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第1章
7話 聖女の密かな悩みと船旅の一幕
しおりを挟むイストークを出発してから1日と少し。海も天候も取り立てて荒れる事なく、私達の乗った船は順調に航路を進んでいる。
いやあ、思わず例の歌を歌いたくなるくらい、綺麗な紺碧の海だ。
ホラ、海は広いな、とかいうやつ。
あー、風景撮りたい。やっぱカメラ欲しい。
欲しいって言ったら買えないかなぁ。
だってディア様も持ってるし。
でもディア様は、場合によっては王家や裁判所に手を貸して、法に則って人を裁く立場にもなりうる人だから、ある種の超法規的措置って事で所有してるんだろうけど。
となると、私とディア様は根本的に立場が違うし、やっぱ無理かな。ちっ。
てな訳で、ないものねだりしても仕方がないから、船内で出された魚中心の朝食を大変美味しく頂いたのち、今は自室でメグから借りた本を読んでいる所だ。
本のタイトルは、『きみの青い鳥になりたい』。
バリバリのラブロマンスものです。
男勝りな男爵令嬢のヒロインが、恋人である騎士にかけられた死の呪いに立ち向かううち、恋人の騎士とより深く心を通わせていく、っていう、結構典型的なストーリーなんだけど、砕けた表現が多いせいか割と読みやすいし、そこそこ面白いんだな、これが。
流石は、メグのお勧めなだけはある。
ただ……この本を読んでいると今日の早朝、ティグリス王子の質問を思い出して、ちょっとモヤモヤするんだよね。
あの「好きな人はいないんですか?」…的な質問を。
ティグリス王子にも話したが、私は恋どころか、誰かに特別な感情を抱いた事がない。
人を好きになった事がないのだ。
それは当然、前世の話にまで遡る。
幼稚園から小学校までは、ド田舎の学校に通ってたせいか、学校のクラスの男子はガキ丸出しのバカばっかで、好きになるどころか敵も同然だったし、引っ越しで上京して入った中学と高校では、私自身ちょっぴり荒んでヤンチャやらかしてたので、男なんぞに興味はなかった。
そして高校を出た後、上手い事就職できずにあっちこっちで職探しをしていた私は、ばあちゃんのかつての交友関係に助けられる事となる。
ばあちゃんの知り合いのツテで、とある中小企業に拾い上げられたのだ。
こうして、その会社の末端近い部署でチマチマ仕事をするようになってから、私は2次元の萌えに目覚めた。
それ以降、2次元の登場人物以外には目もくれなくなり――今に至っている。
当然、付き合った相手などいない。
イマジナリー恋人さえ存在しません。
ひたすら萌えを追求し、オタク道を邁進する生活を送る事ウン10年。
ふと気付けば四十路に片足突っ込んだ歳になり、それでもなお、浮いた話の『う』の字すらない事を理由に、弟からも心配の眼差しを向けられていたけれど、私はお構いなしだった。
なぜなら、3次元の男にゃ萌えられないから。
物凄いイケメンに出会っても、「ああイケメンだな」としか思わない。
近しい人から親切にされても、「ありがたいなあ」としか感じない。
素晴らしい神対応を受けても、感激はすれど全くときめかない。
マジで、ドキドキもキュンキュンも全然体験した事ないんだよ。
あらゆるジャンルにおける2次元の男性キャラになら、アホほど萌えまくってハアハア……もとい、キャーキャー騒いでた事は山ほどあるんだけど。
前に、アニメで推しの役をやってた声優さんが声当ててる、って情報に食いついて遊んでた、育成型恋愛シミュレーションゲームでも、萌えたのはあくまで、その声優さんが声当ててるキャラだった。
大してヒロインとストーリーに感情移入はしなかったし、ヒロインと自分を重ね合わせて妄想するなんて事も、当然なかった訳で。
つか、私はそういう妄想苦手だったから、恋愛シミュレーションでも、主人公のヒロインのキャラがしっかり立ってない、いわゆる『ゲームのプレイヤーこそがヒロインです』…みたいな系統のゲームには、絶対に手を出さなかったなぁ。
友達がそういうゲームやってるの見物してるのも、なんかダメだった。
綺麗なイラストのキャラが、綺麗なグラフィックで画面いっぱいにバストアップで映ってて、そのキャラがこっちに視線合わせる勢いでこっち見ながら、すげぇイケボで「俺の愛しい姫」とか呼んでるの。
ぶっちゃけ、見聞きしただけでサブイボ出ました。
それ以降、そっち系統のゲームは見物すらしなくなったよ。
おかしいな。2次元のイケメンもイケボキャラも大好物なんだけど。
でも、そのキャラの感情のベクトルが自分に向くと、なんか諸々受け付けなくなるのはなぜ。
分かっている事はひとつだけ。
私は別に、ヒロインになりたいんじゃないって事だ。
私にとってのヒロインとは、私が愛してやまない『最推し』の事。
そしてヒーローとは、自分の最推しを幸せにしてくれる人物の事。
『私』を大切にして愛してくれる奴の事じゃないのである。
そう、私はヒロインじゃなくていい。
精々推しの近くで生きてるモブ……いや! むしろ私は、推しの生活圏にある柱か壁になりたい!
そして、ヒロインが日々幸せに生きている所を、永久に見守っていたい!
私はただ、推しが大切にされて幸せになってる所を見ていられれば、それで充分幸せなんだ……!
前世でまだ20代だった頃、会社の友達から数合わせの為にと頼まれ、最終的にタダ飯に釣られて参加した合コンで、大ジョッキのチューハイとつまみの枝豆かっ喰らいつつ、上記のような話を小1時間ほど熱く語ったら、その場の全員にドン引きされたのも、今ではいい思い出です。
……ん? あれ? なんの話してたんだっけ。私。
ああそうそう。恋に関する話だ。
みんなは「恋はいいものだよ」って言ってるし、私もそれを否定するつもりはないんだよ。全然興味がないって訳でもないしさ。
実際、それによって生み出された話が、どれだけ私の私生活に萌えという名の潤いを与えてくれていた事か。
それを思えば、恋という2文字の単語とそれが生み出す出来事がどれほど尊い現象なのか、容易に想像がつこうというものだ。
でも、そもそも恋ってどうやったらできるモンなんだろ?
どうやったら人を好きになるんだ? もし仮に、自己暗示レベルの強い意志で、今からあの人を好きになるぞ、あの人に恋するぞ、って思ったら、本当にそうなるモンなのか? 一体なにが正解なんだ?
――いや待て。恋は理屈じゃないって話も聞くぞ。
確かに、漫画やアニメ、小説とかでも、そういう感じで描写されてるもんな。
うん、それは理解できるんだ。
でも自分に当てはめた途端、なんでか分からなくなるんだよね。
想像つかないって言うべきかな。
くそ、超久々にマジで考えてみてるけど、やっぱ人に告った事もなければ告られた事もない喪女に、このテの話は難解過ぎる。
これある意味、相対性理論を理解するより難しいんじゃね?
理系の友達が飲み会で、「相対性理論ってのは、ものっそいざっくり説明するなら、『エネルギーとブツは等価交換』なんだって事を証明する為のモンなんだよ」って教えてくれたけど、恋って現象の説明に関しては「さあ? 分かんね」で終わりだったしな。
……もしかして、訊いた相手が悪かったんだろうか。
あー、なんかあれこれ考えてたら疲れた。
本読むのもダルくなってきたし、しばらく寝るか。
つーか、ここまで一生懸命考えてんのに、なにひとつ分からんとなると、私にゃ恋は向いてないって事なんだろう。
うんそうだ。もうそれでいいや。めんどい。
今日のお昼ご飯はなんだろな。
やっぱ魚介がメインかな。
そろそろ肉が食べたいな。
船から降りたら肉食おう。
しょうもない事をつらつら考えながらベッドに横たわると、すぐに睡魔が襲ってくる。
その睡魔に身を委ね、私はさっさと意識を手放した。
結局私は、マグノリア様が「お昼ご飯の時間ですよ」と、呼びに来てくれるまで爆睡していた。
いかんいかん。幾らほんの2日かそこらの話でも、なんもせんと食っちゃ寝するとデブまっしぐらだ。可及的速やかに身体を動かそう。
午後からは、ちょっくら海釣りでもやってみようかね。
◆◆◆
今日の天気は雲ひとつない快晴。波も穏やかだけど、やっぱり夏とは思えない外気温が続いている。
なんかこう、微妙に薄ら寒いんだよね。
強いて言うなら夏に入る前の、晩春の冷え込みみたいな感じだ。
私の両隣で、同じように釣り糸を垂らしているエドガーとティグリス王子も、なんだかちょっと寒そうに見える。
私がクルーの1人に頼んで釣竿を持ち出したのを見て、まず最初に自分もやる、と食いついてきたのがエドガーで、釣りという行為そのものを体験した事がない……どころか、見た事もないのだというティグリス王子が、興味本位でそれに追従。3人で船尾に近い場所に陣取って、海釣りに興じる事になった、という訳だ。
なお、マグノリア様は不参加です。
多少は慣れてきたけど、まだちょっと生きて動いてる魚は苦手なんだって。
そういやイストークの市場でも、最初は山積みになってる魚を恐々見てたっけ。
剣術やら乗馬やらを積極的に嗜んじゃうような、元気で活発な子でも、やっぱそういう所は生粋のお姫様と言うか……深窓のご令嬢って感じがするよね。
そんなこんなで、3人揃って釣りを始めてからおよそ1時間ほどが経過しているが、船の縁から釣竿垂らしてじっとしてると、余計に海風が身に沁みてくる。
ええはい。そうです。
お察しの通り、全員ボウズです。
小魚1匹釣れやしない。
流石に、入れ食いなんて事は有り得ないだろうと思ってたけど、ここまで釣れないってのもちょっと想定外だった。
予備知識さえないティグリス王子はともかく、川釣りの経験がある私とエドガーなら、ちょっとは釣れるんじゃないかと思ってたんだけどなぁ。
畜生、海釣り舐めてたよ……。
「……釣れねえなぁ……。身体も冷えてきたし、引き揚げるか?」
「そうだねぇ……。風邪引いたらマズいし、そうしようか」
エドガーのボヤキにも似た言葉に、私も素直にうなづき返した。
それから、神妙な面持ちで釣竿と海を見つめているティグリス王子にも声をかける。
「ティグリス王子、そろそろ釣りは終わりにしましょう。風邪を引きます」
「そうですか? 分かりました。全く釣れなかったのは残念ですが……」
「本当にそうですね。私達も、こうまで釣れないとは思ってませんでしたから」
苦笑いするティグリス王子に、私も同じく苦笑いを返した直後。
エドガーがギョッとした顔で立ち上がった。
「――おい! 引いてる! 王子の竿! 糸が!」
「へっ!? ――あっ! ホントだ! ティグリス王子、竿を持って! 釣れてます!」
「えっ!? あ、はいっ! ……うっ、重……っ!」
「リールだ! リール巻け! おいアル、網持って構えろ! こりゃデカいぞ!」
「わ、分かった! こういうの急転直下の展開って言うんだっけ!?」
「あ、あの、竿が! 竿が物凄く……っ! しなってるんですが……っ! 折れるんじゃ……!」
「大丈夫だ、その程度じゃ折れねえよ! もっと引け! それから一度引く力を緩めるんだ!」
「はいっ!」
ダレ切った空気が蔓延していたのが一転、私達はてんやわんやの大騒ぎになった。
みんなで釣りをしてる最中、いきなりド素人の釣竿に大物が食いつくという、世の創作作品の中に掃いて捨てるほど出てきそうなシチュエーションの中、必死こいて格闘する事数分。
ティグリス王子は見事、軽く40センチを超えているであろう、結構な獲物を釣り上げた。
初めての釣りで魚を釣り上げたのが、よっぽど嬉しかったんだろう。
その時の、ティグリス王子の喜色満面のお顔がまた、その辺にいるお子様と大差ない、無邪気で幼い感じでね。なんか見ていて、とても微笑ましかった。
で、問題のその魚だけど、見た目はこう、綺麗な流線型で丸々としてて、皮に縞があって……。
なんつーか……うん。黄色いカツオ? としか言いようがない見た目だった。
後でクルーに話を聞くと、その黄色いカツオの名前はバニータだと判明した。
なんかどっかで聞いた名前だと思ったら、この船の目的地であるエクシア王国の港町が、バニータドルフって名前だと、エドガーに呆れ顔で言われたよ。
なんだよ、ちょっとド忘れしてただけだろ。人を物忘れが激しい奴みたいに言うな。
しかし、バニータドルフか。
もしかして、バニータと関わりが深い町なのかな。
向こうに着いたら、ちょっとばかり話を聞いてみよう。
なお、夕飯にそのバニータをマリネにしてもらって食べた所、身の色も味もカツオそのままだった、という事だけ、ご報告しておきます。
応援ありがとうございます!
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