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第十三章 初夏を待つ約束
The Dawn of a Vow
しおりを挟む夜。
猫足の可愛らしい花柄のソファ。
ミスティアスはルアルクと並んで座り、二人してマグカップを傾けていた。
テーブルの上には、子どもたちが昼間摘んできた野イチゴが並んでいる。
一粒つまんで食べると、酸味と共に、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「いきなりびっくりしましたよ。
ナーバ邸の玄関に、手紙が挟み込まれていて。
どこの世界の忍びかと……」
「あはは、きっとフィリアだね?
僕のところにも時々似たような手紙が届くよ」
楽しそうにルアルクが笑う。
ちょっとした会話からも、彼は本当にフィリアが可愛いんだなと伝わってくる。
子ども達の誰かひとりを贔屓にする人ではないけれど、一人ひとりを大切にしているのがわかる。
彼を見ていると血縁だけが家族ではないと、ミスティアス自身もここにいていいと思えるから、昔から大好きな大人の一人だった。
「いきなりの女子会開催って……。
なんで女って集まってしゃべるのが好きなんでしょうね」
「性別で女だから、男だからって決めつけるのは好きではないけど……。
そうだね、家にいることが多い人たちだから、他愛のない会話を積み重ねることで結束を強めているんじゃないかな?」
「なるほど。なんとなくわかります」
「きっと今頃、セレスさん質問攻めにさせているんじゃないかな」
ルアルクの言葉に、ミスティアスは自身の肩を抱いて震えた。
「……想像するだけで恐ろしいですね」
「……ね。
根掘り葉掘り白状させられたユリカの話を元に、翌日リリや娘たちにいじり倒される。
これ、僕の女子会後のルーティーンになっているからね?」
「きっと今回は俺も一緒にやられますよ……」
「……お互い、明日は頑張ろう」
カップに口づけ、お茶をすする。
温かいお茶の香りが野イチゴの香りと混ざって、春の香りを運んでくる。
「聞いてもいいですか?」
「うん? 僕に答えられることなら、なんでも答えるよ」
彼は言葉を急かすことなく、ミスティアスが喋りだすのを静かに待ってくれていた。
そのちょっとした気遣いに救われながら、何度か口の中のものを飲み込み、そして、ようやく言葉にする。
「ルアルクさんは、”幸せが怖い”って思ったこと、ありますか?」
一瞬、ルアルクの表情が固まる。
「――……あるよ。
毎朝、そう思ってる」
酷く固い声がリビングの空間に落ちる。
温かいはずのリビングがすっと冷えた気がした。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど……。
僕は幸せの絶頂から絶望に落ちたことがある。
自分では平気なつもりでいたんだ。
実際何年も平気だった、と思う」
ルアルクの指先が、小さく震える。
それを誤魔化すように、ぎゅっと力を入れて握りしめるのをみて、気が付いたら彼は隣に座る義父の手を癒すように包み込んでいた。
はじかれたように、ルアルクがミスティアスを見る。
「シェイさんと、同じことをしてくれるんだね」
彼の表情は、泣き笑いのようだった。
「父が、ですか?
