婚約破棄の現場に遭遇した悪役公爵令嬢の父親は激怒する

白バリン

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第三部

13,良縁と奇縁

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 シーサスの発表を見終えてから別の場所に移動した。少し人混みを避けて行動していたら、私もクリスもよくわからない場所に辿り着いてしまった。この場所には二人ともに記憶がない。

「学園内も広いな。こんなだったか? 迷ってしまう」

 バカラの記憶には眼前の光景などない。私自身も初めて訪れる場所だ。

「私のいた頃にはなかった建物などがありますね。ただでさえ広い土地があるので、様々な施設が増設されたのでしょう」

 今の護衛はクリスだけなのだが、そのクリスも知らない場所がある。まあ、バカラとそんなに年齢差もないから、やはりここ10年くらいで増改築された場所はわからない。

「これだったらハートも連れてきた方が良かったか……」

「ははっ、平時でしたらよかったのですが、今日のアリーシャ様はお許しになりませんよ」

 ハートは学園祭中はアリーシャの護衛を務めている。
 外部の人間が入る日には、こうして護衛をつけるのが一般的である。もちろん、そんな物騒なことは滅多に起きないし、防壁システムなるものも学園にはあって、魔法使いのテロリストがいたとしても魔法を無力化してしまうこともできる。まあ、私のように大精霊との契約をしている人間や高位の魔法使いには利かないか効果が薄れてしまうが、そんな人物は世界に数えるほどしかいない。
 とはいえ、何事も抜け道はあるものである。
 いずれにせよ、バラード王国のバラード学園内は比較的安全な方だろうと思う。

 そのハートだが、彼は護衛といっても、実際にはアリーシャに良いように使われているだけである。クリスの先ほどの言葉はそういう意味である。

「早くアリーシャのところに行かないとな。おっ、あれは見覚えのある建物だ」

 学生数から考えると日本の高校だが、敷地は不思議と大学並である。研究施設があるからという理由もある。魔法を使う場合の特別な敷地もある。
 そんな中、バカラ時代の記憶に合致する建物があった。しめた、これは会場まで近いなと思って近づいていったらなにやら声が聞こえてきた。


「それにしましても、…………ベルハルト様は…………を婚約者とされるおつもり…………」

「本当に。なぜベルハルト様は…………」

「…………誰もが羨む紳士なお方であるのに…………」

 途切れ途切れに女性が誰かを罵っている声がする。
 単なる言い争いならばこのまま無視することもできたが、知った名前が出てきたので気になった。それに胸騒ぎがしたので行ってみると、ローラ・バーミヤンが複数の女子学生たちに囲まれて、どうやら詰られているようである。
 これは見過ごしてはならないと思った。だからすぐに声が出た。

「こんな場所で何をしている!」

「うるさいわね、あなたこそ誰なのよ。不審者じゃない。こんな場所まで来て何をしているのよ!」

 口さがない高飛車の学生が私に動じることなく、平然とした顔で言い返してくる。ローラだけは私が誰かに気づいているようだった。しまったという表情をしている。見られたくない光景だったのだと思う。
 しかし、今の相手はこの学生たちだ。

「そうか。私も有名人ではなかったのだな。それは失礼した。それでは自己紹介をしてやろう。私がバカラ・ソーランドである」

 私の声が耳に入った瞬間から学生たちの顔が青ざめていった。いったい誰に話をしているのか、理解できたようである。
 こういうやり方はあまり好みではないが、たまには地位を利用するのもいいだろう。

「さあ、それでは君たちにも自己紹介をしてもらいたいものだ。立場が上の者から声をかけるものだったな。しっかりと記憶しようじゃないか、この国の宰相の責務としてな」

 私の一言一言が彼女たちにグサグサと突き刺さっていくかのようだった。

「あ、あの、私たちは……」

 何を言うべきなのかまだ決めてないのにそれでも何かを言わざるをえない気持ちなのだろう。
 もちろん、ネチネチと時間をかけて学生をいたぶる趣味など私にはない。だから、すぐに裁決する。

