上 下
34 / 70
本編

*33* 愛の在り処 ネモSide

しおりを挟む

 ──セリ様は、異世界からいらしたマザーだ。

 ヴィオ姉様の言っていたことが、脳裏にあふれ出す。

 ──心細かっただろう。けれど私は『帰りたい』など、彼女の口から聞いたことがない。

 ──セリ様はね、今度私が無茶をしたら、引っぱたくとおっしゃったんだ。泣きながら。

 ──怖くて仕方なかっただろうに、私やリアンですらできなかったことを、セリ様はやってのけたんだ。

 ──母上がおっしゃっていたよ。神力は誰かを守る力……ひとを愛する心そのものだと。

 ──あのちいさな身体に、どれだけの愛情を秘めていることだろう。

 ──陽だまりのような愛をひとたび受けてしまったら、もう、あの方を愛さずにはいられなくなるんだよ。

 ──彼女と言葉を交わせない日々は辛く苦しいけれど、私は自分が不幸だとは思わない。

 ──彼女を想う心という、最高の幸福が、ここに在るのだから。

 ヴィオ姉様……私は、どうしようもない馬鹿でした。
 知らないことは、彼女のせいではなかったのに。
 真に責められるべきは、知ることを恐れない彼女を無知だと決めつけて蔑んだ、私だったのに。

「……申し訳、ありませんでした」

 私が愚かでした。セフィロトがお選びになったマザーに、恐れ多くもなんという無礼を。
 神に愛されたあなたが、只人であるはずがなかった。

「関係ないよ」

 それなのにあなたは、こんなに愚かな私の贖罪さえ、許してはくれない。

「マザーとか騎士とか関係なくて、自然体な君とお友だちになりたいって思うのは、あたしのわがままかな」

 さわったら折れてしまいそう。そんな風に思っていた細い指先が伸びてきて、低頭した私の前髪にふれる。

「せっかく綺麗な顔してるんだから、どうせなら笑ってみせてよ──ね、ネモちゃん?」

 引き寄せられるように見上げて、呼吸の仕方を忘れてしまう。
 彼女の澄んだ漆黒の瞳には、星が瞬いていた。キラキラと、たくさん。
 今更気づくなんて。……いや、違う。

 私が、向き合おうとしなかっただけなのだ。

 ……ダメだ。無理だ。その輝きは、私にはまぶしすぎる。
 私は私が恥ずかしい。あなたに合わせる顔がない。
 気づいたときには呼びとめる彼女を振り払い、駆け出していた。

「うぅっ……ぅああ!」

 意味のないうめき声が、ひとりでにこぼれる。
 がむしゃらに手足を動かしながら、滲む視界をもがくように掻き分けた。
 誰に追いかけられているわけでもないのに、逃げて逃げて、その果てに、やかましいほど脈打つ鼓動を嫌でも認識させられた。

「……マザー・セントへレム……」

 乱れる呼吸の中、彼女を呼ぶ。

「マザー・セントへレム……セリ様っ……」

 目の奥に焼きついて離れない彼女の、笑顔を呼び起こす。

「セリさまぁっ……!」

 彼女のいない回廊で、それは無意味な叫びだったろう。
 なのに何故、こんなにも胸が満たされるのだろう。

「セリ、さま……っ」

 こんなにも感情があふれて仕方ないのに、会いたい、声を聞きたいという渇望がやまない。なんて支離滅裂な。

「っう……く……はは……あははは……!」

 いっそ笑えてくる。
 そうよ、この瞬間、私もヴィオ姉様のように、おかしくなってしまったの。

「私より、あなたのほうが綺麗です……セリ様……」

 胸に灯ったぬくもりごと、ぎゅっと自分を抱きしめる。
 私は昔から、私が好きではなかったけれど……

「セリ様……」

 あなたを想う私のことは、好きになれる気がするんです。


  *  *  *


「セリ様……セリ様」

 内緒話でもするように、こしょこしょと耳元に囁きかける。
 擽ったそうに身をひねった彼女は、薔薇の影から歩み寄った私へ、「なんだネモちゃんか、びっくりしたー」とおどけてみせた。
 鼓膜を震わせるそよ風が、こそばゆい。

「どこへ行かれるんですか?」

「お散歩でもしようかなぁって」

「ご一緒して、いいですか?」

「本当にお散歩だけだよ?」

「いいんです。ネモもセリ様と、お散歩したいです」

「そーお? じゃあ一緒にぶらぶらしよっか」

 セリ様の笑顔は、ふわふわとした砂糖菓子みたいだ。可愛くて、甘くて、やめられない。

「……大好き」

「え? なんか言った?」

「手を繋ぎたいなって、言いました」

 これは私の、柄でもない照れ隠し。

「それじゃあネモちゃんが、今日のあたしの騎士様だねぇ、なんちゃって」

「…………」

「でかい口叩きました、すみませ……ネモちゃん?」

 ……本当にセリ様は、もう。
 一を差し出したら、百を返してくるんだから。

 ねぇ、セリ様。
 あなたのそのまぶしい笑顔が、好きです。
 大好きです、守りたいんです。
 あなたを傷つける悪いやつは私がやっつけちゃうから、セリ様はずっと、笑っていてください──
 それだけが、ささやかな願いだったのに。


「ジュリっ……なんでっ……!」


 ──どうしてセリ様は泣いてるの?
 どうしてあなたが、セリ様を。
 どうして、なんで……なんでなんでなんで。

 頭が真っ白になった後のことは、よく覚えていない。

「本当にセリ様が大好きなら、話を聞いてよ! 悲しませないでよ!」

 あなたが一番そばにいるくせに……私が、馬鹿みたいじゃない。

「……無責任なこと言わないで。セリ様のこどもは、あなたしかいないでしょう」

 私がどんなに足掻いたって、その場所には立てない。
 かといって、恋人でもない私がこんなことを言うのも、おこがましいかもしれないけど。

「自分が愛されてないだなんて、勘違いしないで……!」

 次から次へとあふれる言葉が、止められなかった。
 ジュリ様の中にちゃんとあるものを、思い出してほしくて。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

殿下は私に向けて、悲しそうに婚約破棄を宣告されました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:498

小武士 ~KOBUSHI~

青春 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

ハンプティ・ダンプティは笑う

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

だから違うと言ったじゃない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:62

僕の死亡日記

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

裁判を無効にせよ! 被告は平民ではなく公爵令嬢である!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:1,184

処理中です...