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三章 虎狼狸とニラ雑炊
虎狼狸とニラ雑炊-11
しおりを挟む「ちょっとした気の迷いだったんです! 兄さんに売るニラに水仙を少しだけ混ぜて、でもあとですごく後悔した。怖かった。バレたらどうなるのだろうかと、そう思った。でも、なにも起こらなかった。だから、私はホッとしたんです。あれくらいなら、なんでもないんだって。そして、もう絶対にやめようって思った。でも、少し立てば思っちまうんだ。もう少し、少しだけなら大丈夫だって。前、大丈夫だったんだから、まだ大丈夫だって。そう思って、そう思ったら」
「最近、待ちで噂になってた『虎狼狸』はあんただったんだな」
誠吾が言えば、菜売りの少女は手ぬぐいを握り絞めて俯いた
「……誰も、ニラ雑炊のせいだって気づかなくて、それじゃ意味なくて、早く気づいてほしくって」
「回数と量が増えてったってことか」
少女はコクンと頷いた。
男は奇妙なものでも見るような目で少女を見た。
「信じられねぇ……。じゃ、やっぱりこの人が食あたりになったのは、俺の雑炊のせいだったってわけか」
少女は許しを請うような、縋るような目で男を見上げる。
「……ごめんなさい、でも、私、淋しくて」
「許されると思ってんのか!」
男は吠えた。
少女はビクリと震える。
長屋の扉の隙間から、人々がのぞき見をしている。
「俺が作ったニラ雑炊、みんな信じて金払ったんだ! この人だって旨いって!」
「ごめんなさい! でも、兄さんが」
少女は恋しい男にすがりつこうとする。
「俺が悪いって言うのか!」
男はその手を振り払う。菜売りの少女はドシンと尻餅をついた。さっきまでの優しい姿とは正反対の雑炊売りに唖然としたような表情だった。
少女の涙が、張りのある頬をコロコロと転がっていく。
「だってぇ」
男は怒り心頭といった様子で、少女を睨みつけた。
「うるせぇ! テメェは許さん!」
雑炊売りの男は怒鳴った。
「私が兄さんを一等好きだから」
「俺はおまえが一番嫌いだ! 反吐が出る!!」
男は叫んだ。
少女はそれに体を震わし、微笑んだ。喜んだのだ。
「でも、兄さん、これで私を忘れないね」
雑炊売りの男はゾッとして一歩さがる。
「……なんだよ、おめぇ……」
菜売りの少女は罵られてもなお恍惚として笑った。
「私、間違ってなかったんだ。兄さんが一等嫌いな女になれた。特別な女になれた」
男ふたりはその様子にたじろいだ。後悔も反省もしていない。
誠吾は動揺して少女に尋ねる。
「おまえのおじじさまが大事に育てたニラじゃねぇか……。なんでこんなことできるんだよ……」
少女は意味がわからない、というようにキョトンとしている。
「おまえだっておじじさまに大切に育てきたんだろ? こんなことして……どうするんだよ……」
鼻声になる誠吾の言葉を聞いて、少女は呆然として誠吾を見上げた。
「……私が大切……?」
「あたりまえじゃぁないか」
「そんなことないんです、じじさまは私のことなんか、なんとも。言葉だって乱暴で、ありがとうも言われなくって。私がなにしたって、あたりまえなんです。だから私なんていてもいなくても……」
少女の目尻には涙が浮かんでいる。
誠吾は哀れむような目で少女を見た。
「俺は一目見てわかったよ。おまえはちゃんと育てられた子だって。朝から晩までよく働いて、そのうえよそ者に売り物を分けてやるほど優しい。そりゃぁ、大切に育てられた子だからできることじゃないかい」
「違うよ。そうしなきゃ、生きていかれないから働いてるだけ。別に優しくなんてないんです」
「奉公の口だってあっただろうに、いかずにおじじさまのそばにいてさ」
「だって、私がいなくちゃ、じじさま困るから」
「そうやって、おじじさまのことを考えてる優しい心の持ち主じゃねぇか」
「……でも、おじじさまは、別に私を大事だなんて思っちゃいないですよ」
少女は唇を噛んだ。
「そんなことないと思うぜ。水仙が毒だって教えたのはおじじさまじゃなかったかい? おまえが食あたりにならないように教えてくれたんだろう」
誠吾の言葉に、少女はハッとして顔を上げた。
祖父は毒として使うよう水仙を教えたのではなかった。これから、ひとり残されるだろう少女のために、生き方を教えたのだ。
「……私……」
「それなのに、なんでこんなことしちまったのか……」
誠吾は悔しい、と肺から絞りだすようにして呟いた。
「……私、なんてことを……」
少女はさめざめと泣き出した。今になって自分の罪を知ったのだ。
祖父が大切に育てたニラを貶めて、雑炊売りが丹精込めて作った雑炊を毒にした。そうして、罪のない人々を苦しめた。
「兄さん、ごめんね、許してください……」
少女は雑炊売りに繰り返し許しを請う。しかし、雑炊売りは男は無言で背を向けた。
許すことはできない、これ以上口も聞きたくない、そう背中が語っている。
少女は許されないと知り、ただただ涙を流した。
長屋の住人たちは家の中に戻ってゆく。
誠吾はなんとも言えぬ気持ちでふたりを眺めていた。
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