「名乗れぬのならさっさと立ち去れ」

「は、はい」

 学生たちは去って行った。
 とはいえ、残念ながらこの者たちはシノンや他の人間が調査をすることになるだろう。綱紀粛正などするつもりは毛頭ないが、こういう事態をなるべく減らしていきたいと思う。学園にはあまり関わろうとは思わなかったが、最低限できることはしておきたい。

 さて、一人残っていたローラが間の悪そうにたたずんでいる。
 本当に彼女は一人でいる姿をよく見かける。気の毒であわれに、そして妙に切なく感じられる。

「大丈夫か?」

「ありがとうございます。私などのためにバカラ様のお手を煩わせてしまったことをお許しください」

 ローラが深々と私に礼をした。
 クリスには少し距離をとってもらって、私はローラと二人で話をすることになった。
 簡単な事情聴取である。

「いつもあんな嫌がらせを受けているのか?」

「いえ……」

 目が泳いでいる。これは間違いなくイエスだろう。
 ローラもバーミヤン公爵家の人間だ。それにもかかわらず、彼女に怖じ気づくことなくはっきりと言うことができる人間は限られているはずである。

 しかし、先ほどの学生たちはせいぜい侯爵、伯爵家レベルであるのに、あんな風にローラに詰め寄ることができるというのは、おかしい。
 おそらく、ゲームではまだゲス・バーミヤンも宰相だったのだろうし、ローラに表だって嫌がらせをする人間はいなかったのではないか、そう考えられる。
 これも私の為したことの結果の一つだ。


 先ほどまでの断片的な話から推測すると、ベルハルトを巡る争いなのだろう。モテる人間は辛い者なのだろう。田中哲朗には無縁である。
 ベルハルトは女性に人気がある。
 中には男性からも人気があるらしいが、とにかくファンが多い。のらりくらりとしているが、一緒にいる時には愛嬌は良いらしい。前の武闘会でも人気が上昇しただろう。
 領地では姉のファラたちとともにダンジョンに潜って魔物を討伐することもあるようだ。
 器量よし、家柄よし、ただし心はどうか。これはわからないし、本人にもわかっていないことなのかもしれない。

「ベルハルトとは婚約関係にあるのだろう?」

「はい……」

「だったら堂々としていればいい。二人のことだ」

「しかし、あの方たちの言い分にももっともなところがあるのです。私などが、ベルハルト様の婚約者で居ていいのか、居続けていいのか、私自身考えてしまいますから」

 ローラが言い返している様子はなかった。一方的に言われたのだろうと思う。
 それにしても、どうして「私など」などという言葉を平気で使えるのだろう。それに婚約者の資格など、誰が決められるというのだろうか。自分の気持ち次第じゃないか。

「君はベルハルトのことを好きじゃないのか? 小さい頃は君はおてんばで遊んでいたんだろう?」

「な、なぜそれを?」

 カーティス経由で聞いたものだ。
 ベルハルトの姉のファラ曰わくそういう関係だった。政略結婚の意味合いが強かったとしても、二人にはそれ以上の意味合いがある、そういう婚約だったのではないかと思う。

「どうして……どうしてバカラ様もアリーシャ様も私に目を掛けてくださるのでしょうか? 不思議でなりません」

「私はな、いわれのないことで人が罵られたり、嫌がらせを受ける人間を見るのがたまらなく大嫌いなのだよ。アリーシャはそうだな、単純に君のことを好きだからだろう。君はアリーシャのことは苦手か?」

「いえ。よくしていただいています」

「それならば、その気持ちに素直になればいい。アリーシャに不平不満を漏らすといい。迷惑をかけているなんて思わなくていい。迷惑をかけてもいいと思える人を見つければいいし、君も誰かの迷惑を積極的に被る人になればいい」

 どこまでローラの心に届いたかはわからない。しかし、この子は誰にも知られないところで苦しんできたのだけはわかる。
 まさかこれは演技だろうか。
 貴族出身の子には小賢しいお芝居をする者たちが多い。腹芸こそ処世術だといわんばかりの者たちだ。だが、数年経ったら変わるかもしれないが、今のこの子はそれほど器用な子ではないように見える。
 腹芸の一つでもできなければ評価されない社会など、私はおかしいと思うし、誠実な人間が報われるような社会であってほしいと思う。

