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第三部
1,訪れ
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「お父様、本日の準備はなさいましたか?」
いくぶん快活で鈴のように涼やかな声のアリーシャが言った。
愛らしい瞳にも不安の色はなく、満腔に歓喜を感じているのを隠しきれていないようである。呼吸をすることが、ただ歩いていることが、要は生きているということがそれだけで完結して充分に満たされている。
初めてこの世界の「娘」として見た時の姿の大部分は遠い世界に行ってしまったかのように思える。
「ああ、まあなんとかなるだろう。はっはっは、それにしてもアリーシャもうずうずしていたんだな」
もちろん、一人の人間がそんなに単純な存在であろうはずがない。
この子が9歳にしてこの社会に存在する人間の好奇と悪意とがかき集めて作られた堅牢な土台の上に建てられた、どこへともやり場のない恐怖と絶望が支配する深淵の世界を否応なしに見てしまったのだ。ましてあろうことか周到に足を踏み入れさせられ、目も耳も穢され、心も容赦なく叩きつけられてしまったあの日の出来事は、ずっと私の心に寓してくすぶっている。
アリーシャの苦しみは私の比ではないだろうし、この子はうまく隠しているのだろうか、折り合いをつけることができるのだろうか、内心おびえていることはないのか、つまり、この子は人をどこまで信頼できるのだろうかと時折思う。
人間の醜悪さに満ちた世界に犯された人の心がそれよりも凄惨なものではないとは思わない。
闇よりもなお底なしの暗い世界に、この子が生み出す光はどこまで照らしうるものだろうか。
だが、今はそのことを思い出すのはよそう。
自分の顔が引きつっていないか、声色が変わってはいないか、腕や脚は定位置にあるか、普段の癖とは違う動きを何か読み取られてはいまいか、自分で話しながら表情を意識して作る。
もう、とでも言うかのように精巧な作りの顔をわずかにゆがませ、そのゆがみすら見る者に品のあるかわいらしさを抱かせるアリーシャとともにバラード学園に入っていく。
すでに私たちと同じように学園内に入って立ち話をしている人たちがいる。その遠くには人々を誘導しているカーティスの姿がうっすらと見える。一講師なのに力仕事ではなく、比較的スマートな仕事を担当しているのはカーティスの立場や身分がこの学園でどのようなものであるかが想像される。
私たち親子はやはり注目されているのか、歩みを進める毎に人々の目に留まる。目に留まるのは私たちばかりではない。そして目だけでもない。
春の陽気に包まれた穏やかな空気が今この時ばかりと存在感を示し、木々や花々を揺らしている。校庭に植えられた桜は風になびいて人々の目を、鼻を、頬を、心を楽しませている。名付けられることもない草たちも我も我もと背伸びをしている。
何かが始まる、不思議とそういう予兆がある。
日本には伝統的に四季があると言われるが、実は四季ではないという話を聞いたことがある。ただ、二季だろうが六季であろうが、時間は進んでいるのにまた同じように巡り巡って「まただ」という感覚を思い起こさせる。一方向への時間の流れと、螺旋のように回る時間の流れとが混線して意識を錯覚させる季節が今の時期である。
歌人の在原業平は「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」と歌ったが、住む世界まで異なってしまった私はどういう溜め息の歌を詠めるのだろう。
こうして見える学園の光景は田中哲朗時代の記憶とも重なっていく光景である。
それは娘の入学式である。
地球での娘の入学式への出席は妻ではなく、ほとんど私の担当だった。もっとも親子で並んで歩くことはなく、娘は同じ学校からやってきていた友達と先に入っていった。私の仕事の大部分は入学式の日に説明される事務手続きの確認や娘の荷物持ちだった。
ここはバラード学園である。
バラード王国は身分意識の根強い社会だというのに、学園が庶民に門戸を開放しているのは奇妙と言えば奇妙である。ヒロインが単なる庶民だったら学園に通えなかった可能性が大きいが、光の精霊との契約があるから圏内だということか。はたまた彼女が子爵家だからか。
ただ、庶民の枠を一定の数設けているのは学園創立当初からのようだ。その時の王は見識のある人だったと言われている。
それでも長い歴史の中でいびつな階級意識が学園内にも蔓延してやがて定着していった。今は過渡期ということになろうか。
ゲームの中で人々のそういう意識が改善されていくのか、それともヒロイン個人の幸せとしてはガチガチの階級意識があった方がよいのか、どちらだろう。
王権を支えるために、あるいはヒロインが身分や階級にこだわる人物であれば後者の可能性は高いが、フルール子爵家を見ている限りではそんな意識を持たせる教育をしているとは思えない。少なくとも同じ日本に住んでいた人間であれば、私とは年が離れているといってもこの世界の常識に居心地の悪さを感じる、いや感じてほしいところである。
いずれにせよ、このバラード学園に入学しながらヒロインは貴公子たちと交友を深めていく。もうすでにある程度の交友はあるように思えるが、同じ空間で過ごすという経験はまた彼ら彼女らを成長させる契機となるのだろう。
変化は授業という日常の中でも起こることだろうが、行事という一種の非日常の出来事の場合もある。
とはいえ、自分のことを振り返ってみると年を取ってから思い出すのは学校で自分が目立って主体的に何かをしていたことや仲の良かった友人と語り合った日々というよりは、気だるいかどうかもわからない眠気を誘う空気の中での何ら特徴的なこともない平凡な授業の板書に書かれたとりとめのない文字だったり、ほとんど話したことも興味もなかった冴えない同級生の顔だったり、帰り道に咲いている植え込みの草の隣にある捨てられて雨ですっかりぼろぼろになってしまった古雑誌についているシミだったり、そういう脈略も文脈も愛着もなく取るに足らないとさえ言える記憶のかけらが、「なぜ今になってそんなことを思い出すのか」と不可解だとしか言えない雑然としたものが唐突に心の中に訪れるのはまことに奇なるべしと言わざるをえない。
さて、バラード学園の年間行事は日本の高校に似ている。
4月に入学式、月末には新入生だけの合宿、5月に武闘会、7月にテスト、8・9月が夏休みで、10月に学園祭、11月にテスト、12月の中旬から1月の中旬まで冬休みで、2月にテスト、3月に卒業式とパーティー、こういうことになっている。
おそらく日本の高校に似ているのはまさしくモデルになったからなのだろう。
それにしても休みの長さは昔の大学生以上にありそうだ。
体育祭ではなく武闘会というのが特徴だろうか。剣術や魔法で学生が争う行事である。
2年次の8月には迷いの森での魔物討伐合宿、さらには修学旅行のようなものがあるが、旅行の参加は任意である。
「新入生のみなさん、料理研究会に興味ありませんか!!」
「3年間青春を過ごそうぜ!!」
学園の生徒たちだろう、新入生に呼び込みをしている。高校というよりは大学のサークル勧誘のような振る舞いだ。
「なんか、俺がいた時よりも学園が賑やかになってるなあ」
「あら、ハートは何かに所属をしていたの?」
「いえ、アリーシャ様。俺はそういうのはしませんでした。あ、でも、作ったのをもらって食べたりはしてましたよ」
