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第一部

35 離れに漂う破壊魔法2

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 静かな場所が好きだと言ったウィリアムは、心の奥がさざめくような眼差しで私を見つめてくる。

「……ひ、人を揶揄からかうのはいい加減に止めて」

 動揺を押し隠すようにして半眼で睨むと、気を悪くした風でもなく彼は楽しげににんまりとした。
 どうしたってのかしら。彼と私の間の擦りガラスが取り払われたみたいな、そんな感じを受けた。彼の側だけ最後の一枚まで心の壁がなくなったようにも思う。
 ま、まさかその気安さって……私気付かないうちに弱みを握られた、とか?
 だから何を言われようと余裕綽々~って?

「ね、ねえあの、熱で朦朧もうろうとしててほとんど記憶はないんだけど、私何か変なこと口走ってないわよね?」

 一瞬妙な間があったから何かやらかしたかとヒヤッとした。

「いや、特には何も。ただ……」
「ただ……?」

 やっぱり何か失言したの?
 ごくりと固唾を呑んでウィリアムの次の言葉を待つ。

「寝相が悪いのか、その寝間着が酷く乱れて淑女にあるまじき醜態を晒していたな」
「ぬあああッ!? 何それ何それ何それ!? あ、あなたまさかそれにムラッときて意識のない私をッ!?」

 すっかり忘れていたけど私はまだ着替えていなかった。そんな薄手の寝間着の胸元を掻き合わせるように抱き込んで非難の目でウィリアムを睨み付ければ、彼は鼻息にやれやれとの呆れを滲ませた。

「あのなあ、俺はそこまで女に不自由してない」

 あ、そう言われればそうよね。天下のモテ王子ウィリアム様なんだしね。

「ってそれ以前に私の着替えって誰がしてくれたの? え? あれ? 熱のせいで本当に覚えてないんですけど!?」
「言っとくが俺じゃない。ニコルが…」
「え!?」
「……やりたがっていたけど、俺の独断で彼女付きのメイドに強制的に命じて任せた」
「あ、そうなの……。よく引き受けてくれたわね」
「使用人の性だな」
「身も蓋もないわね」

 ニコルちゃんに任されていたら、きっと今頃はめくるめく姉妹百合の世界まっしぐらだったかもしれない。危なかったー。

「でもまあ、次に君のそんな美味しい場面に遭遇したら……覚悟しておくといい」
「な……!?」

 意味深ににやりとされて、なじりたいのに赤面してしまった私は強く言い返せなかった。
 体力が落ちていたせいで怒っただけで疲れたから、早々に矛を収めたのよ、うん。
 その後は、彼はただ単に私の様子を見にここに寄っただけだったみたいで、必要な話が終わると部屋を出て行った。さっき言っていた気になる場所を見に行ったんだと思う。
 結局はしっかり休めって念を押されて、これ以上拒むなら見張り役にニコルちゃんを呼ぶって言われたから渋々彼の言葉に従ったわ。だってエロゲー展開は避けたい、うん。
 不本意ながら、夕食は私だけ先に食べる流れになったけど、配膳までは時間があるからと寝間着から黒ドレスに着替えてまた日記を開いて過ごした。
 陽が完全に落ち空がすっかり夜の様相を呈した頃、食事が運ばれてきたわ。離れに食事を届けるよう言い付けられたのか、ろくに顔も知らないメイドが慇懃だけど交流を一切遮断するような無表情で入ってきて、さっさと置いていった。
 目も合わせず無駄な単語を一切発しなかったその態度が、悪女アイリスへの世間での好感度を示していると言っても過言じゃない。
 部屋に一人になった私はテーブルに置かれた夕食を眺め下ろし、内容だけは豪華なそれを味気ない気分で突っついた。

「はあ……。運ぶ間に冷めたんだろうけど、冷たい食事ほど不味い物はないわよね。離れに軟禁されてからこっち、ニコルちゃんにメイドをやらせるまでは、きっとこんな風な食生活だったんじゃないのかしらねアイリスって」

