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十歳
それでも私は
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「なかなかお上手ですね」
軽く素振りをしているだけだったが、結構様になっているようだ。セルドアの褒め言葉は誰からもらうよりも嬉しいものだった。
ありがとうございます、少し息を上げながら言ったが、セルドアは苦笑いをしていただけだった。
夕方、空が赤くなるまで素振りを続けると、そろそろ時間です、と終わりの合図が告げられる。
「私のわがままを叶えてくださり、ありがとうございました」
アリアは練習着から普段着に着替え、先に執務室に戻っていたセルドアに挨拶しに行くと、そこには軽装のクレメンスが居座っていた。
王宮で開かれたあの夜会以来なので、お久しぶりです、と挨拶して、中に入った。
「なぜここに」
親友の部屋を訪れていたクレメンスはアリアの姿を見て、眉をしかめた。
「レディが護身術を学びたいと言ったから、喜んで教えてあげていたんだよ」
セルドアは彼女にお茶を入れながら、にこやかに笑った。
「僕はレディの希望ならばいくらでも聞いてあげるからね」
武人とは似つかわしくない細やかな作業を丁寧にこなしたセルドアは、すっとアリアの前にカップを差し出した。
クレメンスは友の言葉にお前、過保護だろ、とボヤきつつも、大っぴらには反対しない。彼も悪くはない案だと思ったのか、ため息をついたのちにそうか、なら好きにしろ、とそっぽを向きながら呟いた。
「そういえば、レディに用があるんじゃなかったのかい?」
さすがは副騎士団長、やるべき書類仕事があるようで、パラパラと紙をめくりながらクレメンスに尋ねる。
ああ、そうだった。
彼は片眼鏡を上げながら、アリアに向き合う。
「今度、里帰りしないか?」
元家庭教師からの言葉に首を傾げた。
確かに非番の日には、王都の近くに屋敷があるものは里帰りしていることが多いし、禁止されていない。だけども、アリアはなんとなく面倒だったのと、王宮に戻ってきてからが怖かったので、一回たりとも帰ったことはない。
それについて、母親からも何も言われなかったので、そのまま今度も里帰りするつもりはなかったが、久しぶりに会ったクレメンスに言われたのには少し驚いたのだ。
「っていうのも、セレネ嬢が寂しがっているっていうのが一つ。なかなか帰ってきてくれないあなたを心配している」
クレメンスの口からベアトリーチェの名前が出たのは意外だった。
いや、順当なのか。
そういえば『ラブデ』では彼女のサポート役として登場するんだっけ。
先に自分と関わったほうが『意外』以外のなにものでもない。
そう思い直したアリアは分かりました、と素直に頷いた。
「次の非番は建国祭の前なので少し時間がありますが、そのときは必ず帰ります」
クレメンスの瞳をじっと見て、そう答えた。
「ああ、助かる。本当はもうしばらくはあなた会わない予定でしたが、授業のたびに泣きそうな顔をしてお前の心配ばかりするから、な」
確かに公爵家の令嬢であろうものが頻繁に彼と会うわけにはいかなかった。
おとなしくしていろという周囲からの無言の圧力があり、ささいなことでも面倒なことに巻き込まれかねない。
「それにもう一つ、あなたに戻ってもらいたい事情がある」
先ほどまでの冗談めかした声ではなく、ぐっと真剣な声音にアリアも何が来るんだろう、と思ってごくりとつばを飲み込んだ。
「去年、まともに祝えなかったあなたの誕生日を全員で祝いたいって、公爵夫人が言っていた」
彼の言葉に一瞬、反応が遅れた。
「ま、近況報告しろ、という意味でもあるとは思うから、せいぜい頑張ってくださいね」
アリアはしまった、と思った。
確かに母親に協力を頼んでおいたのにもかかわらず、近況報告をしていない。
自分の誕生祝いをしてくれる、というのならば、帰ってもいいか。
説教付きだけれど。
では、私からもレディのために何か用意しないといけませんねぇ、と近くから笑いながら言う声が聞こえた。
元家庭教師にしてやられた、と思ったが、それもそれで悪くない、との思いのほうが強かった。複雑な気分のまま王宮の自室へ戻ったアリアだったが、二人の近況を聞けて嬉しくも思った。
数週間後。
アリアはほぼ一年ぶりにスフォルツァ家に戻った。
