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6.彼女の過去
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「力登」
「おう!」
「俺の名前、知ってるか?」
「おう!」
いや、知るわけねーか。
「り、ひ、と」
「?」
「俺の名前」
「しっちょー」
「それは肩書」
「?」
「り、ひ、と」
「りーと」
「それじゃママの名前だろ」
「ママは?」
しまった。
せっかく、ママがいないことを忘れていたのに。
「疲れたか?」
「いえいえ!」
嘘つけ、と思った。
俺の胸にぺたりと頬をくっつけて、うとうとしかかっている。
なんの面白みもない俺の部屋に、力登が飽きるのは当然だった。
りとに渡されたバッグに入っていたアニメを一時間ほど見て、力登のリュックに入っていたお菓子を食べた後、突然「ママは?」と聞いてきた。
そして、とても不安そうに瞳を潤ませたから、外に連れ出した。
近所の公園は小学生くらいの子供ばかりで、まだ二歳の力登を遊ばせるには危ないと判断した。
そして、苦肉の策で駅の向こう側にあるペットショップに連れて行った。
俺自身、動物に興味はないが、駅構内の広告で存在は知っていた。
なにせ、様々な種類の犬が小さい順に整列している写真だ。
いやでも目を引いた。
ガラス越しに眺めるだけでも喜ぶのではないかと思って連れて行ったのだが、予想以上に大興奮で、ガラスをドンドン叩きだしたから焦った。
触れあいスペースがあるから遊んで行かないかと店員に促されて店内に入ってから、気づいた。
力登にアレルギーがないか、聞くのを忘れた。
だが、時すでに遅し。
囲いの中から物珍しそうにこちらを見ているコーギーを見た力登は、何のためらいもなく手を伸ばした。
手をペロペロと舐められて喜び、頭をぐりぐりと撫で、店員に優しく撫でるように言われている。
アレルギー症状が出たらどうしようかと思いながらも、くしゃみもしなければ目をかゆがったりもしない力登に、ホッとした。
そして、一時間ほど犬たちと遊び、疲れ果てた力登は、店を出てすぐに抱っこをせがんだ。
で、今マンションの目の前までやって来た。
力登が俺のことを「しっちょー」と呼ぶことに店員が首を傾げていたのを思い出し、名前を呼ばせてみようと思ったが、眠たくなっている今はその時ではなかったようだ。
すーっと穏やかな寝息が聞こえ、力登の身体がずしりと重くなる。
腕に感じるおむつの重みと温かさから、帰ったらまずおむつを取り替えなければと思う。
「お前、いい子だな」
りとがどれほど大切に育てているか、よくわかる。
りとが登と離婚していなかったら、こんな風に真っ直ぐに育っていなかったかもしれない。
「いい子だな……」
力登の頭を撫でた。
柔らかい毛が、汗でしっとりしている。
「おいっ!」
いきなり大声が聞こえ、思わず力登の頭を抱えるようにして顔を上げた。
登――!
登が仁王立ちでマンション前にいる。
「どうしてお前が力登といるんだ! りとはどこだ!」
ずんずんと近づいてきて、更に声を荒げる。
「大声を出すな」
「力登を離せ!」
「眠ってるんだ。静かにしろ」
登の声を少しでも遮断できるように、力登の耳を手で塞ぐ。
登は毛を逆立てた猫のように鼻息を荒くし、だが力登が眠っているとわかってふーふーと呼吸を落ち着けた。
「りとはどこだ」
「出かけている」
「子供を他人に預けて? なんて無責任な――」
「――信頼できる恋人は、元夫よりは他人じゃないだろうな」
「なんだとっ! 俺は力登の父親だ。離婚したって他人にはなれないんだよ。それに――」
早口で捲し立てた登が、不意にニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「――もうすぐ捨てられるお前は、間違いなく他人だ」
その表情は、嘘やはったりを言っているようには思えない。
親を使って復縁を迫っている……ってところか。
先週、登の母親らしい女性がりとに言っていた考えてほしいこととは、恐らく復縁についてだろう。
離婚から今まで、りとは登の両親に借りがある。
そこにつけ込んで復縁を迫るとは、卑怯だ。
俺は奴をじっと見下ろした。
「既に捨てられたあんたには、関係のないことだ」
「なんだと――っ」
これ以上話すことはない。
俺は登を無視して、マンションのロックを解除した。
「りとに伝えろ。お前の父親に会ったと。お前に会いたがっている、と」
「は――?」
「知らないんだろ? りとの過去――」
振り向いた時にはドアは閉まっていて、その向こうで登が意味ありげに笑っている。
りとの、父親――?
りとが子供の頃に離婚したと聞いた。
そういえば、母親は死んだと言っていたが、父親については何も言っていなかった。
離婚後、一切の交流がなかったということか。
登のあの言い方だと、円満な関係にあったわけではないことは確かだ。
りとの……過去?
力登が腕の中で身じろぐ。
隠しきれない悔しさに唇をひん曲げながら、登は背を向けて去って行った。
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