わたしと姫人形

阿波野治

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三日目 その19

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「姫、どう? 気持ちいい?」
「うん。なんていうか、すごくおちつく」
 姫は目を細めている。発言に偽りなし、といった表情だ。テンション高くはしゃぎ、湯面を指や手で弾いて水飛沫をわたしにかけてくる、ということもなく、静かに湯に浸かっている。

「ナツキはどう? おちつく? きもちいい?」
「うん。気持ちいいし、落ち着く。姫といっしょだから、いつもよりも気持ちいいし、落ち着くよ」
「だれかといっしょだと、ひとりで入るよりもきもちいいの?」
「うん。親しい人とじゃないと、恥ずかしくて、いっしょに入浴なんてできないからね。気持ちよくなるのは当たり前だよ」
「ナツキは、ぼく以外のだれかとおふろに入ったことはあるの?」
「うん、あるよ」
「だれと?」

 顔を食い入るように見つめてくる。パステルピンクの瞳には深い関心がたたえられている。答えをはぐらかしたとしても絶対に納得しない、そんな顔つきだ。

 さて、どうしよう。
 わたしが入浴をともにしたことがある人間は、母親ただ一人。父親はわたしにとって悪い人ではなかったが、面白味のない仕事人間で、子育てや家事には積極的に関与しなかった。なおかつ、母親にとっては悪い夫だったらしい。わたしが七歳のときに両親は離婚し、父親は家を出て行ったから、父と娘が触れ合う機会は早々に消滅してしまった。
 定期的に入浴をともにしていた当時、わたしと母親――お母さんとの仲は良好だった。しかし、今現在、わたしは母親を憎んでいる。

 思い出話を語るか。それとも、やめておくか。
 かなり迷ったが、期待感に爛々と輝く姫の瞳が決め手となった。

「それじゃあ、昔話をしようかな。わたしが五歳か六歳のころ――」
 突然、甲高い声が聞こえた。遠い場所で発生したが、甲高さとボリュームゆえにわたしたちがいる場所まで届いた、といったような。
 姫は全身を緊張させて外の気配を窺っている。わたしも耳を澄ませる。
 あの声は、まさか。

 再び、先ほどと同じ声が聞こえた。文字に起こしたならば、ぐぎゃああああっ、という声。間違いない。

「大鳥だ。どうして急に……」
 不測の事態ではあったが、わたしは最低限の冷静さを保てている。とにもかくにも、姫を落ち着かせなければ。
 振り向いた瞬間、姫は立ち上がった。唇を引き結び、異様なまでに真剣な横顔を見せている。水音が立ち、片足がバスタブから出た。

「姫っ!」
 もう一方の足も出し、バスタブから全身が出たところで、右手首を掴んだ。引き留めるだけのつもりだったのだが、行かせたくない気持ちが無意識に作用したらしく、軽く引っ張る形になる。強い力ではなかったが、姫は小柄で華奢だし、床は滑りやすい。あえなくその場に尻もちをついた。
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