「待ってたわ」
玄関に入って最初に抱きついてきたのは、淑女教育を受けているはずのベアトリーチェだった。
しかし、それをだれも止めない。
「ただいま、ベアトリーチェ」
アリアもしっかりと彼女を抱き返した。
「おかえりなさい、アリア」
ベアトリーチェの後ろから声を掛けられた。
彼女を離すと、そこには凛とした貴婦人の姿を見つける。母親の後ろにはマチルダ、ユリウスの姿もある。
「ただいま戻ってきました、お母様、マチルダ様、ユリウス」
スカートの端をもって、綺麗にお辞儀をする。
その姿はほんの一年半前には考えられなかった姿だった。
「さあ、食事をしながら王宮での話を聞かせて頂戴」
今、スフォルツァ家で最も力を持っている女性の声に、全員が動き出す。
アリアもほんの少しだけ何もかも忘れることにした。
時は経ち、建国祭と同時にシーズンも終わった王宮の自室にて。
アリアは久しぶりにノートを開いていた。
そういえば、『ラブデ』が始まるのは十四歳だっけ。
ゲームのしおりに書かれていた情報を見ながらつぶやく。
『ラブデ』のはじまりまであと四年。
どんな作用が働いたのかわからないが、今のところユリウス以外の攻略対象には会っていないし、ベアトリーチェとの関係も変わっている。
だからといって安心できるものではないが、ありがたいことに今はクリスティアン王子との婚約もない。結局、同じ年に成人したはずのマクシミリアン・フェティアだとも遭遇していない。
来年だかその次の年だかに成人するアラン・バルティアとは騎士団で会っていない。内紛の渦中にいるクロード王子もまだセリチアにいるようだし、ウィリアム・ギガンティアに至っては情報さえない。
この遭遇率がどこまで続くか分からないけれど、できることならば、彼らに会うまでにはフレデリカを追い出したい、もしくは自分の立場を安定させたい。
登場人物の情報を書き込んだところにバツ印をつけていく。
できることならば、このままバツ印をつけ続けたいが、それは希望的観測だろう。
「あと四年か」
もう一度呟き、ノートを閉じた。
そして、あの言葉を呟く。
私には未来を変える力があるはず。だから、今を精いっぱい生きる。
誰にもいない一人きりの部屋は少しだけ広く感じられた。
軽く素振りをしているだけだったが、結構様になっているようだ。セルドアの褒め言葉は誰からもらうよりも嬉しいものだった。
ありがとうございます、少し息を上げながら言ったが、セルドアは苦笑いをしていただけだった。
夕方、空が赤くなるまで素振りを続けると、そろそろ時間です、と終わりの合図が告げられる。
「私のわがままを叶えてくださり、ありがとうございました」
アリアは練習着から普段着に着替え、先に執務室に戻っていたセルドアに挨拶しに行くと、そこには軽装のクレメンスが居座っていた。
王宮で開かれたあの夜会以来なので、お久しぶりです、と挨拶して、中に入った。
「なぜここに」
親友の部屋を訪れていたクレメンスはアリアの姿を見て、眉をしかめた。
「レディが護身術を学びたいと言ったから、喜んで教えてあげていたんだよ」
セルドアは彼女にお茶を入れながら、にこやかに笑った。
「僕はレディの希望ならばいくらでも聞いてあげるからね」
武人とは似つかわしくない細やかな作業を丁寧にこなしたセルドアは、すっとアリアの前にカップを差し出した。
クレメンスは友の言葉にお前、過保護だろ、とボヤきつつも、大っぴらには反対しない。彼も悪くはない案だと思ったのか、ため息をついたのちにそうか、なら好きにしろ、とそっぽを向きながら呟いた。
「そういえば、レディに用があるんじゃなかったのかい?」
さすがは副騎士団長、やるべき書類仕事があるようで、パラパラと紙をめくりながらクレメンスに尋ねる。
ああ、そうだった。
彼は片眼鏡を上げながら、アリアに向き合う。
「今度、里帰りしないか?」
元家庭教師からの言葉に首を傾げた。
確かに非番の日には、王都の近くに屋敷があるものは里帰りしていることが多いし、禁止されていない。だけども、アリアはなんとなく面倒だったのと、王宮に戻ってきてからが怖かったので、一回たりとも帰ったことはない。
それについて、母親からも何も言われなかったので、そのまま今度も里帰りするつもりはなかったが、久しぶりに会ったクレメンスに言われたのには少し驚いたのだ。