「ふふっ、昔からそうだったのね」
「それは誤解ですよ」と不満を漏らす護衛のハートも久しぶりに入る学園の様変わりに驚いていた。
日本でいう部活動というのは、いわば研究会という名前ではあるが存在しており、かつてはほぼ文化系しかなかった。
だが、今年の1月から売りに出していたアリ商会のスポーツ用品の影響で、運動部のようなものができているという。こういうのは行動が早い。先ほど、青春と言っていた学生もサッカーボールを巧みに操っていた。
唯一、剣術を磨く部活動はあるようで、これにはマース侯爵家のファラがかつて在籍していて、今年からは弟のベルハルトが入部すると言われている。入学前からベルハルトは顔を出していたそうだ。
食品研究会というものも数年前からできたが、これはドジャース商会の影響だろう。
学生たちも暇を持てあましている子たちが存外多いのかもしれない。
一方でせっせせっせと卒園後のことを踏まえて、顔をつなぎに励む学生も多いようだ。もちろん、これはある程度の地位の貴族の子たち限定である。暇をもてあます子もいようが、関係作りが切実な家もおそらくある。
他には生徒会活動というものがある。カーティスは関わらなかったので私も話はそんなに訊こうとは思わなかったし、カーティスも家で話そうとはしなかった。バカラも学生時代に興味はなかったようなのだが、会長とか副会長とか会計とか書記とか、そういう役職がある。
「あれが学友会と呼ばれる人たちですよ」
ハートが指し示した先には、今日の式典の手伝いをしている学生たちが働いていた。みな姿勢も良く服装に一糸の乱れもない。こうして裏方に徹することも学生たちの仕事のようだ。献身的に学生の生活を支え、時には学園の顔になる者たちだ。
ところで、数年前に問題だったのは、王族たちが在学中には慣習的に学生の代表、つまり会長になることだった。
だから、あの馬鹿王子は2年の終わりから3年にかけては学友会長だった。学生自治の成れの果てがカーティスをはじめとする立場の弱い学生たちへの悪質な嫌がらせだったのだから、まあ目も当てられない。学友会室はVIPな部屋らしいが、いったいどういう活動内容があるのか、判然としていない。
カトリーナ王女の時には会長として真面目に活動をしていたようである。
「隗より始めよ」の謂いのように、彼女は自らの信念に即して前向きに、そして着実に活動をしていた。
友人、いわゆるご学友なんてのもいたそうだが、貴族の子弟はもとより、庶民の友人たちとも親しく話をしていたという。警備が大変だったらしいが、庶民の家にも遊びに行くこともあったそうだ。この子のこの特性は王族の人間としてはなかなか得られるものではないと思う。活動でも庶民に向けたものも多かったし、どちらかというとそちらの方に力を入れていた節もある。これは学園に通う前からの性格だったようだ。
弟のアベル王子や母親のマリア王妃については実のところ、どれほどの階級意識があるのかはわからないし、この二人には穏やかな態度とは裏腹に「私は王族である」ということに固執しているところがあるように私には思える。
それはおかしな話ではないし、そういうものだろう。ただし、それが過ぎれば馬鹿王子のようになる。
カトリーナ王女とカラルド国のクラウド王子との結婚式に参加した際に、思い切って王子に「決め手は何だったのですか」と失礼にも訊いたことがある。お互い結構呑んでいた時だ。
そりゃ政治的な思惑の方が大きかっただろうが、王子がぽつりと「お忍びで町に出かけた時に転けた庶民の子を見て、自ら走ってその子の手を取り、子どもの目線に合わせてから『大丈夫?』と言ったことですかね」と漏らした。
これは学園に通う前の話で、確かに一時期話題になった。
カトリーナ王女は庶民派とも称えられ、それゆえに庶民におもねっている、王族としての矜恃がないとも批判されることになった。気分の悪い話だが、公には言わずにみなひそひそと噂話のように話していたので、業を煮やしたのか、この件については王が「カトリーナにはカトリーナの信じるものがある」と一言だけ発して、それから話題には上らなくなった。
まあ、そんなわけで王族に対する批判は少ないけれどもあるのだが、カトリーナ王女はそういう声をも丁寧に聴き取りながら学生時代にできる限りのことをしていた。検討使というわけではない。
所詮は、というと不敬で失礼な話だが、所詮は学生の活動だ。自ずとやれる限界がある。
だが、学生だからこそできる活動はあるし、学生という身分であるからこそ効果のある行動もある。田中哲朗のような定年前の男が話すよりも、10代の子が懸命に話す方が印象が強い。
若さはそれだけで武器になる。何を話すかではなく、誰が話すか、それが重要な局面も人の世にはある。
アベル王子も将来的に会長になるだろう。
日本と同じようにバラード学園には4月の第一週に入学式と呼ばれる式典がある。つい先日アベル王子の生誕祭が終わったばかりである。
カーティスの時には私は保護者として参列していなかったが、今回は保護者としてだけではなく来賓としても出席することになった。
大きな講堂の中では新入生が一番前に、その後ろには在校生たちが並んでおり、さらに後ろや横には保護者が座る。
私は別の場所に座っていて、隣には国王とマリア王妃、そしてこの学園の学園長がいる。国王と王妃が出席したのはアベル王子がいたからである。ただ第一王子の時には国王はいなかった。なかなかの式典である。その意味を他の保護者たちはどう捉えるだろうか。当然、王もそのあたりのことは考えた上での判断だ、そう思う。
新入生や在校生たちを見ると、初々しさと物珍しさの色がほの見える。新入生たちには白色のコサージュが胸元につけられていた。
この学園には制服があるのだが、日本のものに比べるとかなりヴィジュアルを意識している。こういう制服なら進んで着たいと思う子は多いかもしれない。制服はアリ商会が斡旋している。あいかわらずこういう服飾や衣類方面には強い。華美ではないが、化粧をしている学生たちの姿も見える。
「懐かしい場所であるな。変わらぬな、ここも」
「さようですか」
国王もこの学園に通ったことがあるので、この講堂に思い入れはあるのだろう、感慨深げに見ている。マリア王妃も同じようだ。王が新入生をしげしげと見ているからか、学生たちも馬鹿騒ぎはできない。不思議な緊張感が継続中である。王がいなくてもこんなに静かなのだろうか。
ただ、保護者たちはひそひそと話をしている。やり場のない視線は、しかしちらちらとこちらに向けてくる。
この来賓席では王が同じく参列しているマリア王妃と談笑しているが、情報によれば王は第一王子の母であるカルメラにも同じように接しているということのようだ。
王として、父として、そして夫としての勤めをやっと果たそうとしているのかわからないが、仲違いをしても良いことは一つもない。悪い流れではないのだろう。
「バカラ様、本日はありがとうございます。いやぁ、バカラ様がいらっしゃって何よりでございます」
「いやいや。こちらこそ日頃からカーティスが世話になっており、感謝する」
この学園長が友好的に私に挨拶をしてきた。何か思うところがあるのだろう。3年ほど前に数十年にもわたって学園を取り仕切っていた学園長は替わって、新しい学園長になった。