「私が、私がそんなことをしていただいていいはずがないんです。アリーシャ様には特に……」

 兄アレンのことをローラは言っているのだろう。

「アリーシャへの仕打ちは君がしたことじゃない」

「しかし、父や兄が行ったことは私の罪でございます。同罪なんです」

 そんな馬鹿な論理があるわけがない。家族といえども、血のつながりがあったとしても個は個として独立して存在しているのであり、運命共同体のようなものではない。

「それは違う。君の家族が悔いて謝罪をして、そこから漏れてくる罪を背負うのならそれも確かに一つの道だろう。だが、君は家族の罪を一人で支えている。それはアリーシャにも失礼である。責めというのは負うべき者が適切に負うことだ」

 アベル王子の生誕祭の頃からローラが実際どう考えているのかを調査させてきたが、やはりゲスやアレンの行為を良しとは思っていないのは確実だった。
 この件についてはバーミヤン家に長く仕えて、今はもう引退をしたメイド長の話を運良く聞くことができた。婚約破棄の件では、おぞましい血が自分の中に流れていることに悩んでいた時期があったともいう。きっと今も悩んでいるし、アリーシャと仲が良くなればなるほど悩みは複雑になっていく。

 そんなバーミヤン家の最後の良心であるこの子を断罪することが良いとは今の私には思えない。この子は負い目を感じずにもっと幸せになるべきだ。そして、負い目を感じさせた当人たちは厳しく断罪されるべきである。あらためてそう思った。

「あ、ローラ様!……と、バカラ様!?」

「さ、サクラ様……」

 ヒロインがこんな変な場所にまでやってきた。クリスの方を見ると、「止められなくて……」と苦い表情を浮かべている。
 どういう経緯でここに来たのかは不明であるが、この子もローラには目を掛けているという話だ。この場はかえって二人きりにした方がいいかもしれない。

「それでは、先ほど私が言ったことを忘れずに。私もアリーシャもバーミヤン公爵家には思うところはあっても君を恨んではいない。君には幸せになる権利がある」

 そう言って、私はローラから離れた。
 ベルハルトがこのローラだけを愛するときっちりと言ったら、二人は丸く収まるのだろうと甘く考えていたが、どうやらローラの幸せはそういうところにはないように思える。
 アリーシャの婚約破棄の一件は必ず起きることだろうから、それに心を痛めるローラがいるということは、ローラの心痛も必然的に起こりえたことだということになる。こんなにひどい話があるのだろうか。

 バーミヤン家もワルイワ家もともになんとかしてぐうの音も出ないほどに叩き潰したい家である。しかし、その場合にこの子はどうなるだろう。ローラ以外にも心ある従者などもきっといるのだろうと思う。
 いっそのこと兄のアレンと同じように性格がねじ曲がった嫌な兄妹であればどんなにいいか、そんなことを思っていた。

 来た道を戻ろうとしたら、またしても思わぬ人物に遭遇してしまった。今日はよく人に会う日だ。
 そして、立場上無視をすることもできない。

「こんなところでお会いするのは、奇遇ですな、カイン王子殿下」

 学園祭の喧騒の聞こえない閑静な場所に、カイン王子が一人で横になっていた。あまり人混みが好きではないのだろうが、欠席しなかっただけ変に真面目なところがあるのかもしれない。

「ふん、宰相か。そなたも物好きな人間だ」

 学園内でカイン王子が誰かと会話をする姿を見かけない、カーティスとアリーシャが言っていたことだった。容易に話しかけられる雰囲気を持っていないので当然と言えば当然のように思う。
 ただ、ベルハルトと同様に密かにファンクラブはあるようである。ファンの心理は度しがたいものである。

