21 / 37
第21話 災いの兆候
しおりを挟む
辞めてもらう……突然の解雇宣言。
私は一瞬、思考を空白で満たしました。
だけどすぐに我に返り、ツツクラ様に食って掛かります。
「お待ちください! それは一体――」
「落ち着きな。場所を変えて話そう」
そう言って、ツツクラ様は背を見せて歩んでいきます。
私はそのあとを追いかけました。
霞の上を歩くかのような、ふわふわとした足取りの中で、とある記憶が空白の思考を侵食していく。
(エバさん……私も彼女のように捨てられる?)
しばし歩き、ツツクラ様は事務の古い資料が纏められている書庫へ入ります。
鉄製の重厚な扉は閉じられ、部屋の中央に置かれている簡素な木製の机と椅子に腰を下ろしました。
私も促されて、正面に座ります。
そこで私はすぐに尋ねました。
「解雇とはどういうことでしょうか? 何か私に落ち度が? エバさんのように貧民窟に私を!?」
「落ち着きな。辞めてもらうのは事務職だけだ。戦士業に専念してもらおうと思ってな」
「へ?」
「お前に事務をやらせて半年。お前のおかげで溜まりに溜まっていた事務もかなり捌けてきた。そこに使えそうな新人も入ってきたんで、お前がいなくても何とか回りそうだと判断したんだ」
「事務職、だけの話?」
「ああ、そうさ。だいたい、なんで貧民窟に放り出されるのを恐れてるんだい?」
「だって、あそこは……」
「たしかに治安が悪くてどうしようもない連中の吹き溜まりだが、エバと違って今のお前なら、そんな連中返り討ち、皆殺しにできるだろ」
「……言われてみれば、そうですね」
この返しに、ツツクラ様はガクッと体を斜めに落としました。
普段は見ない、珍しい御姿です。
「お前は基本しっかりしているが、どこか感性が普通じゃないな。お茶の淹れの時もそうだったが」
「え、ここでは誰よりも普通寄りだと思いますが?」
「…………思いのほか図々しいな、お前は。まぁ、いい。それよりも本題だ」
ツツクラ様はどういうわけか呆れた様子を見せます。そこからスッと息を吐いて、居住まいを正し、表情に神妙さを交えました。
「どうにも、スマルト男爵の動きがきな臭い」
「スマルト男爵? この地域の領主様ですよね。ですが、しっかり賄賂を通しているはずでは?」
「ああ通しているが……あいつは欲深いがそれ以上に臆病でね。背後から何らかの圧が掛かっている様子がある」
「圧? 男爵には、恐怖の象徴たるツツクラ様よりも恐れるものがあるというのですか?」
「何気に失礼な物言いの気もするが、たしかにあいつは私に怯えている。だが、私より怖いものなんてのは、この世界には掃くほどあるのさ」
ツツクラ様より怖い存在……そのような存在なんているのでしょうか?
もし、いたとするならば、その方はもはや怪物怪異の存在なのでは?
「ツツクラ様。スマルト男爵に圧をかけている存在は何者なのですか?」
「…………セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵」
「セルガ。三か月ほど前にもその名を耳にしましたが、その方はあのセルガ――人間族ひいては、世界最強の剣士であるあのセルガですか?」
「知っていたかい。ま、あいつは世界一有名でもあるからな。そいつがスマルト男爵と接触している可能性が高い」
「可能性が高い? 未確認情報なのですか?」
「ああ、あいつは私なんかに尻尾を掴ませない。一年ほど前からこの北方に探りを入れている様子があり、警戒していたが、本当に探りを入れているのかどうかもわからない」
「それでは、セルガがこちらの地域に介入している明確な証拠はないのですか?」
「ああ、ないよ。ないが、備えないと……備えないと……備えておかないと……」
ツツクラ様は口元を押さえて、ごくりとつばを飲みました。
押さえた手は震え、それは全身に伝わり、椅子や机を震わせる。
怯えている。あのツツクラ様が。絶対恐怖の象徴であるツツクラ様が。
それも、とても曖昧な未確認情報を前にして……。
セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵。
一体、どのような人物なのでしょうか? ツツクラ様をここまで怯えさせるなんて……。
彼女は口を押さえていた手で右半分の顔を覆い、恐怖に硬直していた顔の皮をググっと伸ばします。
「はぁ、こんな姿を見せちまうとわね。私も焼きが回ったもんだ」
「いえ、何も見てません」
「それは余計な気遣いだ。それよりも、備えが必要だ。そのために、お前を戦士業に集中させる」
「そのセルガ伯爵に対抗するためにですか?」
「自惚れるな!」
「ひっ!?」
「お前如きがあいつなんかに勝てるもんか! あいつは最強で完璧なんだよ!! 完璧で凄い男なんだ! あいつは、あいつは……本当に、良い男なんだよ。ふふ」
ツツクラ様は突然の激高を見せたかと思うと、どこか悲し気な笑顔を見せます。
セルガ伯爵を恐れながらも、とても評価していて、何故か……慕ってるような?
