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第十三章 初夏を待つ約束
The Morning of Lovers
しおりを挟むsideセレスティア
目を覚ますと、もう光が差していた。
カーテンの隙間から射し込む朝日が、ベッドの白いシーツに小さな波紋を作っている。
昨夜のぬるい空気がまだ残っていて、部屋全体がやわらかく息をしているようだった。
(……夢じゃなかったんだ)
セレスは頬に残る温度を指でなぞりながら、小さく息を吐いた。
奥の方から、カチャリ、と金属の音が聞こえる。
香ばしい匂い。
卵とハーブ、焼き立てのパンの匂い。
「起きた?」
ドアの向こうから、ミスティアスの声がした。
彼はいつもの黒いシャツにエプロン姿で、片手に木のスプーンを持っている。
「……あなた、本当に料理が趣味なんですね」
「母さんの台所で鍛えられたから味には自信がある。
あと、実は魔力制御と魔力を小出しで使う練習でもあったりする」
軽く笑いながら、ミスティアスは皿を並べていく。
半熟のスクランブルエッグ、
彩りの良いサラダ、ハーブ入りのスープ。
パンの横には、さりげなくベリージャム。
どれも素朴なのに、並んでいるだけで温かかった。
「……お店みたい」
「ナーバ家の“床派”レストランへようこそ」
「床派……」
セレスが思わず笑ってしまうと、ミスティアスは安心したように肩をすくめた。
「ちゃんと椅子もあるけど、こうして座って食べるほうが、距離が近い気がしてさ」
ローテーブルの向こうで、ふたりの皿がほとんど触れ合うくらいに並ぶ。
ミスティアスはスプーンを渡しながら、セレスの前髪をそっと撫でた。
「食べて。冷める前に」
「……うん」
最初の一口を口にした瞬間、ふわりとハーブの香りが広がった。
穏やかで、優しい味。
「美味しい」
「よかった」
短いやりとり。
でも、その中に昨夜よりも強い“日常のぬくもり”があった。
窓の外では、すずめの声と春風が混ざり合う。
観葉植物の影がテーブルに落ちて、揺れるたびに光がきらめいた。
「……ねえ、ミス」
「ん?」
「こういう朝が、ずっと続けばいいね」
「続くよ」
ミスティアスは笑って、もう一枚パンを焼きながら言った。
「だって、俺が料理して、君が食べて、それで世界が少しでも穏やかになるなら――
それがいちばんの魔法だろ」
セレスはその言葉に小さく笑って、スープをひと口すくった。
黒と白の部屋に、春の光が満ちていく。
それは特別な日でも、特別な魔法でもなく、“恋人たちの朝”という、かけがえのない奇跡だった。
sideミスティアス
朝食を片づけ終えるころには、ナーバ邸の窓辺に柔らかな陽光が満ちていた。
観葉植物の葉が光を弾き、ゆらゆらと床に影を落としている。
食器を拭き終えたところで、ドアの外からノックの音。
「ミス? セレスちゃんもいるのね?」
母の声。
ユリカがひょいと顔をのぞかせた。
春らしい白のワンピース姿で、手には薄いストールを抱えている。
「……おはようございます、ユリカさん」
「おはよう。ふふ、なんだか雰囲気が違うわね」
「そ、そうですか?」
「いい顔してる。――でも、くれぐれも節度を保ちなさいよ?」
唐突に放たれたその言葉に、セレスが一瞬で真っ赤になった。
ミスティアスは思わず咳払いする。
「母さん、それ本人の前で言う?」
「だって、あなたたち……ねえ?」
「……信用して」
「信用してるわよ。ただ、“万が一”のときは早めに相談してね?」
完全に動揺したセレスが、「ご、ご心配なく!」と慌てて頭を下げる。
その姿にユリカはおかしそうに微笑んだ。
「まったく……母親って損な役ね」
「得もしてると思うけどね」
「それは否定しないわ」
軽いやり取りを残してユリカが去ると、部屋に春風のような静けさが戻ってきた。
「……うちの母、あれで本気で心配してるんだ」
「うん。優しいお母さんだと思う」
「まあ、怒ると雷より怖いけどな」
「想像できます」
セレスは少し笑って、その視線を彼に向けた。
「ねえ、ミス。……今日は外に出ない?」
「外?」
「うん。陽気もいいし、ずっと家の中ばかりじゃ退屈でしょう?」
ミスティアスは少し考えてから頷いた。
「いいかもな。……ご希望は?」
「あなたとなら、どこでも」
その答えに苦笑しながらも、心臓が小さく跳ねた。
「じゃあ、王立庭園。
春の花が今ちょうど見頃らしい。
昔俺の父さんと母さんも出かけたとかで……。
まぁ、その……デート、だな」
「デート……」
セレスはその言葉を小さく繰り返して、頬を少しだけ赤らめた。
「せっかくだから、服も変えようか」
「……服?」
彼女の反応にミスティアスは肩をすくめた。
「せっかくの“デート”だし。
どうせ兄上たちや陛下から、服がたくさん届いてるんだろ?」
「ええ……お父様もお兄様方も、びっくりするくらいに。
どう考えてもひとりで着きれない量」
「だったら、選ぶ手伝いしてもいい?」
「……え?」
少し驚いた表情のあと、セレスの唇がふわりと笑みにゆるむ。
「ふふ、じゃあお願いしようかな」
ミスティアスは立ち上がり、黒と白の部屋の窓を開け放った。
春の風が吹き込み、ふたりの髪をやわらかく揺らす。
「――デート日和だ」
「ええ、本当に」
陽射しが、ベッドの白いシーツとローテーブルの上の観葉植物を照らしていた。
季節はもう、冬を完全に抜けている。
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