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第十四章 誓いの空の下で
The Oath and the Shadow
しおりを挟むsideミスティアス
今日は“晴れの日”。
王城から正式に帯剣が許された。
王城の白い回廊に、金糸の刺繍が光を返す。
式服の裾がひるがえるたびに、重い空気の中で魔力の粒が微かに揺れた。
剣――ナーバの重みが腰にあるだけで、背筋が伸びる気がする。
(……なんか、息苦しい)
『おいおい、そりゃあ緊張しすぎだろ。肩こってんぞ。
それにお前、最近オレのこと放置するし。
彼女持ちは付き合い悪くてつまんねぇ』
腰のあたりから、くぐもった声。
久しぶりに聞く相棒の調子は、いつも通りだ。
「しょうがないだろ。王城は普段、帯剣禁止なんだ。
今日だって例外だよ。セレスに失礼があったら困るし」
『けっ。デートにも俺を連れてかねぇし、つれねぇ男だなぁ』
「……君を連れていったら、俺とセレスの会話を将来子どもに全部喋る気だろ」
『当たり前だろーが! むしろお前、聞きたくねぇのか?
シェイフィルの結婚前夜の話。なかなか面白かったぜ?』
「……教えろ」
『ほらな、やっぱ気になるんじゃねぇか!』
「……うるさい」
『ま、いいけどよ。
――シェイフィルってやつは、付き合い良すぎて心配になるくらいの男だった。
三百年、誰にも心を寄せず、淡々と任務をこなしてきたのに……
ひとたび恋をしたら、もう全部が変わっちまった。
守ることに全力投球だ。
“誰かのために剣を抜く”って言葉、あいつが言うと嘘みたいに真実味があった』
ミスティアスは、ふっと目を伏せて笑った。
「……父さんらしいな」
ナーバが懐かしそうに笑う。
そのやりとりが、少しだけ緊張をほぐしてくれた。
(父さんも、こういう時こんな感じだったのかな)
廊下の先から、セレスの侍女の声がした。
「準備が整いました」
扉の向こうで、光が差し込む。
白いドレスの裾、ストロベリーブロンドの髪。
セレスティア・エル・ランス・リアギス――王家の第一王女。
かつて“病弱ゆえに隠されていた”姫が、今は堂々と光の中に立っている。
「ミスティアス」
「……うん」
彼女が差し出した手を取る。
温もりが、かすかに震えている。
「緊張してる?」
「してる。……でも、逃げない」
セレスが微笑んだ。
「それでこそ、私の婚約者ね」
玉座の間。
王と王妃、各国の使節、貴族たちの視線が並ぶ。
ルアルクとユリカは側席に並び、リシェリアとフィリア、リリも見守る。
人の波の中で、光が集まっていく。
「王女セレスティア・エル・ランス・リアギス、ならびに公爵家嫡男ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ――」
司礼官の声が高らかに響く。
「両家の名のもとに、その婚約をここに認める」
拍手が重なり、王妃が立ち上がる。
微笑みながら二人に歩み寄り、セレスの髪に触れる。
「ようやく、ここまで来たのね」
その言葉は、娘への祝福であると同時に赦しのようでもあった。
扉が開かれる。
光の先に、バルコニー。
セレスの手を取って一歩踏み出すと、外には人々の海。
「うわ……」
ざわめきと歓声が波のように押し寄せる。
王都の大通りは、花と旗で埋め尽くされていた。
病弱だった“隠された王女”の存在が明るみに出て、彼女が“生きている”ことを、民たちが喜んでいる。
セレスが小さく息を呑む。
その横顔に、ミスティアスはそっと囁いた。
「大丈夫。隣は空けない」
「……うん」
風が吹く。
青い空に、花弁が舞った。
王妃の声が響く。
「王家の新しい風を、この国に――」
ミスティアスは目を細めて空を見上げた。
遠いどこかで、父の声が聞こえたような気がした。
(父さん、見てる?)
(あなたの息子は、ちゃんと立っています)
◇
王城を出たのは日が傾く頃だった。
セレスは疲れの残る頬を押さえながら、馬車の窓から夕暮れの空を見上げた。
オレンジ色の光が王都の屋根に反射して、まるで街全体が祝福しているようだった。
「……やっと終わったね」
ミスティアスが隣で息を吐く。
「式典より、バルコニーの歓声のほうが心臓に悪い」
『確かに。お前の震えが鞘ごしに伝わってきたぜ!』
ぺしっと剣の柄を叩くと、ナーバは黙った。
久しぶりの彼は絶好調である。
「あなたの顔、真っ白だったよね」
口元に手を添えて、セレスが笑う。
「だって、あんなに人がいたら……そりゃ緊張するだろ」
くすくすと笑うセレスの声が、柔らかく車内に広がる。
馬車が家に着くころには、もう夜の帳が降りていた。
玄関の灯がともり、子どもたちのはしゃぐ声が外まで響いている。
扉を開けると――
「おかえりなさーい!」
リシェリア、フィリア、リリ、そしてリリに抱かれたファリス。
全員が手に花冠を持って立っていた。
「え、なにこれ……」
ミスティアスが目を丸くする。
リリがにやりと笑った。
「お祝いよ! ナーバ家式・婚約パーティー!」
「式典が終わったら、こっちが本番だってみんなで決めたの!」
フィリアが嬉しそうに花冠を差し出す。
「お姫様にはこれが一番似合うと思って!」
セレスは少し目を丸くして、やがて微笑んだ。
「ありがとう。とっても綺麗」
花冠を頭にのせると、ストロベリーブロンドの髪に小さな花びらが揺れた。
「そして、こっちはミスにぃの!」
子どもたちが差し出した冠は少し歪で、けれど愛らしい。
ミスティアスは受け取って、照れたように笑った。
「ありがとな。これ、宝物にするよ」
笑い声と、誰かの泣き笑いが混ざる。
リリが拍手しながら言った。
「ほらほら、乾杯の準備は? シェイさんにも見せないとね!」
ユリカがぶどうジュースを注いで笑う。
「見えてるわよ、きっと」
その隣で、ルアルクは頷いて微笑んだ。
和やかな食事の後。
人のざわめきが少し落ち着いたころ、ルアルクが立ち上がった。
「……少しだけ、贈り物をしてもいいかな?
