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第3章 呪術の国とみーちゃんの秘密

第16話 カシウス皇子、ヴァルゲの策を破る

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(どういうことだ? こんなに早く疫病が収まるなど……)

 王城の一室。
 ヴァルゲ宰相はひとり、怒りにまかせて執務室の机に自らのこぶしを打ちつける。

 宰相の元にも、はずれの街でのカシウス皇子とアリーシアの評判が届いていた。

(薬を持ってきたとは聞いていたが、ここまで劇的な効果があるとは……)

 しょせん、体力をつける程度のものだと甘く考えていた。まるで、もともと疫病の正体を知っていたとしか考えられない。

 このままでは、王城の貴族たちも薬を求めてカシウス皇子の元へと向かってしまう。

(そうなっては、計画は丸つぶれだ!)

 それだけは避けなければならない。
 すでに、全体の計画は動き出しているのだ。

(まさか、どこかで計画が漏れているのか?)

 数年以上かけた、大掛かりな計画だ。
 だが、すでに数週間前、別の者が仕掛けた最初の計画――外交官殺害に端を発して紛争を起こすことには失敗している。

(あれも、カシウス皇子に防がれたんだったか。それに――)

 些末さまつなことと、ほとんど認識すらしていなかったが、皇子とともに出会ったあの人形を持った女。

(アリーシアとか言ったか。殺害するはずだった外交官、エステルハージ侯爵のひとり娘だったはず)

 この地に工作員として入り込むにあたって、帝国の主だった者たちの顔は認識していた。
 なぜ、カシウス皇子はそんな女を伴ってこの地に来たのか。

(そういえば、神殿の巫女と話がしたいと言っていたな。この地に伝わる呪術と関係があるのか?)

 帝国に併合されて以降、呪術は禁忌とされ、巫女たちも政治には関わらなくなっていた。
 ヴァルゲ宰相の中で、点と点が少しづつ結びつこうとし始める。

(……いや、今はそれどころではない。もし計画が漏れているとすれば、オレの命も危ない!)

 ヴァルゲ宰相は、いったん考えるのをやめ、急いで伝書鳩にてこれまでの情報を託す。
 そして、この後のことに意識を集中する。

(こうなったら、少しでも長くこの地にカシウス皇子を足止めするしかない)

 皇帝の体が自由に動かない今、帝国の武のかなめはカシウス皇子だ。
 そのカシウス皇子の力をこれ以上つけないために、タリマンドを反中央、ひいては反カシウスにし続けることがヴァルゲ宰相の役割だった。

(……タリマンド侯爵には死んでもらうしかないか)

 このままでは、カシウス皇子の薬で遠からずタリマンド侯爵は回復する。
 そうなれば、侯爵の中央への態度も改まってしまうだろう。

 タリマンド侯爵が死ねば、いくら民衆の支持を得たとしても、貴族たちの不満は消えず、混乱が生じる。
 それを収拾するために、カシウス皇子もここに長く留まるしかない。

(その時、オレはもうこの地にはいないってことだ)

 ヴァルゲ宰相はひとりほくそ笑むと、執務室を後にする。
 向かうは、タリマンド侯爵が伏せっている寝室だ。

「タリマンド侯爵と内密の話がある。下がれ」

 これまで、何回か同じように下がらせている。今回も兵士たちや医者は疑問を持たず去っていく。

 残ったのはベッドに伏せるタリマンド侯爵とヴァルゲ宰相だけになった。

(せいぜい、皇帝とカシウス皇子を恨みながら死ぬんだな)

 ヴァルゲ宰相が毒薬の入った瓶を横たわるタリマンド侯爵の口元に近づける。  

 まさに、毒薬の最初の一滴が垂らされそうになる、その時だった。

「まさか、おまえが裏切者だったとはな」

 タリマンド侯爵の左手が動き、ヴァルゲ宰相の薬を飲ませようとする右手を掴む。

「……起きていらっしゃいましたか。ですが、これでお別れです」

 ヴァルゲ宰相はそう言うと、腰に下げていた短剣を抜く。
 そして、淀みない動作でタリマンド侯爵の胸を突く。

 短剣がその胸に突き刺さる寸前。
 キーンと甲高い金属音が響く。

 陰からもうひとつ剣が伸び、その短剣を阻んでいた。
 薄暗い影に目をこらす。

(カシウス殿下!?)

