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本編
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しおりを挟む「そう。殿下の言い出したことに、貴方はあえて乗り、時間稼ぎをしようとしてくれていたのね」
「……申し訳ありません。ダリアローズ、貴女にしてみれば俺は、酷いことをした男です。ですが、最善の選択だと思ったのです」
「ええ、貴方も言いなりという点についてはどうかしらと思ったけれど、一応わたしの意見を聞こうとはしていたみたいだし、別にいいわ。わたしに危害を加えない限りね」
「もちろん。俺は貴女が望まないことはしません。それに、」
「……それに?」
トリスタンはダリアローズの側に跪く。手をそっと取られて、大切な宝物のように両手で包まれた。
「もし貴女が、殿下を忘れようと努力をしているのであれば、俺にその手助けをさせて下さい」
ダリアローズの心臓が、驚きに跳ねた。
骨ばった手は大きく、そして温かかった。人間らしい人肌だ。触れる皮膚は硬く、これが剣を握る男の手なのかと思考がズレそうになり、慌てて頭を振った。そう、ユリアナのこと。
「ちょっ、と、……待って。もう一つ聞きたいわ、貴方は、ユリアナ妃殿下のことを、諦めたのです?」
「諦めるも何も、最初から興味がありませんし、何故噂が立っているのか分からないくらいです」
「本当に?別に隠さなくて良いわよ?」
レオナルドの命令でダリアローズと結婚したのは分かったが、ユリアナの回し者である可能性も、まだある。こうして手を握ってくるのは、ハニートラップ……なのだろうか。
鉄仮面とハニートラップ……という相容れない組み合わせに、ダリアローズは思い直す。ユリアナはトリスタンにも執着しているそうなので、そこまで指示はしないし、嫌がるだろう。おそらくは監視程度のはず。手まで握る必要は、どう考えても無い。これは、トリスタンの意思だ。
「はい。正直に言って、子供だとしか思っていません。聖女様ですので丁重に扱うようにはしましたが……」
「こ、子供……」
(ユリアナさん、女とすら認識されていないのね)
鉄仮面でわかりにくいが、子供を気遣う優しさはあるらしい。学園にはユリアナ程幼い挙動の生徒は存在し得なかったので、子供に対して配慮したのを、『慕っている』かのように噂されたのだろうと合点した。
それなら協力してくれるというのも信用していいだろう。ただ、言い回しが真面目すぎるのか、仕草に色気が漏れ出ているのか、まるで口説かれているような気になる。
手を凝視しているダリアローズを見つめながら、トリスタンは淡々と話す。
「それより、殿下は夜会で貴女を見てから、様子がおかしい。すぐにでも離縁をさせようとしてくるでしょう。殿下は貴女の評価は極力傷付けたくない様子ですから、今度は俺の有責での離縁を目論むと思います」
「そうね、すぐに離縁されるのは困るわ。婚約破棄で傷付いた名誉が、貴方と結婚したことで少しは回復したところなのに……。離縁してあの二人に便利に使われるなんて、業腹だもの」
「俺もです。政略結婚でも、仲の良い夫婦はいます。俺たちもそうなれば、離縁させるのも難しくなるでしょう」
「確かにそうね。で、具体的には、どうすればいいの?」
「夜会や人目のつく場所では、手を握ったり、親しげに話したり……実は、対策としては夫婦の契りを交わすのが一番ですが」
「……っ?」
夫婦の契り、とは。
結婚後、大きなベッドで愛を作る夫婦の行為である。
ダリアローズはぼんっ、と顔を赤くしてしまい、慌てて扇で隠す。
「貴女の望まないことはしませんのでご安心を。……俺としては、いつでも歓迎ですが」
何を歓迎するのか。今のダリアローズでは一杯一杯すぎて、考えも及ばない。
「それは、さ、さ、最終手段にいたしましょう!わたしの令嬢としての価値に関わります。ええ、簡単には頷けません。それよりも、貴方がわたしを追いかけているのを見せつけるだけで、十分ですわ」
「そうでしょうか?」
「ええ、だって貴方、鉄仮面と呼ばれているのよ?そうね、手や髪までなら触れても良しとしますわ。それでよろしくて?よろしいわね、はい、失礼しますわ!」
シド!と小さく叫ぶと、主人の意図を察した暗黒騎士がズゥゥゥン……とトリスタンの前に進み出る。その影に隠れるようにして、ダリアローズはさっさと自室へと逃げ帰った。
(なによなによ、夫婦の契りって!あんな、性欲のせの字もなさそうなトリスタン様が!に、似合わないわ!ええ、あれはきっと何か誤った認識をしているか、わたしの空耳だったのね。ええそう、そうに違いないわ)