ツツクラ様は今しがた自分の中に生まれた感情を捨て去るように、首を左右に振ります。
「はぁ、セルガの話になると私も……とにかくだ! セルガに勝てとは言わない。だが、時間稼ぎができるくらいには腕を磨いておけ」
「はい!」
時間稼ぎ? ということは、私を使い捨ての駒にするつもりなのでしょうが……私はすでに逃げる前提で物事を考えているツツクラ様の姿に違和感を覚えます。
この方が逃げの一手に終始するなんて。
セルガ伯爵とは、それほどまでに恐ろしい存在、ということでしょうか?
だけど、この砦には私以外にもパーシモンさんやディケードさんがいる。あの方々なら……?
「あの、一つ質問が? パーシモンさんやディケードさんでは、セルガ伯爵に勝てないのですか?」
「パーシモン? あいつじゃ無理だ。一合も持たないよ」
「では、ディケードさんなら」
「……勝てはしないだろうが、多少の時間は稼げるかもな」
「――!?」
あのディケードさんさえ、時間稼ぎがやっと!?
私なんて足元にも及ばないあの方が? セルガ伯爵相手だと時間稼ぎしかできない!?
「あ、あの、ディケードさんでも無理なら、私なんかじゃ」
「だから戦士業に集中させるんだよ! お前には才がある。十という年齢だが、お前は強い。あと一年もすれば、ディケードに肩を並べられる」
「それはさすがに……」
「並べるように努力しな! その時のお前とディケードがいれば、なんとか、なんとか……くっ!」
ツツクラ様は前歯をギリっと噛みました。
このご様子だと、私がディケードさん並みに強くなって、二人掛かりで伯爵へ挑んでも、勝算は薄そうです。
私は一瞬、思考を空白で満たしました。
だけどすぐに我に返り、ツツクラ様に食って掛かります。
「お待ちください! それは一体――」
「落ち着きな。場所を変えて話そう」
そう言って、ツツクラ様は背を見せて歩んでいきます。
私はそのあとを追いかけました。
霞の上を歩くかのような、ふわふわとした足取りの中で、とある記憶が空白の思考を侵食していく。
(エバさん……私も彼女のように捨てられる?)
しばし歩き、ツツクラ様は事務の古い資料が纏められている書庫へ入ります。
鉄製の重厚な扉は閉じられ、部屋の中央に置かれている簡素な木製の机と椅子に腰を下ろしました。
私も促されて、正面に座ります。
そこで私はすぐに尋ねました。
「解雇とはどういうことでしょうか? 何か私に落ち度が? エバさんのように貧民窟に私を!?」
「落ち着きな。辞めてもらうのは事務職だけだ。戦士業に専念してもらおうと思ってな」
「へ?」
「お前に事務をやらせて半年。お前のおかげで溜まりに溜まっていた事務もかなり捌けてきた。そこに使えそうな新人も入ってきたんで、お前がいなくても何とか回りそうだと判断したんだ」
「事務職、だけの話?」
「ああ、そうさ。だいたい、なんで貧民窟に放り出されるのを恐れてるんだい?」
「だって、あそこは……」
「たしかに治安が悪くてどうしようもない連中の吹き溜まりだが、エバと違って今のお前なら、そんな連中返り討ち、皆殺しにできるだろ」
「……言われてみれば、そうですね」
この返しに、ツツクラ様はガクッと体を斜めに落としました。
普段は見ない、珍しい御姿です。
「お前は基本しっかりしているが、どこか感性が普通じゃないな。お茶の淹れの時もそうだったが」
「え、ここでは誰よりも普通寄りだと思いますが?」
「…………思いのほか図々しいな、お前は。まぁ、いい。それよりも本題だ」
ツツクラ様はどういうわけか呆れた様子を見せます。そこからスッと息を吐いて、居住まいを正し、表情に神妙さを交えました。
「どうにも、スマルト男爵の動きがきな臭い」
「スマルト男爵? この地域の領主様ですよね。ですが、しっかり賄賂を通しているはずでは?」
「ああ通しているが……あいつは欲深いがそれ以上に臆病でね。背後から何らかの圧が掛かっている様子がある」
「圧? 男爵には、恐怖の象徴たるツツクラ様よりも恐れるものがあるというのですか?」
「何気に失礼な物言いの気もするが、たしかにあいつは私に怯えている。だが、私より怖いものなんてのは、この世界には掃くほどあるのさ」
ツツクラ様より怖い存在……そのような存在なんているのでしょうか?
