令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 風の音が聞こえる。波の音もする。頼りない細い月が海面をわずかに照らす。

 しんと静まってしまった場を見回して、エドが焦ったようにぷるぷると首を振った。

「ちが、あの、僕はお嬢様を人質にしようとか思ってないからね!」

「じゃあアーシアお嬢様をどう利用しようとしてるの」

 完全に敵を見る目つきでサヤが問う。手元はいつでも腰のナイフを抜けるやように構えながら。

「利用なんてしないよ! いやするのか? そもそもこの魔力砂を使えるようにしたのは閣下、……辺境伯なんだ。僕は閣下に協力してる身だ。だからお嬢様を利用する必要なんてないんだよ」

「父が……砂の研究を?」

 初耳だった。ここ数年、前線にはクライブを送って自身は軍舎に居たけれど、何をしているかは知らなかった。興味がなかった、と言い換えてもいい。

 まさか父が実用化できるかもわからない砂を研究していたなんて。

「閣下は砂の研究成果をお嬢様に渡すつもりなんだよ」

「父が、どうして、わたしに?」

「お嬢様が辺境の後継者だからじゃない?」

「ありえない」

 わたしは父に認められていない。目をかけられてもいない。剣術の腕と、外面だけは良かったクライブと娶せ、次の後継者をつくるモノとしてしか見られていない。言葉をかけられた回数すら、クライブのほうが多いだろう。わたしが邸でどんな生活をしていたかも知らないはずだ。それほどに興味を持たれていない。

「どうしてありえないなんて思うの」

「だって、父は……」

 エドはわたしが父に愛されて育ったお嬢様だと思っているのだろうか。エドの情報網を持っていても、知らないのだろうか。だったら何故クライブのような父に媚びる犬をわたしの夫となどにしたのか。

 今知ったことが多すぎて、情報を整理しきれないから考えがまとまらないのだ。少し頭を冷やして、冷静になれ。一つずつ順番に、感情を交えず、事実のみを見て行動しろ。

『上に立つものは感情に流されてはいけない』

 誰かの声が頭に浮かぶ。低い、諭すようにゆっくりと、頷くわたしの頭を撫でるのは大きな……手。

「港へはいつ着くの」

「え? 明日の朝かな」

「わたし昨日から寝てないの。朝まで寝かせて」

「お嬢様?」

「エド、風魔法お願いね。船酔いだとまた眠れなくなるから」

「ちょ、それじゃあ僕ずっと眠れないんだけど」

「エドは丸一日寝たから大丈夫」

 寝不足に船酔いで、調子の悪い時に良いことは考えられない。今は思考停止して、体調を戻そう。多分エドはこのまま風魔法をかけ続けてくれる。寝首をかかれることもない。隣にはサヤもいるし、とりあえず今は安全だ。

 甲板から船室に降りて、少し悩む。いくら魔法を使ってもらうとはいえ、エドを連れて寝室に行くのは憚られた。仮にもわたしは人妻だ。どこかから寝室に男を連れ込んだなどと噂を立てられるのはごめん被りたい。通路のベンチで毛布に包まる。サヤとエドも近くに座った。

 エドを全面的に信じられるかは、ゆっくり眠ったその後判断しても遅くない。むしろ慎重になったほうが良い。今までだって味方はサヤとスレインしかいなかった。隣国の、本来なら敵のエドに関わったことが多すぎて、心を許しすぎているかもしれない。

 エドはわたしの側からスレインを離したのだ。次にサヤを奪って、わたしを孤立させ無力化しようと企んでいる可能性もある。

 誰も信じるな。誰にも頼るな。わたし自身を指標にしろ。正確な判断をし続けろ。安寧に流されるな。

「全身の毛を逆立てた猫みたいだ」

 エドがそっと呟いて、眠りに落ちてゆくわたしの髪を撫でた。
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