「そうですな。みなが好き勝手騒ぐのも嫌いではないですな。殿下はお嫌いですかな?」

 しかし、この質問には答えずに別のことを問い返してきた。

「そなたは研究者集団を用いて軍事兵器の研究はしないのか?」

「なんのためにですか?」

 嫌なことを問う王子だ。単なる好奇心にしてはタチが悪い。

「兵器は人を屈服させる手段として有効だ」

「だとしたら、殿下には国を治めることはできますまい」

「なんだと?」

「他国のことゆえ口幅ったいことは申し上げませぬが、カラルド国は暴力や恐怖で人を支配するおつもりですか?」

「そうだ、と言ったらどうする」

 決まっている。否定するしかない。

「あなたはそんな国を率いて、いったい何をなさりたいのです? 王になることよりも国を保つことの方が大変なことです。そのために他国を侵略されていきますか? しかし、それはいつまで? あなたが王になったとしてもあなたは神ではなく人だ。有限の命です。あなたが亡くなってからも国は継続させねばなるまい。しかし、そんな国、早晩潰れてしまうでしょう。創業と守成、どちらが難しいでしょうな」

 武力や暴力というもので抑えつけられる国、しかもそれが数百年も続いていくような国はいったいどれだけあったのだろうか。地球の歴史を振り返ってみても、そんな単純な支配の国はやがて同じ論理で滅ぼされてしまうものである。
 カリスマ的な指導者がいたとしても、その者がいなくなれば国は衰退する。もちろん、いなくなる前からその予兆はあったはずだ。しかし、それに気づける人はいったい何人いただろう。

「王というのはその国で一番の権力者です。それゆえに一番の無能者でなければなりません」

「迂遠なことを言う。王家を侮辱しているのか? いったい何が言いたい?」

「さあ? いつかわかる日が来るとよいですな。それでは」

 国王は定期的にカイン王子と話をしているというが、この子の国家観や人間観には従えないように思う。まだあの馬鹿王子の方が弊害は少ないだろう。
 この子は優秀なだけに被害も大きくなりそうだ。スーパーで駄々をこねてお菓子をねだる子どものように無邪気で、しかも貪欲なのかもしれない。だからこそ、厄介である。
 「なぜ人を殺してはいけないのか」と、特に深い思い入れもなくわずかな興味から訊くようなものだ。問いの重さに比例しない当人の心のあり方はもっと問題にされてもいいように思う。単なる卑小な自己の微々たる好奇心を満たすためだけに、答えの出ない問いを問う人間にまともな人間はいない。
 問う内容が重ければ重いほど、問う者にも覚悟が必要である。でなければ、いろいろな答えを言ったとしても響かないし、論理を突いて揚げ足を取るだけになってしまい、議論が不毛になる。

 この王子にはおそらく恐怖で人を支配することにも、武力でもって支配することも、抵抗がない、そう見える。
 ヒロインがこの子と結ばれた未来は暗い。本当にヒロインとゲームで結ばれる未来などあったんだろうかと怪しくなる。


 学園を一通り眺めて、模擬店の場所へと入っていった。ここからでもソースの香ばしい薫りが漂ってきている。先ほどの重苦しい空気が浄化されていくかのようだ。
 鉄板にはちまきをしたアリーシャ、はさすがに見られなかったが、上品な作業着に着替えてヘラを巧みに操ってせっせせっせと焼きそばを焼いている。公爵令嬢が焼きそばを焼いているとは知らない人にはわかるまい。

 焼きそばについては教えてもたこ焼きやお好み焼きについてはまだ誰にも言っていない。いつかアリーシャに教えるのもいいかもしれないが、怖いことのようにも思える。この子はとことんやりこむタイプのようだ。いったい誰に似たのだろうか。

「ハート! キャベツを追加でお願い!」

「へいよ!」

 キャベツを千切りするハートの包丁さばきもまたパフォーマンスのようで、見る者を楽しませる。
 何がこの二人の心に火をつけたのかは誰にもわからない。この二人はいったいどこへ向かおうとしているのだろう。模擬店の売り上げとは別に、アンケートによって人気店が最後に発表されることになっているのだが、まさかそれを狙っているわけでもあるまい。

 もうこの件に関してはアリーシャを止めることはできない様子だったので、事前に「海苔は歯に付くから、入れない方がよいぞ」とだけアドバイスはした。

 事前に家では何度も練習をして、邸のみなに焼きそばが振る舞われた。
 邸の外で焼いていたのだが、匂いが他の場所に行ったものだから、「火事か?」というとちょっと違うし、バーベキューのようなものでもない、ということで通行人たちには謎だったようである。

