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武田義信

椿姫(つばき)入内

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 10月1日『信濃・諏訪城』

 今回の出羽遠征は想定外に好結果が出た。この状況を京の朝廷と幕府に奏上した結果、武田一族の官位官職が上がることになった。信玄は朝廷で従四位上・兵部卿に幕府で新たに佐渡・出羽守護・准管領に任じられた。美濃土岐家の土岐頼芸の嗣養子となった土岐信龍は、朝廷で従六位下に任じられえた。俺は正二位・内大臣・左近衛大将・甲斐・信濃・越中・越後国司を兼任することになった。鷹司実信は従三位・権中納言・左近衛権中将・出羽国司に任じられた。三条公之は従三位・権中納言・右近衛権中将・佐渡国司に任じられた。

 「現時点の武田一門官位官職」
武田信玄  正四位上 兵部卿・甲斐・信濃・飛騨・越中・越後・佐渡・出羽守護
           足利幕府・礼式奉行 国持衆・准管領 
武田信繁  従五位下 大膳権大亮 足利幕府・越中守護代
武田信廉  正六位下 左馬助 足利幕府・越後守護代(長尾為景が魚沼郡分郡守護代)
姉小路信綱 従六位下 飛騨国司 足利幕府・飛騨守護代
土岐信龍  従六位下

鷹司義信 正二位・内大臣・左近衛大将・甲斐・信濃・越中・越後国司
鷹司実信 従三位・権中納言・左近衛権中将・出羽国司
三条公之 従三位・権中納言・右近衛権中将・佐渡国司
 
 「武田家石高」
甲斐・20万石(穴山・小山田以外は完全支配)
信濃・40万石(完全支配・生産拠点)
飛騨・ 4万石(完全支配・鉱山開発)
越中・30万石(一向宗以外は支配下)
越後・30万石(反抗的・独立心旺盛な国衆多し)
佐渡・ 1万石(鉱山開発最優先)
出羽・20万石(表面的に従ってるだけ・最上・最上八盾・伊達は敵)

 俺と鷹司実信・三条公之が佐渡・出羽2カ国で赫々たる戦果を挙げている頃、武田家としては慶事が続いた。叔母上たちが京に嫁いでいかれたのだ。

 だがこの為の下準備に信玄・鷹司簾中(元三条夫人)・九条卿・鷹司卿(元三条公頼)・武田派公家衆は奔走することになった。京まで西上する為の経路の安全確保は、美濃で土岐頼芸と斎藤道三が反目しているので調停が破綻してしまった。そこで先ずは同盟模索中で親戚でもある今川の駿河に行き、更に陸路で三河の渥美半島まで行く、一応尾張の織田信長には朝廷から話を通してもらい、保険を掛けた上で海路で伊勢の津に上陸。伊勢の長野藤定の勢力圏から甲賀を通り近江の草津に出て京に入りることになった。

 ただ伊勢の北畠晴具をはじめとする敵対勢力にも、朝廷・公卿衆から話を通してもらい、姫行列が襲撃されることの無いように幾重にも安全策を講じた。それでも安全の為に、甲斐武田の譜代衆で編成された3000兵と、今川をはじめとする各地の大名・国衆の護衛が勢力圏では付き従うことになった。

 次に問題になったのが費用と持参金だった。史実で豊臣秀吉が湯水の如く金銀を朝廷に使ったり、徳川秀忠が徳川和子入内に使った費用は不要だ。俺の支援で日々の生活や朝廷費に不足は無いものの、豊かな生活とは言い難い。それ故に今上帝と方仁親王は、絹布団恋しさに三条屋敷に度々行幸されている。だから絹布団の持参は必須なのだが、物品は兎も角として持参金を金・銀・銅貨の何にするかで頭を悩ませた。

 武田家としても無尽蔵に資金がある訳では無い、特に日本制圧を本格化したため必要経費が増大した、ジャンク船購入建造費・武具調達費・内政費用・難民戦力化費用などだが、特に調略費用や武田家縁戚支援費用は莫大だ。だからそれを賄う為には死蔵化してしまっている武田通貨を流通させたい。

 問題は武田印が刻み込まれている事と、黄銅製の10文銭の偽造で有ったが、今回の入内に伴う持参銭となれば武田印の言い訳は出来る。偽造は毛利元就が史実より伸び悩んでいる事で、生野・石見銀山を有効活用できないだろう、大内と尼子なら対応し易い。東北の金銀銅山は数年で切り取れると判断して武田1文銭・10文銭を持参銭とする事にした。

