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幕間。ある日の帝都にて。

52話:赤狼の娘【早朝】・前

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 指輪狩りが終結して、数日――

 早朝、周囲はまだ薄暗く、完全には日が昇っていない。そんな朝早い時間から、ティリー=フェッツナーは帝国学園の騎士科にある鍛錬場で剣を振っていた。刃を潰していない真剣が風を切る音と、彼女の息遣い、地面を踏み締める音だけが静かな鍛錬場に響いている。

 トムやチャールズは連れて来ていない。そこにいるのは彼女ひとりだ。それはここにいる理由が鍛錬ではなく、調整と確認のためだからである。

 ティリーを苦しませていた月経は終わった。これまでは毎日、鍛錬や体力作りの走り込みなどをしていた。しかしこの数日は普段よりも身体が動かず、同じ内容のメニューをこなせていない。身体には違和感が残っていた。些細なものではあるが、それが妙に気になってしまう。

 違和感を解消するために、ひとつひとつの動作を確認していく。踏み込み、剣を振り、止める――そうすれば違和感がひょこっと顔を覗かせた。その度に丁寧な調整を繰り返す。指輪狩りの決勝戦で苛烈な暴力を振るっていた時とは正反対の、重厚で落ちついた、静の動作だ。

 ひたすら確認と調整を繰り返すと、激しい動きではないのに体温が上がってくる。神経を使うからか、ひたいにじんわりと汗が滲んだ――

 どのくらいそうしていただろう。やがて歯車が噛み合うような感覚がして、彼女はようやく剣を下ろした。深く息を吐く。

 今後、毎月アレがやってきて、コレをしなくてはならないと思うと億劫だ。それでも、女の身体で生まれ、生きていく以上、受け入れるしかない。リズリー夫人には、嘆いたり不貞腐れたりせず、どうやって付き合っていくかを考えたほうがいいと言われた。

(夫人に言われたら『うん、それでいいや』って思うんだよね)

 鍛錬場の中央から端へ寄り、置いていたタオルで汗を拭う。

 傍らには蓋つきのバスケットがあり、中には夫人お手製のバゲットサンドと、隙間を埋めるためのクッキーがみっちりと詰まっている。鍛錬後はお腹が空くだろうからと、夜明け前、屋敷を出る時に持たせてもらったものだ。いったい夫人は何時に起きて作ってくれたのかと考えて、そしてまた、彼女への好意が積もっていくのだった。

「む?」

 どこで朝食にするか。そんなことを考えていると、ふと、誰かが近付いてくる気配を察知した。おそらく出入口の扉のすぐ前にいる。この距離になるまで気付かなかったのは、鍛錬場の構造上、壁が分厚かったからだろう。

 じっと出入口のほうを注視していると、重い音と共に扉が開いていく。

 その先にいたのは――

「えっと……」
「やっぱりいた。この時間なら会えると思ってたんだ」

 彼女にしては珍しく、まともに会ったのは一度だけなのに、その青年の顔と名前を覚えていた。

「スミロ=ヴァルデ!」

 ビシッと指を差せば、スミロはゆるりと目を細めてはにかんだ。

 扉を閉めて中に入り、微笑みながら近付いて来る彼をティリーは警戒する。彼女曰く『ハレンチ』なコトをした男だ。また妙な真似をするようなら、再び拳を腹部に叩き込む気マンマンだった。

「そんなに殺気立つなよ」
「この前ヘンなことしたから」
「ははっ、ヘンなことか。もう勝手にしないから、そっちに行ってもいいか? 少し話したい」

 ティリーは少し考えて、首を傾げる。

「ごはん食べながらでもいい? お腹空いた」
「ああ、もちろん」
「じゃあ、あっちで」

 バスケットを持って鍛錬場の端に寄り、地面に直接座ろうとすれば、スミロが制服の上着を脱いでそこへ置いた。真っ白の制服を、固められているとはいえ地面に置くとは。そんなことをしたら夫人に怒られる……と思いながらじっと見ていると、スミロが苦笑する。

「どうぞ、レディ」
「ん? ……ああ、なるほど!」

 座るように促されて、ようやく合点がいく。

「べつに良かったのに」

 汚れないようにという配慮だろうが、すでに身体をひと通り動かし終えたあとだ。今更だと感じるし、スミロもそのくらいわかっているだろう。それなのに何故こんなことを、と思っているのが顔に出ていたらしい。

「そう言わずに格好つけさせてくれよ。求婚してる相手に少しでも良く見てもらいたいんだ」
「んー……あっ! アピール?」
「そう、アピール」
「ふーん、そっか。じゃあ座る。でも、それはわたしじゃなくて、父上にしたほうがいいよ」
「ははっ、大丈夫さ。そっちも抜かりなくやってる」

 彼が軽く笑うのを見ながら、ティリーは広げられた上着に腰を下ろした。バスケットを開ければ、隣に座ったスミロが「美味そうだな」と呟く。

「あげないよ?」
「そりゃ残念」

 肩を竦める彼を横目に、彼女はバゲットサンドにかぶりついた。新鮮なトマトはジューシーで、シャキシャキ食感のレタスとよく合う。香辛料で味つけされた鶏肉と固焼きのパンは食べ応えがあり、夫人特製のチーズソースが味をまとめてくれていた。絶品だ。

(さすが夫人!)

 ティリーがもぐもぐと頬を膨らませながら食べている間、ずっと隣から視線を感じていた。悪意や敵意は感じない。彼女は視線には反応せず、ひたすら目の前のサンドと向き合っていた。

「美味そうに食うな」
「? うまそうじゃなくて、うまいの」
「へえ――」

 そう答えると隣から手が伸びてくる。やはり悪い感じはしなかったため、ティリーは特に動かず、サンドにかぶりついた――のと、同時。

 スミロの指がティリーの口の端に触れる。

 かぶりついたまま目だけを向ければ、彼は親指を自身の口に運んでいた。薄い唇の間から真っ赤な舌が覗き、親指の腹を舐める。

「お、チーズソースか。確かに美味いな」

 濡れた煽情的な目を向けられ――







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