アッシェドの秘姫~調香師は逃亡中~

カイリ

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占水鏡が映すもの

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「それで、わたしを呼びつけるほどの用とはなんだ?」

 指定された夕刻。
 ジェマの部屋にやってきたマファルドは、占具以外は飾り気のない質素な内装に目をやりながら訊ねた。

「斯様(かよう)な場所においでいただき有難う存じます、殿下」

 彼の腰ほどの背丈の老女は、うやうやしく宮殿式の礼をとる。

「前置きはいい。要件を言うがいい」
「それでは、殿下こちらへ」

 しゃがれた声で奥へと招かれると、薄い水が張られた銀色の盤がある。風もないのに微かに水の漣があり、マファルドは僅かに目を細めた。

「この占水鏡でお見せする前に、一つお約束いただきたいのです」
「約束?」

 占者の言うそれは口先だけでは済まず、だいたいが誓約と名を変える。

「はい。何を見ても、何が起ころうとも、アッシドの王太子らしく御自身を律し、品位ある言動をなさるとお約束を」
「わたしが品位を下げるような真似をするわけがないだろう」
「ではお約束いただけますね?」
「無論。約束しよう」

 ジェマはそれに顔を皺くちゃにして、満足そうに笑み、水面を手にした杖で軽く打つ。水の波紋が広がり、そこには青い海原が映る。

「!これは、アッシェドの海か」

 初めて目にする占水鏡の映像にマファルドも感心する。やがて海原の上を走る風のように遠く映像は流れ、とある列島へと映像は映る。

「ジェマ、これは?」
「ここはコルアレードでございます、殿下」

 かつての大戦にて多くの戦勝をあげた傭兵団たちが国の祖であるといわれる島国である。

「ほう……ここが、ね」

 占水鏡は、豊かに栄える港町や農耕に勤しむ民たち、緑深き森を超え、主都の姿を映し出す。

「歴史の浅い国だと聞くが、豊かだな」

 流石に、今でも世界を舞台に飛び回る精鋭部隊を有する国だ。

「この国は今でも、傭兵団の流れを組む組織が国の中枢に食い込んでいます。国営の学院が、その人材発掘に欠かせない場所となっているのです」
「ふうん?遠見の凄さは分かった」
「お見せしたいのは、ここからです」

 ジェマが占水鏡を杖でひとかきすると、映し出されていた主都郊外の場所に広大な敷地を有する建造物があり、その中へと進んで行く。
 学生たちの群れ――――同じ衣装に身を包んだ烏合の衆の中、ちらっと過ぎった人影に、マファルドは双眸を見開いた。

「!待て、今っ」
「殿下」

 思わず占水鏡に取りすがる彼の姿にジェマが抗議の声を上げる。

「映像をこちらに戻せ!早く」
「御待ちを」

 すいっ、と杖が水面を右から左へ薙ぐと、先ほどの位置に映像が戻った。
 そこには一人の少女の姿がある。
 柔らかく空気を孕んだ栗色の髪は肩先ほどの長さ。思慮深そうな紺碧の双眸、意思の強そうな眉、ふっくらと薄桃に色づいた唇。
 あの頃より、頬がほっそりとし背も伸びているが、間違いない。

「あの娘だ……っ」

 喉がごくっ、と音を立てる。

「そうです。この娘は、あなた様の失われし秘姫。サーシャ」

 友人らしき少女と談笑するその娘を食い入るように見つめ、マファルドは呟くようにその名を口にする。

「サーシャ……」

 あれほど求めていた存在だけれど、名前を知らなかったことに気づかされた。
 甘い、極上の血を持つ娘。

「コルアレード、だったな。行くぞ、ラァス」

 従者の青年を促し、立ち去ろうとするマファルドをジェマの厳しい声が制止する。

「お待ちを、殿下。今はなりません」
「なぜだ?」
「あの娘を捕え、どうされるのです」
「そのような事」

 決まっている。
 今度こそ逃がしはしない。

「あの娘の血を味わうことは二度となくてもですか?」
「吸血するもしないも、わたしの自由だ。あれは、わたしが所有するもの。誰にも文句など」
「秘姫の血を得られるのは刺牙の儀のみ。始祖である初代国王がそう定められてより、アッシェド王家の血族はその約定を違えることは出来ないのです」

 マファルドは、その事実に衝撃を受けた。
 それほどに記憶に焼きついた甘美な味が忘れられない。

(馬鹿な……それでは、わたしがあの娘を探す意味が)

 占水鏡に映る娘に視線を落とし、マファルドは双眸を細めた。

「衝動を抑えられると?」
「吸血衝動事態が、起こることはありません」
「それならば、わたしにその娘は必要ない」

 言い切るマファルドにジェマは頭を振る。

「あなた様は、秘姫の元来の意味をご存じない。何故歴代国王がその身分の上下に関係なく貴妃として傍においたのだと思われます」
「情を与えた娘が子を宿したからではないのか?」
「それならば秘姫でなくとも良いでしょう」
「ではなんだ」

 仏頂面のマファルドにジェマは、ふうと嘆息する。

「真面目に建国史をご覧になっていればお分かりになっているはずですが―――まあ、よろしいでしょう。アッシェドの血族とアッシェドの民はもともと別の種族。この地の民を虐げていた魔族を退けるためにアッシェドの血族を彼らは迎え入れた。その血を糧に深層に眠る力を呼び起こして、魔族を退けたのは国の誰もが知る建国譚です」

