吸血鬼のお宿~異世界転生して吸血鬼のダンジョンマスターになった男が宿屋運営する話~

夜光虫

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三章

宿泊者名簿No.10 気狂い校長カニバル3/8

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「妊娠……? スイーツが?」
「そうよ」

 スイーツはなんと妊娠しているらしかった。
 ワシとスイーツはキスまでしかしたことがない。そのキスだって最後にしたのは半年くらい前のことだった。

 半年くらい前のキスで妊娠ってするのだろうか。混乱していたワシはそんなことを考えてしまっていた。

「えと……俺の子だよな?」
「何言ってんのよ。そんなわけないでしょ。カニバルとはそんなこと一度だってしてないもの。唇はともかく、アタシが身体を許したのはこの世でただ一人だけだもん」
「っ!? じゃ、じゃあ誰の子なんだよ!?」
「ベイカー先生よ」
「なっ!?」

 スイーツのお腹の中の子はあのベイカーの子だという。
 つまりは、スイーツはあの野卑で下賎な元冒険者の四十路超えの爺とラブラブな子作りに励んでいたということである。
 ワシが一度たりともさせてもらえなかったエッチなことを、スイーツはあの爺には許したらしい。ピーをピーされ、イチャイチャラブラブの子作りをやっていたというのだ。

(痛い……頭が痛い……)

 ワシはこの時、自分の脳細胞が死んでいく感覚を初めて味わった。脳の奥深くがズキリズキリと痛み、細胞が死んでいく感覚を初めて味わった。

 深く愛した者を奪われるということは、脳細胞が破壊される程の恐ろしい出来事なのだ。人生が狂ってしまうくらいの、それはそれは恐ろしいことなのだ。

「ということだから、婚約の話はなかったってことで。元々口約束だったし別にいいでしょ?」
「ま、待てよ! そうなったら、君は貴族街にいられなくなるんじゃないのか!? 薄汚い庶民と一緒に暮らさなければならなくなるんだぞ!? 君は前は庶民の生活を心底嫌がっていただろう!?」

 ワシは自分の手からスイーツの心が離れていくのを感じ取りながらも、惨めにも再度掴もうと足掻いた。貴族街を追われるという話を持ち出し、必死にスイーツの心を取り戻そうとした。

「ああそれね。もういいんだ」

 だがスイーツは笑顔で俺という存在を拒んだのだった。困ったように苦笑しながら、心変わりしたことを告げる。

「実は貴族街じゃないところで暮らすのも悪くないかなー、なんて思っちゃったのよ」
「え……?」
「貴族街ってほら、色々としきたりとか面倒で息苦しいじゃない? それに比べて、庶民の人は自由だし、温かくて人の繋がりが感じられるっていうかさ。実は庶民最高、みたいな?」
「は……?」

 スイーツは今まで見たことのないような素晴らしい笑顔でワシに微笑んだ。貴族という縛りから解き放たれた清々しい笑顔だった。スイーツのこんな笑顔、ワシは今まで一度たりとも見たことなかった。

 スイーツにこんな笑顔をさせているのは、あのベイカーという男に他ならなかった。

 ワシは嫉妬心から、猛反発した。

「それは間違っているぞスイーツ! ゴミ庶民の生活など、肥糞にまみれた苦労続きの糞人生に決まっているであろう! お前は洗脳されている! ゴミ庶民の綺麗ごとに洗脳されているぞ!」
「勿論、庶民には庶民の苦労があると思うわよ? でも、あの人と一緒ならどこでもいいかなって。例え肥溜めの中でも暮らしていける気がするのよ。愛の力って素晴らしいわよね。愛による洗脳なら、アタシはバッチコーイって感じかな。ウフフ」
「そんな……」

 スイーツは完全にあのベイカーに篭絡されているようであった。俺の言うことなど何一つ届かなかった。

「それにゴミ庶民なんて言いすぎよ。貴方は下級貴族になるんだから、高貴なる者の務めだかがあるんだから、そんなこと言っちゃダメよ?」

 スイーツは哀れな者を見る目で庶民を馬鹿にする俺のことを見てきた。俺の考えは驕り高ぶった最低な貴族の考え方だ、とやんわりと非難してきた。

 彼女も前までは俺と大して変わらない考えだったのに、全てはベイカーと出会ったことで変わってしまったようだった。

「うぁっ、何故だぁ……。スイーツぅう……。俺はこんなにもお前を愛していたというのにぃ……あああ!」
「カニバル……。その……ごめんね」

 ワシは女の前だというのに見っともなく泣き出してしまった。
 そんなワシを見ながらスイーツはなんとも言えぬ表情をしていた。能天気な彼女でも流石に悪いと感じたらしく、しばらく何も言わず無言でいた。