 持参銭は武田1文銭で10万貫文・武田10文銭で10万貫文。持参された物は、絹布団5組・白絹500疋・越後上布えちごじょうふ100疋・麦焼酎・蜂蜜・塩・干果物など。ここで問題になりそうな金銀銅貨の交換比率なのだが、正直どうなるかは予測できない。恐らくは銅製の銭価値が低下するだろうが、史実の江戸時代の様に金1両が4貫文から10貫文で収まるかもわからない。それに武田1文銭の精銭・永楽銭・鐚銭との交換比率がどうなるか? しかも地方地方での地域差がどうなるか? これだけは出たとこ勝負に成ってしまう。ただ武田10文銭は武田1文銭10枚と同価値と言う約束だけは武田家で保証し、武田家の各交換所で何時でも交換出来るようにした。堺にも交換所が有り、京の交換所は三条屋敷・九条屋敷となっている。

 次に叔母さん達の住む所なのだが、京の町は足利義輝軍と三好長慶軍の合戦で荒廃著しいものの、武田家の支援で再建された三条・鷹司・九条の屋敷だけは守備兵の御陰で安全が保たれていた。また御所内も今上帝の為に最低限の修築は行われていた。そして武田家から鷹司家の養女と言う体裁で入内する、鷹司椿姫の為の屋敷が新築されていた。ここには入内に持参された品々が収められ、方仁親王の女房として嫁いでいかれたが、同時に皇室の濁音を嫌う伝統に従い、椿の読みをハルと読ませ椿姫はるひめと改めることになった。

 覚院宮として還俗げんぞくされた覚恕様に正室として嫁がれた菖蒲あやめ叔母さんも、体裁は武田家から鷹司家の養女と言う形を取った。御住みになる場所は、新築したばかりの鷹司屋敷が提供された。ここに持参銭は武田1文銭で5万貫文・武田10文銭で5万貫文。持参された物は、絹布団5組・白絹100疋・越後上布100疋・麦焼酎・蜂蜜・塩・干果物などが収められた。

 莫大な持参金を得た方仁親王は今上帝と相談され、後花園天皇以降、後土御門天皇・後柏原天皇と2代に渡って行えなかった禅譲をしたいと、椿姫を通じて武田に打診してこられた。確かに武田に力で成し遂げられたら全国に武田の力を知らしめることが出来るだろう。しかし同時に全国諸大名の嫉妬が怖い、特に今川と北条の嫉妬は直接的軍事力として脅威だし、足利義輝・細川晴元・三好長慶の嫉妬は、京におられる今上帝・方仁親王・覚院宮・叔母さん達の生命を脅かすかもしれない。

 信玄・鷹司爺ちゃん・母上・九条義父上は伊那在住の公家衆と相談の上で、率直な危険を今上帝と方仁親王に御伝えする事にした。今上帝が何とか今直ぐの禅譲は思い止まれたのだが、やんわりと鷹司軍の上洛を望まれるような御言葉を、方仁親王を通じて椿叔母さん伝えられた。

 これには流石に信玄も困ったようだ、細川晴元殿に嫁いでいた母上の姉上も亡くなられているから、足利義輝・細川晴元殿への支援を打ち切ることは可能だが、資金切れで崩壊するその兵力を、在京の秋山虎繁に引く継がせることは無理がある。そうなれば結果として畿内の軍事的均衡は崩壊してしまうだろう。だが今の武田家に出羽・奥羽を放り出し、美濃に切り込んでの上洛や加賀越前を通過しての上洛も不可能だ。

 そこで武田の利益と今上帝の想いを両立すべく、京を離れた公家衆の屋敷を買い取り、将来禅譲が可能となる様に、 皇后宮常御殿こうごうつねごてん・と言う体裁で今上帝の院御殿を建築することになった。そしてその費用は武田銅貨が投入された。
 
 それと方仁親王の女御となられた椿叔母さんが、将来の子女の為に御殿を建てると言う体裁で、若宮御殿・姫宮御殿を持参金を投じて建設される、そこは史実の大宮御所の有る場所だ。

 覚院宮と鷹司家の屋敷新築も4か所同時に行われた。どちらもいざという時には御所を御守りする城砦としての機能を持たせるべく、御所の四隅の公家屋敷を購入した土地に水堀と土塁を設けた。

 同時に今までは細川晴元伯父さんに任せていた、畿内の兵力を整えて行く事にした。あくまでも今上帝の北面・西面武士、近衛府兵士、鷹司・九条・三条青侍と兵士言う体裁で集める兵力と。今まで通り甲斐信濃に連れて行く足軽と言う体裁の兵力も有った。
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