……父こそ、あなたにどん底を味わわせたんじゃないですか?」
「それは違う」
彼にしては強い否定がのった声色に、少しミスティアスは驚いた。
「もし、君がそう思っているのなら、それは誤解だ。
シェイさんは何も悪くない。
僕の覚悟が独りよがりだったから……ユリカを幸せにできなかったのは、僕自身のせいなんだよ。
彼には、本当に感謝しているし、この上ない親友なんだ……!」
ぽと、と一粒、彼の頬を伝った涙が零れ落ちた。
「……ごめん、“ルーくんは本当に泣き虫ですね”って笑われるね」
「いえ、俺の方こそすみませんでした。
ルアルクさんが父さんと両思いなの知っていたのに、失言でした」
「いや、なんか変な意味に聞こえるんだけど!?」
「ははっ。少なくとも父さんはあなたが大好きでしたよ」
「……知ってる」
「ほら、両想いだ」
二人で顔を見合わせて笑う。
「話を戻すけど……そんな僕だから、今の幸せが、朝になると無くなるんじゃないかと怖くなるんだ。
ユリカのぬくもりを感じれば感じるほど、朝には無くなってしまうんじゃないかって。
だから毎朝、彼女を求めて抱きしめてしまう。
ユリカが僕にトラウマを残したって思って、罪悪感を持たせてしまっていることにも気が付いているのに止まらないんだよ」
情けないよね、とでも言うような表情で、それでも彼は続ける。
「……だから、たぶん僕は、怖がりなんだ。
彼女の手を離したくなくて、朝が来るたびに確かめてしまう。
そのたびに、“また今日も生きている”って安心する。
……欲深いよね。
気づいたら、彼女に三人も子どもを産ませようとしていた。
どれだけ抱きしめても足りなくて、どれだけ愛しても、まだ“もっと”って思ってしまう。
でもね――彼女が、そのたびに笑ってくれるんだ。
『嬉しいよ』って。
だから僕は、きっと止まれない。
痛みも恐れも抱えたまま、それでも今の幸せを手放したくないんだ」
ミスティアスは、黙って聞いていた。
マグをそっとテーブルに置いて、静かに言葉を重ねる。
「俺も……怖くなりました。
失うのが怖くて、怖いから逃げたくもなる。
でも、二人を見ていたら、その“怖さ”も含めて幸せなんだって思えたんです。
痛みがあるってことは、生きているってことだから。
だから俺も、大切に生きていきます」
少し沈黙が落ちて、野イチゴの香りがまたふわりと漂った。
ルアルクが、柔らかく笑う。
「……本当に、君は優しいね」
ミスティアスは、まっすぐ彼を見つめて微笑んだ。
「お父さん、ありがとう」
ルアルクの指先が、かすかに震える。
けれどその目は、穏やかに潤んでいた。
「……その呼び方、嬉しいな。
でも、シェイさんが“父さん”で、僕が“お父さん”っていうの、ちょっとズルいね」
「どっちも、大切です」
二人の間に、静かな笑いが落ちた。
窓の外では、春の夜風が庭の花を揺らしていた。
まるで誰かが――“間に合ったね”と囁いているように。
――翌日、猫足の花柄ソファで、手を繋いだまま仲良く寄り添い眠る父子の姿が発見され、女性陣にいじり倒されたのは言うまでもないことだった。
◇
それから数週間のうちに、ミスティアスは王城に呼ばれては書類確認や打ち合わせの日々へと生活が様変わりしていた。
王城の来賓用宿舎の一室。
白い壁にかかる薄いカーテンが、夜風で静かに揺れている。
机の上には、採寸のメモと王家の紋章入りの書類の束。
その横で、ルアルクが眼鏡を外して軽くため息をつく。
紅茶の湯気が二人の間に漂っていた。
「……お父さんがいるからなんとかなるけど、ほんと大変すぎる」
ミスティアスはソファにぐったりと沈み込み、髪をくしゃっとかいた。
「申し訳ないけど……もう少しだけ成人しても後見人で居てください」
ルアルクは紅茶を置き、思わず吹き出した。
「珍しいね。君がギブアップするの」
「ギブアップっていうか……もう少しだけ、頼ってもいいですか?」
「もちろん。いくつになっても、僕の息子だろう?」
その穏やかな声に、ミスティアスは少し笑って目を細める。
「……お父さんは本当に、そういうところずるい」
「シェイさんも、そう言ってたよ」
二人の笑いが重なり、
部屋の緊張がゆるやかに解けていく。
「しかし、凄い書類の量だよね。
正直重複しているところや、意味がぼけてしまっている書類も見受けられるから、これ、整理したらもう少し減らせるはずだよ」
「その整理をすることがすでに面倒そうでやりたくない」
心の底からのミスティアスの声に、ルアルクは再び笑う。
「確かにね、僕ももう文字を追う目が辛い。年かな」
ルアルクの言い方に、今度はミスティアスの方が吹き出す。
「何言っているんですか。
お父さん見た目精々30代前半ですよ?
将来俺の方が年上に見られたらどうしようって怖いんですが」
「そう?
