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本編
58 名前は呼べない(国王視点)
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初夜で、妾妃と、メアリー・シーモアと対面した時、俺の予想は正しかったのだと確信した。
儚げでたおやかな印象の絶世の美少女。
大抵の男なら、その彼女の見かけに心を奪われ、彼女の中身、酷薄で冷酷な本性を見抜けなかっただろう。
幸か不幸か、俺は愛されなければ愛せない(子供達以外だが)、人として何かが欠けた人間だ。どれだけ美しい女性であっても、俺に興味がないなら俺も同じだ。だから、彼女の外見とは裏腹な本性を見抜けたのだ。
彼女は一見、丁寧に「夫」となった国王に接しているが、その淡い緑の瞳は俺の一挙手一投足を冷ややかに観察している。
俺は王妃と違って脳筋ではないが駆け引きも苦手だ。だから、単刀直入に彼女に言ったのだ。
「お前は、俺の全てをシーモア伯爵から聞いた上で、国王の妾妃になったんだよな?」
俺の全て、俺の呪われた出生の事だ。
「はい。ヘンリー様から命に代えても、あなたをお守りしろと命じられました」
彼女は俺の突然の質問にも驚かず淡々と答えた。
「嫌じゃないのか? こんな俺に抱かれて子を産むのは?」
嫌がる女を無理矢理抱く趣味はない。彼女が嫌だというのなら、王妃にだけ俺の子を産んでもらうつもりだった。
けれど、シーモア伯爵が国王の役に立つだろうと後宮に送ってきた女だ。妾妃としての役割以外で何らかの仕事はしてもらおうか。
「陛下の出生なら、わたくし、気にしませんわよ」
俺自身、気にした事はなかった。たとえ、人として最大の禁忌の証であっても、罪を犯したのはリックとリズメアリであって俺ではないからだ。それは、二人とも亡くなる間際に言っていた。「罪を犯したのは自分達であってリチャードではない」と。
「不敬を承知であえて言わせて頂きますが、どんな出生であれ、それだけの容姿で実のご両親に愛されて王族として何不自由なく生きてこられただけで、わたくしから見れば充分恵まれていますわ」
他の人間はどう感じるかは分からないが俺は不敬とは思わなかった。彼女の言葉に納得したからだ。その日一日を生きるだけでも命懸けの人間にとって、出生がどうあれ、王族として何不自由なく生きられる俺は羨望の対象だろう。
「わたくしは両親を知りません。どんな人間達から産まれたか知らないのです。物心ついた時には奴隷商人の許にいて、そんなわたくしを買って、どんな思惑であれ育ててくださったのがヘンリー様です。だから、ヘンリー様のご命令なら、わたくし、ヒヒジジイに抱かれて子を産むのも厭いませんわ。幸い陛下は若い美丈夫ですから」
彼女にとってシーモア伯爵は奴隷という過酷な境遇から救い出してくれた人間だ。それだけで、彼女にとってシーモア伯爵は「特別」なのだ。
聡明な彼女は、シーモア伯爵が思惑があって奴隷だった自分を買って育てた事にも気づいている。おそらく俺の役に立つ俺の妻としてだ。
シーモア伯爵は俺が国王になると分かっていたから彼女を将来の俺の妻として育てた訳ではない。俺が国王である事など彼にはどうでもいいのだ。彼にとっての俺の価値は、愛した、いや、今も愛している女が産んだ息子だというだけだ。
そう、ヘンリー・シーモア伯爵は、自分の乳兄弟であり俺の生母であるリズメアリを愛しているのだ。彼女が禁忌を犯して俺を産んだ事を知っていても彼女への愛は揺るがないのだ。
リックに俺の罪(前王と兄弟姉妹の殺害だ)を被せる事をしなかったのも、俺が望んだからではなくリズメアリが誰よりも愛した男が死後とはいえ醜聞にさらされるのが嫌だったからだ。
「分かった。それなら、妾妃として国王の子を産むだけでなく、他に国王の役に立ってみせろ」
俺は彼女の細い腰を引き寄せ、間近からその美しい瞳を覗き込んだ。
「最初に言っておく。悪いが、お前の名前は呼べない。理由は分かるな?」