おそらくこの人事には何らかの狙いがあると思うが、その時期から学園には少しずつ新しい風が入りこんできた、かつてカーティスを教えていた水魔法の講師がそう言ったそうだ。カーティス自身も「変わってきています」と言っていた。調べによると、これまであまり権力だとか政治、派閥などには縁のない人間だったそうだ。最初は学園長の職を固辞したが、粘り強い説得に折れて引き受けたのだという。
専門は古代にあった魔道具を復元、改良することである。職人に近いところがある。
だから、名誉とか栄達とは距離を置いていたともいえるが、そんな人間に学園長が務まるのか怪しいが、変な階級意識はなく、どちらかといえば実力主義の人間のようだから、その点は安心できるかもしれない。
復元、改良された魔道具を使ったことがあるが、なかなかどうして地球ではお目にかかれないようなものばかりだった。古代にはオーバーテクノロジーのようなものがあったのか、魔法というものが昔からあったからそういうものなのか、どちらかよくわからない。
その魔道具であるが、たとえば学生証は魔道具で認証を行える。ブレスレットに魔石が埋め込まれており、魔力を通すか魔力のないものはボタンを押す動作をすると画面が浮かび、そこに個体の情報が映る。それらはどこかのサーバーのようなものに管理されているという話なのだから、地球だと近未来的な発明である。科学技術は地球よりも進展していないとはいえ、時折こういう技術があるのだから驚かされる。
(この技術があればあるいはアレも……)
いくつか応用させたら開発可能の商品ができるのではないか、そんなことを考えてしまう。いかんいかん、今日はそのことは忘れよう。
さて、入学式の式次第は、学園長の式辞、来賓祝辞、在校生代表と新入生代表の挨拶がある。新入生代表挨拶はもちろんアベル王子である。
全体として30分程度しかない、比較的短い式である。学園歌はないが、講堂にはオルガンらしきものはある。
そんなことよりも、私は来賓祝辞をする役として選ばれてしまった。この世界でもPTA会長かと苦笑いしたものだ。だから、アリーシャが心配して声をかけてきたのだ。
この学園では宰相がこの役目を司る習わしで、以前まではあのゲス・バーミヤン、さらに前にはダイゲス・バーミヤンがやっていたというのだから、世も末である。バカラが学園に通っていた頃、ダイゲスの祝辞を聞いた記憶があるが、とてもではないが褒められたものではなかった。
しかし、その不満を周囲に漏らす者は一部の人間、たとえばバカラの父のような人たちを除いて誰一人としていなかったと伝わっている。当時の勢力を推して知るべしだろう。
式は順調に進み、いよいよ出番である。私の名が呼ばれ、移動をする。見つめてくるアリーシャの顔が見える。近くにはヒロインやエリザベス、ローラの姿がある。ハートが講堂の後ろの方であくびをするのが見えた。見られていないと思って油断をしたんだろう、あとで一言言ってやろう。
「新入生諸君、入学おめでとう。我らがバラード王国の学園に前途洋々たる頼もしい若人がこうして集まったことは喜ばしく、またお祝いを申し上げる」
こんな感じで私の来賓祝辞が始まった。祝辞について王からは「自由に言え」と許可をもらっている。
娘の時にもPTA会長としてこういう挨拶をしたのだが、最初の年度は妻や娘にどういうことを話すか、言葉遣いなどもチェックしてもらっていたり、話題提供をしてもらっていたりしたことが懐かしいものだ。
まあ、最初の頃は緊張をしてしどろもどろで、わざわざ録画をしてくれた教員がいたのでそれを家に持って帰ってから娘にも妻にも茶化されたものだが、不思議とそういう経験をしていくに従って、人前で緊張をすることは少なくなっていった。ましてや今は宰相である。
昨年の入学式後に私が宰相就任になったので、学生たちはバカラ・ソーランドの言葉は見たことあるかもしれないが、その声をこの時に初めて聞く者が多い。多くの保護者もそうだろう。だから、私の発言は注目されている。
しかし、できる限り政治的な駆け引きなしで自由に述べた。
「さて、諸君。君たちはそれぞれみな人と異なっている。隣や前後に座っている人たちを見ればすぐにわかることだろう。身分や家族構成、生まれた場所や育ってきた環境、頭の使い方や容姿、体つきや性格、好きな食べ物、苦手な行為に至るまで、誰ひとりとして同じ人間はいない。したがって良くも悪くも他人とは明確な違いがある。しかし、そのような固定化されたものだけを、自分の個性として受け取って安心してはならない。そんな自分に安住してはいけない。なぜなら、個性とは与えられたものではなく、可能性だからである。狭い自分の世界の中で、そこにいる小さな自分とじっくりと話し合って、自分は今は何者であるか、過去に何をしてきたかだけではなく、これから自分は何をすべきか、このように未来を視野に含めて社会に依然としてある問題をじっくりと観察して見つけ出し、自ら変えていこうとする人間こそ真に個性的であり、可能性が開かれた人間であり、バラード王国の市民として望ましい生き方である。そしてまた、矛盾するかもしれないが、今という貴重な時間を未来に投資するために犠牲にすることはやめた方がいい。今を今として懸命に生きていくこと、そのようなかけがえのない記憶や痕跡があるからこそ、未来から振り返った時に今という時間が自分を支える重みのある過去となりうるのだ。この3年間の中で君たちには数多くの出会い、喜び、哀しみ、憤りややり場のない怒りを感じることだろう。一人で悩んで苦しむこともあるだろう。だが、君たちの一人ひとりには育ててくれた人がおり、愛してくれた者たちがいる。君たちがこの世に生を授かった時には、その傍らには常に愛してくれた、そして祝福をしてくれた人たちがいたのだ。そしてこの学園にも君たちのことを真剣に考えてくれる人もいる。君たちのために部屋の扉は開かれ、いつも座れる椅子は用意されている。そうした人々の声に静かに耳を傾けることができたとすれば、世界が自分一人だけで成り立っていることではないことに気づき、やがて前に踏み出す勇気と自信を得られるだろう。そしてまた、この世界には声にすら形にすることができずに長く悩んでいる人たちの無言の声も無数にあり、澄まして聴き取る人にもなってほしい。一人でも多くそのような者が現れることを期待し、私からの言葉とする。みなが多くのことを学べるよう祈念する」
来賓の長ったらしい祝辞など聞いてくれない。
「ああいうのはできる限りコンパクトに言わないと駄目」
妻の助言だった。だから、伝えたいことは山ほどあるが、短く要点だけを伝えることにした。
ゲスの祝辞は長々とネチネチと自慢話をしゃべっていたものだったらしい。予定された時間を大幅に過ぎていたと聞いている。容易に想像ができる。
実際に日本の学校でも話した内容もあるのだが、この世界の学生にも十分に通用する内容だろうと思う。年齢は15歳で中学3年生だがおそらく知的には高校1年生くらいの年代である。アベル王子やアリーシャ、シーサスのことを考えると大学生並、いや一人の人格が備わった大人のようにも思える。もちろん、中には馬鹿王子や婚約破棄をしたアレンのように知的にも情緒的にも幼い者もいるだろう。特待生以外は試験などないから、おそらく日本の学校よりも学生の差は大きい。
私の言葉など新入生たちにはどうでもいいことなのかもしれないし、何を言っているんだと思っている子もいるだろう。学園の風通しが良くなったとはいえ、まだまだ濁った空気もある。
学園改革はいずれ行いたかったと考えていたが、今は王都にいるので直接的、間接的に関わっていくことができるだろう。
