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第十七話
しおりを挟むその羽音を聞いた瞬間、セレスティナの肩がびくり、と大袈裟に跳ねた。
「──セレスティナ嬢?」
ジェイクの問いかけに答えるより早く、セレスティナの耳元でその羽音は大きく響いた。
「ひゃあっ!」
「──っ!」
耳を塞ぎ、身を縮こませるセレスティナの側に美味しそうなお弁当の匂いに引き寄せられたのだろうか、大きな虻のような虫がセレスティナの側を飛んでいる。
咄嗟にジェイクはセレスティナを守るように自分に抱き寄せると、お弁当箱の蓋を手に取り力を込めて振り下ろした。
ばちん!と音を立ててその後ベンチの背もたれ側にぽとんと落ちた虫を見て、ジェイクはハッとすると自分の胸に抱き込んだセレスティナを慌てて離そうとしたが、セレスティナが自分の胸元のシャツをぎゅう、と握り締めている姿に何故か抱き締める腕を緩める事が出来ず、震えるセレスティナの後頭部に回した自分の腕で強く抱き寄せると「もう大丈夫だ」と優しくセレスティナに声を掛ける。
ジェイクは後頭部に回していた自分の腕をセレスティナの背中に下げ、慰めるように何度も撫でてやっていると、自分の胸に縋り着いていたセレスティナがもそ、と動き涙を瞳一杯に溜めて潤んだ瞳で見上げてくる。
「も、申し訳ございません……幼い頃に蜂に刺されてから虫だけは本当に苦手で……」
「──いや、大丈夫だ。怪我は?先程の虫に刺されたり咬まれたりはしていない?」
「大丈夫です、ありがとうございます。ジェイク様」
恥ずかしそうに頬を染めてそう伝えてくるセレスティナがどうしようもなく可愛く思えてしまい、ジェイクは無意識の内にセレスティナを抱き締める腕に力を込めてしまう。
「あの、ジェイク様?」
「──っ、すまない!」
ジェイクに強く抱き締められ、戸惑うように瞳を揺らすセレスティナに、ジェイクはバッと体を離すとセレスティナから距離を取る。
「セレスティナ嬢、先程落とした虫を遠くに処理してくるから食べててくれ」
「え?え、ええ。分かりました、ジェイク様」
セレスティナに声を掛けるなり、ジェイクはベンチから腰を上げるとさっとベンチの裏に回り、その場にしゃがみ込んだ。
(俺、は先程何を──)
ジェイクは、恐らく真っ赤になっているであろう自分の顔の口元に手をやり、その場に蹲る。
瞳を濡らして見上げてくるセレスティナに、
自分の胸元に縋り着いてくるセレスティナに、
薄く、薄らと空いたセレスティナの唇にジェイクは自分の唇を重ねてしまいたい、と言う感情を抱いてしまった。
はっきりと、セレスティナに劣情を抱いてしまったのだ。
(俺、はフィオナが好きなはずなのに……!)
好きでいなければいけない。
フィオナと婚約したいからセレスティナに偽の婚約者役を頼んだのだ。
フィオナを好きでいないと、セレスティナと一緒に居れなくなってしまうのに、何故俺はあんな事を、とジェイクは自分の頭が真っ白になって呆然とその場にしゃがみ込んだまま暫く動けなかった。
──ジェイク様の態度が変だ。
あの昼食の虫襲来事件から、ジェイクはセレスティナと共にいると何処かそわそわとして落ち着かない。
馬車での送り迎えの時などそれが如実で、ふと目が合うと不自然な程思い切り目を逸らされてしまう。
「私、何かしてしまったのかしら」
やっぱり、虫位であんなに怯えるのが嫌だったのかしら、とセレスティナが自室で考えていると自室の扉がノックされる音にはっと意識を引き戻す。
「はいっ」
扉の向こうにいる人物に返事を返すと、扉を開けて顔を覗かせたのはセレスティナの父親である。
「お父様、どうなさいました?」
また、領地経営で赤字でも出たのかしら、とセレスティナが考えていると、何とも言えないような表情をした父親が躊躇いながら唇を開いてきた。
「その、セレス……カートライト侯爵から手紙が届いたのだが……その、セレスは、カートライト侯爵のジェイク殿とお付き合いをしている、のかな……?」
「──っ」
セレスティナは、しまった。と表情を歪めるとすっかり両親に伝えるのを忘れていた事に気付いた。
先日、ジェイクの侯爵家に挨拶に行ってしまったのだ。それを考えれば伯爵家の実家にも連絡が来てしまう事は分かっていたのに、伝えるのをすっかりと忘れていた自分を心の中で叱責する。
セレスティナの答えを待っている父親に、セレスティナはこくり、と頷くと唇を開いた。
「──ええ、お父様。今、ジェイク・カートライト様とお付き合いをさせて頂いているのは本当です」
"付き合うふり"ではあるけど、と心の中で付け加えると、父親はセレスティナの言葉に驚きに目を見開いている。
それはそうだろう。今まで男性に全く興味がなく、婚約についても後回しにしていた自分が突然男性と付き合っているなんて思いもしなかっただろう。
嘘の事とは言え、気恥しさからセレスティナは父親から視線を逸らしたままにしていると、父親が続けて言葉を放つ。
「その、な?今週末、是非両家でお食事しませんか、とカートライト侯爵からお誘いを受けてしまった……」
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