不思議な爺さんとしがない会社員~妄想が現実になる

なんぷぅ

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第2章 五時間の薬

第2章 5時間の薬

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収は、少し迷ってから口を開いた。
どうせ胡散臭い店だし、どうせ知らない爺さんだ。

「……職場で、ずっと女の人にいびられてて」

爺さんは黙って聞いている。
相槌も打たない。ただ、急かさない。

「言い返せないし、逆らえないし……」
「その、発散する時は……頭の中で妄想して、ひとりで処理してます」

自分でも何を言ってるんだ、と思う。
こんなこと、誰にも話したことはない。

それでも爺さんは眉一つ動かさず、
「ふむ……」と、ゆっくりうなずいた。

「毎日、溜め込んでおるのう」
「現実では何もできんが、妄想の中では立場をひっくり返す、と」

収は黙っていた。
否定もしないし、肯定もしない。

爺さんは少し考えるように目を伏せてから、
にやりとも、にんまりともつかない笑いを浮かべた。

「なるほどなぁ……」

そして、ぽつりと言う。

「いい薬が、あるのう」

収は思わず顔を上げた。

「ただしじゃ」
「少々、値が張る」

その言い方が、
高い漢方薬の話なのか、
それとも別の何かなのか、
判断がつかない。

爺さんはゆっくりと棚の奥へ歩きながら、
背中越しに続けた。

「効き目は、強い」
「じゃが、人によっては……戻れん者もおる」

収の喉が、無意識に鳴った。

「……それ、どんな薬なんですか?」

爺さんは立ち止まり、
振り返って、にやっと笑った。

「さてな」
「お主が“何を望んでおるか”次第じゃ」
爺さんは、棚の一番奥から小さな木箱を取り出した。
年季の入った箱で、鍵も何も付いていない。

蓋を開けると、中には細長い小瓶が一本。
液体は無色透明で、拍子抜けするほど普通に見える。

「これはな……」

爺さんは瓶をつまみ上げ、軽く振った。

「**男乗薬(だんじょうやく)**じゃ」

収は思わず聞き返した。

「……なんです、それ」

「飲むと、他人の男に“乗り移れる”」

あまりにもさらっと言うものだから、
収は一瞬、冗談かと思った。

爺さんは続ける。

「この薬があればな」
「お主がいつも頭の中で考えとる相手――」
「その女の、旦那や彼氏に、乗り移れるじゃろ」

収の頭の中に、
職場で自分を見下してくる上司の顔が浮かんだ。
その横に立ったこともない、
名前すら知らない“男”。

「姿も、声も、立場も」
「その男のもんになる」

爺さんは、まるで天気の話でもするように言う。

「戻る時間は、5時間ときっちり決まっとる」

収は喉が渇くのを感じた。

「……それって」

言葉が続かない。

爺さんは、収の顔を見て、少しだけ口角を上げた。

「妄想でやっとることを」
「現実で、少しだけ味わえる薬じゃ」

小瓶は、カウンターの上に置かれた。

「どうする?」
「値は張るぞ」

収は、瓶から目を離せなかった。

爺さんは小瓶を指でつまんだまま言った。

「じゃがな……値段がなぁ」

収は一瞬だけ考えた。
けど、すぐに答えは出た。

趣味もない。
交友関係もない。
飲みにも行かない。
使い道がないまま、口座にだけ金が溜まっていく。

「……買います」

自分でも驚くほど即答だった。

「ちょっと、ATMで下ろしてきます」

そう言うと、収は店を飛び出し、近くのコンビニまで走った。
久しぶりに息が切れるほど走った気がする。

残高は、十分すぎるほどあった。

――何やってんだろ。

そう思いながらも、金を下ろして、急いで戻った。

だが。

そこに店はなかった。

さっきまで確かにあったはずの場所は、
ただの薄暗い空き地になっている。

看板も、引き戸も、灯りもない。

「……は?」

しばらく立ち尽くしてから、
収は力なく笑った。

「疲れてんだな……」

満員電車。
職場。
妄想。
全部が混ざって、変な夢を見ただけだ。

そう思うことにして、家に帰った。

翌日。

いつも通り出勤し、
いつも通りいびられ、
いつも通り昼前にはトイレに逃げ込む。

個室に入り、用を足していると、
近くで誰かの足音がした。

清掃員の爺さんだ。
この会社に昔からいる、
名前も誰も覚えていないような男。

爺さんは、なぜか収の横に来ると、
にこっと笑った。

「なんか、元気なさそうじゃの」

収は何も答えなかった。

「わしは、この歳でもまだまだ元気じゃ」

そう言って、爺さんは手を伸ばした。

次の瞬間。

どこから出したのか分からないドリンク瓶が、
小便器の上に、一本、また一本と置かれていく。

全部で五本。

ラベルを見て、収の心臓が跳ねた。

――男乗薬

「……え?」

顔を上げた瞬間、
爺さんの姿はもうなかった。

音もなく。
気配もなく。

収は、ドリンク瓶だけを見つめていた。

「……あの店の……」

昨日は夢じゃなかった。

五時間。
五本。

手が、震えた。


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