「そうだわ!」

 延々と泣き続けるワシとそれを見守り続けるスイーツ。
 やがてスイーツはいいこと思いついたという風に、ポンと手を合わせたのだった。

「うん、口約束でも婚約破棄はやっぱしダメよね。責任はとるわ。私が今ママと住んでる貴族街の家、カニバルにあげるわよ。それで許してちょーだい、ね?」
「あぁ……」
「じゃあそういうことでいいわね。これで恨みっこなしよ?」

 ワシは何がなんだかわからぬまま搾り出すように返事をしていた。スイーツはそれを諾と受け取ったようだった。

「カニバルは王宮料理番としてこれから頑張ってね。アタシ、遠い田舎でずっと応援してるからさ。それじゃね」

 スイーツはそう一方的に告げて去っていった。愛しそうにお腹を擦りながら、遠い目でどこかを見ていた。その目には、ワシではなくベイカーが映っているに違いなかった。

(あの男、許さん! 人の婚約者を寝取りおってぇええ! 先生のくせに生徒の婚約者を奪いとるなんて人間のクズだ!)

 悲しみでしばし気力を失っていたワシであるが、ベイカーへの怒りと復讐心を原動力にして再び立ち上がった。気がつけば学校へと向かい、鋭い包丁を手にしてベイカーの研究室へと乗り込んでいた。
 都合がいいことに、奴は研究室で一人で煙草を吸っていた。

「間男めええええ! 覚悟ぉおおおおお!」
「うおっ、何だ!?」

 奇襲を仕掛けたワシだが、一瞬で手首を捻られ、組み伏せられてしまった。

 流石は元銅等級冒険者である。荒事が苦手なワシ如きが、敵うはずはなかったのだ。

「なんだこいつ? 誰だよお前?」
「うあああああ! ああああ!」
「暴れるなっつーの!」

 ワシは奴に後ろ手に組み伏せられてしまった。
 スイーツを奪った男に後ろ手に組み伏せられる――これほど惨めな状況はないだろう。

「スイーツは俺の婚約者だ! お前! 先生のくせに何考えてやがる!」
「っ!? そ、そうか……」

 もう恥も外聞もなくなったので、ワシは泣き喚きながら奴を罵倒してやった。

 ベイカーはそれを聞き、罰の悪そうな顔をした。それからワシの拘束を解いた。

「そいつは悪かったな……。婚約者がいるなんて知らなかったんだ。許せ」
「何故だ! 何故スイーツに手を出した!」
「……すまねえ」

 ワシが理由を尋ねても、奴は何も言わず黙って謝罪するだけであった。「変態クソジジイ」や「ロリコンクソジジイ」など、ワシは思いつく限りの罵倒の言葉を浴びせてやった。

「ちっ、それなら俺も言わせてもらうが」

 そうすると、男は流石に耐えかねたのか重い口を開いた。煙草の煙を深く吐きながら、言い訳の言葉を零し始めた。

「俺だってな、手を出すつもりなんてなかったさ。ガキは好みじゃねえしな。俺は断じてロリコンじゃねえ。どちらかというと年上が好みだ。それだけは訂正させてくれ」
「じゃあ何故だ!?」
「……」
「言え! このまま納得なんてできるか! 何故お前はスイーツに手を出した!? お前が誘って手を出したんだろう! このロリコン!」
「それは違う」
「じゃあ何故だ!?」