学園を政治的な場にしたくないと思うものの、私の思いとは裏腹に学園は極めて政治的な場である。いや、そもそも政治的な場がない場所など、社会にはそんなに多くないのが実情だろう。地球でも同じことだ。私たちはいつも政治的な存在であり、常に政治的な場に立ち、迷いながらも政治的な判断をしていかなければならない。子どもは未熟ではあるかもしれないが小さな大人であり、すでに社会の一員である。
新入生や在校生たち彼ら彼女らは、多くは社会の様々な場でリーダーとなる、そういう立場の人間である。参列した保護者たちもそうである。
だが、みながリーダーになる社会などありえない。みながリーダーシップなんかを発揮したら、それこそ船頭多くして船山に上ることになる。そんな社会は早晩自滅する運命にある。
むしろ、多くの人間を支えるリーダー、縁の下の力持ちのリーダーの多い方が、健全な社会だろうと思う。殿としてのリーダーである。地球でも、そしてこの世界でもそういうリーダーが必要だと思う。
どこまでこちらの意図が伝わったかわからないが、祝辞後にさざ波の如き拍手が挙がった。やがて大波となった。日本の式典では考えられないことである。だから、少しだけ照れてしまった。この姿をビデオに記録されなくて良かった。
壇上からはコース毎に分かれて座っているアリーシャたちの顔が見えていた。騎士コースには目立つ髪のベルハルト、そしてカイン王子も鬱屈した表情である。こうして見ると、髪の毛の色というのは弁別があってわかりやすいなと思う。横には教職員が並んでおり、カーティスやカレン先生の姿がある。
カイン王子が今一番要注意人物なのは変わらない。
「お父様、今日はありがとうございます」
アリーシャはどこか嬉しそうな表情を浮かべている。私の祝辞が失敗に終わらずに安心したのだろう。
「あれって田中の父ちゃんだろ?」
私が日本の高校で祝辞を述べた時に娘が友達から言われることがよくあったそうだ。娘はそのことを私には話してくれなかったが、妻には話していたようである。アリーシャの場合はどうだろう。さすがに公爵家の娘にそんな軽口をたたける子が多いとは思えない。
「何を言うんだ、アリーシャ。参加するのは当然だろう」
そんな言葉を言いつつ、カーティスの時には代理を立てただけだったことの記憶が蘇る。
カーティスの入学式は馬鹿王子の生誕祭の前だった。あの婚約破棄の日よりも前である。まだ意識がバカラの時だったので、どうしようもないとはいえ度々悔やんだものだった。
今日私が来賓としてだけではなく、アリーシャの保護者として参加したことの意味をカーティスがどのように考えているのか、訊くのが正直怖い。
学園の制服を着たアリーシャを見ると満更でもないようで、この学園での生活を本当に楽しみにしているようである。その制服は人気があって、しかも機能性も高い。
届いた制服に袖を通し、邸内を小走りに移動して、いろいろな人たちに見せて感想を聞いていた。従者のメリーが「お嬢様!」と小言を言いながら追いかけていたそうだ。
それにしても学園に通いだしたら一日の半分はここで過ごすわけで、場合によってはそのまま実家から離れて他家に嫁入りや婿入りする学生が多いという。日本だと大学に通って、就職して結婚して家庭を築いて、と続いていく。私の同級生は学生結婚をしていたな。
私の娘の場合はずっと家にいたが、同僚などは年に数回しか顔を合わせることがないようだった。
子どもに親よりも長く時間を共有する人間ができることは喜ぶべきか、悲しむべきか、どちらだろうな。
まあ、子どもの人生だ。私も両親とは大学進学を境に一緒に過ごす日はなくなった。大学に通ってから両親が亡くなるまでに共有した時間は合計で1年間もあっただろうか。
「子どもが県外の大学に行くと、もう戻らないと思った方がいい」
妻がふと漏らしたことがあった。あれは確か娘が高校2年の時だったと思う。
実際そういう家庭は多いのだろう。経済的な事情もあろうが、息子ならともかく、娘が県外に行くことを許可しない家が多いのはそういう思いもあるからなのかもしれない。そのことを思うと、カーティスが家にいてくれることはたまらなく嬉しい。
いつまでそれが続くだろうか。そして、アリーシャもその日が来るのだろう。
さて、アリーシャが在籍する魔法使いコースは15名程度であるが、例年10名にも満たない。今年は豊作だと評判である。奇跡の世代とも言われているようだ。
式典後はさすがに保護者も一緒に担任から説明を受けるということはなく、私は学園長と話をしたり、昔から知っている人間などとも話したりして、そろそろ帰ることにした。「お前が宰相になるとはなあ、あっ、『お前』なんて失礼でございました」と冗談を言う旧友にも会った。こんなバカラにも気を許せる友がいたというのは、自分のことのようで、まあ傍から見たら自分のことなのだが、こちらも嬉しい気持ちになる。
「おっ、ベルハルトか。なかなか制服が似合っているじゃないか」
学園から去ろうとした時に騎士コースの子たちとすれ違った。赤髪のベルハルトがいた。見る度に成長しているような気がする。数日前の生誕祭の時とはまた違っているが、もはや高校3年生くらいの貫禄はある。目線を合わせると私が少しばかり見上げることになる。
「そんな……恐縮です」
褒められたのにどこか戸惑いの色が残っている反応である。
ベルハルトを見かけることはあっても、直接話す機会はこれまであまりなかった。
いろいろと思うところはあるが、あのサッカーをしている時の野性的な表情などは悪いとは思わなかった。商人のノルンやハートとも熱く戦っていた。ああいう表情はおそらく家の中ではドナンやファラには見せていないんだろうと思う。すでに見知った先輩たちとも楽しそうに話している。交友関係は広いようである。
気になっていた女性関係のことも調査したのだが、あくまでも友人としての関係に留めているようである。
ローラとの婚約も破棄にはなっていないが、ただ学園内には二人が釣り合わない、そう非難する声があると報告を受けている。もちろんなじられているのはローラの方である。学生がそんなことを漏らすのは、おそらく家でもそういう話になるからだ。子供の前で他人の悪口を言えない理由はここにある。ましてや子供が関わる可能性の高い人物に対してはなおさらである。
「評判では君は魔法の制御が上手なんだってな」
カーティスの二属性魔法の話でかき消されているところもあるが、ベルハルトの魔法の腕は専門の魔術師顔負けであるという話である。
「いえ、俺はまだまだです」
「謙遜しなくていい。魔法を使う者ならそれが才能という言葉で単純に片付けられないことはわかっている。時間をかけた君の鍛錬の賜物だ。そこは誇るがいい。むやみやたらと謙遜することはかえって相手を見下すことになる」
「相手を見下す……はい、ありがとうございます」
こうしてベルハルトと別れた。
普段はへなへなっとしているベルハルトだが、彼にも言ったように魔法の制御は努力と相関関係がある。それはカーティスにも言えるのだが、おそらくかなり早い段階から真面目に魔法の練習をしてきたのだと思う。
私に接する態度だけを見ると噂とは随分と違っている。もちろん、私が宰相であり公爵であるということも関係はあるとはいえ、私は少しベルハルトのことを色眼鏡で見ていたのかも知れない。
昼頃に私は帰ったが、学生たちは待機していた上級生から学園を案内されたり、茶会に招待されたりするようだ。アリーシャはエリザベスたちと学園を見て回ったらしい。
