レトロな事件簿

八雲 銀次郎

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2章:想い

7 手品

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 古川マスターがカウンター越しにコーヒーを私の前に置いた。それとほぼ同時くらいに、今井さんが私の右隣の席に座った。
 「香織ちゃん、僕は今から手品をする。」
 カウンター越しの彼がそう言った後、今井さんが私の目の前に小さい紙袋を置いた。
 「手品…。」
 私は今置かれている状況が理解できなかった。
 「そう、その紙袋には、君が一番欲しい物が入っている。
 だけど、僕が開けていいと言うまで、絶対開けてはいけない。」
 「はぁ…。」
 「じゃぁ始めるよ。」
 彼が目を閉じた、長かった。三〇秒ほど瞑っていた。その間に少し冷静になれたのか、一つ気付いたことがあった。この店内からコーヒーの香りが一切しなかった。当然目の前にあるコーヒーも、香りが極端に抑えられている…。

 彼がすっと目を開ける。一条さんの時よりも眼光が鋭い気がした。
 「君は僕らに隠してることがあるよね。」
 「…。」
 「自分から言えないのなら、僕から言うよ。
 君がコーヒーが好きな理由は、それが言い訳にできるから…。」
 薄々気が付いていた。彼が、私の隠し事を知って居ることを。
 「どうして…?」
 「そこも僕が言わないといけませんか?」
 「ごめんね…。」そう言い、今井さんが私の右のシャツの袖ボタンをはずした。流石の私も観念せざるをえなかった…。

 「よくわかりましたね…。」
 袖を丁寧にまくり上げる今井さんをよそに、彼に聞く。
 「最初に違和感に気付いたのは、君が初めて来たときだね。まだ五月とは言え、肘まであるインナーシャツを着るのが不自然だったからね…。そして、今も。」
 「…っ。」
 捲り上げられた私の右腕を見て今井さんが息を飲み、古川マスターが絶句する。無理もない。肩から肘下まで、火傷の痕がある。

 「これは、昔コーヒー作ってるときに失敗して…。」
 「右利きの君がどうやって、自分の右肩にお湯を被る。」
 「だから、ミスで…。」
 「違う…。それは最近付いた火傷の痕じゃない…。」
 彼が、否定する…。
 「君はそう思いたいんだろうけど、現実はそうじゃない…。」
 「…止めて…。」
 「小さいころ、それも、君が物心つき始めた…。」
 「やめて…下さい…。」
 「君がその頃にしかも、治療された跡が見られない…。となると…。」
 「止めて下さいって言ってるでしょ!」
 私は久々に怒鳴ってしまった。彼の言葉にイラついたわけじゃない。私の今までの人生を否定される気がした…。

 「そんな事言ったって、何になるんですか?興味本位ですか?人には知られちゃいけない過去だっていくらでもあります!それを、他人の貴方が土足で踏み抜いて…。」
 しかし、彼の目を見ながら喋れば喋るほど、苦しくなってきた…。その目は知らなかった…。
 今まで、興味本位で火傷の痕を聞いてくる人ばかりだったから、その類の視線は痛い程知っている…。しかし、彼のその、哀れみでも、興味本位な目でもない…。
 「止めません。」
 彼がはっきりと言う。
 さらに胸の奥が苦しくなってきた。
 すぐにこの場から逃げ出したかったが、身体が動かなかった…。
 その時だった。ふわっと何かに包まれた。
 
 またしても、今井さんだった。彼女には、何回か抱き着かれたことはあるが、今回は何かが違った…。
 「つらかったね」
 頭の上から、今井さんの声が響いた…。その瞬間、胸の奥が熱くなった。古川マスター窓のカーテンを次々に閉め、店内が薄暗くなっていく…。
 「君は強いよ。僕よりも、確実に…。だけど、その強さは諦めから来ているとしたら、今からでも、遅くないと思うよ。」
 そう言いながら、彼が私の右手を掴み、さすった…。

 目頭が熱くなった…。もう駄目だった…。久々に声を上げて泣いた…。
 火傷を負ってから初めて腕を触られたからじゃない…。
 抱きしめられたのが初めてだったからじゃない…。
 一緒に泣いてくれている、今井さんの優しさが。ただ何も言わず、見守ってくれている古川マスターの気遣いが、彼の私を見てくれた柔らかさが…。
 私にとっては全てが初めてだった…。
 もっと早く知りたかった。もっと小さいころに教えてほしかった。彼らにじゃなく、もっと身近な人に…。
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