 それは流石にマファルドも知っている。

「初代国王は民と契約を交わしました。永劫魔族からの侵攻を妨げるため、この地に留まる事を条件により純度の高い魔力を秘めた血を持つ娘を捧げる。アッシェドの血族の魔力を保ちながら、そのことにより魔性を押さえることが出来る特別な存在。それが、アッシェドの血族にとっての秘姫なのです」
「……魔性?」

 マファルドは眉をしかめる。

「アッシェドは魔の眷属。本来、人では有り得ないのです。人とすることを可能にするのは秘姫の血と聖約です」

 人ではない。
 マファルドはその言葉に驚愕するが、たしかに思い当たる点はある。
 人間の娘の血を吸い、それを甘いと感じた事。あの時異常に伸びた牙の様なものが自分にはあったこと。今は落ち着いているが、幼少時、刺牙の儀の前に酷い喉の渇きがあり、それが消えたのは紛れもなくあの娘―――サーシャの血を得てからだということ。
 衝撃をやり過ごし、しばし沈黙していたマファルドはそれで、とジェマに問う。

「わたしは、どうすべきなんだ?」
「あなた様は秘姫が消えた後、他の娘を選ばれなかった。吸血の後にある誓約を終えるまでが刺牙の儀であるならば、他の娘で初めからやり直す方法もあったやも知れませんのに」

 マファルドは僅かに眉を寄せた。
 確かに周囲からそう諭された。
 完全でなかった儀式の為か、甘い血の記憶は彼を蝕み、狂おしい日々がどれほど長く続いたか分からない。ジェマの処方した水薬で緩和されたといえ、未だにあの娘を求め続けていたのはその所為だ。

「秘姫を欠いてはアッシェド王足り得ないのです、殿下。お分かりですね?」
「―――ああ」

 不完全な誓約を完全なものに、そうして貴妃として自身の傍にあの娘を置くこと。これが、マファルドに必要な事項であると彼は認識した。

「お分かりいただきようございました。そうとなれば、早速準備をいたしましょう」
「コルアレードへ向かう手配か?それならばラァスにさせ―――」

 そう言いかけたマファルドに、ジェマはぎらっと双眸を光らせた。

「いいえ。準備いただくのは、殿下にでございます」
「私?何の準備がいるのだ」

 現金なことかもしれないが、血を吸えないと分かると秘姫に対する執着が薄らいでしまっている。

「適当なものに、連行させててっとり早く宮殿に放り込めばよいだけではないか」
「それが準備不足と申して居るのですっ」

 突然くわっと目を見開いたジェマのあまりの迫力に危うく腰を抜かしかける。

「なっ、何を急に憤る!?心臓が止まりそうになったぞっ」

 ばくばくする胸を押さえて、非難をするマファルドにふう、と一呼吸置き、ジェマは進言する。

「秘姫の宮殿入りはそうたやすくはいかぬでしょう」
「なぜだ?」
「秘姫はあなた様から逃げたのでございます、殿下。お忘れですか」

 確かに、無礼にも王子の顔を引っ掻き逃亡したのだ。

「それが何だ。所詮、庶民の娘一人だろう?王家の威光に逆らえるはずが―――」
「それがなっておらんというのです、殿下っ」
「!?何度も凄むな!!」

 ジェマはマファルドの再教育の必要性をひしひしと感じていた。

「秘姫との制約は、強制して成せるものではありませぬ。良いですか。女子は力づくで従わせるだけの男子などに心を寄せぬものなのです。……殿下にはそれがお分かりでないご様子」

 いつまた形相を変化させるか気が気でないマファルドは、どこか緊張の面持ちで固まっている。

「不肖このジェマ。女子のなんたるかをみっちり殿下にお教えいたしますゆえ、それが終わり次第殿下御自身でコルアレードへ出向かれますよう」
「なっ」

 突っ込みどころが多すぎてマファルドは声を上ずらせた。

「何だと!?わ、わたしがなぜそんな」
「それが八年前、秘姫に対して殿下が行った所業のツケなのです!恐怖を煽るほど強行に肌を深く抉るなど、前代未聞。あなた様は、自らこのような事態に御自身を追い込んだのだとよーくお考えくださりませ」

 稲妻のような激しい叱責はマファルドに一言も漏らすことを許さなかった。

 恐るべき占者――――――その存在が全く衰えていないことを改めて悟らされた。

「よろしいですね」
「はい……」

 青ざめた顔で項垂れる主人の姿を、従者である青年は見なかったことにした。


 数か月の後、王都の港にはマファルドと従者の青年二人の姿があった。

「では殿……ではなくマハ様。コルアレードの短期留学手続きは滞りなくすみましたので、以後は学院生として期限まで滞在いただきます」
「ああ」

 彼はいつものゆったりとした豪奢な衣装ではなく、貴族子息が身に纏う動きやすさを重点に置いた衣服を纏っている。間近に見るアッシェドの青い海の色を見ていた。

(こんなに近くで海を見られるのは何年振りだろう)

 思わぬ得点に気分が上向く。
 初めどうなることかと思っていたジェマの講義は――――――やはり厳しいものであった。

(やっとここまでたどり着いたか)

 数か月に渡る日々を思い、硬く閉じた双眸の端に涙が滲む。
 けれど、今回の目的である娘、サーシャに対しての考えは以前と少し違うものになった。
 確かに、マファルドにも落ち度があったと、今ではしぶしぶ認められる。
 その分、出来るだけ誠意を払って再会しようと彼は決めていた。
 友人と笑いあうサーシャの姿より、泣きじゃくる姿がやはりまだ記憶に強く残っている。

「でん……コホン、さあ。マハ様、乗船いたしましょう」
「コルアレードへは長旅になります」

 二人の従者に促されてマファルドは初めて国外へと旅立った。


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