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第十三章 初夏を待つ約束
Rings of a Single Day
しおりを挟むsideセレスティア
王城のセレスの私室には、色とりどりの布とリボンが広がっていた。
王妃と兄たちが次々に贈ってくれた服。
どれも上質すぎて、選ぶのが逆に難しい。
「……多すぎて、却って選べないってやつね」
「どれ着ても似合うと思うけどな」
ミスティアスが椅子の背にもたれながら腕を組んで服の山を見ている。
彼の服は黒のシャツにグレーのコート。
普段のままなのに、どこか整って見える。
「うちの母さんが見たら、喜びそうだな。
“可愛い服は正義”って、よく言ってた」
「ふふ……それ、ユリカさんらしいですね」
セレスは小さく笑って、淡い桜色のワンピースを手に取った。
胸元に小さなフリル。袖口に白いレース。
鏡の前に立つと、少しだけ頬が熱くなった。
「……どう?」
「……姉さんみたいだ」
「え?」
「リシェリア姉さんに、ちょっと似てる。
あの人も春にこんな色着てた」
セレスは頬を赤らめ、視線をそらす。
「……そう言われると、少し恥ずかしいですね」
「でも、似合ってる。
可愛いって、こういうこと言うんだと思う」
ミスティアスの声は不器用で、それでも誤魔化しのない温度があった。
セレスは返事の代わりに、髪をひとつにまとめるリボンを整えた。
「じゃあ……これで」
「うん」
出発の支度を終え、ナーバ邸の傍を通りぬけるとき、玄関でユリカが手を振ってくれた。
「いってらっしゃい、ふたりとも」
「はい、節度を守って行ってきます!」
「だからその返しやめて!」
ミスティアスが額を押さえる。
ユリカは声を立てて笑った。
石畳の道を並んで歩く。
春の風が街路樹の若葉を揺らし、花びらが光の粒になって舞っていた。
「こうして歩くの、久しぶりだな」
「一緒に歩くのは初めてです」
「……そうだっけ」
「今までは、並んで“戦って”ましたから」
セレスの言葉に、ミスティアスは少し笑って頷いた。
「確かに。――今日は、戦わない日だな」
王立庭園が見えてくる。
門の向こうには、花の海のような光景。
白、黄、ピンク、そして淡い青。
春そのものが、そこに広がっていた。
セレスがそっと息をのむ。
「……きれい」
「うん。――今日は、君に似てる」
「……もう、そういうこと言えたのね」
「練習中」
ミスティアスは照れ隠しに咳払いし、セレスはその横顔に笑いをこぼした。
青空の下、二人の影が寄り添いながら石畳に落ちる。
冬の沈黙を越えて、ようやく“恋人の季節”が始まろうとしていた。
sideミスティアス
王立庭園の奥。
整えられた花壇を抜けると、芝生の先に小さなれんげ畑が広がっていた。
春の陽に透ける淡い紫と緑。
風が吹くたびに花が波のように揺れ、その間を、蝶が気まぐれに舞っていく。
「……ここ、いいですね」
「観光用じゃないから、人も少ない」
ミスティアスが靴を脱いで、芝にしゃがみ込む。
その姿を見て、セレスも裾を気にしながら腰を下ろした。
「ほら、れんげ。冠つくったことある?」
「いえ、初めてですけど、手芸は好きなので、作り方は知っています」
「へえ、意外と器用そう」
「あなたよりはきっと」
「……言ったな?」
ミスティアスが苦笑して、れんげを数本摘む。
器用な指先で茎をねじり、輪を編んでいく。
セレスも負けじと花を拾い、指先を動かした。
静かな時間。
鳥の声と、遠くの鐘の音だけが聞こえる。
「……できた」
セレスが作ったのは、小さな花冠。
不器用な結び目の跡が、どこか可愛らしい。
「上出来」
ミスティアスは受け取って、それを彼女の髪にそっとのせた。
「――ほら。春の女王」
「……からかわないで」
「からかってないよ。本気」
セレスは照れ隠しに、もう一輪摘んで指先で茎を丸める。
「じゃあ、これはあなたの分」
「俺の?」
「指輪。ほら」
差し出されたのは、れんげの小さな輪。
ほんの少し歪んでいて、でも丁寧に作られていた。
「……もしかして、プロポーズ?」
「もう済んでいます」
「そうだった。
まあ、薬指の仮予約ってことで」
そう言って、ミスティアスは笑いながらその花輪を指にはめた。
春の風が二人の髪を揺らす。
れんげの香りがほんのりと混ざって、陽だまりのぬるさの中に溶けていく。
「……似合ってます」
「うん。でも花だから、すぐ枯れるな」
「一日だけの指輪、ですね」
「そうだな。
じゃあ――今日だけの約束」
セレスは静かに目を細めた。
「今日だけでも、十分です」
そう言って、そっとれんげを撫でる。
その笑顔に、ミスティアスは小さく息を呑んだ。
(……いつか、本物の指輪を渡したい)
彼の胸の奥で、
そんな言葉にならない決意が芽生えていた。
sideミスティアス
午後の日差しが傾きかけたころ、
二人は庭園を出て王都の通りを歩いていた。
石畳が淡く光り、
花屋や雑貨店のショーウィンドウには、
春色の飾りが並んでいる。
セレスの頬は、まだ少しだけ桜色だった。
れんげの花冠は取ってしまったけれど、
彼女の髪の先に、花びらが一枚だけ残っていた。
「セレス、ここ」
ミスティアスが立ち止まったのは、
王都の外れにある小さな工房だった。