この3年間がアリーシャがいつか大人になった時にいつでも立ち戻って、生きていれば必ず遭遇する辛い未来の現実を支える思い出となってくれることを静かに祈った。
いくぶん快活で鈴のように涼やかな声のアリーシャが言った。
愛らしい瞳にも不安の色はなく、満腔に歓喜を感じているのを隠しきれていないようである。呼吸をすることが、ただ歩いていることが、要は生きているということがそれだけで完結して充分に満たされている。
初めてこの世界の「娘」として見た時の姿の大部分は遠い世界に行ってしまったかのように思える。
「ああ、まあなんとかなるだろう。はっはっは、それにしてもアリーシャもうずうずしていたんだな」
もちろん、一人の人間がそんなに単純な存在であろうはずがない。
この子が9歳にしてこの社会に存在する人間の好奇と悪意とがかき集めて作られた堅牢な土台の上に建てられた、どこへともやり場のない恐怖と絶望が支配する深淵の世界を否応なしに見てしまったのだ。ましてあろうことか周到に足を踏み入れさせられ、目も耳も穢され、心も容赦なく叩きつけられてしまったあの日の出来事は、ずっと私の心に寓してくすぶっている。
アリーシャの苦しみは私の比ではないだろうし、この子はうまく隠しているのだろうか、折り合いをつけることができるのだろうか、内心おびえていることはないのか、つまり、この子は人をどこまで信頼できるのだろうかと時折思う。
人間の醜悪さに満ちた世界に犯された人の心がそれよりも凄惨なものではないとは思わない。
闇よりもなお底なしの暗い世界に、この子が生み出す光はどこまで照らしうるものだろうか。
だが、今はそのことを思い出すのはよそう。
自分の顔が引きつっていないか、声色が変わってはいないか、腕や脚は定位置にあるか、普段の癖とは違う動きを何か読み取られてはいまいか、自分で話しながら表情を意識して作る。
もう、とでも言うかのように精巧な作りの顔をわずかにゆがませ、そのゆがみすら見る者に品のあるかわいらしさを抱かせるアリーシャとともにバラード学園に入っていく。
すでに私たちと同じように学園内に入って立ち話をしている人たちがいる。その遠くには人々を誘導しているカーティスの姿がうっすらと見える。一講師なのに力仕事ではなく、比較的スマートな仕事を担当しているのはカーティスの立場や身分がこの学園でどのようなものであるかが想像される。
私たち親子はやはり注目されているのか、歩みを進める毎に人々の目に留まる。目に留まるのは私たちばかりではない。そして目だけでもない。
春の陽気に包まれた穏やかな空気が今この時ばかりと存在感を示し、木々や花々を揺らしている。校庭に植えられた桜は風になびいて人々の目を、鼻を、頬を、心を楽しませている。名付けられることもない草たちも我も我もと背伸びをしている。
何かが始まる、不思議とそういう予兆がある。
日本には伝統的に四季があると言われるが、実は四季ではないという話を聞いたことがある。ただ、二季だろうが六季であろうが、時間は進んでいるのにまた同じように巡り巡って「まただ」という感覚を思い起こさせる。一方向への時間の流れと、螺旋のように回る時間の流れとが混線して意識を錯覚させる季節が今の時期である。
歌人の在原業平は「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」と歌ったが、住む世界まで異なってしまった私はどういう溜め息の歌を詠めるのだろう。
こうして見える学園の光景は田中哲朗時代の記憶とも重なっていく光景である。
それは娘の入学式である。
地球での娘の入学式への出席は妻ではなく、ほとんど私の担当だった。もっとも親子で並んで歩くことはなく、娘は同じ学校からやってきていた友達と先に入っていった。私の仕事の大部分は入学式の日に説明される事務手続きの確認や娘の荷物持ちだった。
ここはバラード学園である。
バラード王国は身分意識の根強い社会だというのに、学園が庶民に門戸を開放しているのは奇妙と言えば奇妙である。ヒロインが単なる庶民だったら学園に通えなかった可能性が大きいが、光の精霊との契約があるから圏内だということか。はたまた彼女が子爵家だからか。
ただ、庶民の枠を一定の数設けているのは学園創立当初からのようだ。その時の王は見識のある人だったと言われている。
それでも長い歴史の中でいびつな階級意識が学園内にも蔓延してやがて定着していった。今は過渡期ということになろうか。
ゲームの中で人々のそういう意識が改善されていくのか、それともヒロイン個人の幸せとしてはガチガチの階級意識があった方がよいのか、どちらだろう。
王権を支えるために、あるいはヒロインが身分や階級にこだわる人物であれば後者の可能性は高いが、フルール子爵家を見ている限りではそんな意識を持たせる教育をしているとは思えない。少なくとも同じ日本に住んでいた人間であれば、私とは年が離れているといってもこの世界の常識に居心地の悪さを感じる、いや感じてほしいところである。
いずれにせよ、このバラード学園に入学しながらヒロインは貴公子たちと交友を深めていく。もうすでにある程度の交友はあるように思えるが、同じ空間で過ごすという経験はまた彼ら彼女らを成長させる契機となるのだろう。
変化は授業という日常の中でも起こることだろうが、行事という一種の非日常の出来事の場合もある。
とはいえ、自分のことを振り返ってみると年を取ってから思い出すのは学校で自分が目立って主体的に何かをしていたことや仲の良かった友人と語り合った日々というよりは、気だるいかどうかもわからない眠気を誘う空気の中での何ら特徴的なこともない平凡な授業の板書に書かれたとりとめのない文字だったり、ほとんど話したことも興味もなかった冴えない同級生の顔だったり、帰り道に咲いている植え込みの草の隣にある捨てられて雨ですっかりぼろぼろになってしまった古雑誌についているシミだったり、そういう脈略も文脈も愛着もなく取るに足らないとさえ言える記憶のかけらが、「なぜ今になってそんなことを思い出すのか」と不可解だとしか言えない雑然としたものが唐突に心の中に訪れるのはまことに奇なるべしと言わざるをえない。
さて、バラード学園の年間行事は日本の高校に似ている。
4月に入学式、月末には新入生だけの合宿、5月に武闘会、7月にテスト、8・9月が夏休みで、10月に学園祭、11月にテスト、12月の中旬から1月の中旬まで冬休みで、2月にテスト、3月に卒業式とパーティー、こういうことになっている。
おそらく日本の高校に似ているのはまさしくモデルになったからなのだろう。
それにしても休みの長さは昔の大学生以上にありそうだ。
体育祭ではなく武闘会というのが特徴だろうか。剣術や魔法で学生が争う行事である。
2年次の8月には迷いの森での魔物討伐合宿、さらには修学旅行のようなものがあるが、旅行の参加は任意である。
「新入生のみなさん、料理研究会に興味ありませんか!!」
「3年間青春を過ごそうぜ!!」
学園の生徒たちだろう、新入生に呼び込みをしている。高校というよりは大学のサークル勧誘のような振る舞いだ。
「なんか、俺がいた時よりも学園が賑やかになってるなあ」
「あら、ハートは何かに所属をしていたの?」
「いえ、アリーシャ様。俺はそういうのはしませんでした。あ、でも、作ったのをもらって食べたりはしてましたよ」
「ふふっ、昔からそうだったのね」
「それは誤解ですよ」と不満を漏らす護衛のハートも久しぶりに入る学園の様変わりに驚いていた。
