不思議な爺さんとしがない会社員~妄想が現実になる

なんぷぅ

文字の大きさ
7 / 9
社長夫人

社長夫人

しおりを挟む
社長夫人は、収が返事をする前から歩き出していた。

「早くして」
「時間ないのよ」

ヒールの音に合わせて、
収は少し遅れて後を追う。

社用車ではなく、
タクシーを拾い、二人で後部座席に乗り込んだ。

行き先は、少し離れたショッピングモールだった。

車内で、社長夫人は一言も話さない。
スマホを操作し、
収の存在など最初からなかったかのようだ。

到着すると、
社長夫人は迷いなく店を回り始める。

ブランド名。
値段。
試着。

収はただ、
紙袋を受け取り、持ち替え、
また受け取る。

「それも」
「あと、これも」

紙袋は増えていき、
腕がじわじわと重くなる。

ふと、社長夫人が足を止め、
収を振り返った。

「……あんた、静かね」

続けて、薄く笑う。

「こんな美人と買い物に来て、緊張してるの?」
「でも、ごめんなさいね。私、あなたはタイプじゃないわ」

収は、腸が煮えくり返るのを必死に抑え、
苦笑いを浮かべた。

「あなた、どうせ彼女もいないでしょ」
「童貞でしょ」

言葉を切り、
さらに畳みかける。

「主人も多分、あの女と浮気してるし」
「私も、って思うけど――あなたは論外」
「荷物持ちさせてもらえるだけ、ありがたいと思いなさい」

見下されることよりも、
「あの女」という言葉が、
野中部長のことを指しているのかどうか。

収には、それが分からなかった。

買い物が終わり、
社長夫人は満足そうに息をつく。

「今日はここまで」
「荷物持ち、ありがとうね」

一瞬考えてから、付け足す。

「……名前なんだっけ?」
「まあ、下僕でいいわ」

それだけ言うと、
社長夫人はタクシーに乗り込み、去っていった。

「ちくしょう……」

低く呟く。

あの女、許せない。

収の手の中では、
四本目が、強く握りしめられていた。

次の休日。

ベッドに横たわり、
収は天井を見つめながら考えていた。

――社長夫人を、服従させるには……。

頭に浮かぶのは、
あの薬のことだった。

男乗薬。

収は、枕元に置いてあったそれを手に取る。

「……あれ?」

ふと、
今までちゃんと見ていなかった裏面に目をやる。

小さな文字。
その一部が、擦れたように読めなくなっている。

※同じ相手にこの薬を使うと…………。

その先だけが、
どうしても判別できない。

「……読めないな」

収は、眉をひそめる。

同じ相手に使えば――
元に戻れない、ということなのか。

それとも、
別の何かが起こるのか。

答えは、どこにも書いていない。

収は、ベッドに横たわったまま、
男乗薬を片手に、じっと考え続けた。

擦れた文字の向こうに、
何か決定的なことが隠れている気がしてならなかった。

そして、出勤。

野中部長は、案の定、産休に入っていた。

理由は、どこにも書かれていない。
だが、フロアに流れる空気が、それを補っていた。

ひそひそ。
ひそひそ。

声は小さいが、止まらない。

「……社長の子だよね?」
「修羅場じゃない?」
「あの夫人、どうするんだろ」
「この会社、大丈夫なの……?」

誰も断定しない。
だが、誰も否定もしない。

噂は、
机と机の間をすり抜け、
いつの間にかフロア全体に広がっていた。

収は、キーボードを打つふりをしながら、
その声を、ただ聞いていた。

野中部長の席は、
もう、空いたままだった。

静かなはずの職場は、
ひそひそ声だけで、
以前よりも騒がしくなっていた。

そして収は、
その中心に、自分が立っていることを、
誰にも知られないまま、
ただ、息を潜めていた。

いたたまれなくなり、
収はいつも通り、トイレの個室に入って腰を下ろした。