これから抱こうとする妾妃に言う科白ではないが、これだけは、どうしても駄目だった。
なぜなら――。
「お母様に、似た名前だからでしょう?」
リズメアリとメアリー。
「この名前を付けてくださったのはヘンリー様ですが、やはり、リズメアリ様からなのでしょうね」
俺の予想通り、彼女の名付け親はシーモア伯爵か。奴隷だった彼女を買って養女にしたのだ。彼以外考えられない。
「そうなんだろう。お前とリズメアリは外見は似ていなくても、印象は似ているからな」
だが、それでも、養女にした女に、愛した女の名前に似た名前を与えるとは、何を考えているのか。
その時はそう思った俺だったが、奇しくも俺もシーモア伯爵と同じ事をするのだ。
王妃が娘の名前を自分と同じ「エリザベス」にしたという報告を受けた後、こう言われた。
「エリザベスなら愛称が多いですが、陛下は何がいいですか?」
エリザベスの愛称の一つは確か――。
「――リズ」
それしか思いつかなかったのだが、言った後、後悔した。
この娘は、同じ血を引き酷似した容姿だが、リズメアリではないのだ。
同じ名前(この場合は同じ愛称だが)を与えられるつらさを俺は誰よりも知っているのに――。
俺の形式上の母親、前王妃は愛した男、リックの名前を俺に付けた。名を呼んでも、それは「俺」に向けられたものではなかった。胎児からの記憶があるのでアリエノールを「母」と思った事など一度もなかったが、それでも自分を通して誰かを見る眼差しや呼び名は気分がいいものではない。
「あ、いや、お前の好きなように呼べばいい」
「リズですか。いいと思います」
本当に嬉しそうに笑う王妃に、「やめろ」とは言えなくなった。
リズは名前も愛称も王妃が付けたと思ったようだが、愛称は俺が付けたのだ。
けれど、俺は自分が付けた愛称だけでなく名前も呼べず、人前ではリズを「お前」か「王女」としか呼べなくなった。
俺はアリエノールとは違う。いくら同じ血を引き酷似した容姿でも、娘と生母を同一視などしない。
だから、同じ愛称は呼べないし呼ばない。
生物学上以外で父親だと認めていない俺から名前や愛称を呼ばれなくてもリズが傷つく事などないだろう。
それだけは救いだった。
儚げでたおやかな印象の絶世の美少女。
大抵の男なら、その彼女の見かけに心を奪われ、彼女の中身、酷薄で冷酷な本性を見抜けなかっただろう。
幸か不幸か、俺は愛されなければ愛せない(子供達以外だが)、人として何かが欠けた人間だ。どれだけ美しい女性であっても、俺に興味がないなら俺も同じだ。だから、彼女の外見とは裏腹な本性を見抜けたのだ。
彼女は一見、丁寧に「夫」となった国王に接しているが、その淡い緑の瞳は俺の一挙手一投足を冷ややかに観察している。
俺は王妃と違って脳筋ではないが駆け引きも苦手だ。だから、単刀直入に彼女に言ったのだ。
「お前は、俺の全てをシーモア伯爵から聞いた上で、国王の妾妃になったんだよな?」
俺の全て、俺の呪われた出生の事だ。
「はい。ヘンリー様から命に代えても、あなたをお守りしろと命じられました」
彼女は俺の突然の質問にも驚かず淡々と答えた。
「嫌じゃないのか? こんな俺に抱かれて子を産むのは?」
嫌がる女を無理矢理抱く趣味はない。彼女が嫌だというのなら、王妃にだけ俺の子を産んでもらうつもりだった。
けれど、シーモア伯爵が国王の役に立つだろうと後宮に送ってきた女だ。妾妃としての役割以外で何らかの仕事はしてもらおうか。
「陛下の出生なら、わたくし、気にしませんわよ」
俺自身、気にした事はなかった。たとえ、人として最大の禁忌の証であっても、罪を犯したのはリックとリズメアリであって俺ではないからだ。それは、二人とも亡くなる間際に言っていた。「罪を犯したのは自分達であってリチャードではない」と。
「不敬を承知であえて言わせて頂きますが、どんな出生であれ、それだけの容姿で実のご両親に愛されて王族として何不自由なく生きてこられただけで、わたくしから見れば充分恵まれていますわ」
