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番外2
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今にも雨が降り出しそうな空模様の中、イジーは校内の庭園を足早に通り抜けようとしていた。
ここを通るときにはゆっくりと花々を眺めるのが常だったが、今はそんな余裕はなかった。書物を大事に両手に抱えている。学園の附属図書館から借りてきたばかりだった。借り物なので濡らすわけにはいかない。
ようやく渡り廊下の屋根の下に滑り込むことができたはいいものの、雨は既に降り出していた。間一髪で本が濡れることはなかったが、目的地に辿り着くにはまた屋根のないところを通って行かなければならない。
仕方がない、ここで少し雨宿りしましょうと溜息をつく。吐いた息が白かった。先日は雨ではなく雪が降った。かじかむ手を擦り、震えながら渡り廊下から校内に入るドアを開けようとしたが、鍵がかかっているようだった。反対側も同様だ。
我慢するしかないわ。元々は雨具を忘れた自分が悪いのだから。
そう思ったものの、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。ふと、こんなときに友人でもいれば迎えに来てもらえたのだろうかと想像してしまったのだ。もしくは、魔法が使えたら自分の周りの雨をはじいたり、傘を呼び出したりできたかもしれない。
持っていないものばかり数えて、何もない自分が恥ずかしくて涙が出てくる。イジーには学園に友人と呼べる相手が誰一人としていなかった。
「そこで何してる?」
急に話しかけられて飛び上がるほど驚いた。しかしどこから話しかけられたのか分からない。周囲には誰もいないことは先程確認済みだ。
「ど、どなた? どちらにいらっしゃるの?」
怯えながら声を絞り出すと、すぐ近くで「ああ。悪い」とまた声だけが聞こえた。その声の方向をじっと見つめていると、唐突にローブを纏った男性が姿を現した。
背が高く、やけに長い前髪で表情が見えない。怪し過ぎる。不審者に違いないと大声を出そうとするが、それより先に口を押さえられた。
「こわ。今悲鳴上げるつもりだっただろ。別におまえに何かする気はないけど、見つかると困るんだよ」
「ふが、ふががっ」
「は? 何言ってるか分からない」
手はすぐに外されたので距離を取る。
「あなた誰なの!?」
「声が大きいなぁ。静かにしろって」
じりじりと後退るイジーに遠慮なく近寄ってくるので何かないかと大慌てで制服のポケットを探る。誕生日に婚約者からもらった万年筆しか出てこなかった。
ないよりマシだろうと、そのペン先を男に向けるけれど、パチンと指を鳴らすと綿飴が水に解けるように分解されてしまった。魔法だ。
「ひどいわ……」
呆然と大破した万年筆を前に座り込む。婚約者からもらった大切なプレゼントをこんな消し炭のようにされてしまい、ショックが隠し切れない。
「そんな危ないものをオレに向けるな」
「たかが万年筆よ! 筆記具の何がどう危ないって言うのよ!」
「いや、それどう見ても魔法――って、おい! 投げてくるな!」
辛うじて残った残骸を苦し紛れに男に投げる。器用に避けられて腹が立つけれど、本気で嫌そうな顔をしているので少しだけ溜飲が下がった。
「ナーバル・ウィンスロウだ。隣の魔法研究棟で働いている。身分証明が必要なら研究棟の所長でも連れてくるか? ああ、でもそれは後にしてくれ。今その所長から逃げてるところだから」
「うそよ」
「嘘じゃない。とりあえず校舎に入ろうぜ。おまえ何でこんな寒いところにいるんだ?」
隣の魔法研究棟というのは、イジーの通う学園の真横にある国家直属の研究者たちが日夜魔法研究や複雑な魔法式の解明などを行っている施設のことだろう。そこの職員にしては、いささか若すぎるようにも見える。あそこにいるのは年寄りばかりのはずだ。
「オレの話聞いてる? 寒いところで我慢するのが趣味なら止めないけど」
「校舎には入れないわ。鍵がかかってるもの」
「そんなもん、どうにでもなる」
そう言ったのは嘘ではなかったようで、彼は魔法で簡単に鍵を開けてしまった。
「何してるんだ? 早く入れよ」
先程まで自分に魔法が使えたらと思っていたからだろうか。こともなげに魔法を使いこなすナーバルが少し羨ましい。
「何だおまえ。魔力が全然ないのに魔法書を読んでるのか。奇特なやつだなぁ」
「おかしくて悪かったわね。魔力がなくたって勉強するくらい、誰かに文句を言われる筋合いはないわ」