 ワシが迫ると、ベイカーは新しい煙草を手にしながら、「お前さんは聞かない方がいい」などと抜かしやがった。

 それでもワシが何度も迫ると、ベイカーはやれやれといった表情をしながら、「本当に話していいんだな?」と念を押してきた。ワシは勿論、諾と答えた。

「アイツが何度も誘ってきたからさ……」
「っ!? 嘘だ!?」
「嘘じゃねえよ」

 ベイカーは言い辛そうにしながらポツリと零した。ベイカーは先に手を出しておらず、誘ったのはスイーツからだったと言うのだ。

「一度二度なら断ったさ。立場もあるしな。だが三度四度と迫られりゃ、俺だって男だ。そこまで愛されちまったら、こっちも愛してやるしかねえだろが」
「っ!?」

 ベイカーがその場しのぎの嘘を言っているようには思えなかった。スイーツがベイカーを求めて何度も迫った――それは紛れもない事実のようであった。

(そんな!? そんなことって……)

 ワシがどれだけエッチなことをお願いしても、「先っちょだけだから頼む」と土下座しても、スイーツはそれを頑なに拒んだ。
 だというのに、ベイカーに対しては自らそれを懇願し、積極的にピーをピーしてピーピーピーさせたというのだった。大切な純潔を捧げ、子種を仕込まれ、幸せいっぱいに微笑んでいたのだ。

(頭が痛い……脳細胞が……脳が壊れていくぅうう!)

 ワシの脳細胞はまたしても大量に死んでいった。脳の奥がズキリと激しく痛み出し、その痛みは決して消えることがない。

 一度死んだ脳細胞は再生することはないのだ。

「お前、婚約者ならずっと傍にいてやれば良かったんだよ。同じ学校に通ってんならよ。そうすりゃアイツも寂しさを感じることもなかったろうよ。こんな爺に心を寄せることもなかったと思うぜ?」
「あぁっ、あああ……」

 ベイカーのその言葉が止めになり、ワシはその場に力なく倒れこんだ。そして、憎き間男の前だというのに、童子のように泣きじゃくってしまった。

「うあああ! あああああ!」
「……」

 ワシが嘆き悲しんでいる間、ベイカーは一言も発せず、ただひたすら煙草を吸っていた。大人の男の色気と余裕を醸し出しながら、泰然自若として佇んでいた。

「もう気が済んだだろ。刃物持って襲ったことは見逃してやる。顔洗ったらそのままウチに帰りな」

 どれだけ時間が経っただろうか。ワシの涙が枯れ果てた頃を見計らって、ベイカーが口を開いた。

「お前さん、王宮料理番に選ばれたんだろ。王都の下級貴族になるんだろ。だったら、女なんてこれから腐るほど抱けるさ」
「……」
「勿論ケジメはつけるさ。俺もスイーツも王都から去る。お前さんはこれからこの花の王都でアイツ以上に良い女を見つけやがれ。それで立派な貴族になって、庶民の俺を見返しやがれ。な?」

 粗野な男なりの激励の言葉だったのだろう。口は悪いが、ワシのことを心から思っているという風な態度であった。奴は野性味溢れる良い笑顔で、ワシのことを励ましてきやがった。

 ワシは憎き間男に励まされながら、泣き腫らした目を擦り家に帰ったのであった。酷く惨めだった。

 程なくして、ベイカーとスイーツ(とその母親)は王都を去った。ワシはその姿をこっそりと見送ることにした。

「イースト村ってどんな田舎なのかな? すっごい楽しみだねママ!」
「そうね田舎暮らしも楽しそうね。二十年ぶりの故郷はどんな田舎になってるのかしら?」
「二人共、頼むから現地では田舎田舎言ってハシャぐのはやめてくれよな……」

 ウキウキとした表情のスイーツとその母親。煙草を蒸かしながらやれやれといった表情のベイカー。

 都落ちして一家で田舎に逃げていくというのに、その姿はなんだか眩しかった。悲愴感などは欠片もなかった。幸せのオーラで満ち溢れていた。

 落ちぶれて都落ちしていく奴らを見れば多少は鬱憤が晴れるかと思いきや、そんなことは決してなかった。

(頭が痛い……脳細胞が壊れていく……)

 立場から見れば、ワシは下級貴族の王都民。向こうは都落ちしてうらぶれた田舎者であることは間違いない。

 だが、ワシの頭は劣等感でいっぱいだった。男として、人間として、完全なる敗北感を味わってしまった。

(脳が壊れる。脳細胞が死んでいく……)

 奴らが王都から去るのを見届けた後、幽鬼のようなフラフラとした足取りで自宅へと帰ったのを、今でもよく覚えている。
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