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season1
最後の祈り
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「バルティス様」
名前を呼ばれてゆっくり目を開けると、ジェイマンが心配そうな顔で覗きこんでいる。
「……老けたなぁ…ジェイマン…」
「ぼっちゃまが生まれる前からお仕えしておりますからね。年もとります」
「……そうだな…」
「すりつぶした果物をお持ちしました」
ジェイマンの助けを借りて体を起こすと、痩せ細った腕が視界に入り溜め息が出た。
もう自分で歩くほどの体力もない。
ゆっくりと、死に向かっているのが分かる。
「本日の果物は栄養価が非常に高いそうです」
「……元気だったか?」
「えぇ、大きな声で客引きをなさっておいででしたよ。私もすっかり馴染みのお爺ちゃんです」
ナディアと離縁してから一年。
失意のなか爵位を譲る引き継ぎに追われて無理がたたったのか、気付いたら体が栄養を吸収しなくなっていて日に日に体力が落ちていく。
食事も喉を通らないことが増え、今はすりつぶした果物くらいしか受け付けない。
「人気店のようです」
「ナディアは可愛いからな」
慰謝料で渡したお金を元に商売を始めたナディアは、様々な土地でとれる野菜や果物を販売しているらしく、ナディア自ら加工した商品も人気で繁盛しているそうだ。
食堂で働いていたナディアは料理を得意としていて、結婚前からお菓子やお弁当などをよく作ってくれていたことを思い出す。
騎士団の詰め所にも、よく差し入れを持ってきてくれていた。
トレーシア達がやってきてからも続けてくれて、むしろ回数は増えていたように思うけれど…きっと不安や寂しさからだったのだろう。
ふたりで過ごす時間が、それくらいしかなかったということだ。
それなのに、僕はナディアのそんな気持ちに気付くことなく無邪気に喜んでいた。
「……ナディアの店…見てみたかった…」
「元気になられたら参りましょう。ぼっちゃまがお好きなお菓子やサンドイッチなんかも数多くありましたよ」
「そうか…それは楽しみだな……」
「不思議ですよね…記憶がないというのに、作られているものはどれもぼっちゃま好みのものばかりです。味付けも、使う素材は違うはずなのに当家を思わせるものですし」
ナディアはよく厨房で料理人達を手伝っていたから、その時の感覚が残っているのかもしれない。
記憶はなくとも、体が覚えているということなのだろう。
「内装もナディア様らしくて、ぼっちゃまも気に入ると思います。必ず行きましょう」
「……あぁ…」
その時は来ないということは、僕自身がよく分かっている。
それでも、献身的に看病してくれるジェイマンには笑みを返すしかない。
「そうだな…いつか……」
減る一方の食欲も、ナディアが作ったものだけは食が進み、けれどそれだけでは生命を維持出来るはずもなく体は衰えていくばかり。
「ご馳走さま…少し休む……」
「あとで温かいタオルをお持ち致しますね」
「ありがとう」
ゆっくりと横になり目を瞑ると、あっという間に夢の中に落ちていってしまう。
最近は寝てばかりいるように思うが、夢の中ではナディアとの幸せな日々を送れるのでむしろ目覚めたくないとさえ思っている。
指まで痩せ細ってしまったせいで、離縁しても外さずにいた結婚指輪が抜けてしまうようになったため、首に下げている鎖に通した。
寝起きするたび、揺れるふたつの指輪がチャリンと小さな音をたてる。
それは心を締め付け寂しくもあるけれど、確かに幸せだった頃もあった証。
ナディアの中からは消えてしまっても、僕の中から消えることはない愛の証。
「……ナディア…」
長かった髪を出会った頃のように短くしているのだと聞いて、それは是非見に行きたいと思ったけれど、もう君に会う権利はないし体力もなくなってしまった。
お店の内装や制服がスカイブルーで統一されていて…所々に金糸で刺繍も施されている店を、本当は見に行きたい。
単なる偶然だと思うけれど、君のなかに僕が少しでも残っていたのかな…なんて浮かれたんだ。
『わたしの好きな色はバルト様のスカイブルー』
今も変わらず好きなのだろうか。
君はいつも、淡い水色で染められたハンカチに金糸で刺繍をしていた。
愚かな僕は君を傷付けてばかりだったけれど、君を愛する気持ちに嘘はなかった。
出会ってくれてありがとう。
結婚してくれてありがとう。
────コンコン
「バルティス様、入ります」
ナディア…
もし生まれ変わっても、また君に恋をしてもいいだろうか。
また君と、結ばれたいと思ってもいい?