高価な宝石店ではなく、
鉄と木の香りがする、手作りの指輪屋。
「……こんなところに、指輪を?」
「うん。父さんと母さんが昔、お揃いのマグカップを買った店の並びなんだ」
セレスは微笑み、頷いた。
扉を開けると、カランと小さな鈴の音が鳴る。
棚には、金や銀よりも
素朴なステンレスや木のリングが整然と並んでいた。
「見て。こっちの方が、好きかも」
セレスが指さしたのは、細いステンレスの指輪に、小さなアメジストがひと粒だけ埋め込まれたものだった。
紫でもなく、青でもない――
まるで彼女の魔力の色そのもののような光。
「……綺麗だな」
「派手じゃないけど、ちゃんと光りますね」
「高くないけど、ちゃんと“強い”感じがする」
ミスティアスが指輪を光にかざす。
金属の冷たさの向こうに、春の陽光が透けているようだった。
「これ、俺が買う」
「でも……」
「家のお金じゃなくて、自分のお金で。
ちゃんと“自分の手で”君に贈りたい」
その言葉に、セレスのまつげがわずかに震えた。
「……じゃあ、これは“内定指輪”ですね」
「仮契約から、少し昇格したな」
彼は笑いながら、店員に声をかけた。
「これ、もうひとつ。――同じものを」
「同じもの?」
セレスが驚いて顔を上げる。
「ペアにしよう。結婚指輪にするなら、どっちも必要だろ?」
「……そんなつもりで?」
「最初からそのつもりだった」
ミスティアスの目がまっすぐに光る。
その言葉の潔さに、セレスは小さく息を呑んだ。
彼は左手の薬指に指輪をはめ、もうひとつをセレスの指にそっと通す。
カチリ、とふたつの音。
光がふたりの間で重なって、ステンレスの銀が淡く紫にきらめいた。
「……これでおそろい」
「うん……すごく嬉しい」
風が吹いて、れんげの香りが微かに漂う。
ミスティアスは小さく笑い、指輪に触れた。
「じゃあ、正式契約だな」
「そんな言い方……でも、嫌いじゃない」
アメジストの輝きが、ふたりの指のあいだで淡く瞬いた。
店員が刻印の説明を終えると、ミスティアスは少し迷ってから言った。
「――イニシャルだけ、入れようか」
「イニシャル?」
「MとC。
誰にも意味がわからなくても、俺たちにはわかる」
セレスは小さく笑ってうなずく。
「いいね。
何よりも、静かで、確かな約束です」
ミスティアスが頷いて、店員に告げた。
「M & C。内側に、お願いします」
カン、カン、と金属の音が響く。
刻まれていく音が、まるで心臓の鼓動と重なって聞こえた。
できあがった刻印を指輪を翳して確認する。
その、MとCのただの文字の並びが、愛しかった。
指輪はそのまま二人の約束の指へと収まった。
店を出て、並んで歩き出す。
夕方の風がれんげ畑の香りを運んできて、金属と春の匂いがひとつに混ざった。
夕暮れの道を歩く。
並んだ二つの影が、長く伸びて時々重なる。
影の方も仲良しだ。
セレスのストロベリーブロンドの髪が、夕日に照らされて黄金色に輝いている。
知っているのに知らない人のように見えて、胸がどきりとした。
「……ゆめ、みたいだった」
「え?」
ぽつりと呟かれた言葉が、妙に自信なく響く。
どこか憂いを帯びた表情に、不安が胸をよぎった。
「スカートを穿いて、大好きな人と並んでデートして、指輪まで買ってもらって。
……私、罰があたるんじゃないかしら……。
――こんなに幸せで、ちょっと怖い」
「――……」
その感覚は、彼にもわからなくはなかった。
幸せを感じれば感じるほど、失うのが怖い。
こんな日が、続けばいいのにと思うけれど、それは永遠でないことを、もう知っている。
少しの胸の痛みと共に、母を抱きしめていた父の笑顔が胸に浮かんだ。
それを当たり前だと思っていた。
――もう、二度と戻らない。
「そう、だな。
俺も、幸せで怖い」
隣で歩くセレスの右手を捕まえて、ぎゅっと指を絡めた。
セレスの手は、少しだけ指先が冷たかった。
「だからこそ、毎日を大切に、幸せを抱きしめていくのが大事なんだ。
永遠に続かないからこそ、幸せの粒をたくさん集めて、いっぱい抱きしめる。
母さんを見ていると思うんだ。
あんなに泣いていたのに、今はちゃんと笑ってる。
それは、幸せを一粒ずつずっと抱いていたからなんじゃないかって」
「うん」
「だから、俺たちも。
たくさん幸せみつけて、幸せを抱いて歩いていこう。
いつか消えて行ってしまっても、全部は無くならないように」
歩みを止めて、ぎゅっと左手の握る力を強める。
セレスも合わせて立ち止まり、こちらを見ていた。
「それでも不安になったら、怖くなったら毎朝抱きしめる。
目が覚めたとき、ゆめじゃない証に口づけて誓うよ。
俺は君が好きだ。
ずっと一緒にいてくれ」
ふわりと、花が咲くようにセレスが微笑む。
「私も、あなたが好き。
人は、一人の朝が不安だから。
だから、結婚するのかもしれないね」
少しだけ手を引いて彼女を引き寄せる。
腰をかがめると、合わせるように彼女がつま先立ちになる。
人通りの少ない、夕方の街路樹の影で。
彼は、そっと彼女にキスをした。
幸せは静かで、少し怖い。
でも――怖いほどに、いま確かに“生きている”。
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