手に持っていた魔法書を見て、そんなことを言われたのでフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「別に文句を言ったつもりはないよ。ほら、こっち来て座れ」
いつの間にか現れた二脚の椅子は彼が魔法で出したものらしい。
「手を出せ、手を」
「手?」
言われるがままに手を差し出すと遠慮なくギュッと握られる。
「な、なに? 何なの?」
「“グワラホッド ケネス”」
「えっ? あ……」
じわじわと指先から温かくなっていく。魔法で温めてくれたらしい。全身に熱が広がっていく。服まで乾いてぽかぽかする。
「あの、ありがとう。すごいのね」
「全然」
そう言いながら、自然な動きでイジーの手から本を奪い去っていった。ペラペラとページをめくり、中間あたりで手を止める。
「これ、やってみるか」
「へ? やるってどういうこと?」
戸惑うイジーを意に介さず、再び手を握って呪文を詠唱する。
何かが体の中を駆け巡るような感覚は、先程魔法で体を温めてもらったときの感覚とよく似ていた。ポンッと軽い音がしていきなり宙に一輪の花が浮かぶ。「取れ」と言うのでパニックになりながらも言う通りにした。
白くて小さな花だ。小ぶりで可憐なその花弁に特におかしなところは見受けられない。
「オレの魔力をおまえの体に流して魔法を使った。つまりおまえが魔法を使ったのと同等だ。どうだ、初めての魔力行使は」
「え。あ。すごかった。ありがとう?」
「あと、その花は詫びだ。持っていけ」
「どういうこと? 謝られるようなことされてないけど……」
「万年筆をさっきオレに壊されたの忘れたのか?」
「あっ、そうだったわ」
色々なことが次々と起きていくのでついていけない。頭が混乱している。受け取った花は彼なりの誠意らしい。
ふふふ、とイジーは笑う。
「あなたって優しいのね」
「はぁ?」
怪訝な表情をしながらも片手間に魔法で手袋や外套を出現させていく。山のようになったそれをイジーに渡して着るように言うと、「じゃあオレそろそろ行くから」と手を振る。
「あんまり一つの所にいると捕まるからな。もう寒くないだろ。はやく本館に戻れよ」
まるで母親のように小言を並べたて、イジーが頷くのを見てようやく姿を消した。
結局彼がどうして逃げ回っているのか分からなかったけれど、口は悪いけれど随分と世話好きなひとだと思った。
また会えたら、もっと仲良くなれる気がする。
そう思いながらイジーは微笑んだのだった。
今にも雨が降り出しそうな空模様の中、イジーは校内の庭園を足早に通り抜けようとしていた。
ここを通るときにはゆっくりと花々を眺めるのが常だったが、今はそんな余裕はなかった。書物を大事に両手に抱えている。学園の附属図書館から借りてきたばかりだった。借り物なので濡らすわけにはいかない。
ようやく渡り廊下の屋根の下に滑り込むことができたはいいものの、雨は既に降り出していた。間一髪で本が濡れることはなかったが、目的地に辿り着くにはまた屋根のないところを通って行かなければならない。
仕方がない、ここで少し雨宿りしましょうと溜息をつく。吐いた息が白かった。先日は雨ではなく雪が降った。かじかむ手を擦り、震えながら渡り廊下から校内に入るドアを開けようとしたが、鍵がかかっているようだった。反対側も同様だ。
我慢するしかないわ。元々は雨具を忘れた自分が悪いのだから。
そう思ったものの、じんわりと目尻に涙が浮かぶ。ふと、こんなときに友人でもいれば迎えに来てもらえたのだろうかと想像してしまったのだ。もしくは、魔法が使えたら自分の周りの雨をはじいたり、傘を呼び出したりできたかもしれない。
持っていないものばかり数えて、何もない自分が恥ずかしくて涙が出てくる。イジーには学園に友人と呼べる相手が誰一人としていなかった。
「そこで何してる?」
急に話しかけられて飛び上がるほど驚いた。しかしどこから話しかけられたのか分からない。周囲には誰もいないことは先程確認済みだ。
「ど、どなた? どちらにいらっしゃるの?」
怯えながら声を絞り出すと、すぐ近くで「ああ。悪い」とまた声だけが聞こえた。その声の方向をじっと見つめていると、唐突にローブを纏った男性が姿を現した。
背が高く、やけに長い前髪で表情が見えない。怪し過ぎる。不審者に違いないと大声を出そうとするが、それより先に口を押さえられた。
「こわ。今悲鳴上げるつもりだっただろ。別におまえに何かする気はないけど、見つかると困るんだよ」
「ふが、ふががっ」
「は? 何言ってるか分からない」
手はすぐに外されたので距離を取る。
「あなた誰なの!?」
「声が大きいなぁ。静かにしろって」