今度は決して君を傷付けないと誓う。
だから……
「……おやすみなさいませ、ぼっちゃま。この老いぼれも間もなくそちらに向かいます。それまでのんびりしていてくださいね」
名前を呼ばれてゆっくり目を開けると、ジェイマンが心配そうな顔で覗きこんでいる。
「……老けたなぁ…ジェイマン…」
「ぼっちゃまが生まれる前からお仕えしておりますからね。年もとります」
「……そうだな…」
「すりつぶした果物をお持ちしました」
ジェイマンの助けを借りて体を起こすと、痩せ細った腕が視界に入り溜め息が出た。
もう自分で歩くほどの体力もない。
ゆっくりと、死に向かっているのが分かる。
「本日の果物は栄養価が非常に高いそうです」
「……元気だったか?」
「えぇ、大きな声で客引きをなさっておいででしたよ。私もすっかり馴染みのお爺ちゃんです」
ナディアと離縁してから一年。
失意のなか爵位を譲る引き継ぎに追われて無理がたたったのか、気付いたら体が栄養を吸収しなくなっていて日に日に体力が落ちていく。
食事も喉を通らないことが増え、今はすりつぶした果物くらいしか受け付けない。
「人気店のようです」
「ナディアは可愛いからな」
慰謝料で渡したお金を元に商売を始めたナディアは、様々な土地でとれる野菜や果物を販売しているらしく、ナディア自ら加工した商品も人気で繁盛しているそうだ。
食堂で働いていたナディアは料理を得意としていて、結婚前からお菓子やお弁当などをよく作ってくれていたことを思い出す。
騎士団の詰め所にも、よく差し入れを持ってきてくれていた。
トレーシア達がやってきてからも続けてくれて、むしろ回数は増えていたように思うけれど…きっと不安や寂しさからだったのだろう。
ふたりで過ごす時間が、それくらいしかなかったということだ。
それなのに、僕はナディアのそんな気持ちに気付くことなく無邪気に喜んでいた。
「……ナディアの店…見てみたかった…」
「元気になられたら参りましょう。ぼっちゃまがお好きなお菓子やサンドイッチなんかも数多くありましたよ」
「そうか…それは楽しみだな……」
「不思議ですよね…記憶がないというのに、作られているものはどれもぼっちゃま好みのものばかりです。味付けも、使う素材は違うはずなのに当家を思わせるものですし」
ナディアはよく厨房で料理人達を手伝っていたから、その時の感覚が残っているのかもしれない。
記憶はなくとも、体が覚えているということなのだろう。
「内装もナディア様らしくて、ぼっちゃまも気に入ると思います。必ず行きましょう」
「……あぁ…」
その時は来ないということは、僕自身がよく分かっている。
それでも、献身的に看病してくれるジェイマンには笑みを返すしかない。
「そうだな…いつか……」
減る一方の食欲も、ナディアが作ったものだけは食が進み、けれどそれだけでは生命を維持出来るはずもなく体は衰えていくばかり。
「ご馳走さま…少し休む……」
「あとで温かいタオルをお持ち致しますね」
「ありがとう」
ゆっくりと横になり目を瞑ると、あっという間に夢の中に落ちていってしまう。
最近は寝てばかりいるように思うが、夢の中ではナディアとの幸せな日々を送れるのでむしろ目覚めたくないとさえ思っている。
指まで痩せ細ってしまったせいで、離縁しても外さずにいた結婚指輪が抜けてしまうようになったため、首に下げている鎖に通した。
寝起きするたび、揺れるふたつの指輪がチャリンと小さな音をたてる。
それは心を締め付け寂しくもあるけれど、確かに幸せだった頃もあった証。
ナディアの中からは消えてしまっても、僕の中から消えることはない愛の証。
「……ナディア…」
長かった髪を出会った頃のように短くしているのだと聞いて、それは是非見に行きたいと思ったけれど、もう君に会う権利はないし体力もなくなってしまった。
お店の内装や制服がスカイブルーで統一されていて…所々に金糸で刺繍も施されている店を、本当は見に行きたい。
単なる偶然だと思うけれど、君のなかに僕が少しでも残っていたのかな…なんて浮かれたんだ。
『わたしの好きな色はバルト様のスカイブルー』
今も変わらず好きなのだろうか。
君はいつも、淡い水色で染められたハンカチに金糸で刺繍をしていた。
愚かな僕は君を傷付けてばかりだったけれど、君を愛する気持ちに嘘はなかった。
出会ってくれてありがとう。
結婚してくれてありがとう。
────コンコン
「バルティス様、入ります」
ナディア…
もし生まれ変わっても、また君に恋をしてもいいだろうか。
また君と、結ばれたいと思ってもいい?
今度は決して君を傷付けないと誓う。
だから……
「……おやすみなさいませ、ぼっちゃま。この老いぼれも間もなくそちらに向かいます。それまでのんびりしていてくださいね」
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