日本でいう部活動というのは、いわば研究会という名前ではあるが存在しており、かつてはほぼ文化系しかなかった。
だが、今年の1月から売りに出していたアリ商会のスポーツ用品の影響で、運動部のようなものができているという。こういうのは行動が早い。先ほど、青春と言っていた学生もサッカーボールを巧みに操っていた。
唯一、剣術を磨く部活動はあるようで、これにはマース侯爵家のファラがかつて在籍していて、今年からは弟のベルハルトが入部すると言われている。入学前からベルハルトは顔を出していたそうだ。
食品研究会というものも数年前からできたが、これはドジャース商会の影響だろう。
学生たちも暇を持てあましている子たちが存外多いのかもしれない。
一方でせっせせっせと卒園後のことを踏まえて、顔をつなぎに励む学生も多いようだ。もちろん、これはある程度の地位の貴族の子たち限定である。暇をもてあます子もいようが、関係作りが切実な家もおそらくある。
他には生徒会活動というものがある。カーティスは関わらなかったので私も話はそんなに訊こうとは思わなかったし、カーティスも家で話そうとはしなかった。バカラも学生時代に興味はなかったようなのだが、会長とか副会長とか会計とか書記とか、そういう役職がある。
「あれが学友会と呼ばれる人たちですよ」
ハートが指し示した先には、今日の式典の手伝いをしている学生たちが働いていた。みな姿勢も良く服装に一糸の乱れもない。こうして裏方に徹することも学生たちの仕事のようだ。献身的に学生の生活を支え、時には学園の顔になる者たちだ。
ところで、数年前に問題だったのは、王族たちが在学中には慣習的に学生の代表、つまり会長になることだった。
だから、あの馬鹿王子は2年の終わりから3年にかけては学友会長だった。学生自治の成れの果てがカーティスをはじめとする立場の弱い学生たちへの悪質な嫌がらせだったのだから、まあ目も当てられない。学友会室はVIPな部屋らしいが、いったいどういう活動内容があるのか、判然としていない。
カトリーナ王女の時には会長として真面目に活動をしていたようである。
「隗より始めよ」の謂いのように、彼女は自らの信念に即して前向きに、そして着実に活動をしていた。
友人、いわゆるご学友なんてのもいたそうだが、貴族の子弟はもとより、庶民の友人たちとも親しく話をしていたという。警備が大変だったらしいが、庶民の家にも遊びに行くこともあったそうだ。この子のこの特性は王族の人間としてはなかなか得られるものではないと思う。活動でも庶民に向けたものも多かったし、どちらかというとそちらの方に力を入れていた節もある。これは学園に通う前からの性格だったようだ。
弟のアベル王子や母親のマリア王妃については実のところ、どれほどの階級意識があるのかはわからないし、この二人には穏やかな態度とは裏腹に「私は王族である」ということに固執しているところがあるように私には思える。
それはおかしな話ではないし、そういうものだろう。ただし、それが過ぎれば馬鹿王子のようになる。
カトリーナ王女とカラルド国のクラウド王子との結婚式に参加した際に、思い切って王子に「決め手は何だったのですか」と失礼にも訊いたことがある。お互い結構呑んでいた時だ。
そりゃ政治的な思惑の方が大きかっただろうが、王子がぽつりと「お忍びで町に出かけた時に転けた庶民の子を見て、自ら走ってその子の手を取り、子どもの目線に合わせてから『大丈夫?』と言ったことですかね」と漏らした。
これは学園に通う前の話で、確かに一時期話題になった。
カトリーナ王女は庶民派とも称えられ、それゆえに庶民におもねっている、王族としての矜恃がないとも批判されることになった。気分の悪い話だが、公には言わずにみなひそひそと噂話のように話していたので、業を煮やしたのか、この件については王が「カトリーナにはカトリーナの信じるものがある」と一言だけ発して、それから話題には上らなくなった。
まあ、そんなわけで王族に対する批判は少ないけれどもあるのだが、カトリーナ王女はそういう声をも丁寧に聴き取りながら学生時代にできる限りのことをしていた。検討使というわけではない。
所詮は、というと不敬で失礼な話だが、所詮は学生の活動だ。自ずとやれる限界がある。
だが、学生だからこそできる活動はあるし、学生という身分であるからこそ効果のある行動もある。田中哲朗のような定年前の男が話すよりも、10代の子が懸命に話す方が印象が強い。
若さはそれだけで武器になる。何を話すかではなく、誰が話すか、それが重要な局面も人の世にはある。
アベル王子も将来的に会長になるだろう。
日本と同じようにバラード学園には4月の第一週に入学式と呼ばれる式典がある。つい先日アベル王子の生誕祭が終わったばかりである。
カーティスの時には私は保護者として参列していなかったが、今回は保護者としてだけではなく来賓としても出席することになった。
大きな講堂の中では新入生が一番前に、その後ろには在校生たちが並んでおり、さらに後ろや横には保護者が座る。
私は別の場所に座っていて、隣には国王とマリア王妃、そしてこの学園の学園長がいる。国王と王妃が出席したのはアベル王子がいたからである。ただ第一王子の時には国王はいなかった。なかなかの式典である。その意味を他の保護者たちはどう捉えるだろうか。当然、王もそのあたりのことは考えた上での判断だ、そう思う。
新入生や在校生たちを見ると、初々しさと物珍しさの色がほの見える。新入生たちには白色のコサージュが胸元につけられていた。
この学園には制服があるのだが、日本のものに比べるとかなりヴィジュアルを意識している。こういう制服なら進んで着たいと思う子は多いかもしれない。制服はアリ商会が斡旋している。あいかわらずこういう服飾や衣類方面には強い。華美ではないが、化粧をしている学生たちの姿も見える。
「懐かしい場所であるな。変わらぬな、ここも」
「さようですか」
国王もこの学園に通ったことがあるので、この講堂に思い入れはあるのだろう、感慨深げに見ている。マリア王妃も同じようだ。王が新入生をしげしげと見ているからか、学生たちも馬鹿騒ぎはできない。不思議な緊張感が継続中である。王がいなくてもこんなに静かなのだろうか。
ただ、保護者たちはひそひそと話をしている。やり場のない視線は、しかしちらちらとこちらに向けてくる。
この来賓席では王が同じく参列しているマリア王妃と談笑しているが、情報によれば王は第一王子の母であるカルメラにも同じように接しているということのようだ。
王として、父として、そして夫としての勤めをやっと果たそうとしているのかわからないが、仲違いをしても良いことは一つもない。悪い流れではないのだろう。
「バカラ様、本日はありがとうございます。いやぁ、バカラ様がいらっしゃって何よりでございます」
「いやいや。こちらこそ日頃からカーティスが世話になっており、感謝する」
この学園長が友好的に私に挨拶をしてきた。何か思うところがあるのだろう。3年ほど前に数十年にもわたって学園を取り仕切っていた学園長は替わって、新しい学園長になった。
おそらくこの人事には何らかの狙いがあると思うが、その時期から学園には少しずつ新しい風が入りこんできた、かつてカーティスを教えていた水魔法の講師がそう言ったそうだ。カーティス自身も「変わってきています」と言っていた。調べによると、これまであまり権力だとか政治、派閥などには縁のない人間だったそうだ。最初は学園長の職を固辞したが、粘り強い説得に折れて引き受けたのだという。