しばらくして、
誰かが入ってくる気配がする。

――分かった。
あの爺さんだ。

「社内が、騒がしいのう……」

その声を聞いた瞬間、
収は反射的に個室の扉を開けた。

どうせ、
いつもみたいに、もういない――
そう思った。

だが。

いた。

トイレの洗面台の前に、
あの爺さんが立っていた。

「久しぶりじゃのう」
「どうじゃ、元気か?」

「……はい」

収は、すぐに本題に入る。

「それより、あの薬のここです」
「裏の説明で、擦れて読めない部分」
「なんて書いてあるんですか?」

爺さんは、首をかしげる。

「なんじゃったかのう~」
「なんせ、歳なもんでなぁ……」

そう言いながら、
一瞬だけ、爺さんの表情が変わった。

さっきまでの、
とぼけた顔が消える。

鋭い目で、収を見る。

「ただな……」

低い声で続ける。

「取り返しがつかん事になる」
「それだけは、覚えとる」

収の喉が、ひくりと鳴る。

「じゃあな」
「あ~、忙しい忙しい」

そう言って、
爺さんは背を向ける。

「ふぉっふぉっふぉ……」

笑い声だけを残して、
トイレの外へと消えていった。

収は、その場に立ち尽くしたまま、
しばらく動けなかった。

擦れた文字の向こうにあるものが、
はっきりと、
“良くない何か”であることだけは、
もう疑いようがなかった。

職場に戻り、
収は何事もなかったように仕事を再開した。

だが、しばらくして、
フロアの空気が変わる。

社長夫人が現れた。

一直線に歩いてきて、
つかつかと、収の目の前で立ち止まる。

「下僕」

低い声。

「行くわよ」

そう言って、
収の腕というより、服を掴んで引っ張る。

「もちろん、給料はつかないわよ」

拒否する間もなく、
二人はタクシーに乗り込んだ。

車が動き出してから、
社長夫人は、横目で収を見る。

「なんで、あなたを連れてきたか――」
「分かる?」

「……え?」
「分かりません」

収の胸が、どくんと鳴る。

――山梨のことが、バレたのか。

そう思った瞬間、
社長夫人が、ぐっと距離を詰めてくる。

キスでもするかのように、
顔を近づけて囁く。

「あなたのこと……好きになっちゃった」
「最初の女に、なってあげる」

収は、言葉を失った。

自分の身体では、
女性経験がない。

心臓が跳ね、
顔が熱くなるのが分かる。

だが、次の瞬間。

社長夫人は、声を上げて笑った。

「……んな訳ないでしょ」
「何、本気にしてるわけ~?」

少し距離を取り、
楽しそうに続ける。

「まだまだ、私いけるわねー」
「どうせ、また荷物持ちのために決まってるでしょ」

収の中で、
何かが、ぶつりと切れた。

一瞬でも信じかけた自分。
そして、
この女に見下され続けてきた現実。

腸が煮えたぎるのを、
必死に抑える。

そのとき、
収の中で、はっきりと決意が固まった。

――四本目を、使う。

もう、迷わない。

この屈辱を、
そのままにしておくつもりはなかった。

退社後、
収は社長の家へ向かって、一心不乱に歩いていた。

その途中、
ふと足が止まる。

頭の中に、
あの爺さんの言葉が浮かんだ。

――取り返しのつかない事が起きる。

胸の奥が、ざわつく。

このまま進んでいいのか。
戻るべきなのか。

ほんの一瞬、
収は立ち止まった。

だが、次の瞬間、
今日の社長夫人の、あの憎たらしい笑い声と表情が、
鮮明によみがえる。

それが、
迷いを押し流した。

「……くそ」

低く呟き、
収は再び、社長宅へと足を向ける。

歩き出した背中には、
もう、ためらいは残っていなかった。

取り返しがつかなくなるとしても――
それでも、
今は、止まれなかった。

社長宅に着き、
収は物陰に身を潜め、帰宅を待った。

