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第八章 やさしい嘘
The Chapel & The Cost
しおりを挟むsideシェイ
礼拝堂の扉が、静かに軋んだ。
わずかな風が流れ込み、止まっていた空気を揺らす。
――そこに、二人はいた。
リリとリシェリア。
祭壇の前で、魔法を使い果たした後のような姿で立ち尽くしている。
瞳は閉じられたまま。けれど、その表情は穏やかで、まるで祈りの続きを見ているかのようだった。
「……よかった。色が、戻っているわ」
ユリカがほっと息をつき、柔らかい笑みをミスティアスたちへ向ける。
「あなたたちのおかげね」
シェイはその光景を静かに見つめた。
ルアルクから話は聞いていたが、実際に目にするのは初めてだ。
以前は、ネルの闇魔法に囚われていたせいで、とらわれた人たちは黒く凍り付いていたという。
今は、春の光の粒が空気の中を漂っている。
――この場所を、毎日訪れていたという。
どんなに冷たくても、ひとりで祈りを続けてきたユリカの姿を思い浮かべ、シェイはそっと敬意を込めて微笑んだ。
「一年半……この時間の中で、ずっと彼女たちはこのままだった」
ルアルクが祭壇の前に歩み出る。
「今、助ける。――閉じ込めて、ごめん」
彼の掌から白い光がこぼれ、礼拝堂いっぱいに静かな魔力の波紋が広がる。
歯車が軋むような音とともに、“止まっていた時”が、ゆっくりと動き出していく。
ステンドグラスの光が揺れ、灰色だった空気に色が戻った。
春の光が祭壇に降り注ぎ、リシェリアの長いまつげが微かに震える。
「――もう、大丈夫だよ。
迎えに来たよ、リリ。リシェ」
二、三度まばたきをして、
彼女の瞳がゆっくりと焦点を結んだ。
最初に映したのは、目の前のシェイ。
「……パパ、……お父様」
掠れた声。それでも確かな意思を帯びた瞳だった。
遅れて、リリの肩も小さく震え、フィリアと同じマリンブルーの瞳が光を反射する。
「お母さん……!」
「リリ!!」
フィリアとユリカの声が重なり、二人は左右から彼女を抱きしめた。
長い時を越えた抱擁。涙と笑顔が入り混じる。
シェイはリシェリアを強く抱きしめた。
子どものようにぽろぽろと涙をこぼしながら、「パパが無事でよかった」と繰り返す娘の声に、彼はただ「ごめん」と何度も答えた。
守ると誓ったはずの子を、また泣かせてしまったから。
背後から、ナーバのいつもの軽口が聞こえる。
『……よかったな、ミス。
お前の家族、これで全員そろったな』
ミスティアスが苦笑いして肩をすくめ、「うん」と小さく頷いた。
その顔は、もうすっかり大人の顔だった。
◇
リリとリシェリアを代わる代わる抱きしめる家族の輪の中で、シェイは一歩だけ後ろに下がった。
あたたかな声、笑い声、涙の音――
それらが自分の胸の奥をゆっくり満たしていく。
「……もう、僕の役目は終わったのかもしれませんね」
ユリカが振り向く。
「そんなこと言わないで。あなたがいなければ、今の私たちはいないわ」
「ええ。でも、これからは――僕がいなくても、この家は大丈夫だ」
ルアルクが肩をすくめて笑う。
「あなたはそう言いますが、結局いないと落ち着かないんです、僕ら」
それを聞いたユリカが少し涙ぐみながら、
「……ほんとに、みんな嘘が下手ね」
「やさしい嘘です」
シェイは微笑む。
「誰かを守るための嘘なら、僕は何度でもつきます」
リシェリアがその言葉に気づいて顔を上げた。
「ねぇパパ、それって――愛の嘘?」
「そうかもしれませんね」
外では雨が降り出していた。
やさしい雨音が屋根を叩き、祭壇の光をやわらかく揺らす。
シェイはその音に耳を傾けながら、静かに目を閉じた。
――この雨が、誰かの涙を隠してくれますように。
その祈りとともに、
彼の微笑みが静かに、光へと溶けていった。
sideミスティアス
治療室の扉の向こうから、淡い光が漏れていた。
父の声と、もう一人――スティリオの低い声が交錯する。
「……限界が来ていますね」
「そう見えますか」
「はい。あなた自身が一番わかっているでしょう」
金属の擦れる小さな音。
器具を片づける気配がして、再び沈黙。
「まぁ、三百年も動かせば、人の体も疲れますよ」
「家族には?」
「まだ。
……もう少しだけ、“いつもの春”を見せたいんです」
その一言に、ミスティアスの胸がひゅっと縮んだ。
父の声が、どこか遠くの人のように聞こえる。
紙をめくる音、そして――
「……いつまで持つかは、三ヶ月くらい、でしょうか」
「……家族には言わないでくれ。
君だけは、医者として残っていてほしい」
息が止まる。
喉が痛い。
手に持っていた資料が、かすかに震えた。
光が扉の隙間から漏れ、
その向こうで影がふたつ揺れている。
(三ヶ月……? 何の話だよ……そんな……)
足が動かなくなって、
気がつけば廊下の壁にもたれていた。
息を殺しても、嗚咽が漏れる。
涙があとからあとからこぼれてくる。
(どうして、こんな時に泣いてるんだ。
まだ、生きてるのに――)
そこへ、軽い足音。
「ミス? どうしたの……?」
ユリカが駆け寄ってきた。
その声に、さらに胸が締めつけられる。
「……なんでも、ない」
「顔が真っ赤よ……怪我でも?」
彼女の手が、そっと背中に触れた。
その温かさに、堰が切れたように涙があふれる。
「どうしたの、そんなに……」
「……ごめん……ごめん」
それしか言えなかった。
扉の向こうから音もなくドアが開き、黒衣の裾が視界に入った。
「……聞いてしまいましたか」
シェイの声は静かだった。
スティリオが目を伏せる。
ミスティアスは必死に首を振った。
「……ごめんなさい。言うつもりじゃ……」
シェイは微笑んだ。
その笑顔が、どうしようもなく優しかった。
「謝るのは僕の方です。
君に背負わせるつもりはなかったのに」
彼の手が、震える息子の肩に触れる。
それだけで、胸の奥が音を立てて崩れそうになる。
ミスティアスは、そこにいる父が少しでも消えてしまわぬように、必死でしがみついて泣くのが精いっぱいだった。
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