専門は古代にあった魔道具を復元、改良することである。職人に近いところがある。
だから、名誉とか栄達とは距離を置いていたともいえるが、そんな人間に学園長が務まるのか怪しいが、変な階級意識はなく、どちらかといえば実力主義の人間のようだから、その点は安心できるかもしれない。
復元、改良された魔道具を使ったことがあるが、なかなかどうして地球ではお目にかかれないようなものばかりだった。古代にはオーバーテクノロジーのようなものがあったのか、魔法というものが昔からあったからそういうものなのか、どちらかよくわからない。
その魔道具であるが、たとえば学生証は魔道具で認証を行える。ブレスレットに魔石が埋め込まれており、魔力を通すか魔力のないものはボタンを押す動作をすると画面が浮かび、そこに個体の情報が映る。それらはどこかのサーバーのようなものに管理されているという話なのだから、地球だと近未来的な発明である。科学技術は地球よりも進展していないとはいえ、時折こういう技術があるのだから驚かされる。
(この技術があればあるいはアレも……)
いくつか応用させたら開発可能の商品ができるのではないか、そんなことを考えてしまう。いかんいかん、今日はそのことは忘れよう。
さて、入学式の式次第は、学園長の式辞、来賓祝辞、在校生代表と新入生代表の挨拶がある。新入生代表挨拶はもちろんアベル王子である。
全体として30分程度しかない、比較的短い式である。学園歌はないが、講堂にはオルガンらしきものはある。
そんなことよりも、私は来賓祝辞をする役として選ばれてしまった。この世界でもPTA会長かと苦笑いしたものだ。だから、アリーシャが心配して声をかけてきたのだ。
この学園では宰相がこの役目を司る習わしで、以前まではあのゲス・バーミヤン、さらに前にはダイゲス・バーミヤンがやっていたというのだから、世も末である。バカラが学園に通っていた頃、ダイゲスの祝辞を聞いた記憶があるが、とてもではないが褒められたものではなかった。
しかし、その不満を周囲に漏らす者は一部の人間、たとえばバカラの父のような人たちを除いて誰一人としていなかったと伝わっている。当時の勢力を推して知るべしだろう。
式は順調に進み、いよいよ出番である。私の名が呼ばれ、移動をする。見つめてくるアリーシャの顔が見える。近くにはヒロインやエリザベス、ローラの姿がある。ハートが講堂の後ろの方であくびをするのが見えた。見られていないと思って油断をしたんだろう、あとで一言言ってやろう。
「新入生諸君、入学おめでとう。我らがバラード王国の学園に前途洋々たる頼もしい若人がこうして集まったことは喜ばしく、またお祝いを申し上げる」
こんな感じで私の来賓祝辞が始まった。祝辞について王からは「自由に言え」と許可をもらっている。
娘の時にもPTA会長としてこういう挨拶をしたのだが、最初の年度は妻や娘にどういうことを話すか、言葉遣いなどもチェックしてもらっていたり、話題提供をしてもらっていたりしたことが懐かしいものだ。
まあ、最初の頃は緊張をしてしどろもどろで、わざわざ録画をしてくれた教員がいたのでそれを家に持って帰ってから娘にも妻にも茶化されたものだが、不思議とそういう経験をしていくに従って、人前で緊張をすることは少なくなっていった。ましてや今は宰相である。
昨年の入学式後に私が宰相就任になったので、学生たちはバカラ・ソーランドの言葉は見たことあるかもしれないが、その声をこの時に初めて聞く者が多い。多くの保護者もそうだろう。だから、私の発言は注目されている。
しかし、できる限り政治的な駆け引きなしで自由に述べた。
「さて、諸君。君たちはそれぞれみな人と異なっている。隣や前後に座っている人たちを見ればすぐにわかることだろう。身分や家族構成、生まれた場所や育ってきた環境、頭の使い方や容姿、体つきや性格、好きな食べ物、苦手な行為に至るまで、誰ひとりとして同じ人間はいない。したがって良くも悪くも他人とは明確な違いがある。しかし、そのような固定化されたものだけを、自分の個性として受け取って安心してはならない。そんな自分に安住してはいけない。なぜなら、個性とは与えられたものではなく、可能性だからである。狭い自分の世界の中で、そこにいる小さな自分とじっくりと話し合って、自分は今は何者であるか、過去に何をしてきたかだけではなく、これから自分は何をすべきか、このように未来を視野に含めて社会に依然としてある問題をじっくりと観察して見つけ出し、自ら変えていこうとする人間こそ真に個性的であり、可能性が開かれた人間であり、バラード王国の市民として望ましい生き方である。そしてまた、矛盾するかもしれないが、今という貴重な時間を未来に投資するために犠牲にすることはやめた方がいい。今を今として懸命に生きていくこと、そのようなかけがえのない記憶や痕跡があるからこそ、未来から振り返った時に今という時間が自分を支える重みのある過去となりうるのだ。この3年間の中で君たちには数多くの出会い、喜び、哀しみ、憤りややり場のない怒りを感じることだろう。一人で悩んで苦しむこともあるだろう。だが、君たちの一人ひとりには育ててくれた人がおり、愛してくれた者たちがいる。君たちがこの世に生を授かった時には、その傍らには常に愛してくれた、そして祝福をしてくれた人たちがいたのだ。そしてこの学園にも君たちのことを真剣に考えてくれる人もいる。君たちのために部屋の扉は開かれ、いつも座れる椅子は用意されている。そうした人々の声に静かに耳を傾けることができたとすれば、世界が自分一人だけで成り立っていることではないことに気づき、やがて前に踏み出す勇気と自信を得られるだろう。そしてまた、この世界には声にすら形にすることができずに長く悩んでいる人たちの無言の声も無数にあり、澄まして聴き取る人にもなってほしい。一人でも多くそのような者が現れることを期待し、私からの言葉とする。みなが多くのことを学べるよう祈念する」
来賓の長ったらしい祝辞など聞いてくれない。
「ああいうのはできる限りコンパクトに言わないと駄目」
妻の助言だった。だから、伝えたいことは山ほどあるが、短く要点だけを伝えることにした。
ゲスの祝辞は長々とネチネチと自慢話をしゃべっていたものだったらしい。予定された時間を大幅に過ぎていたと聞いている。容易に想像ができる。
実際に日本の学校でも話した内容もあるのだが、この世界の学生にも十分に通用する内容だろうと思う。年齢は15歳で中学3年生だがおそらく知的には高校1年生くらいの年代である。アベル王子やアリーシャ、シーサスのことを考えると大学生並、いや一人の人格が備わった大人のようにも思える。もちろん、中には馬鹿王子や婚約破棄をしたアレンのように知的にも情緒的にも幼い者もいるだろう。特待生以外は試験などないから、おそらく日本の学校よりも学生の差は大きい。
私の言葉など新入生たちにはどうでもいいことなのかもしれないし、何を言っているんだと思っている子もいるだろう。学園の風通しが良くなったとはいえ、まだまだ濁った空気もある。
学園改革はいずれ行いたかったと考えていたが、今は王都にいるので直接的、間接的に関わっていくことができるだろう。
学園を政治的な場にしたくないと思うものの、私の思いとは裏腹に学園は極めて政治的な場である。いや、そもそも政治的な場がない場所など、社会にはそんなに多くないのが実情だろう。地球でも同じことだ。私たちはいつも政治的な存在であり、常に政治的な場に立ち、迷いながらも政治的な判断をしていかなければならない。子どもは未熟ではあるかもしれないが小さな大人であり、すでに社会の一員である。