海辺のコテージに避難したダリアローズは、そう結論付けると、ミミとシドを伴って浜辺へとやってきた。
海風を浴びて、ピンク色の頭の中の空気を入れ替える。そう、この結婚は策略による不可避なもの。トリスタンは協力的であり、ダリアローズに嫌悪感を抱いていないことが分かれば十分だ。
(それに……トリスタン様の話を聞いたら、同情してしまったわ。あの方も巻き込まれたようなものね)
最初から、レオナルドに誠意があればこんなことにはなっていない。
誠意を持って『私の有責で構わないので婚約を解消してください』と言ってくれたらいい話だった。頼まれればダリアローズも承諾した。
それなのに、ダリアローズが有責側になるように、かつ、後々側妃として置けるように工作した。ダリアローズの人脈や人望が減っては活用出来なくなるから、慰謝料を取らず、寛大に許したかのような態度をとって。……とんだ悪知恵が働いたものだ。
ますます元推しに対して失望していくのを誤魔化すように、裸足で砂浜を歩いた。真っ白で細かな砂質は、ダリアローズの足を柔らかく包んで沈む。シドはブーツのまま、歩きにくそうにしてダリアローズの後方から声をかけた。
「お嬢、あまり海辺に近付くと危ないかもしれません」
「まだ砂浜よ?シドったら心配性なんだから」
「飛んでくる魔魚もいるらしいですから」
海には魔魚がいるため、前世と違い海水浴をするものなどいない……と、思ったのだが、
いた。
漁師である。
黒々と焼けた健康的な肌を晒し、屈強な筋肉を踊らせるようにして魚を捕獲する、漁師がいた。
「こんにちは。なにが獲れるの?」
「わっ、すげぇ美人……!」
「あら、ありがとう。今日の収穫はどう?」
「へ、え、ああはい、ソコソコですよ!見てみますか!?」
まだ若い青年たちは、鍛え上げられた上半身を惜しみなく露わにして、ダリアローズへ駆け寄る。きゃっとはしたない声が出そうになるのを堪えるように、手で抑えた。
サングラスの奥からばっちり、しっかり見てしまう。
黄金色に焼けた肌がつやつやと黒光りして、健康的な色気が年頃のダリアローズを直撃する。このような男性的で野生みのあるタイプは当然ながら、周りにいなかった。
対して、漁師の青年たちから見ると、ダリアローズの肌の白さや気品、背後に異彩を放つ恐ろしい男が控えていることから、貴族令嬢であることは間違いないと見当がつくのだろう。青年たちはそう分かりつつ、親切にも、収穫を見せてくれた。
「まぁ、なんてこと。まだ生きているわ!」
「そりゃそうですよ。先ほどとったばかりですからね!よ、よろしければ召し上がりますか?あの、もう少し獲らせていただけたら……」
「わぁ、嬉しいわ!では、貴方たちに少しだけ助力させて頂いても?」
「えっ……助力?」
「はい、補助魔法を、“少し”」
ダリアローズは青年たちに、一度に補助魔法をかける。こういった補助魔法は、闇魔法の得意分野だ。速度上昇、気配隠蔽、攻撃力上昇。十人を越える人数へ一度にかけたのでささやかなものだろう、とダリアローズは思っていたのだが。
「「「すげぇ!!」」」
数分後、ダリアローズの目の前に積まれたのは、生簀にビチビチと窮屈そうに入れられた魚たちであった。
「可哀想だわ……共食い、しないのかしら……」
ダリアローズの嘆きは、青年たちの耳には届かない。
「おりゃぁぁあああ!!今だぁ!今のオレは魚じゃぁああ!」
「取り尽くしてくれるわ!!」
「イャッッッフゥーーーー!」
青年たちは人魚になったかの如く、スイスイと潜ってはわっさりと大量に獲ってくる。水を得た魚のような働きぶり。
生簀からはみ出した魚が逃げてしまう前に、ダリアローズの影収納へ仕舞うことにした。男たちはもはや誰が一番多く獲れたかを熱く競っており、最終的にこれをどうするのかまで頭が回っていないようだった。
「いいじゃないですか、お嬢様。放っておきましょう。余分を貰うことにすれば、誰も気付きません。というか、いつもの収穫より増えた分はお嬢様の手柄だと思います」
「そんな訳にはいかないわよ、わたしは指先でチョロッと魔法をかけただけなんだから。それに、いつもより体力は確実に使っているはずよ」
「あらまぁ。それならそろそろ止めましょうか。――――ゴルァア!!お前たち!!話を聞かんかい!!」
青年たちが一瞬で整列したことは、予想がつくだろう。
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