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第22話 恐怖では人の心は縛れない

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 ツツクラ様は大きく頭を振って、自己嫌悪を見せます。

「駄目だねぇ。お前如きの前で続けざまにこんなみっともない姿を見せちまうなんて」
「いえ、私は何も見ていません」
「気遣っているつもりだろうが、その返しイラっとするんだよ」
「も、申し訳ございません」

「まったく……話は変わるが、事務の新人を指導していたな」
「はい」
「仲良くする気はないのか?」
「暴力……恐怖での支配が手っ取り早くわかりやすいので。仲良くはラスティさんにお任せします」
「ふふ、変わったねぇ、お前は……良いことだが、『恐怖』を少々過大評価し過ぎだな」
「はい?」


 ツツクラ様は赤色の瞳で私をじっと見つめます。それは睨めつけるものではなく、観察するような瞳。

「お前は強くなった」
「皆さんの指導のおかげです」
「謙虚だね……今のお前なら、私を殺せるはずだ。何故しない?」
「え!?」

「ここには私しかいない。ここで私を殺し、ラムラムから脱出するなど造作もないだろう。ディケードに見つからないかぎりな」
「それは……」

「もう一度問う。何故、私を殺さない? 恨みや憎しみはあるだろう。なにせ、両親の仇だ」
「それは……それは……」


 はい、殺せます。今の私ならば、ツツクラ様よりも強い。治安維持の仕事の過程で、町の地理も把握しています。
 ディケードさんを相手にしないかぎり、追手から逃げ切り、町から脱出することは可能でしょう。
 ですが、ですが、ですが!!


 私は覗き見られる赤色の瞳を避けるように、そっと目を伏せます。
「ツツクラ様に……あなたに逆らうのが……怖いんです」
「ふん、恐怖がお前の心に根付いているわけか。その経験則を基に、恐怖による支配がわかりやすく、容易たやすいと思っているわけだな」
「……はい」

「だがな、それは恐怖を過大評価している」
「え?」
「たしかに私は、お前やお前以外の者どもも恐怖で支配している。だが、恐怖なんかじゃあ、人の心は縛れない。お前も見てきただろう? 恐怖で縛られているはずの連中が、馬鹿な真似をしているのを」

 たしかに、それは何度も見ています。
 ツツクラ様に逆らい、治安維持を担う私たちに粛清される人々を……。

「逆らう連中の理由は様々さ。その中で、嫉妬と欲ってのが一番厄介だ」
「嫉妬と欲?」
「そうさ、嫉妬と欲だ。こいつに心を乗っ取られると恐怖なんてカスみたいなもんだ」

 言われてみれば、そうかもしれません。
 エバさんは私に嫉妬して、一線を越えてしまった。
 エスティさんは出世欲を前にして、ツツクラ様さえも騙した。
 今朝討伐した人たちも、金銭欲に囚われ、愚かな真似をした。
 そして、ティンバーさんは身勝手な欲望を前に、自分を抑えきれずに……。

――マリン――

 不意に、頭に響いたティンバーさんの最期の言葉。
 あれは誰かの名前。もしかしたら、あの方には本当に娘がいて……ああ、そうか。ティンバーさんは娘さんを愛していたんだ。

 そして、失った痛みに耐えられずにおかしくなった。
 やがて愛情がいびつな形として残り、優しさと性へのけ口が混じり、溶け合い、狂っていった。
 
 だからと言って、彼の行ったことは決して肯定できません。絶対に許されない行為。
 だけどそこには、ツツクラ様に対する恐怖さえも忘れる感情があった。
 それをぽつりと漏らします。


「愛」
「ん? ああ……そうだね。そいつは厄介な感情だ。もっとも、そいつも欲望の中の一つだがな」
「そうかもしれませんね……」
「そうさ、愛なんて……欲望の一つ。そのはずなんだがねぇ。だけどなぜか、心を一等おかしくしちまう」

 ツツクラ様は自身の手を重ね、ぐっと力を籠めて握り締める。
 そして、とても苦しそうな表情で顔を歪めています。
 どうされたのでしょうか?

 彼女はか細く声を漏らします。

「ともかく、恐怖だけじゃ、人の心を支配できないってことさ」
「あの、ツツクラ様? 大丈夫ですか? ご様子が少し……」
「…………それは……」
「それに何故、急にこのような話を?」

 この問いに、ツツクラ様はきょとんとした表情を見せました。そしてすぐに、苦虫を噛み潰したような顔を見せます。
「チッ、話は終わりだ」
「え?」
「聞こえなかったのかい? 終わりだと言ったんだ。出て行きな」
「で、ですが――」

「出て行きなと言ったんだ!」
「は、はい!!」
「お前は鍛練場に向かい、ディケードのしごいてもらえ!」
「か、畏まりました。それでは失礼します!!」

 私はこれ以上不興を買うのを恐れて、飛ぶように部屋から出て行きました。


――書庫

 ルーレンは逃げ出すように去り、ツツクラは暗がりが包む天井を見つめた。
「セルガが絡むと、どうにも駄目だねぇ。昔の下らぬ感情が思考を邪魔しやがる」

 暗がりの先に、昔日せきじつの情景を浮かべる。
「もう、二十年以上、いや三十年くらいか? まだまだやんちゃだったセルガが遊郭に訪れて、バカみたいな女遊びにふけっていたな。それをたまたま、オーナーとして様子を見に来ていた私が見かけて……ふっ」


 彼女は自嘲する笑いを見せて、言葉を閉じる。
 しかし、心の中では言葉は続く。
(私みたいなおばさんは及びじゃなかっただろう。だけど、自分を抑えられなかった)

 ルーレンが座っていた、誰もいない椅子へ悲しげな瞳を寄せる。
(愛……下らぬ感情だ。嫉妬に狂い、欲望に踊らされ、私はセルガが大事していた女を奴隷として売った。すでに、セルガが身請けの準備をしているとわかっていたのに……)※身請け――遊女の借金や身代金などを肩代わりして自由にさせること。


 瞳を遥か南方、セルガが治める領地を望む。
(あの時の意趣返し……そんなわけがない。あいつはそんな器の小さい男じゃない。もしするなら、あの時私を殺していたはず。つまり、この北方を探る、何か別の理由があるはずだ! それはなんだ!?)


 彼女はうすら笑いを浮かべ、頬を赤く染める。
(興味を持ってくれたのかい、私に? 今の私なら、お前にとって利用価値のある存在だ。そうさ、そのために私はこんな腐った道を歩んでるんだ。お前の視界に、私の姿が止まる可能性を信じて!)


 ツツクラは席を立ち、書庫を後にしようとする。
 過去の余情を残して……。

「セルガ、恐怖と傲慢と童心と色気を纏いながら、隙を見せぬ非の打ち所がない男。あれからどう変わった。よわいを重ね、強くなったのかい、弱くなったのかい? 再び会うのは恐ろしいが……会うのも楽しみだね」

 最後に笑いを捨てる。
「ふふ、本当にお前のことを考えると私は馬鹿になる――だが、しまいだ! 来るというなら来い! もし、お前が私を求めるとしたら、恐怖に身を焦がすも光栄に至りだ! だがな、私はお前なんかに殺されないよ! 生きて、生き抜いて、お前に抱いた思いを、この感情を、一分でも一秒でも多くこの世に残してやる。そいつが私にとって、お前に対する蹂躙だ! 私のような矮小わいしょうな存在から愛を注がれろ。注がれ続けろ!!」
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