 そこに立っていたのはカシウス皇子その人だ。

「ヴァルゲ宰相。この疫病騒ぎも、お前が引き起こしたものであることはもうわかっている。民衆を巻き込むような手段を使うとは。卑怯なのはどちらなのかな?」

「くっ、くそっ!」
 
 油断したつもりはないが、気配を全く感じることができなかった。
 こうなってしまったら、もうカシウス皇子を殺すしかない。

 だが、ヴァルゲ宰相がその決意を固めた瞬間、一閃がひらめく。

 全く動くことができぬまま、手に持った短剣が吹き飛ばされる。
 そして、そう認識した時には、すでにカシウス皇子に組み伏せられていた。

「つ、強すぎる……」

 自分とは次元が異なる存在、そう思うしかなかった。

◇◇◇

 ヴァルゲ宰相は自害しないよう厳重に拘束され、地下牢へと入れられた。

 アリーシアは、騒動が収まった後に王城へと迎え入れられ、タリマンド侯爵の寝室に通される。
 かたわらには、カシウス皇子の姿もあった。

「カシウス様、ご無事でよかったです」

 カシウス皇子の顔を見ることができ、アリーシアはほっとする。
 
「気づかれては元も子もないからな。あの程度の男、私の敵ではない」

 カシウス皇子にはなんでもないことだったのだろうが、単身、王城に向かうと聞かされた時は気が気ではなかった。

 カシウス皇子は事前に王城にある秘密の抜け穴を使い、事情を話したうえで、タリマンド侯爵に薬を飲んでもらっていた。

 それには、はずれの街にいたまとめ役の老人が役にたった。
 老人はもともと国王に仕える侍従のひとりだったらしい。

「ワシは国王陛下のことを守れず、息子も戦争で死なせてしまったのが心残りだった。だが、殿下、あんたは皇帝の息子だが、陛下の娘の血も継いでいる。タリマンド侯爵を救ってほしい」

 老人はそう言って、カシウス皇子に頭を下げたのだった。

「カシウス皇子殿下。この度は、疫病から皆を救ってくれただけではなく、タリマンド、ひいては帝国にあだなす逆賊までとらえて頂いた。改めてこの度のこと、このタリマンドを預かる者としてお詫び申し上げます」

 まだベッドからは出られないが、タリマンド侯爵は上体を起こせるようになっていた。そのタリマンド侯爵が、頭を下げて皇子に詫びる。

「もう詫びは十分だ」

 これまで何度も詫びられているのだろう。
 ほぼ変化がない、カシウス皇子の氷の仮面が困っているようにアリーシアには感じられ、少し面白い。

「それより、あの男、ヴァルゲはいつからここに?」

「もう十年ほど前でしたか。文官として取り立てられて、その後に頭角を現した男です。ここと同じく、戦争で帝国に組み込まれた南部の生まれだと聞いていました。その時からだったのか、後から裏切ったのか。そこまではわかりません」

「……そうか。詳しいことは、これから尋問すればよいだろう」

 同じく帝国に不満をもつ者として、うまく入り込んだのだろう。

「思えば、長らくタリマンドが帝国と溝が出来たままだったのも、そういった者たちが力を持ち続けてきたことが原因です。
 ……私を含めてですが」

 タリマンド侯爵が自嘲じちょうするように言葉をつづける。

「ですが、こうして、姉の息子であるカシウス皇子が叔父の私を助けてくれた。当時の戦争、あのまま戦っていれば、少なくとも王族は皆殺しだったでしょう。あのときは私も、父を殺された以上、戦って死ぬのが本懐ほんかいと思い込んでいた。……やはり姉上は正しかったんです」

 タリマンド侯爵は、戦争で亡くなったタリマンド王の第三王子だ。
 そして、第一王女であった、カシウス皇子の母が、皇妃となることで戦争は講和となり、そのまま侯爵領として帝国に組み入れられることになったのだ。

「……母上も、その言葉を聞けばお喜びでしょう」

 カシウス皇子が目を閉じる。
 アリーシアには亡くなったお母さまへ祈りを捧げているように感じられた。

「それに、アリーシア侯爵令嬢、あなたにも感謝しております」
「えっ、わ、わたしにですか?」

(たしかに薬を作ることには一役かったけど、それは秘密のことだし、いったいどうして?)

「ええ、はずれの街での出来事は、私の耳にも入っております。中央貴族の娘で、しかもあなたもタリマンド巫女の血を引く娘と聞いています。そんなあなたが、街の者たちに献身的に接してくれた。そのことが、殿下や皆さんへの偏見を解消したのです」

「お役に立てたのならよかったです」

 アリーシアとしては、はやくみーちゃんのことを助けたかったし、それにせっかく治せる薬を作ったのだから、みんなに飲んでほしかっただけだ。

 それに、子供たちを見ると、ミーシャのことを思いだし、どうしてもほおっておけない気持ちになる。
 
「これで、疫病騒ぎは終わったのですね」

「ああ、疫病にかかっていた貴族たちにも薬がいきわたった。疫病を広める者たちも一掃した。もう大丈夫だろう」

 アリーシアの言葉にカシウス皇子もうなずく。
 まだお札の力に余裕があるとはいえ、はやくみーちゃんを助けてあげたい。

「カシウス皇子から話は聞いています。早く神殿へ向かってあげてください」

「いきましょう、神殿へ!」

 アリーシアははやる気持ちをおさえ、カシウス皇子とともに神殿へと急いだ。
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