雨はやさしく嘘をつく 第二部

黒崎優依音

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第十三章 初夏を待つ約束

Words Without Excuse

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※本日より、クリスマスイブ完結に向けて毎日更新していきます。
 クリスマスイブには残り最終章すべてを更新予定です。
 どうぞ最後までお付き合いいただけたら幸いです。




sideミスティアス



風の中に、まだ冬の匂いが残っていた。

けれど陽だまりだけは、ほんの少し春の手前。

“名前のない家”の庭では、子どもたちが吐く息が光の中で揺れていた。



ミスティアスは、湯気の立つ紅茶を手に、少しぼんやりと窓の外を眺めていた。

陽光が雪解けの水面を照らし、かすかに煌めいている。



「……まぁ、こんだけ子どもがいたら、

 一人増えようが二人増えようが変わらないかもしれないけどさ……」



少し離れたリビングの片隅では、おままごととブロック遊びとお絵描きがそれぞれのスペースで同時に展開されていた。

一人一人が真剣に遊んでいる。



テーブルの向かいで、ユリカが満面の笑みを浮かべていた。

「なによその言い方。嬉しくないの?」



「いや、嬉しくないわけじゃないけど……ファリス、まだ生後3か月だよな?」

ミスティアスは頭をかく。

「母さんたち若くないんだからさ、秋にこの子が生まれたら、そろそろ落ち着こうよ……」



その言葉に、隣のルアルクが真っ赤になって俯いた。

「……す、すみません」



「そこでルアルクさんが謝るの、なんかリアルで気まずいんですけど……」

「いや……反省は、してる」

「反省って言い方おかしいだろ!?」



ユリカが、わざとらしく肩をすくめて微笑んだ。

「いいじゃない。幸せなんだから」



その瞬間、場がしんと静まり、ミスティアスがため息をつく。

「……夫婦の力関係、完全に見えたわ……」



リリが紅茶を吹き出す勢いで笑った。

「出た、ナーバ家遺伝の毒舌!」

リシェリアも顔を押さえて肩を震わせる。

「お父様がんばって……」

「……うん、頑張るよ」



「いや、頑張った結果がこれなので、頑張らなくていいんですよ」



再び、静寂。

そして次の瞬間、ユリカが吹き出した。

「ちょっと! 言うようになったじゃない!」

リリが机を叩いて大笑いする。

「完全にユリカ似ね!」

ルアルクは赤くなったまま苦笑した。

「……ごめん、否定できない」



笑いの渦のなか、セレスが静かに微笑んだ。

「ほんと、君の家、おもしろいね」



その言葉に、ミスティアスが照れくさそうに頬をかく。

「まあ、静かな時間の方が珍しい家だからな」



その言葉にユリカが微笑んで、紅茶のカップを差し出す。

「いいのよ。それでこそ“名前のない家”だわ」



窓の外では、雪解けの水が雫になって落ちていた。

風はまだ少し冷たいけれど、

光の中に、春の気配が確かにあった。









「……やっぱり、あなたの部屋って落ち着く」



扉を閉めた瞬間、外のざわめきが遠ざかった。

ナーバ邸の中でも最も静かな部屋。

壁も床も灰と黒のモノトーンで統一されていて、

机と椅子、それにベッドと低いローテーブル。

装飾らしいものは何ひとつない。



ただ、観葉植物だけが窓辺で小さく揺れている。

前に見たときよりも、少し背が伸びていた。



ミスティアスは何も言わず、靴を脱いでラグの上に腰を下ろす。

その仕草も、あの頃と変わらない。



「ユリカさん、また言ってましたね」

セレスが笑いながら口にする。

「“くれぐれも節度を保ちなさいよ? それでも万が一のときは早めに相談してね”」



「聞こえてたのかよ」

ミスティアスは頭を抱えて苦笑した。

「もう、完全に信頼と監視の間くらいだな」



「信頼、だと思いますよ。

 ……あなたは、家族にとって“心配したくなる”タイプだから」

「それ、慰めてるのか?」

「もちろん」



セレスはベッドに視線を向けた。

白いシーツの上には、黒いクッションがひとつだけ投げ出されている。

それを見て、少しだけ首をかしげた。



「……あれ、使うの?」

「うん」

ミスティアスは立ち上がって、そのクッションを片手で持ち上げると、

ラグの上にぽん、と放り投げた。

「俺、床派なんだ。集中するときも、だらけるときもここ」



「ベッドは?」

「寝るときだけ。

 あそこに座ると、なんか落ち着かなくて」



セレスはふっと笑って、彼の隣に腰を下ろす。

ラグの冷たさとクッションの柔らかさ。

そして、距離の近さ。

以前なら緊張したであろう空気が、今はなぜか穏やかだった。



ミスティアスは紅茶のカップを手渡す。

「母さんが淹れてくれたやつ。

 ……さっき、わざわざポットごと持たせてきた」

「“節度を保て”の次がこれ、ですか」

「な。どういう順番だよって思うけど……まぁ、ありがたい」



二人で笑い合うと、部屋の空気がやわらかくなる。

以前は硬質だった静けさが、今は“落ち着くための沈黙”に変わっている。



カップを置いて、ミスティアスは少しだけ真面目な顔になった。

「……なんか、不思議だな」

「何が?」

