そう言えば――。
「たぶん巻いてきちゃったと思う……」
えっとエルが顔を顰めた。
「それはちょっとまずいですね。みんな死にもの狂いで探しているかと」
「そっか……そうだよね」
自分はこの国で唯一のブルーメだ。そのブルーメが消えたとなったら、きっと大騒ぎだろう。護衛の兵もリオンを探しているだろうが、クレイドはもっと必死になって探しているはずだ。
(クレイドに会いたくないな……)
だけどこれ以上周りに迷惑をかけるわけにはいかない。クレイドの前で普通に振る舞えるかは自信がないが、会わないわけにはいかないだろう。
「とりあえず王宮に戻りましょう。私が案内します」
「お願いします……」
エルの先導で入り組んだ生垣の中庭を出る。しかし王宮へ続く回廊に近づいたときだ。
「あ……」
エルが急に足を止めた。目を見開いて固まっている。
「エル? どうしたの?」
エルの視線の先を見て、リオンもまた固まった。
そこにいたのはクレイドとオースティンだった。
「スラム街?」
「ああ……リオン様はわからないですよね。スラム街ってのは、貧乏な人間が住んでるごちゃごちゃした汚い所ですよ」
「そう、なんだ……」
目の前のエルと貧乏という言葉が結びつかなかったが、エルの暗い顔を見るに、あまりいい記憶ではないことは理解出来た。
「ほんとにクソみたいなところでしたよ……生まれたころから貧乏で、母親は病気で死んでしまって。最悪なことに借金もあったから、借金取りにぼこぼこにされて売られそうになって。でもそんなときに――陛下が助けてくれた……ぼろぼろの俺を拾ってくれたんです」
エルの表情がすうっと変わったのがわかった。闇を覗いているような暗い瞳に、ふっと柔らかく明るい光が混じる。リオンにはそれがどんな種類の感情だかすぐに分かった。恋情だ。恋情というよりは愛に近い大きな気持ちだ。
「……エルはオースティンのことを愛しているんだね」
「え?」
エルが驚いたようにこちらを向く。その顔は薔薇の花のように真っ赤になっていた。動揺したように視線があちこちに彷徨っている。
「な、なんで……」
「わかるよ。顔に全部出てる」
「えっ」
思えば最初から、エルは心の裡が全部表情に出ていた。リオンをよく思っていないこともすぐわかったし、不機嫌さは背中にさえ表れていた。とても正直な人なのだ。
エルは焦るようにぱくぱくと口が開いたり開いたりしていたが、急にふっと肩から力を抜く。その顔には悲しみと切なさが浮かんでいた。
「愛しているなんて恐れ多いですよ……。俺にとって陛下は、神様みたいなものだから」
『神様みたいなもの』
その言葉にリオンははっと胸を衝かれた。
よくわかる気がした。自分にとってクレイドはそんな存在だったから。
「俺は陛下のためならなんでも出来るんです。あの人が幸せになってくれるのならなんでもいいんです。だから……」
エルは泣きそうな目でリオンを見た。そして静かに頭を下げる。
「お願いします、陛下の番になってくれませんか? 陛下には……この国にはあなたが必要なんだ。俺じゃ駄目なんだよ。リオン様じゃないと――……」
リオンは言葉が出なかった。こんなに痛々しい顔で、それでも愛する人のために必死に言葉を紡ぐエルを見ていると、わけのわからない感情が込み上げてくる。
この感情はなんと呼ぶのだろう。憐憫というのだろうか、切なさと呼べばいいのか。胸が共鳴するように軋んで、痛くて痛くて仕方がない。
「どうしてエルはそんなふうに思えるの?」
気が付くとリオンはそう漏らしていた。エルが驚いたように目を瞬く。
「エルの献身も愛も――オースティンには届かなかったのでしょう? 確かにエルがしたことは悪いことだけど全部オースティンのためだった。でもオースティンはエルを側から追い出した。話も聞かなかったじゃないか。それなのにどうしてエルはまだ、そんなことが言えるの?」
エルは何度も瞬きをしていたが、ふっと口元に笑みを浮かべた。
「……確かに俺の愛は陛下に届かない。だけどその愛はなくなるわけじゃないでしょう。どっかに少しは残るでしょう? それが少しでも陛下の役に立つなら――俺はそれで満足なんです」
「エル……」
どうしてこんなにエルは強いのだろう。どうしてこんなに大きな愛が持てるのだろう。
それに比べて自分は弱くて迷ってばかりだ。クレイドに自分の愛が届かないという理由で子供のように泣いて喚いて逃げ出した。情けなく不甲斐ない気持ちで、リオンはぐっと唇を噛みしめて俯いた。
エルはそんなリオンをしばらく見つめていたが、急に「さて」と言って立ち上がった。
「私はそろそろ仕事に戻りますので。リオン様も戻った方がいいんじゃないですか」
「……うん」
「あれ? そういえば護衛の兵士はどうしたんですか?」
言われて今さらながらに思い出した。
護衛の兵……? そう言えば――。
「たぶん巻いてきちゃったと思う……」
えっとエルが顔を顰めた。
「それはちょっとまずいですね。みんな死にもの狂いで探しているかと」
「そっか……そうだよね」
自分はこの国で唯一のブルーメだ。そのブルーメが消えたとなったら、きっと大騒ぎだろう。護衛の兵もリオンを探しているだろうが、クレイドはもっと必死になって探しているはずだ。
(クレイドに会いたくないな……)
だけどこれ以上周りに迷惑をかけるわけにはいかない。クレイドの前で普通に振る舞えるかは自信がないが、会わないわけにはいかないだろう。
「とりあえず王宮に戻りましょう。私が案内します」
「お願いします……」
エルの先導で入り組んだ生垣の中庭を出る。しかし王宮へ続く回廊に近づいたときだ。
「あ……」
エルが急に足を止めた。目を見開いて固まっている。
「エル? どうしたの?」
エルの視線の先を見て、リオンもまた固まった。
そこにいたのはクレイドとオースティンだった。
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