 数える程しか味わってないけど、ニコルちゃんお手製の食事は今思えばスープは温かかったしサンドイッチはちょっと不格好だったけど、人情の温かみがあった。
 ここ半年、ざまあされてからはこの屋敷でもこんなほっとかれたような状態で、これじゃあ改心するどころか偏屈で頑なになるわけよ。孤独は時に人の心を殺すもの。
 終いには自死とか、笑えない。
 まだ十六よねアイリスって。なのに誰も味方がいないって思ってて……。
 自業自得と言えばそうだけど、改めて考えたら何て酷な境遇だったんだろう。
 以前は居たっていう取り巻きは薄っぺらい太鼓持ちでしかなくて、旗色が悪くなって離れていったに違いない。ショックだっただろうって容易に想像できる。

 私はアイリス日記を指先でピンピンと弾いた。

「やんっ、ちょっと痛気持ちいい~」

 日記の戯れ言は完全無視。

「アイリス・ローゼンバーグは馬鹿者ねホント。ニコルちゃんはいい子なのに。きっとアイリスが素直に訴えてたら望み通りになるよう味方になってくれたのに」
「だよね~」

 日本もこっちも蓋を開けてみれば人間なんてどちらも大して変わらない。拗らせると厄介だ。この先の安泰を考えれば悪女のレッテルをベリベリ剥がしておきたい所だけど、中々に難しそうね。
 更には今回の件が世間に知られたら、それこそ実家まで闇に葬ろうとした極悪令嬢って言われちゃうわ。
 だけど、失恋一つで死を選ぶほどアイリス・ローゼンバーグは感情の揺れ幅の大きい人間だったのかもしれない。
 日記を読んだ限り、裏切りも同然に散々迷惑を掛けた長女アイリスを、ローゼンバーグ伯爵夫妻は苦々しく思っているみたい。アイリスの主観からの記述でしかないけど私もそうなんだと思うわ。だって全然会いに来ない。
 高熱を出したってのに心配して顔を見にさえ来なかった。
 腹を立てて距離を置いたのかも。
 今回の媚薬から自殺魔法の一連は、勿論ウィリアムの結婚も大きな要因ではあるだろうけど、発端はもっと根深くて、養父母に見放されて寄る辺のなくなった彼女が悲観して自暴自棄になったんだとしても何ら不思議じゃない。
 かと言ってねえ、実家さえ害する方法を取った彼女には腹が立つわ。
 これは勝手な嫉妬だけど、私はもう前世の家族には会いたくても会えないのよ。

 それに、アイリスは自分の血の秘密を本当に知らなかったの?

 単に日記に書いてないだけなんじゃないの?

 知られると本当に不味い事だったから。
 そんな疑問が湧いていた。

「ねえ、そもそもこの一連の魔法具や仕掛けを頼んだ魔法使いの素性はわかってるの? あの馴れ馴れしいメッセージからして絶対に癖のある奴だろうけど、日記にはそこの所も何も書いてないじゃない。あなた何か知らない? NPC権限で教えてよ」

 悪役令嬢にピッタリな地下組織的な交友関係があるのは想像に難くない。
 だけど如何せん本人の記憶情報も皆無な私には何もわからない。

「うーんそこはボクも詳しく知らないんだよね~。君の転生後と関係ないからだとは思うけど、おそらくは、どんな依頼でも善悪を吟味しないで引き受けるようなちょいワル魔法使いじゃない?」
「いやちょいワルって……大ワルよ。完全常軌を逸してるもの」

 このさき生き残ったら精々関わらないで生きていけるよう願うばかりだわ。一度頼んだからってお仲間とか常連さん扱いされても困るもの。

「でも一体幾ら支払ったのかしら。アイリスは仮にも伯爵令嬢だから、自分のために使える多額のお金があったとしても不思議じゃないわ」
「いやたぶん依頼の対価は金銭じゃないと思うよ。こんな仕掛けの数々を作れる魔法使いは有能だから、舞い込む依頼はきっと多いはずだもの~。内容の善し悪しはあれね。だからきっとお金には困ってない。もっと別のものを要求したんじゃないかな」
「お金以外のもの……?」

 それは何だかとても不穏な響きに聞こえた。
 澄んだ水にインクを落とすように、漠然とした不安が心に広がったけど、具体的には何が心を波立たせるのか明確には思い浮かばない。
 室内は決して寒くはないのにぶるりと身震いした私は、あとは無言で夕食の残りを平らげた。
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