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五月です。指輪争奪戦の始まりです。

49話:決勝戦・前:Sideトム

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 トムはポケットの中の薬包に指先で触れた。気持ちは晴れない。だが彼の気持ちなど置き去りにして、時間は刻一刻と進んで行く。

 決勝戦の審判は騎士科の総長が直々に担うらしい。白い髪とヒゲがトレードマークの白翁殿が円形闘技場の舞台に姿を現すと歓声が上がった。かなりの人気だ。もしかすると観客は決勝戦を見に来たのではなく、総長のマクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハを見に来たのではないかと邪推してしまう。

 控室を出たあと、トムはひとり観客席に上がった。できるだけ前へ行きたいところだが、指輪狩りの終幕を見るためとあって、今日は特に人が多い。席は全て埋まってしまっている。キョロキョロと周囲を見渡していると、不意にひとりの少年と視線が絡んだ。

「あれっ? あんたもしかして……お~い! こっち来いよ!」

 その小柄な少年は「ココ、ココ!」と、自身の隣の空席を指差しながらトムを呼んでいる。席を分けてくれるつもりなのだろう。前方の席で、前に座るのは小柄な女子生徒のため見晴らしがいい。行かない選択肢がないほどいい席だ。

 周りの視線を感じながらも近付けば、彼の周りの席には、見覚えのある顔の面々が座っていた。大きい者もいれば、小さい者もいる、デコボコの集団――

「『蛇頭の団』の……レシール=ラクシャン、だったな」
「おう! あんたはアレだろ? 『狂犬』の仲間のトムだ!」
「俺のことまで知ってたか」
「ははっ、もちろん。調査済みだぜ?」

 トムの言葉にレシールはにやりと笑った。

 正式に篝火の団に所属しておらず、騎士科でもないトムのことを、ひと目でわかるほどに知っていたとなると――準決勝で棄権を選択するまでの間に、随分と調査をしたに違いない。

(棄権したとはいえ、準決勝まで上がって来た相手だ。侮れねえな)

 そんなことを考えているとレシールに隣の席を勧められた。その席に腰を下ろせば周囲にいた蛇頭の団の面々に「よろしくなー」「きみも強いらしいね」「狂犬ってどんな子?」など、次々に声をかけられる。

(人懐っこいっつーか……)

 あえてフレンドリーに接してきているのか、元からの性質かは不明だが、彼らはこうやって情報を集めていくのだろう。トムは当たり障りのない返答をしていると、ひと際大きな歓声が上がった。どうやら総長の挨拶が終わったようだ。

「お~。今日も白翁殿の人気は凄まじいな。ほら、トム、あっち見てみろよ。白い薔薇のコサージュをしたマダムたちがいるだろ?」
「ああ」
「あれが白翁殿ことマクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハの親衛隊だ」
「夫がいるだろうに随分と熱烈だな」
「ははっ、言えてる。でも夫側も嫉妬もクソもないって! 白翁殿だぞ? なんなら夫もファンなんじゃないの?」

 歓声の中にはマダムたちや令嬢たちの黄色い声だけでなく、野太い声も混じっている。かの人は騎士や武人たちからの尊敬を集めているのだ。自分のほうが魅力的だと思い、嫉妬する夫はほとんどいないだろう。

「ああ、確かにな」

 納得して同意すればレシールが笑った。

 白いヒゲを蓄えた白翁殿が高らかに宣言する。

「これより指輪争奪戦決勝を始める! 白門『暁の団』! 黒門『篝火の団』! 入場!!」

 黒門から篝火の団が入って来た。

 体調が心配でじっと見るが、赤髪の彼女――ティリー=フェッツナーがふらついているような様子はない。痩せ我慢か、戦いの前の昂揚で痛みを忘れているのか。

 ポケットの上から薬包に触れる。飲まない判断を尊重したが、本当にそれで良かったのか、自信がない。男であるトムが経験したことのない痛みを背負っているのだ。想像はできても、それが正解か、真の意味では理解できなかった。

「暁の団はラッキーだったよな」

 舞台を見下ろしていたレシールがふと口を開く。

「ラッキー?」
「優勝候補だった序列一位の『大海の団』を相手にして、ほぼ無傷の状態で決勝に進出できたんだ。ついてるよな~」
「コンラート=フォン=ルーカスが五人抜きしたんだっけ」
「そうそう。大海の団には南部でも指折りのルーキーがいるんだけど、そいつが出場しなかったんだよ。狂犬を相手にできる唯一の一年とか言われてたのにさ。代理君は繰り上げで六番手のヤツだったぞ。ははっ、一瞬でヤられてた」
「なんで出なかったんだ?」
「前日に生牡蠣食べて中ったんだってよ」
「生牡蠣……」