まぁ、シェイさんが言うには”白の魔力を持つ人は老化が遅い”という統計があるらしい。
……直系には近親婚を繰り返した影響で身体が弱い人が多かったみたいだけど、白系全体でみると実年齢より若く、そして長生きな人が多いとか。
ユリカがずっと綺麗なのも、きっと魔力が白系でしかも体内循環型だからだろうね。
白の魔力は癒しと結界。
自然と身体全体を癒して細胞を若く保てているのかも、と彼にはじっと観察されたものだ。
あの日僕は初めてアサガオの鉢植えの気持ちがわかったよ」
ルアルクの言い草に、ついにミスティアスは声を弾ませて笑った。
「父さん、興味持ったらしつこいから」
「そうだね、しつこかった」
再び、笑いが二人の間に満ちた。
ルアルクが紅茶のカップを指で回しながら言った。
「……でも、本当に大変だと思うよ。
王家の手続き、書類よりも“人の意見”のほうが重いからね」
「わかります」
ミスティアスは息を吐き、背もたれに頭を預けた。
「でも、彼女があの空気の中に一人で立って頑張っていると思うと、
俺も逃げられないなって思って」
窓の外では、王都の灯が遠く瞬いていた。
もうすぐ、日付が変わる。
ミスティアスは立ち上がり、カップをそっとテーブルに戻す。
「お父さん、おやすみなさい。
……少し、顔を見てきます」
「セレスさんの?」
その問いに、彼は小さく頷いて笑った。
「はい。今夜くらいは、王族でも、ただの恋人になってもいいのかなって」
ルアルクは黙って頷き、背を見送ると、もう一度小さくため息をついた。
王城の廊下は、夜になると音を失ったように静まり返る。
灯りは最低限だけが残され、石造りの床に月明かりが薄く映っていた。
昼間は何人もの侍女や文官が行き交うその道も、今はミスティアスの靴音だけが響く。
壁に飾られた絵画が、歩みのたびに淡く揺れる。
遠くで風が鳴り、どこかの部屋のカーテンがかすかに鳴いた。
王都の夜は冷えていたが、それでも彼の胸の奥は不思議なほど熱かった。
――扉の前に立つ。
ノックする前から、中に彼女の気配を感じた。
寝台の上ではなく、まだ机に向かっている気配。
彼は一度だけ深く息を吸い、そっと扉を叩く。
「……どうぞ」
その声は、思ったよりも柔らかかった。
ミスティアスが扉を押すと、部屋の中に淡い香が広がった。
机の上に灯されたランプがひとつ。
セレスはその光の中にいて、まだ王女の正装のままだった。
髪はきれいに結い上げられ、肩口に小さな宝石がきらめいている。
指には試着用の指輪――銀の台座に青い石。
「……まだ着替えてないの?」
「少し、書類をまとめていました。
お父様たちがあまりに早い段取りを立てられるので、整理をしないと」
セレスは微笑んだが、その目の下には薄い疲れの影がある。
ミスティアスは黙って近づき、机の前に立つと、彼女の手からペンをそっと取り上げた。
「……今日はもういい。
頑張りすぎて、肩、こってる」
「えっ――」
驚くセレスの背後に回り、彼はそのままそっと両肩を包み込む。
緊張で強張っていた肩が、彼の手の熱で少しずつほぐれていく。
「王女としての顔、すごく綺麗だけど……やっぱり、距離を感じるな」
「距離?」
「うん。きっと、俺がまだ未熟だからだろうけど」
その言葉に、セレスはそっと目を閉じた。
彼女の頬を伝う髪が、灯の光を受けて淡く金に輝く。
ミスティアスは少しだけ息を整え、胸の奥でくすぶっていた言葉をゆっくりと取り出した。
「セレスティア。
君に、話しておかないといけないことがある」
彼は彼女の肩から手を離し、正面に回った。
机のランプの光が、二人の影を床に映す。
ミスティアスの表情は穏やかだったが、その瞳の奥に迷いが揺れていた。
「俺、君に嘘をついてる。
……いや、正確には、まだ言えてないことがある」
セレスは彼の真剣な声に、姿勢を正した。
「なにを?」
ミスティアスは一拍置いて、ゆっくりと左腕の袖をまくった。
「驚かないで」
そう言って、机の上に置かれていた短剣を取る。
刃が光を受けてかすかにきらめいた。
彼は何の躊躇もなく、腕にその刃をあて――
静かに引いた。
鮮やかな赤が一瞬、肌の上に走る。
セレスの息が止まった。
「ミス……!」
彼は痛みに眉を寄せながらも、何もなかったように微笑んだ。
数秒。
血があふれることはなかった。
切り口は、まるで時を巻き戻すように閉じていく。
わずかな痛みのあとには、もう何も残っていない。
「――こういうことなんだ」
セレスは信じられないというように、彼の腕を掴んだ。
その指が震えていた。
「痛く……ないの?」
「痛いよ。でも、すぐ消える。
死なない。どんな傷も残らない。
俺は、父さんから受け継いだ“不老不死”の体質なんだ。
ただし、条件付き。
実子が生まれたら、力はその子に移行する。
父さんから、俺に移ったように、ね」
彼女は何かを言おうとしたが、言葉が喉に詰まった。
ただ、涙があふれてくる。
「そんなの、そんなのって……!」
怒りと哀しみの入り混じった声だった。
彼女はその腕を握りしめ、真っすぐに見上げる。
「いくら治るからって、どうして自分を傷つけるの!