 見慣れた青年が注文する。

「一人前お願いします!」

「おお、君か」

 アリ商会のノルンだった。アリ商会も学園祭に際してはいろいろと業者が入りこんでいるようである。今は休憩中なのだろう。

「ドジャース商会、いやソーランド公爵家というのは本当に次々といろんな商品を思い浮かべるもんなんですね」

「はは、まだまだこれからだ。君のところも面白い模擬店を出してるじゃないか」

「あれも驚きましたよ」

 アリ商会もいくつか店を出していたが、綿菓子店を出していた。よく綿菓子を生む機械を作れたなと感心したものだ。腕の良い職人がそろっているのだろう。
 祭りの模擬店の商品も考えてみてもいいかもしれない。来年度にはリンゴ飴だとかクレープなどもいいだろう。まあ、時期的にかき氷は売れそうにない。

 ところで、王国の創立祭というのはあって、これにも多くの人々が集まってくるのだが、昨年は参加していない。時期はちょうど8月なのだが、今年は迷いの森に行っていたので今年も参加していない。
 来年にはドジャース商会で模擬店を出すのも面白いかもしれない。


 この学園祭では2日目にいわゆるミスコンやミスターコンが行われる。学生たちの他薦によって選出され、投票数の多さでグランプリが決められるのだという。バカラの時代にはなかった。
 たいてい1日目にわかるらしく、集計は生徒会の子たちで行われ、その日の夜にそれぞれ入賞した子女に連絡がゆき、2日目は着飾ってやってくるのが通例なのだという。

 実はアリーシャは入賞していた。私にも報告があったのだが、正直微妙な気持ちだった。

「あ、アリーシャ様、そろそろご準備を」

 生徒会の子だろう、腕章をつけた学生が焼きそばを焼いているアリーシャを呼びに来た。

「え? いやです。辞退しますと昨晩申し上げましたが」

 そして、「ハート! 追加!」とさらに鉄板に命をかけていった。
 家族の前ではむすっとすることもあるが、たいていアリーシャは人前ではお行儀よく演じている。だが、この時はどこか不愉快な表情になった。

 そこへヒロインがローラを引き連れてやってきた。ローラは先ほどとは違って少しばかり元気になったようである。

「サクラ様、あなたもご準備をなさってください」

 ヒロインもどうやら入賞していたらしい。確かにそうだろうなと思う。
 だが、生徒会の子は顔が青ざめている。

「拒否します。そんな誰かもわからない方々に選ばれたところで、何の栄誉もございません」

 アリーシャと同じく……いや、アリーシャよりも強気に生徒会の子に言い放った。やりとりから、昨夜もどうやら断ったように見える。

 結局、二人は最後までミスコンの会場には足を運ばず、最後まで模擬店で働いていた。
 途中からはヒロインも一緒になって焼いていた。さすがにローラはそこまでの度胸はないらしい。貴族的な振る舞いからはかけ離れているわけで、実際汗水流して働くのは庶民出の子たちの方が多く、その点アリーシャとヒロインは奇異に思われたかもしれない。

「それでは、ローラ様……」

 生徒会の子がひどく気の毒に思えてきた。
 ローラは、はぁと溜息をついて「わかりました」と言って渋々ついていった。
 この子まで拒否したら生徒会の面目も丸つぶれということなのだろう、そういうことへの配慮としてローラは同行したのだった。
 だが、先ほどの口論のことを考えると、ローラが注目することはあまり良いことだと思えない。それにもかかわらず参加したということのローラの心根は褒められるべきだろうか。なんともいえない。

 結果として、ローラはさすがにグランプリは辞退し、最上級生の子たちに譲って3位ということになった。4位はエリザベスだった。

 一方のミスターコンについては、アベル王子、シーサス、ベルハルトという3人が選出されたのだが、アベル王子は辞退し、そしてシーサスとベルハルトも内々に打ち合わせをして、それぞれが3位、4位で、やはり最上級生の男の子がグランプリとなった。
 なお、興味深いことにカイン王子も選ばれていたのだが、生徒会の子たちは伝えには行けなかったらしい。カイン王子も辞退をするということは明らかだった。
 まあ、学生たちの中ではアリーシャやアベル王子たちが辞退をしたんだなとわかっただろう。不正な投票結果だと指弾するような人間もいなかったようだ。