じりじりと後退るイジーに遠慮なく近寄ってくるので何かないかと大慌てで制服のポケットを探る。誕生日に婚約者からもらった万年筆しか出てこなかった。
ないよりマシだろうと、そのペン先を男に向けるけれど、パチンと指を鳴らすと綿飴が水に解けるように分解されてしまった。魔法だ。
「ひどいわ……」
呆然と大破した万年筆を前に座り込む。婚約者からもらった大切なプレゼントをこんな消し炭のようにされてしまい、ショックが隠し切れない。
「そんな危ないものをオレに向けるな」
「たかが万年筆よ! 筆記具の何がどう危ないって言うのよ!」
「いや、それどう見ても魔法――って、おい! 投げてくるな!」
辛うじて残った残骸を苦し紛れに男に投げる。器用に避けられて腹が立つけれど、本気で嫌そうな顔をしているので少しだけ溜飲が下がった。
「ナーバル・ウィンスロウだ。隣の魔法研究棟で働いている。身分証明が必要なら研究棟の所長でも連れてくるか? ああ、でもそれは後にしてくれ。今その所長から逃げてるところだから」
「うそよ」
「嘘じゃない。とりあえず校舎に入ろうぜ。おまえ何でこんな寒いところにいるんだ?」
隣の魔法研究棟というのは、イジーの通う学園の真横にある国家直属の研究者たちが日夜魔法研究や複雑な魔法式の解明などを行っている施設のことだろう。そこの職員にしては、いささか若すぎるようにも見える。あそこにいるのは年寄りばかりのはずだ。
「オレの話聞いてる? 寒いところで我慢するのが趣味なら止めないけど」
「校舎には入れないわ。鍵がかかってるもの」
「そんなもん、どうにでもなる」
そう言ったのは嘘ではなかったようで、彼は魔法で簡単に鍵を開けてしまった。
「何してるんだ? 早く入れよ」
先程まで自分に魔法が使えたらと思っていたからだろうか。こともなげに魔法を使いこなすナーバルが少し羨ましい。
「何だおまえ。魔力が全然ないのに魔法書を読んでるのか。奇特なやつだなぁ」
「おかしくて悪かったわね。魔力がなくたって勉強するくらい、誰かに文句を言われる筋合いはないわ」
手に持っていた魔法書を見て、そんなことを言われたのでフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「別に文句を言ったつもりはないよ。ほら、こっち来て座れ」
いつの間にか現れた二脚の椅子は彼が魔法で出したものらしい。
「手を出せ、手を」
「手?」
言われるがままに手を差し出すと遠慮なくギュッと握られる。
「な、なに? 何なの?」
「“グワラホッド ケネス”」
「えっ? あ……」
じわじわと指先から温かくなっていく。魔法で温めてくれたらしい。全身に熱が広がっていく。服まで乾いてぽかぽかする。
「あの、ありがとう。すごいのね」
「全然」
そう言いながら、自然な動きでイジーの手から本を奪い去っていった。ペラペラとページをめくり、中間あたりで手を止める。
「これ、やってみるか」
「へ? やるってどういうこと?」
戸惑うイジーを意に介さず、再び手を握って呪文を詠唱する。
何かが体の中を駆け巡るような感覚は、先程魔法で体を温めてもらったときの感覚とよく似ていた。ポンッと軽い音がしていきなり宙に一輪の花が浮かぶ。「取れ」と言うのでパニックになりながらも言う通りにした。
白くて小さな花だ。小ぶりで可憐なその花弁に特におかしなところは見受けられない。
「オレの魔力をおまえの体に流して魔法を使った。つまりおまえが魔法を使ったのと同等だ。どうだ、初めての魔力行使は」
「え。あ。すごかった。ありがとう?」
「あと、その花は詫びだ。持っていけ」
「どういうこと? 謝られるようなことされてないけど……」
「万年筆をさっきオレに壊されたの忘れたのか?」
「あっ、そうだったわ」
色々なことが次々と起きていくのでついていけない。頭が混乱している。受け取った花は彼なりの誠意らしい。
ふふふ、とイジーは笑う。
「あなたって優しいのね」
「はぁ?」
怪訝な表情をしながらも片手間に魔法で手袋や外套を出現させていく。山のようになったそれをイジーに渡して着るように言うと、「じゃあオレそろそろ行くから」と手を振る。
「あんまり一つの所にいると捕まるからな。もう寒くないだろ。はやく本館に戻れよ」
まるで母親のように小言を並べたて、イジーが頷くのを見てようやく姿を消した。
結局彼がどうして逃げ回っているのか分からなかったけれど、口は悪いけれど随分と世話好きなひとだと思った。
また会えたら、もっと仲良くなれる気がする。
そう思いながらイジーは微笑んだのだった。
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