雨はやさしく嘘をつく 第二部

黒崎優依音

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第三章 交錯 ― 優しさの形 ―

Overcast Hearts

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sideミスティアス



昼下がりの空は薄く曇っていて、雪の名残が光っていた。

街のざわめきが遠く、冬の風だけが頬を撫でていく。



ミスティアスは小さな橋の欄干にもたれていた。

川面に映る空は鈍い灰色で、そこに映る自分の顔も同じようにぼんやりしていた。



「……探したよ」

背後から声がして、フィリアが歩み寄ってきた。

マントの裾から落ちた雪が、音もなく消えていく。



「またひとりで考えごと?」

「考えてるようで、何も考えてないかも」

「そういうときの顔、シェイさんに似てるね」

「……それ、あんまり褒め言葉じゃない気がする」



軽い冗談に見せかけたけれど、彼女の声にはわずかな疲れが混じっていた。

その顔を見て、胸の奥が少し痛んだ。



しばらく沈黙があった。

川の向こうで子どもたちの笑い声が遠くに響く。



「ねえ、ミスティアス」

「ん?」

「このまま……みんな、戻らなかったらどうする?」



問いの意味を理解するまでに、少し時間がかかった。

けれど彼女の瞳が揺れているのを見た瞬間、すぐに胸の奥がきゅっと締まった。



「戻るよ。必ず」

「どうして、そう言い切れるの?」

「信じてるから」

「……それ、あなたの悪い癖だよ」

「?」

「誰かを信じることで、自分の不安を誤魔化す」



風が強くなり、フィリアの髪がふわりと舞った。

彼女の目の奥に、涙が光っているのが見えた。



ミスティアスは言葉を失い、ただ見つめた。

気づけば、唇が勝手に動いていた。



「……フィリア」



彼女が驚いたように顔を上げる。



「俺と――付き合ってみないか」



風が止まった。

時間まで凍りついたみたいに、世界が静かになる。



「……どうして?」

小さな声。けれど、確かに震えていた。



「理由なんて、うまく言えない。

 ただ……お前といると、ちゃんと前を向ける気がする」



彼女の唇がわずかに動いた。

けれど、言葉は出ない。

長い沈黙のあと、やっと声が返ってきた。



「……それって、恋じゃないでしょ?」



「……え?」



「前を向くために“私”を使うなら、それは優しさじゃない。

 それは――逃げるための、言い訳だよ」



その声は、泣いているようで、泣いていなかった。

強がるように、彼女は微笑んだ。



「……でも、ありがとう。

 そう言ってもらえて、少しだけ嬉しかった」



「フィリア――」



「ねえ、ミスティアス。

 あなたが誰かを本当に好きになるときは、きっと今日みたいに曇った空じゃなくて、

 もう少しだけあたたかい光の下だよ」



そう言って、彼女はそっと背伸びをした。

頬に触れるくらいの距離で、唇が掠める。

触れたか触れないか――そんな一瞬のキスだった。



「……さよなら、じゃないよ。

 ちゃんと帰ってきてね」



それだけ言って、彼女は踵を返した。

雪の中を歩く足音が、ゆっくりと遠ざかる。



ミスティアスは、その場に立ち尽くしたまま、

指先で自分の頬を触れた。

まだ、あたたかかった。



ナーバが鞘の中でため息をつく。



『……言ったな、ついに』

「うるさい」

『振られたな』

「わかってる」

『……それでも、言ってよかったな』

「……ああ」



彼は空を見上げた。

灰色の雲の切れ間から、ほんのわずかに光が差す。

その光の向こうに、彼はまだ見ぬ明日を思った。





「――ちゃんと、振られた顔してるね」



背後から聞こえた声に、思わず振り返る。

陽光の中、淡いストロベリーブロンドの髪が揺れていた。



セレスタン・エル・ランス・リアギス。



マントの裾を翻し、彼女――いや、彼はゆるく笑っていた。



「……また覗き見かよ」

「王族の特権だよ。通りすがりの景色くらい、自由に見せて」

「性格悪いな」

「性格、隠してないだけ」



軽口のようでいて、どこか目が真剣だった。



「君、面白いね。

 誰かに“優しい”くせに、自分に一番冷たい」



「……褒めてる?」

「いや、呆れてる」



その言葉と同時に、風が吹いた。

セレスのマントの金糸が光を返す。

彼女が一歩近づき、手を伸ばす。



「寒いでしょ。

 触れてもいい?」

「ああ」



彼女の指がミスティアスの頬に触れたと思ったら引き寄せられる。

いつもの癖で、ミスティアスは逃げるよりもただそのまま受け入れてしまった。

次の瞬間、微かな熱が流れ込む。

それは痛みを和らげるような、淡いぬくもりだった。



「……なんだこれ」

「魔力の伝達。……体温を合わせただけ」

「わざとだろ」

「うん」



目の前の瞳が、淡い紫にきらめく。

火ではなく、雪の中の光のように。



「ねえ、ミスティアス。

 もし——誰かの体温で溶ける日が来るなら、私がその候補でいてもいい?」



あまりに唐突で、息が詰まった。



「……どういう意味だ」

「君を“溶かせ”たらなって。……そう思っただけ」



からかっているようで、どこか本気だった。

ミスティアスは息を吸い、静かに首を振る。



「……誰でもいいとは思ってない」

「知ってる。

 でも、君はまだ“誰かを選ぶ”ってことを知らないだけ」



風が吹いて、彼女の髪が頬をかすめた。

赤と青が混ざるその色は、冬の終わりを告げるようだった。



二人の間を、ひとひらの雪が通り抜ける。

けれど、唇に残る熱は、もう消えなかった。



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