新入生や在校生たち彼ら彼女らは、多くは社会の様々な場でリーダーとなる、そういう立場の人間である。参列した保護者たちもそうである。
だが、みながリーダーになる社会などありえない。みながリーダーシップなんかを発揮したら、それこそ船頭多くして船山に上ることになる。そんな社会は早晩自滅する運命にある。
むしろ、多くの人間を支えるリーダー、縁の下の力持ちのリーダーの多い方が、健全な社会だろうと思う。殿としてのリーダーである。地球でも、そしてこの世界でもそういうリーダーが必要だと思う。
どこまでこちらの意図が伝わったかわからないが、祝辞後にさざ波の如き拍手が挙がった。やがて大波となった。日本の式典では考えられないことである。だから、少しだけ照れてしまった。この姿をビデオに記録されなくて良かった。
壇上からはコース毎に分かれて座っているアリーシャたちの顔が見えていた。騎士コースには目立つ髪のベルハルト、そしてカイン王子も鬱屈した表情である。こうして見ると、髪の毛の色というのは弁別があってわかりやすいなと思う。横には教職員が並んでおり、カーティスやカレン先生の姿がある。
カイン王子が今一番要注意人物なのは変わらない。
「お父様、今日はありがとうございます」
アリーシャはどこか嬉しそうな表情を浮かべている。私の祝辞が失敗に終わらずに安心したのだろう。
「あれって田中の父ちゃんだろ?」
私が日本の高校で祝辞を述べた時に娘が友達から言われることがよくあったそうだ。娘はそのことを私には話してくれなかったが、妻には話していたようである。アリーシャの場合はどうだろう。さすがに公爵家の娘にそんな軽口をたたける子が多いとは思えない。
「何を言うんだ、アリーシャ。参加するのは当然だろう」
そんな言葉を言いつつ、カーティスの時には代理を立てただけだったことの記憶が蘇る。
カーティスの入学式は馬鹿王子の生誕祭の前だった。あの婚約破棄の日よりも前である。まだ意識がバカラの時だったので、どうしようもないとはいえ度々悔やんだものだった。
今日私が来賓としてだけではなく、アリーシャの保護者として参加したことの意味をカーティスがどのように考えているのか、訊くのが正直怖い。
学園の制服を着たアリーシャを見ると満更でもないようで、この学園での生活を本当に楽しみにしているようである。その制服は人気があって、しかも機能性も高い。
届いた制服に袖を通し、邸内を小走りに移動して、いろいろな人たちに見せて感想を聞いていた。従者のメリーが「お嬢様!」と小言を言いながら追いかけていたそうだ。
それにしても学園に通いだしたら一日の半分はここで過ごすわけで、場合によってはそのまま実家から離れて他家に嫁入りや婿入りする学生が多いという。日本だと大学に通って、就職して結婚して家庭を築いて、と続いていく。私の同級生は学生結婚をしていたな。
私の娘の場合はずっと家にいたが、同僚などは年に数回しか顔を合わせることがないようだった。
子どもに親よりも長く時間を共有する人間ができることは喜ぶべきか、悲しむべきか、どちらだろうな。
まあ、子どもの人生だ。私も両親とは大学進学を境に一緒に過ごす日はなくなった。大学に通ってから両親が亡くなるまでに共有した時間は合計で1年間もあっただろうか。
「子どもが県外の大学に行くと、もう戻らないと思った方がいい」
妻がふと漏らしたことがあった。あれは確か娘が高校2年の時だったと思う。
実際そういう家庭は多いのだろう。経済的な事情もあろうが、息子ならともかく、娘が県外に行くことを許可しない家が多いのはそういう思いもあるからなのかもしれない。そのことを思うと、カーティスが家にいてくれることはたまらなく嬉しい。
いつまでそれが続くだろうか。そして、アリーシャもその日が来るのだろう。
さて、アリーシャが在籍する魔法使いコースは15名程度であるが、例年10名にも満たない。今年は豊作だと評判である。奇跡の世代とも言われているようだ。
式典後はさすがに保護者も一緒に担任から説明を受けるということはなく、私は学園長と話をしたり、昔から知っている人間などとも話したりして、そろそろ帰ることにした。「お前が宰相になるとはなあ、あっ、『お前』なんて失礼でございました」と冗談を言う旧友にも会った。こんなバカラにも気を許せる友がいたというのは、自分のことのようで、まあ傍から見たら自分のことなのだが、こちらも嬉しい気持ちになる。
「おっ、ベルハルトか。なかなか制服が似合っているじゃないか」
学園から去ろうとした時に騎士コースの子たちとすれ違った。赤髪のベルハルトがいた。見る度に成長しているような気がする。数日前の生誕祭の時とはまた違っているが、もはや高校3年生くらいの貫禄はある。目線を合わせると私が少しばかり見上げることになる。
「そんな……恐縮です」
褒められたのにどこか戸惑いの色が残っている反応である。
ベルハルトを見かけることはあっても、直接話す機会はこれまであまりなかった。
いろいろと思うところはあるが、あのサッカーをしている時の野性的な表情などは悪いとは思わなかった。商人のノルンやハートとも熱く戦っていた。ああいう表情はおそらく家の中ではドナンやファラには見せていないんだろうと思う。すでに見知った先輩たちとも楽しそうに話している。交友関係は広いようである。
気になっていた女性関係のことも調査したのだが、あくまでも友人としての関係に留めているようである。
ローラとの婚約も破棄にはなっていないが、ただ学園内には二人が釣り合わない、そう非難する声があると報告を受けている。もちろんなじられているのはローラの方である。学生がそんなことを漏らすのは、おそらく家でもそういう話になるからだ。子供の前で他人の悪口を言えない理由はここにある。ましてや子供が関わる可能性の高い人物に対してはなおさらである。
「評判では君は魔法の制御が上手なんだってな」
カーティスの二属性魔法の話でかき消されているところもあるが、ベルハルトの魔法の腕は専門の魔術師顔負けであるという話である。
「いえ、俺はまだまだです」
「謙遜しなくていい。魔法を使う者ならそれが才能という言葉で単純に片付けられないことはわかっている。時間をかけた君の鍛錬の賜物だ。そこは誇るがいい。むやみやたらと謙遜することはかえって相手を見下すことになる」
「相手を見下す……はい、ありがとうございます」
こうしてベルハルトと別れた。
普段はへなへなっとしているベルハルトだが、彼にも言ったように魔法の制御は努力と相関関係がある。それはカーティスにも言えるのだが、おそらくかなり早い段階から真面目に魔法の練習をしてきたのだと思う。
私に接する態度だけを見ると噂とは随分と違っている。もちろん、私が宰相であり公爵であるということも関係はあるとはいえ、私は少しベルハルトのことを色眼鏡で見ていたのかも知れない。
昼頃に私は帰ったが、学生たちは待機していた上級生から学園を案内されたり、茶会に招待されたりするようだ。アリーシャはエリザベスたちと学園を見て回ったらしい。
この3年間がアリーシャがいつか大人になった時にいつでも立ち戻って、生きていれば必ず遭遇する辛い未来の現実を支える思い出となってくれることを静かに祈った。
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