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本編
*33* 愛の在り処 ネモSide
しおりを挟む──セリ様は、異世界からいらしたマザーだ。
ヴィオ姉様の言っていたことが、脳裏にあふれ出す。
──心細かっただろう。けれど私は『帰りたい』など、彼女の口から聞いたことがない。
──セリ様はね、今度私が無茶をしたら、引っぱたくとおっしゃったんだ。泣きながら。
──怖くて仕方なかっただろうに、私やリアンですらできなかったことを、セリ様はやってのけたんだ。
──母上がおっしゃっていたよ。神力は誰かを守る力……ひとを愛する心そのものだと。
──あのちいさな身体に、どれだけの愛情を秘めていることだろう。
──陽だまりのような愛をひとたび受けてしまったら、もう、あの方を愛さずにはいられなくなるんだよ。
──彼女と言葉を交わせない日々は辛く苦しいけれど、私は自分が不幸だとは思わない。
──彼女を想う心という、最高の幸福が、ここに在るのだから。
ヴィオ姉様……私は、どうしようもない馬鹿でした。
知らないことは、彼女のせいではなかったのに。
真に責められるべきは、知ることを恐れない彼女を無知だと決めつけて蔑んだ、私だったのに。
「……申し訳、ありませんでした」
私が愚かでした。セフィロトがお選びになったマザーに、恐れ多くもなんという無礼を。
神に愛されたあなたが、只人であるはずがなかった。
「関係ないよ」
それなのにあなたは、こんなに愚かな私の贖罪さえ、許してはくれない。
「マザーとか騎士とか関係なくて、自然体な君とお友だちになりたいって思うのは、あたしのわがままかな」
さわったら折れてしまいそう。そんな風に思っていた細い指先が伸びてきて、低頭した私の前髪にふれる。
「せっかく綺麗な顔してるんだから、どうせなら笑ってみせてよ──ね、ネモちゃん?」
引き寄せられるように見上げて、呼吸の仕方を忘れてしまう。
彼女の澄んだ漆黒の瞳には、星が瞬いていた。キラキラと、たくさん。
今更気づくなんて。……いや、違う。
私が、向き合おうとしなかっただけなのだ。
……ダメだ。無理だ。その輝きは、私にはまぶしすぎる。
私は私が恥ずかしい。あなたに合わせる顔がない。
気づいたときには呼びとめる彼女を振り払い、駆け出していた。
「うぅっ……ぅああ!」
意味のないうめき声が、ひとりでにこぼれる。
がむしゃらに手足を動かしながら、滲む視界をもがくように掻き分けた。
誰に追いかけられているわけでもないのに、逃げて逃げて、その果てに、やかましいほど脈打つ鼓動を嫌でも認識させられた。
「……マザー・セントへレム……」
乱れる呼吸の中、彼女を呼ぶ。
「マザー・セントへレム……セリ様っ……」
目の奥に焼きついて離れない彼女の、笑顔を呼び起こす。
「セリさまぁっ……!」
彼女のいない回廊で、それは無意味な叫びだったろう。
なのに何故、こんなにも胸が満たされるのだろう。
「セリ、さま……っ」
こんなにも感情があふれて仕方ないのに、会いたい、声を聞きたいという渇望がやまない。なんて支離滅裂な。
「っう……く……はは……あははは……!」
いっそ笑えてくる。
そうよ、この瞬間、私もヴィオ姉様のように、おかしくなってしまったの。
「私より、あなたのほうが綺麗です……セリ様……」
胸に灯ったぬくもりごと、ぎゅっと自分を抱きしめる。
私は昔から、私が好きではなかったけれど……
「セリ様……」
あなたを想う私のことは、好きになれる気がするんです。
* * *
「セリ様……セリ様」
内緒話でもするように、こしょこしょと耳元に囁きかける。
擽ったそうに身をひねった彼女は、薔薇の影から歩み寄った私へ、「なんだネモちゃんか、びっくりしたー」とおどけてみせた。
鼓膜を震わせるそよ風が、こそばゆい。
「どこへ行かれるんですか?」
「お散歩でもしようかなぁって」
「ご一緒して、いいですか?」
「本当にお散歩だけだよ?」
「いいんです。ネモもセリ様と、お散歩したいです」
「そーお? じゃあ一緒にぶらぶらしよっか」
セリ様の笑顔は、ふわふわとした砂糖菓子みたいだ。可愛くて、甘くて、やめられない。
「……大好き」
「え? なんか言った?」
「手を繋ぎたいなって、言いました」
これは私の、柄でもない照れ隠し。
「それじゃあネモちゃんが、今日のあたしの騎士様だねぇ、なんちゃって」
「…………」
「でかい口叩きました、すみませ……ネモちゃん?」
……本当にセリ様は、もう。
一を差し出したら、百を返してくるんだから。
ねぇ、セリ様。
あなたのそのまぶしい笑顔が、好きです。
大好きです、守りたいんです。
あなたを傷つける悪いやつは私がやっつけちゃうから、セリ様はずっと、笑っていてください──
それだけが、ささやかな願いだったのに。
「ジュリっ……なんでっ……!」
──どうしてセリ様は泣いてるの?
どうしてあなたが、セリ様を。
どうして、なんで……なんでなんでなんで。
頭が真っ白になった後のことは、よく覚えていない。
「本当にセリ様が大好きなら、話を聞いてよ! 悲しませないでよ!」
あなたが一番そばにいるくせに……私が、馬鹿みたいじゃない。
「……無責任なこと言わないで。セリ様のこどもは、あなたしかいないでしょう」
私がどんなに足掻いたって、その場所には立てない。
かといって、恋人でもない私がこんなことを言うのも、おこがましいかもしれないけど。
「自分が愛されてないだなんて、勘違いしないで……!」
次から次へとあふれる言葉が、止められなかった。
ジュリ様の中にちゃんとあるものを、思い出してほしくて。
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