「どうしていい年してそういうコンテストをするんだろう」

 ヒロインはちょっと怒っているようである。
 その怒りを焼きそばに投げつけている。鉄板をヘラでコンコンコンと打ちつける心地よい音がする。こういう風に怒りをぶつける人がいたなと懐かしく思えてくる。

 ミスコンは日本でも、世界でも批判の声が上がっていた時代だった。
 ルッキズムと呼ばれる考え方がある。
 見た目や容姿を一つの基準とした外見至上主義とも呼ばれ、それが一種の差別である、そういう批判的な文脈の中で湧き出てきたのだろうと思う。
 元々はもっと前からあったのだが、近年になってよく目にするようになった言葉の一つである。ヒロインが通っていた高校にもそういう流れがあったのかもしれない。
 
 この世界もそうだが、娘が読んでいた少女コミックなども、貴公子たちは格好いいし、ヒロインだって可愛い。見た目が標準からズレている人々の恋愛物語は、やはり売れないのだろう。その気持ちはわかる。
 たまに奇をてらってそういう俳優が演じることはあるにせよ、基本的にはドラマでも映画でも同じことである。田中哲朗と妻が演じたら、それはもはや新喜劇である。

 可愛い子や綺麗な女の子が「人って見た目じゃなくて中身だよ」と言って浮かれる男の子がいる。そんな少女コミックを読んだことがあったのだが、どこまで説得力があるのかは正直不明である。これは娘の持っていたコミックだ。見目麗しい子たちが描かれるものである。


 もちろん、田中哲朗がいた化粧品業界もこの流れと無縁ではありえなかった。
 たとえば、「美白」を謳ったりこういう表現を用いない、そんなことを日本のメーカーが発表したこともあったし、アメリカに本社のある医薬品メーカーがこの種の製品をアジアで販売中止にするというニュースもあった。
 「美白」が良いという価値観はそれ以外は良くない、そういう印象を抱かせる。「大きな目」や「細い足」も裏返せばそういうことになる。
 このあたりは非常に難しい問題で、議論もあるのだが、全体的に「ありのまま」をどう伸ばしていくか、そういう視点にシフトしていった。

 高齢者の場合でもアンチエイジングではなく、加齢とともに、加齢に合わせて自らをコーディネートする、そんな風に変わっていった。
 とはいえ、この世界では、まだまだ時間がかかりそうだし、「美を求めるのは悪いことか」という問題は一筋縄にはいかない。
 熟議の果てにどういうことになるのか、それは気にかかることの一つだ。

 一般にファッションとは誰のためにするのか、そういう根源的な問いがある。
 それは自分のためであり、他者を通して見た自分のためであるし、自分の中にも別の自分がいてそれを他者だと考えたら、結局は他者のために行っているのではないか、そんな考え方がある。

 世界に自分一人しか存在しなかったら、おそらく羞恥心も虚栄心も、人の感情と呼ばれるほとんどのものは存在しない。
 現実には人間が存在する社会に所属しなければならないので、そういう感情は必然的に生まれてくる。
 感情の源泉は他者の存在である。
 この世界にも哲学や倫理学はあるが、こういうことを考えることも必要なのだろう。即戦力にもならず役には立たないと思われている学問を、早い段階で根付かせていくことが求められているのかもしれない。

 
 さて、二日間開催の学園祭は無事に終わった。例年よりも盛況だったようだ。
 アリーシャたちの焼きそばの模擬店は残念ながらグランプリに選ばれなかったようだ。「くっ、来年こそ必ず」という意気込みである。ハートも乗り気だった。
 気分が早いが、すでに来年度の学園祭実行委員会が立ち上げられるのだという。一年前から行事を考えるというのは、私の時代では考えられなかったが、もしかしたらそういう人々はいたのかもしれない。

 邸に戻ったその日、王宮から凶報が届けられた。
 第一王子キリルがビーストン国の王女との婚約を発表したのである。
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