他の人間はどう感じるかは分からないが俺は不敬とは思わなかった。彼女の言葉に納得したからだ。その日一日を生きるだけでも命懸けの人間にとって、出生がどうあれ、王族として何不自由なく生きられる俺は羨望の対象だろう。
「わたくしは両親を知りません。どんな人間達から産まれたか知らないのです。物心ついた時には奴隷商人の許にいて、そんなわたくしを買って、どんな思惑であれ育ててくださったのがヘンリー様です。だから、ヘンリー様のご命令なら、わたくし、ヒヒジジイに抱かれて子を産むのも厭いませんわ。幸い陛下は若い美丈夫ですから」
彼女にとってシーモア伯爵は奴隷という過酷な境遇から救い出してくれた人間だ。それだけで、彼女にとってシーモア伯爵は「特別」なのだ。
聡明な彼女は、シーモア伯爵が思惑があって奴隷だった自分を買って育てた事にも気づいている。おそらく俺の役に立つ俺の妻としてだ。
シーモア伯爵は俺が国王になると分かっていたから彼女を将来の俺の妻として育てた訳ではない。俺が国王である事など彼にはどうでもいいのだ。彼にとっての俺の価値は、愛した、いや、今も愛している女が産んだ息子だというだけだ。
そう、ヘンリー・シーモア伯爵は、自分の乳兄弟であり俺の生母であるリズメアリを愛しているのだ。彼女が禁忌を犯して俺を産んだ事を知っていても彼女への愛は揺るがないのだ。
リックに俺の罪(前王と兄弟姉妹の殺害だ)を被せる事をしなかったのも、俺が望んだからではなくリズメアリが誰よりも愛した男が死後とはいえ醜聞にさらされるのが嫌だったからだ。
「分かった。それなら、妾妃として国王の子を産むだけでなく、他に国王の役に立ってみせろ」
俺は彼女の細い腰を引き寄せ、間近からその美しい瞳を覗き込んだ。
「最初に言っておく。悪いが、お前の名前は呼べない。理由は分かるな?」
これから抱こうとする妾妃に言う科白ではないが、これだけは、どうしても駄目だった。
なぜなら――。
「お母様に、似た名前だからでしょう?」
リズメアリとメアリー。
「この名前を付けてくださったのはヘンリー様ですが、やはり、リズメアリ様からなのでしょうね」
俺の予想通り、彼女の名付け親はシーモア伯爵か。奴隷だった彼女を買って養女にしたのだ。彼以外考えられない。
「そうなんだろう。お前とリズメアリは外見は似ていなくても、印象は似ているからな」
だが、それでも、養女にした女に、愛した女の名前に似た名前を与えるとは、何を考えているのか。
その時はそう思った俺だったが、奇しくも俺もシーモア伯爵と同じ事をするのだ。
王妃が娘の名前を自分と同じ「エリザベス」にしたという報告を受けた後、こう言われた。
「エリザベスなら愛称が多いですが、陛下は何がいいですか?」
エリザベスの愛称の一つは確か――。
「――リズ」
それしか思いつかなかったのだが、言った後、後悔した。
この娘は、同じ血を引き酷似した容姿だが、リズメアリではないのだ。
同じ名前(この場合は同じ愛称だが)を与えられるつらさを俺は誰よりも知っているのに――。
俺の形式上の母親、前王妃は愛した男、リックの名前を俺に付けた。名を呼んでも、それは「俺」に向けられたものではなかった。胎児からの記憶があるのでアリエノールを「母」と思った事など一度もなかったが、それでも自分を通して誰かを見る眼差しや呼び名は気分がいいものではない。
「あ、いや、お前の好きなように呼べばいい」
「リズですか。いいと思います」
本当に嬉しそうに笑う王妃に、「やめろ」とは言えなくなった。
リズは名前も愛称も王妃が付けたと思ったようだが、愛称は俺が付けたのだ。
けれど、俺は自分が付けた愛称だけでなく名前も呼べず、人前ではリズを「お前」か「王女」としか呼べなくなった。
俺はアリエノールとは違う。いくら同じ血を引き酷似した容姿でも、娘と生母を同一視などしない。
だから、同じ愛称は呼べないし呼ばない。
生物学上以外で父親だと認めていない俺から名前や愛称を呼ばれなくてもリズが傷つく事などないだろう。
それだけは救いだった。
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