「っていうのも、セレネ嬢が寂しがっているっていうのが一つ。なかなか帰ってきてくれないあなたを心配している」
クレメンスの口からベアトリーチェの名前が出たのは意外だった。
いや、順当なのか。
そういえば『ラブデ』では彼女のサポート役として登場するんだっけ。
先に自分と関わったほうが『意外』以外のなにものでもない。
そう思い直したアリアは分かりました、と素直に頷いた。
「次の非番は建国祭の前なので少し時間がありますが、そのときは必ず帰ります」
クレメンスの瞳をじっと見て、そう答えた。
「ああ、助かる。本当はもうしばらくはあなた会わない予定でしたが、授業のたびに泣きそうな顔をしてお前の心配ばかりするから、な」
確かに公爵家の令嬢であろうものが頻繁に彼と会うわけにはいかなかった。
おとなしくしていろという周囲からの無言の圧力があり、ささいなことでも面倒なことに巻き込まれかねない。
「それにもう一つ、あなたに戻ってもらいたい事情がある」
先ほどまでの冗談めかした声ではなく、ぐっと真剣な声音にアリアも何が来るんだろう、と思ってごくりとつばを飲み込んだ。
「去年、まともに祝えなかったあなたの誕生日を全員で祝いたいって、公爵夫人が言っていた」
彼の言葉に一瞬、反応が遅れた。
「ま、近況報告しろ、という意味でもあるとは思うから、せいぜい頑張ってくださいね」
アリアはしまった、と思った。
確かに母親に協力を頼んでおいたのにもかかわらず、近況報告をしていない。
自分の誕生祝いをしてくれる、というのならば、帰ってもいいか。
説教付きだけれど。
では、私からもレディのために何か用意しないといけませんねぇ、と近くから笑いながら言う声が聞こえた。
元家庭教師にしてやられた、と思ったが、それもそれで悪くない、との思いのほうが強かった。複雑な気分のまま王宮の自室へ戻ったアリアだったが、二人の近況を聞けて嬉しくも思った。
数週間後。
アリアはほぼ一年ぶりにスフォルツァ家に戻った。
「待ってたわ」
玄関に入って最初に抱きついてきたのは、淑女教育を受けているはずのベアトリーチェだった。
しかし、それをだれも止めない。
「ただいま、ベアトリーチェ」
アリアもしっかりと彼女を抱き返した。
「おかえりなさい、アリア」
ベアトリーチェの後ろから声を掛けられた。
彼女を離すと、そこには凛とした貴婦人の姿を見つける。母親の後ろにはマチルダ、ユリウスの姿もある。
「ただいま戻ってきました、お母様、マチルダ様、ユリウス」
スカートの端をもって、綺麗にお辞儀をする。
その姿はほんの一年半前には考えられなかった姿だった。
「さあ、食事をしながら王宮での話を聞かせて頂戴」
今、スフォルツァ家で最も力を持っている女性の声に、全員が動き出す。
アリアもほんの少しだけ何もかも忘れることにした。
時は経ち、建国祭と同時にシーズンも終わった王宮の自室にて。
アリアは久しぶりにノートを開いていた。
そういえば、『ラブデ』が始まるのは十四歳だっけ。
ゲームのしおりに書かれていた情報を見ながらつぶやく。
『ラブデ』のはじまりまであと四年。
どんな作用が働いたのかわからないが、今のところユリウス以外の攻略対象には会っていないし、ベアトリーチェとの関係も変わっている。
だからといって安心できるものではないが、ありがたいことに今はクリスティアン王子との婚約もない。結局、同じ年に成人したはずのマクシミリアン・フェティアだとも遭遇していない。
来年だかその次の年だかに成人するアラン・バルティアとは騎士団で会っていない。内紛の渦中にいるクロード王子もまだセリチアにいるようだし、ウィリアム・ギガンティアに至っては情報さえない。
この遭遇率がどこまで続くか分からないけれど、できることならば、彼らに会うまでにはフレデリカを追い出したい、もしくは自分の立場を安定させたい。
登場人物の情報を書き込んだところにバツ印をつけていく。
できることならば、このままバツ印をつけ続けたいが、それは希望的観測だろう。
「あと四年か」
もう一度呟き、ノートを閉じた。
そして、あの言葉を呟く。
私には未来を変える力があるはず。だから、今を精いっぱい生きる。
誰にもいない一人きりの部屋は少しだけ広く感じられた。
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