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想いの気付き
しおりを挟むシズルに到着して二ヶ月。
初めての積雪に興奮したアンジェリカは、エメットを伴い散歩に出てみることにした。
「エメット…思っていたより寒いわ」
たっぷり毛糸を使った手袋をはめているのに、僅かな隙間から入り込む空気に手が悴んでしまい、寒さに震えて隣のエメットを見上げる。
「お嬢様、失礼致します」
なにを?と聞く暇もなく右手の手袋を取られ、大きな手に包まれるとエメットが着る外套のポケットへと吸い込まれた。
家族以外に手を握られたのは初めてのこと。
しかし驚くより先に感じたのは温もりと安心感。
「………温かいわ…」
「体温を分け与えるのが一番効率的ですから」
「エメットは物知りね」
ふたりは自然な会話を交わすが、実のところどちらも激しい鼓動と羞恥に襲われていた。
アンジェリカは言わずもがな深窓の令嬢であり、男女関係について一切の知識はない。
婚約者でもない異性と手を繋ぐなど許されず、それだけでも既成事実の範疇レベル。
チラリとエメットを仰ぎ見れば目が合い、慌てて俯き赤らむ頬を隠した。
「っ、メリルも来たら良かったのに…」
「私はお嬢様とふたりで役得ですがね」
護衛を務めるエメットを伴うならふたりきりでも大丈夫ではないかとメリルに言われ、それもそうかと納得した。
しかし今の状況にドギマギしてしまい、屋敷でひとり暖炉に暖まっているであろうメリルを求めてしまう。
そんなアンジェリカの内心など露知らず、エメットもまた穏やかではない心境に陥っていた。
『………温かいわ…』
思い切って繋いだ手をポケットに入れたものの、貞操観念の強いアンジェリカのことだから拒絶されると思った。
しかし予想に反してアッサリと受け入れられ、あまつさえキュッと握られている。
今にも昇天しそうな気分だ。
ちなみにエメットは未だ女性を知らない。
渡された教本を読み漁ったから知識はあり、アンジェリカを想いひとり慰めることもしているが、心に決めた相手以外と繋がるつもりはなかった。
アンジェリカと結ばれないなら、一生知ることなどなくていい…そう覚悟している。
「エメットは………いつまでわたくしの騎士でいてくれるの?」
覇気のない言葉に、つい意地悪をしたくなった。
「私が居ないと寂しいですか?」
途端にアンジェリカが足を止める。
俯く様子に胸騒ぎがしてやり過ぎたと思い、ポケットから手を出そうにも強く握られた。
「寂しいわ。だってずっと一緒にいたんだもの」
ゆっくりと上げられた顔は悲壮に歪み、大きな瞳にはじわりと涙が滲んでいる。
「お嬢様……」
「エメットが居ない日々なんて考えられないわ」
言葉と共に吐き出される息は白く、寒さのせいか赤らんでいる頬に手袋をはめた方の手で触れた。
アンジェリカは抵抗ひとつみせず、エメットの鼓動は今にも爆発寸前に高鳴っていく。
「でもいつかは……いつかはエメットも結婚をするのでしょう…?」
自分で発したその言葉に傷付いた顔を見せた。
だから期待してしまう。
もしかして願いが叶うのではないかと。
「……私が他の誰かと結ばれることを、お嬢様は望んでおられますか?」
アンジェリカはキュッと口を結び、小さく左右にふるふると首を振った。
「………わたくしは…最低な女なの……」
突拍子もないセリフにエメットは動揺する。
“淑女の鑑”と謳われるアンジェリカの、どこが最低なのかと本気で分からない。
「お嬢様に最低なところなど何ひとつ、」
「公爵令嬢として…求められる所作や礼儀は身につけたつもりよ」
「えぇ。多くの人がお手本とし、素晴らしいと称賛されております」
「ダンスも難なく踊れるようになった」
「お嬢様のお相手を務められたのは光栄でした」
実践に向けた練習の相手を務めたのはエメット。
仮初の相手としてでも幸せな時間だったと、当時を懐かしんで頬が緩んだ。
「綺麗なカーテシーだと褒めてくれたわ」
「始めの頃はふらついておられましたよね。小さな体で懸命に姿勢を保つ姿は、今も目に焼き付いて忘れられません」
「食事の所作が上品だと言ってくれた」
「何を召し上がろうと幸せに頬を緩ませ、料理人へ感謝を述べる貴女は淑女のお手本でした」
話しながら、アンジェリカは自分の心にいつの間にか芽生えていた想いを自覚する。
「………貴方が居たからよ…」
「……え?」
「貴方がいつも傍に居て、褒めてくれたから頑張れたの…貴方に褒められたくて頑張ったの…」
呆然と言葉を失うエメットにアンジェリカは苦笑し、「だから最低なのよ…」と続けた。
「あの人をを責められないわ…婚約者の為に努力を重ねていたつもりでいたのに…その根底にはいつも違う人が居たのだから」
思えば自然なことだった。
元婚約者との将来に胸が高鳴らないのも、触れられると嫌悪感が走ったことも。
エメットが誰かと結ばれることを想像して、胸に痛みを感じたことも…すべて腑に落ちる。
「エメット…………わたくしは貴方が好きよ」
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