夜風が冷たい。
時間だけが、ゆっくり過ぎていく。

やがて、
社長の車が敷地内に入ってきた。

エンジン音が止まり、
社長が車から降りる。

その瞬間、
収は自然な距離を保ったまま近づいた。

二人並んで、
玄関の前に立つ。

鍵を差し込む、その直前。

収は、
四本目を飲んだ。

胸の奥が、ぐらりと揺れる。

――入った。

社長に、乗り移った。

「同じ男に使うな」
そう書いてあったはずだが、
今のところ、何も起きていない。

拍子抜けするほど、
身体は普通だった。

――大丈夫だ。

そう思い、
収は社長の身体のまま、家に入った。

「ただいま」

声を出してみるが、
返事はない。

リビングに目を向けると、
ソファーに社長夫人がいた。

だらしなく寝転び、
テレビをつけたまま、
スマホをいじっている。

こちらを一瞥することもなく、
完全に無関心。

その光景を見た瞬間、
収の胸の奥で、
何かが静かに動き始めていた。

収は、何も声をかけなかった。
ただ、無言のまま近づき、
ズボンとパンツを脱ぎ捨ててから、
ソファーに寝そべる社長夫人の上に、覆いかぶさる。

最初は、激しい抵抗があった。
だが、それも次第に弱まり、
「うわぁぁぁ」と収は体を動かし続けた
やがて、ことが終わり収は
ゆっくり立ちがる

――すべてが終わる。

社長夫人は、うつ伏せのまま、
しばらく動かなかった。

思わず、収は社長の姿のまま、
小さく呟いた。

「……すまん」

その瞬間、
社長夫人の体が、ひくりと動く。

泣いている。

ゆっくりと体を起こし、
立ち上がると、
振り向きざまに、社長の顔を思いきり引っぱたいた。

パシーン。

乾いた音が響く。
テレビの中の笑い声だけが、
場違いに流れ続けている。

「私、寂しかったんだから」

震える声で、
社長夫人は叫ぶ。

「ずっとレスで……」
「あなたの子ども、産みたいって誘っても、断られて……」
「なのに、あなた――あの女、妊娠させたんでしょ!」

社長になった収は、
何も言えなかった。

言い訳も、
否定も、
口にすることができなかった。

ただ、その場に立ち尽くし、
テレビの笑い声を、
遠くで聞いていた。

社長に乗り移ったままの収は、
そろそろ効き目が切れる時間だと感じていた。

「……夜風に当たって、頭を冷やしてくる」
「本当に、すまなかった」

そう言い残し、
収は家を出た。

玄関の前で立ち止まり、
腕時計に目を落とす。

――もう、戻ってもいい頃だ。

だが、
何も起きない。

さらに三十分が過ぎても、
身体は元に戻らなかった。

「……戻らない?」

胸がざわつく。

同じ男に乗り移ったら、
戻れない――
そんな意味だったのか。

その瞬間。

「ふぉっふぉっふぉっふぉっ……」

目の前に、
あの爺さんが、忽然と現れた。

「取り返しのつかない事になる」
「そうなるって事だけは、覚えとると言ったはずじゃのう~」

そう言い残し、
爺さんは背を向けて去ろうとする。

「待て――!」

収が追いかけようとした、そのとき。

玄関のドアが開いた。

社長夫人が、外に出てくる。

「あなた」
「もう怒ってないわよ」

そう言って近づき、
収の腕というより、服を掴んで引き寄せる。

「風邪ひくから、家に入りましょ」

その手が、ふっと緩んだ。

「……あれ?」
「この感覚……」

社長夫人が、首をかしげる。

収は、
爺さんを追うことを忘れていた。

「ああ……そうだな」
「家に入ろう」

そう答え、
収は社長夫人と並んで、
再び家の中へと入っていった。

そして、その夜は
社長夫人のほうから求められ続け、
収は一睡もできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...