「この部屋、前は“考える場所”だったんだ。

 でも今は、君がいると、考えないでいられる」



セレスはゆっくりと息を吸い、微笑んだ。

「それは……いいこと?」

「たぶん、いいこと」

「たぶん?」

「“確実に”って言うの、恥ずかしいから」



「素直じゃないですね」

「父さん譲りだよ」

「でも、照れてる顔はお母さん似」



そう言われて、ミスティアスは完全に言葉を失った。

セレスがくすりと笑う。



「……ねえ」

「うん?」

「この部屋って、音が静かすぎて、自分の鼓動が聞こえるのね」

「そう?」

「ええ。今も、すこしうるさいくらい」



ミスティアスはカップを持つ手を止めて、そっと視線を向ける。

セレスの睫毛がランプの灯に透けて、影が頬に落ちていた。



(……ほんとに、鼓動がうるさいのは、こっちのほうだろ)



言葉にはしないまま、ミスティアスは小さく息を吐いた。

セレスが指先でローテーブルの木目をなぞる。

その指先が少しだけ近づいて、ミスティアスの手の甲に触れる。



一瞬、時間が止まったようだった。

魔力がかすかにふわりと混ざって、春のぬるい温度を作る。



「……ミスティアス」

「なに?」

「こうやって“呼ぶ”の、まだ慣れません」

「俺も。……でも、嬉しい」



その言葉に、セレスの口元がゆるむ。

少し間をおいて、彼女は頬杖をついた。

「ねえ、ミスティアス。

 あなたって、ちゃんと向き合おうとすると、少し不器用になるのね」

「自覚はある」

「でも、それが好き」



その一言に、ミスティアスは反射的に息をのむ。

火が灯ったような静かな赤が頬にさした。



「……そういうの、反則」

「じゃあ取り消す?」

「いや、取り消さないで」



笑い合いながら、ふたりはしばらく黙った。

ランプの灯が揺れて、白と黒の部屋に淡い橙が混ざる。

外では風が鳴り、観葉植物の葉が揺れた。



(――ああ、これが“恋人の時間”なんだな)



ただ並んで座っているだけ。

それなのに、こんなにも心が満たされる。



やがて、ミスティアスは少しだけ身体を傾けて、セレスの肩に頭を預けた。



「……重くない?」

「ううん。ちょうどいい」



静寂の中で、呼吸と鼓動の音だけが重なっていく。

ミスティアスは、肩に預けていた頭をそっと上げた。

視線が合った瞬間、空気がわずかに震える。

けれど、それは魔力の揺らぎではなかった。



「……セレス」

「はい」



呼吸の温度だけが混ざる距離で、彼はゆっくり手を伸ばした。

頬に触れた指先が、静かに震えている。

魔法陣も、契約の印も、何も介さない。

ただ“触れたい”と思ったから触れる――それだけの理由。



唇が触れた。

光も、音も、魔力さえも沈黙した。

世界がすべて、ひとつの息に集まるようだった。



唇が離れたあとも、額は触れたままだった。

互いの呼吸が小さく震え、春の夜の空気に溶けていく。

外では雪解けの雫がときどき落ち、遠くで小さく蛙の声がした。



「……魔力、動かなかったな」

「動かさなかったんです」

「どうして?」

「これは、“言い訳のいらないキス”だから」



セレスの答えに、ミスティアスは息を詰めて笑う。

「……ずるいな」

「知ってます」





ふたりの影が重なったその瞬間、部屋の空気の底から、光がゆるやかに立ちのぼった。



最初に滲んだのは、ミスティアスの黒。

夜そのもののような、静かで深い黒。

それが彼の肩からふわりと流れ出し、ラグの上を這うように広がっていく。



続いて、セレスの胸元から青が滲む。

氷が溶けるような淡い青。

それが呼吸に合わせて赤へとほどけ、彼女の体温と心の色をそのまま映していた。



青と赤と黒――

三つの光が触れ合った瞬間、部屋の中に春のぬるい風が流れ込む。

窓の外では雪解け水が滴り、夜の空気がまるで息づくようにやわらかくなる。



「……綺麗」

セレスが囁く。

「これが、あなたなんですね」

「うん。怖がられる色だったけど……今は、君に見せたい」

「見せてくれて、ありがとう。

 ――夜の中の安心の色です」



彼女の手が黒い光を包み込む。

その掌に青と赤が混ざり、ゆっくり紫へと変わる。

まるで夜明けが生まれる瞬間の空のように。



「……ごめん。やっぱり、少し溢れそうだ」

「なら、私にください。ちゃんと受け取りますから」



「……助けて、セレス」



その言葉とともに、光が静かに流れ出した。

黒と青と赤が混ざり合い、春の風のような温度でひとつになる。



冷たくも熱くもない――ただぬるい。

けれど、そのぬるさがたまらなく心地いい。

生きている証の温度だった。



魔力が落ち着いたあと、セレスの髪の端に黒の粒が一つ残る。

ミスティアスがそれを指で撫でて笑った。



「……俺たちらしいな。言い訳のいらないキスのあとで、結局これだ」

「ええ。でも、“生きてる”ってことです」

「……ほんと、敵わないな」



春の夜風がカーテンを揺らし、観葉植物の葉がそっと触れ合う。

黒と青と赤の余韻が部屋に残り、モノトーンの世界にわずかな彩りを落としていく。



それは、長い冬を越えたあとに訪れる――

春のぬるさそのものだった。



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