“はじまりから、いまへ”。そんな題で弾かせて――」
誰もが頷く。
リビングの奥のピアノに歩み寄る彼の背を、ユリカが見送った。
最初に流れたのは、静かな旋律だった。
優しく、揺れるような子守歌。
小さな灯の下で、音が一つずつ息づく。
そして段々と、子どもが遊び、跳ねるような楽し気な旋律へ。
その旋律は――公的認知の夜、リシェリアと共にピアノを奏でた、あの頃の音と同じだった。
やがて音が高まり、ルアルクの指が震える。
少し詰まり、息がもれる。
その横に、ユリカがそっと立った。
何も言わず、隣の椅子に腰を下ろす。
白と黒の鍵が、四つの手で“ひと色”になる。
ひとつの旋律が二重奏になる。
曲はロマンティックなやわらかい夜想曲に変わり、そしてまた次第に力強い調べへと変わっていく。
ルアルクの頬を涙が伝った。
「……シェイさんにも、今日の君の姿を見せたかったな。
こんなに、あなたの息子は立派になったんだよ……」
ユリカがそっと笑って、肩に頭を預けた。
「きっと見ているわ。
……そして、心からそう思ってくれる、そんなあなたが、私は大好きよ」
ピアノの音が天井を包み、静かな夜に溶けていく。
ミスティアスは胸の奥で、ナーバの声を聞いた。
『……お前の家族、いい音出すじゃねぇか。
シェイフィルも、きっと笑ってる』
「……ありがとう、ナーバ」
『礼なんざいらねぇよ。
ただ、“この音を忘れんな”。
それが、お前の剣の音だ』
涙を拭って、ミスティアスは小さく呟いた。
「……お父さん、ありがとう」
ピアノの音が止まる。
ルアルクがこちらを見て、微笑んだ。
「……聞いてくれて、ありがとう」
音よりも静かで、音よりも強い“返事”だった。
◇
夜が深い。
祝宴の余韻がまだ残る“名前のない家”は、静かな灯の下で眠っている。
みんなが寝室へ引き上げ、廊下には暖炉の残り火だけが揺れていた。
ミスティアスは一人、自室で上着を脱いでいた。
礼服の襟元がやけに重く感じる。
ネクタイを外したとき――背後から、ふとノックの音がした。
「……はい?」
扉を開けると、月明かりの下に、黒い影が立っていた。
黒いドレス、黒曜石のような髪。
瞳は、――深い海の色。
外見はよく見知ったフィリアなのに、その彼女が持つ色だけはいつもの彼女ではなかった。
「……あなたにとっては初めまして、かもしれないけど」
その声は、知っているものよりずいぶんと落ち着いた、大人の雰囲気を抱いていた。
「私はフィリアの中から、ずっとあなたを見ていたわ、ミスティアス」
静かな微笑。
その瞬間、言葉を交わさずとも理解した。
「……なんとなく、そんな気はしてた」
「ふふ、なんとなく、ね」
影は、ゆらりと笑う。
光のない夜の中で、それでも確かな温もりを持っていた。
「婚約、おめでとう。
私から、あなたへお祝いと――告白に来たの」
「告白?」
「ええ。
私はずっとあなたに恋してた。
あなたを愛していたわ」
ミスティアスは目を伏せ、かすかに笑った。
「……振られてんだけど、俺」
「それは“白”の方に、でしょ?
仕方ないの。あの子の“恋心担当”は私だから。
あの子は、恋を知りえない子だった」
少し寂しそうに、黒フィリアは微笑んだ。
「……じゃあ、これからもあいつは恋できないのか?」
「いいえ」
首を横に振る。
「今は、私を受け入れようとしてくれている。
きっといつか――本気で誰かを好きになったとき、私たちは一つになる。
そうなれたら、もう“黒”も“白”も関係ない」
ミスティアスは小さく頷いた。
「そっか……。それなら、よかった」
「さようなら、ミスティアス」
「……ああ」
「おめでとう。そして――愛してるって言えて、よかった」
輪郭がほどけ、月の粒子へと散った。
黒い髪が風にほどけ、光の粒となって夜空へ散っていった。
段々といつもの淡い金髪に戻っていく。
ゆっくりと彼女は背を向けて、自室のほうへと歩き出した。
ミスティアスは、しばらくその場から動けなかった。
胸の奥に残った温かさが、なぜか涙に変わる。
(ありがとう、フィリア)
(……そして、おやすみ)
手のひらで涙をぬぐうと、静かな足音が背後から近づいた。
「ミス?」
扉の前に、セレスが立っていた。
淡い部屋着の裾を指でつまみ、心配そうに覗き込む。
「泣いてるの?」
「……少し、思い出しただけだ」
セレスは何も言わず、ただそっと彼の隣に立った。
そして、何気なく彼の手を取る。
ミスティアスも言葉を返さず、その手を握り返した。
窓の外では、夜明け前の風が木々を揺らしている。
二人の影が重なり、ゆっくりと溶けていった。
やがて、東の空に薄い光が差し始める。
“約束の初夏”が、静かに、またひとつ訪れようとしていた。
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