 勝負の前にそんなものを食べるなと言いたいところだが、暴飲暴食をしていた身内がいるため言葉にはしなかった。

「篝火の団はこれまで同様、人数補充の申告はない。故に二名少ない状態での戦闘となる。篝火の団の三番手と暁の団の一番手は前へ!!」

 総長の言葉に、ふたりの学生が舞台上へ上がる。

 暁の団のコンラート=フォン=ルーカスは、ロングソードを手にしていた。騎士が好んで使う剣だ。ただし普通のものよりも全長は長い。おそらく彼専用にあつらえた特注品なのだろう。

 ロングソードはティリーもよく使う剣だ。しかし今日、彼女が円形闘技場に持ち込んだ武器はソレではなく、ロングソードをそのまま巨大化ような――

「ティリー=フェッツナー、ツーハンドソードで戦うんだな」

 レシールが「へーっ」と楽しげに言う。

 ツーハンドソードはロングソードよりも長く、しっかりと両手で握らなければならないため、柄は長めに作られている。そのため全長は持ち主のティリーよりもニ十センチばかり長い。

「俺、ツーハンドソードでの戦いって初めて見るよ。狂け……失礼。フェッツナー嬢はよく使うの?」
「まあ、武器なら基本的になんでも扱えるが、魔物相手にはアレだな」

 ティリーは主に剣を使うが、それ以外の訓練も受けている。弓や槍、斧……すぐに手や足が出るのは徒手空拳を身につけているからだ。

「ツーハンドソードは鎧ごと切れる攻撃力だ。魔物も叩き切れる。それに水平に構えれば、槍みたいな刺突攻撃に変更できるだろ? 一体一体、構造が違うから臨機応変に使い分けるのにちょうどいい武器だ」

 トムが説明すると周囲の蛇頭の団の面々が黙り込む。レシールも顔を引きつらせていた。

「どうした?」
「いやいや、どうしたって……狂犬令嬢、魔物を叩き切る武器を人間に使おうとしてんの? え? 本気で?」

 引いているのだろう。ついに狂犬令嬢と呼び始めた。

「き、棄権して良かった~」

 レシールの素直な感想に、彼の仲間たちはウンウン頷く。

 トムもティリーは不機嫌になっていたが、内心では棄権してくれて良かったと思っている。もし準決勝を戦っていれば、おそらく蛇頭の団の一番手の人間は騎士科に残れないほどの怪我を負っていただろう。腕一本で済めばいい、というレベルの。

「そうだな。棄権して正解だった」
「……そりゃそうなんだろうけど、篝火の団側のヤツに言われると、なんか皮肉っぽい気がする。今の嫌味? 皮肉?」
「そんなんじゃねえって。事実だよ。あいつ、すげえ強いから」

 舞台へ視線を戻せば、ティリーとコンラートが向かい合っていた。前の席で舞台が近いからか、ビリビリとした空気の緊張感が伝わってくる。

(ティリーがツーハンドソードを選んだのは……)

 コンラート=フォン=ルーカスを『敵』だと認識して戦う気だからだろう。彼女は自身の体調や相手の実力、その他の要素を考慮――あるいは本能で察したのか――した結果、時間をかけられないと読んだのかもしれない。

 攻撃力の高い武器で早々に仕留めるつもりだ。

 騎士科総長のマクシミリアンが手を上げた。

「コンラート=フォン=ルーカス、ティリー=フェッツナー。両者共に騎士の道を歩まんとする誇りと、偉大なる皇帝陛下の御許で学べる幸運を胸に、全力を尽くして戦いなさい」

 白翁殿が話し始めると誰からともなく喋るのをやめ、円形闘技場が静まり返る。その静けさに空気が張りつめ、緊張感が増していく――マティアス=フォン=ハルティングが微かに息を吸う音さえ聞こえた気がした。

 そして次の瞬間、上がっていた手が下ろされる――のと、同時。

 ティリーが動く。

 一瞬で敵との距離を詰め、高く振り上げた長い剣を叩きつけた。コンラートがそれをギリギリでかわし、彼女の剣は円形闘技場の舞台を抉った――避けられたが狂犬と称される彼女は止まらない。両手で柄を握り締めたまま、ツーハンドソードを横薙ぎで振るう。

 観客の誰もが心構えもできていない内に始まった、あまりに俊敏で、あまりに暴力的な一撃と追撃。コンラートにかわされて、それでもなお動く彼女の表情を見て、トムは目を見開く。

(おまえ――)

 待ち望んでいた戦闘の機会を得た狼は、好戦的で獰猛な笑みを浮かべて――いなかった。眉根を寄せるティリーが見え、トムは無意識の内にポケットの中に手を入れていた――。




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