もし、いたとするならば、その方はもはや怪物怪異の存在なのでは?
「ツツクラ様。スマルト男爵に圧をかけている存在は何者なのですか?」
「…………セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵」
「セルガ。三か月ほど前にもその名を耳にしましたが、その方はあのセルガ――人間族ひいては、世界最強の剣士であるあのセルガですか?」
「知っていたかい。ま、あいつは世界一有名でもあるからな。そいつがスマルト男爵と接触している可能性が高い」
「可能性が高い? 未確認情報なのですか?」
「ああ、あいつは私なんかに尻尾を掴ませない。一年ほど前からこの北方に探りを入れている様子があり、警戒していたが、本当に探りを入れているのかどうかもわからない」
「それでは、セルガがこちらの地域に介入している明確な証拠はないのですか?」
「ああ、ないよ。ないが、備えないと……備えないと……備えておかないと……」
ツツクラ様は口元を押さえて、ごくりとつばを飲みました。
押さえた手は震え、それは全身に伝わり、椅子や机を震わせる。
怯えている。あのツツクラ様が。絶対恐怖の象徴であるツツクラ様が。
それも、とても曖昧な未確認情報を前にして……。
セルガ=カース=ゼルフォビラ伯爵。
一体、どのような人物なのでしょうか? ツツクラ様をここまで怯えさせるなんて……。
彼女は口を押さえていた手で右半分の顔を覆い、恐怖に硬直していた顔の皮をググっと伸ばします。
「はぁ、こんな姿を見せちまうとわね。私も焼きが回ったもんだ」
「いえ、何も見てません」
「それは余計な気遣いだ。それよりも、備えが必要だ。そのために、お前を戦士業に集中させる」
「そのセルガ伯爵に対抗するためにですか?」
「自惚れるな!」
「ひっ!?」
「お前如きがあいつなんかに勝てるもんか! あいつは最強で完璧なんだよ!! 完璧で凄い男なんだ! あいつは、あいつは……本当に、良い男なんだよ。ふふ」
ツツクラ様は突然の激高を見せたかと思うと、どこか悲し気な笑顔を見せます。
セルガ伯爵を恐れながらも、とても評価していて、何故か……慕ってるような?
ツツクラ様は今しがた自分の中に生まれた感情を捨て去るように、首を左右に振ります。
「はぁ、セルガの話になると私も……とにかくだ! セルガに勝てとは言わない。だが、時間稼ぎができるくらいには腕を磨いておけ」
「はい!」
時間稼ぎ? ということは、私を使い捨ての駒にするつもりなのでしょうが……私はすでに逃げる前提で物事を考えているツツクラ様の姿に違和感を覚えます。
この方が逃げの一手に終始するなんて。
セルガ伯爵とは、それほどまでに恐ろしい存在、ということでしょうか?
だけど、この砦には私以外にもパーシモンさんやディケードさんがいる。あの方々なら……?
「あの、一つ質問が? パーシモンさんやディケードさんでは、セルガ伯爵に勝てないのですか?」
「パーシモン? あいつじゃ無理だ。一合も持たないよ」
「では、ディケードさんなら」
「……勝てはしないだろうが、多少の時間は稼げるかもな」
「――!?」
あのディケードさんさえ、時間稼ぎがやっと!?
私なんて足元にも及ばないあの方が? セルガ伯爵相手だと時間稼ぎしかできない!?
「あ、あの、ディケードさんでも無理なら、私なんかじゃ」
「だから戦士業に集中させるんだよ! お前には才がある。十という年齢だが、お前は強い。あと一年もすれば、ディケードに肩を並べられる」
「それはさすがに……」
「並べるように努力しな! その時のお前とディケードがいれば、なんとか、なんとか……くっ!」
ツツクラ様は前歯をギリっと噛みました。
このご様子だと、私がディケードさん並みに強くなって、二人掛かりで伯爵へ挑んでも、勝算は薄そうです。
応援ありがとうございます!
2
お気に入りに追加
8
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる