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アルバイターガレイト
元最強騎士、家に帰る
しおりを挟むぐつぐつぐつ……。
薄く切られた熊肉が、味噌を溶かした鍋の中を泳いでいる。
ブリギットはその肉をおもむろに箸で掴むと、生卵を溶いたお椀の中に肉をつけ、口の中へと入れた。
もぐもぐもぐ……。
言葉は不要。
ブリギットの大きく開いた目が──つやつやの肌が──その料理が美味だということを雄弁に物語っていた。
ゴクリ。
思わず生唾を飲み込む、ガレイトとモニカ。
熊肉は嫌いだと言っていたサキガケでさえ、ブリギットに羨望の眼差しを向けている。
三人は、まるで餌を待つ雛鳥のような顔で、ブリギットを取り囲んでいた。
やがて──
ゴクン……!
ブリギットがその肉をゆっくりと飲み込むと、ガレイトがおそるおそる、わかりきっている事を訊いた。
「ど、どうですか、ブリギットさん……美味しいですか?」
「お……」
「お……?」
「美味しい……!」
ブリギットが何とも言えぬ、呆けた顔でそう答えると、なぜか厨房内に歓声が沸き起こった。
「熊肉のしっとりとした脂身が、濃厚なミソと上手く絡み合っていて、すっきりとした生卵がそれを嫌味なく引き立ててる……!」
「臭味は……?」
モニカが尋ねると、ブリギットは首を左右に振った。
「ないよ!」
「おお……!」
再び、厨房内に歓声が起こる。
「……まあ、卵の大量調達は無理だとして、それを踏まえたうえだと、味はどう?」
「ミソ自体がお肉の臭いを消してくれてるから、卵がなくても大丈夫かな」
「今回卵が手に入ったのはほとんど奇跡ですからね」
しみじみと言うガレイト。
「そ、そうだね……私が鴨さんに運ばれて、落とされた巣で偶然発見しただけだもんね……でもでも、それだけでも十分美味しいと思うよ……!」
「うん、ブリの幸せそうな顔をみたらわかるよ」
「そ、そんな……顔をしてた?」
ブリギットは恥ずかしそうに、帽子を深くかぶって顔を隠した。
「でもこれで、ご当地鴨熊フェアで出せる料理が決定したね」
「素材の味を活かした鴨鍋に、ミソと上手く調和した熊鍋……」
「これは、火山牛の時よりもいけるかもね」
「はい。熊鍋に至っては、サキガケさんのお陰です。まさか、あんなに大量にミソを持っていたなんて……」
そう言っているガレイトの視線の先には、味噌の入った桶が山のように積み重なっていた。
「ニン、気にしないでいいでござる。拙者、味噌や醤油があれば基本なんでも食べられるので、とりあえず、それだけは肌身離さず持っていたのでござる」
「ああ、なるほど……なるほど?」
「改めて、ありがとうね。サキガケさん。今度、このお礼するから」
「ニンニン、気にしないでいいでござる。拙者の国では安価で手に入る調味料ゆえ、そんなもので見返りを要求するのは、逆に申し訳ないというか……」
「そうはいっても、グランティではミソなんてそもそも手に入らないし……売ってたとしてもかなり高価だしね……」
「──そうだ。では、これのお礼として、俺がサキガケさんの案内をするということでどうでしょうか?」
「あ、それはいいでござるな」
「ん、そうだね。まあ、それが一番丸く収まるかも」
「じゃあ改めてよろしくお願いするでござる。がれいと殿」
「はい、こちらこそ」
「うん……あとは、明日からフェアを開催するとして……フェアが終わるのは四日後か、五日後……なんだけど、サキガケさん、迷わずにここに来れそう?」
「む、難しい……かもでござる」
「なら、ガレイトさんの泊ってるホテルに泊まるのは……」
モニカがガレイトの顔を見ると、ガレイトは静かに首を振った。
「なにやら最近はホテルも盛況のようで、空き部屋がないと支配人さんは嬉しそうに仰っておられました」
「そっかぁ……じゃあ、一緒の部屋には……?」
「すみません、部屋もすでにいっぱいで……」
「だよねぇ……」
「えっと、そういう問題なの……?」
ブリギットが小さくにツッコむ。
「なら……、うちで、短期間住み込みで働いてみる?」
「……え?」
◇
ご当地鴨熊フェア当日。
大盛況のホール内には、忙しくなく歩き回るガレイトのほかに、いつもの忍び装束を脱ぎ、ウェイトレスの服に袖を通しているサキガケの姿があった。
サキガケは、後ろに結んだ髪をぴょこぴょこと動かしながら、慣れない仕事に悪戦苦闘していた。
「おーい、こっち熊肉追加だ!」
「こっちは鴨肉おねがい!」
「ニン……!」
「すみません、お会計おねがいします」
「ニンニン……!」
「わるい! 飲み物無くなっちまった! 注いでくれ!」
「ニンニンニン……!」
「おぅい姉ちゃん!」
「ニン……?」
「可愛いな。あんた、ここら辺の子じゃねえだろ」
「店が終わったら、俺たちと遊──」
「──すみません、お客様。他のお客様のご迷惑になるので……」
「ひっ!? が、ガレイトさん!?」
「な、なんでもねえんだ……! なんでも……!」
ご当地鴨熊フェアは多少の波乱や騒動があったものの、モニカの目論見通り五日間続き、普段食べられない珍しい肉や、ブリギットが料理すると聞ききつけた客たちが押し寄せ、火山牛フェアに続き、大成功を収めたのであった。
◇
翌日。
まだ、前日までの、ご当地鴨熊フェアの疲れが抜けきっていない頃。
旅の支度を終えたガレイトとブリギット、そしてサキガケの三人が、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの店の前で整列していた。
見送りは、痩せてスラッとしているモニカと、二階の窓から頬がパンパンに腫れたグラトニーが顔を覗かせている。
「じゃあ、行ってくるね、モニモニ」
「うん、気を付けるんだよ。……ガレイトさん、くれぐれもこの子のことをお願いね」
「はい。お任せください」
「サキガケさんも、出来ればでいいから、ブリの事気にかけてあげて」
「ニン! 承知したでござる」
「ちょ、ちょっと、モニモニ、恥ずかしいから、そういうのは……!」
「ああ、ごめんごめん。こういうの初めてだから、あたしのほうが緊張しちゃってるのかもね……」
照れくさそうに頭を掻くモニカ。
そんなモニカを見て嬉しくなったのか、ブリギットはその小さな手で、そっとモニカの手を握った。
「モニモニ、お土産、いっぱい買ってくるからね」
「いやいや、そういうのはいいから」
「買ってくるから。モニモニのために」
「……はいはい。期待しないで待っとく。んじゃ、しっかり経験してくるんだよ」
「なんか、もう完全に母親じゃな」
二階から呆れたようなツッコミが降ってくる。
「ブリギットさん、そろそろ……」
「う、うん……!」
「では、モニカさん……」
ガレイトはそう言って、頭を下げる。
「はい、いってらっしゃい」
「いってきます」
三人はそう言うと、揃って歩き出した。
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