痛くないわけないでしょう!
あなたを痛い目にあわせるなんて、私は絶対に嫌!」
ミスティアスは、驚いたように目を瞬かせ、
そしてふっと小さく笑った。
「……ありがとう」
「なにが、ありがとうなのよ!」
「怒ってくれて。
俺のこと、怖がらなかった。
それだけで、救われた」
ミスティアスはゆっくりと視線を落とした。
「小さいころ、一度、友だちと遊んでいた時に崖から落ちたことがある。
運悪く岩で足を切って、血が出たんだ。
でも……あっという間に治って。
みんな、化け物だって逃げた。
でも俺がいちばん覚えてるのは、父さんが泣きながら俺を抱いて“ごめんなさい”って何度も謝ってたこと。
俺より、父さんが痛そうで……その顔が忘れられない」
セレスは、そっとその腕に自分の手を重ねた。
「不器用で、まっすぐで、優しすぎる親子だと思う。
あなたも、あなたのお父さんも」
「うん。ひどい親子だよ。
でも、そんな父さんが俺の誇りなんだ」
彼女はその言葉に小さく微笑んで、そのまま彼の腕に顔を寄せた。
額が触れ、呼吸が重なる。
「――もし、自分の子どもが“化け物”って呼ばれたら?」
ミスティアスの問いに、セレスは目を閉じたまま答えた。
「その子を抱きしめて、何度でも言うわ。
“あなたは化け物なんかじゃない”って。
泣きながらでも、笑いながらでも、何度でも言う」
その強い声に、彼は息を呑んだ。
「……強いな」
「あなたがそう思わせてくれたの」
そして、彼女は少しだけ顔を上げた。
赤みがかった光を帯びた髪が揺れ、瞳の中に彼の姿が映る。
「それにね、私はあなたの子どもが欲しい。
どんな運命を背負っていても、あなたと繋がっていたいから」
「……セレス」
ミスティアスの声は震えていた。
彼は彼女の頬を包み込み、
その額に、そっと唇を落とす。
「もし、結婚して、産んでもいいって思えたら――
俺の子を産んでほしい」
「ええ、もちろん。
何人だって産んであげる」
その返事に、彼は思わず吹き出した。
涙と笑いが同時にこぼれる。
「母さんみたいにはさせないつもりだけどね」
「ふふっ……期待してるわ」
二人の間に、小さな笑いが広がった。
緊張が解け、代わりに柔らかな温度が戻る。
ミスティアスはそっと彼女を抱きしめた。
その背に、青と黒の魔力がゆっくりと溶け合う。
黒は夜のように深く、青は朝のように澄んで――
混ざり合った光が、春のぬるい空気に揺れた。
窓の外では、東の空が少しずつ白んでいく。
夜明けの風がカーテンを揺らし、遠くの鐘がひとつ、静かに鳴った。
“約束の初夏”が、もうそこまで来ていた。
それは、少年が大人になる季節であり――
ひとりの青年が、愛という名の未来を選ぶ季節だった。
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