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第六話 これはなんの宣言なの?
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タクシーで再び走ること20分。
仕事帰りの混雑した道の状態からずいぶん走りやすくなっているとはいえ、車移動で20分ならそこそこな距離がある。
賑やかな繁華街のちょっと裏通りの小さなお店。
向かった場所はそこだった。
先ほど行ったオシャレな店とも、高級店とも程遠い。
本当に庶民の味方的なお店。
扉に貼られた学生向けの大盛り定食の写真といい、古ぼけ方といい、庶民に愛される『the 定食屋』というのがぴったりな店へ龍空はヒョイッと通いなれたように引き戸の扉を開けて、のれんをくぐった。
するとこの店を営んでいるらしい年配夫婦が龍空を見るなり「あら、龍空くん」とそう呼んだ。
「まあ、珍しいこともあるもんねえ」
案内された席に着くなり、奥さんはそう言って小さく笑った。
「いやあ、彼女が『生姜焼き定食』が『どうしても』食べたいって言うもんだからさあ」
龍空は目をキラキラさせて奥さんに答えた。
いや、生姜焼き定食が好きだとははっきり言ったが、どうしても食べたいと言った覚えは微塵もない。
「もっとお洒落なお店に行ったらいいのに。龍空くんならいくらでもそういう店知っているでしょうに」
「なに言っているんですかあ。 ここのお店と奥さんの笑顔がオレの一番ですよお」
「あら、いつにも増して口が上手なんだから。それじゃあサービスしなきゃねえ」
「本心ですからあ。ここ、オレの日本一。あ、ちがうか。世界一?」
お得意の営業スマイルでぽんぽんと言葉が出てくる龍空に呆気にとられる。
調子がいいのか、相手を気持ちよくさせるのがうまいのか。
奥さんは嬉しそうに口元を手で覆うと「本当に龍空くんには敵わないわねえ」と笑った。
「ご注文は?」
「彼女には『生姜焼き定食』を。オレはそうだなあ。豚キムチ定食で」
すると奥さんは「はいね」と快く返事をして奥の厨房へと戻っていった。
去っていく奥さんの足取りがスキップに見えるのは私の見間違いじゃないだろう。
年配の女性までウキウキさせてしまうホストという生き物って本当に恐ろしい。
「いい店でしょう?」
出された水に口をつける私に向かって、龍空はそんなふうに問いかけた。
いい店。
確かに落ち着く。
イチャイチャカップルもいないし、お店のお客もまばらだし。
仕事帰りのサラリーマンがゴロゴロしているお店のほうがホッとするなんて女子としてどうなのよ?と思いはするけれど、下手に周りの目を気にすることなく座っていられるのは安心する。
仮に『割り勘ね』と言われても、財布と相談するなんてこともせずに済みそうな店であることは間違いない。
「常連みたいね。意外だわ」
「そう? 長いこと世話になっている店なんだよね。学生時代からずっとここに通い詰めているからさ。それにここは愛希以外、今まで連れて来たことないの。愛希が初。ね、安そうな定食屋って言っても特別ってかんじしない? ね? ね?」
「そう……ね」
本当にそれが真実ならば『特別感』が少しもないわけじゃない。
チェーンのファミレスに連れて来られるよりは幾分いいと言わざるを得ない気もする。
「それにね、味は抜群なんだよ。安くて早くて美味い! きっと愛希、この店の虜になっちゃうよ」
『楽しみでしょう?』
子供みたいなまん丸の目をキラキラさせてそんなことを言う龍空の姿は、先ほどの店で見た姿とは打って変わっていた。
高級店では澄ました格好つけ野郎に見えたのに、今は人懐っこいワンコに戻っている。
これさ。
『お手』
って言ったら、『お手』をするんじゃなかろうか?
「でさ。この後どうする?」
「この後?」
「そう。この後」
含みのある笑みを口元に湛えて見せながら龍空はそう訊いた。
この後どうすると聞かれてもと思いながら時計を見る。
すでに7時半を回っている。
食事をして、店を出れば9時近くになるのか。
9時以降に何をするか。
今までの話の流れから考えれば、二人になれる静かなところにでも行って文字通りの『特別な関係』になるのが普通か。
それを自分に言わせたいのか、この男?
「あなたはどうしたいのよ?」
そう尋ねると龍空は一拍考えたのち「別に」と答えた。
「別に?」
「うん、別に」
なんなんだ、その回答は。
『やる気なし』的その発言はなんなんだ?
「特別な関係になりにきたとか言ってなかった?」
「言ったよ」
「じゃあ……」
『セックスするしかないじゃない』という言葉を飲み込んだ。
セックスが好きじゃないのに自分から『セックスしよう』なんて口が裂けても言いたくない。
できれば回避一択。
今までは相手から求められたから仕方なく承諾はしたけれど、求められないのであればスルーしたい行為なのは言うまでもない。
すると龍空は上目で天井を見上げたまま
「セックスしよう」
そう言った。
来たな、やはり。
当然の回答だ。
それがこの男の目的なんだ。
いや、男全般の目的、と言っても過言じゃない。
やっぱり避けて通れないか――と心の中で嘆息したときだった。
「って言われたら、愛希はきっとうなずいてくれちゃうんだろうねえ」
ニッコリと目の前の男は笑みをたたえてこちらをじっと見つめてきた。
フェイント攻撃?
どういうこと?
いや、本当はしたいんだけど私の事情を知っているだけに誘ってこないだけなの?
それとも私に『セックスしよう』ってどうしても言わせたいの?
「愛希ってさ、今まで何回目のデートでそういうの、OKしてきたわけ?」
直球ストライクを投げ込まれる。
なぜその質問?
そしてなぜこのタイミング?
「なんで言わなきゃいけないのよ」
「大事なことだもん、愛希を知る上でとってもね。でも想像はつくよ。愛希のことだから相手に『セックスしよう』って言われたら、たとえそれが1回目のデートでも『NO』とは言わなかったでしょ? 合コン行って、数時間一緒にいて、多少会話して、『これから二人で飲みなおさない?』とか連れ出されて、飲んで飲んで飲みまくった後、『愛希ちゃんともっと深い仲になりたいんだけどホテル行かない?』みたいに言われたら、とりあえず『OK』してホテル行っちゃうわけだよね。で、嫌われたくないのか、それとも単に『NO』と答えるのが面倒なのか、本来は避けて通りたいのに仕方なく毎回OKしちゃうんだよねえ。この人は違うかもしれないってどこかで期待もしさ。でも結果、毎回そうじゃなくて傷ついちゃうわけだ。悪循環この上ない話なんだけど、男にとっては好都合なんだよねえ、それってさ。金は使わなくても簡単にセックスできちゃうわけだから」
『ああ、本当、よくわかるよ、愛希の悲しい気持ち』
フォローのつもりでそんな共感めいた一言を付け加えているのなら逆効果だとこの男に言ってやりたいが、ごはんがきてしまっては、その言葉を飲み込まざるを得ない。
――でも図星なんだよね。
しっかり分析されているというか、見透かされているというか。
この男が突いてくることが図星以外のなにものでもなくて反論しようがない。
さらに、だ。
この男の言葉を聞くたびに自分が男という生き物にとってどれほど都合がいいのかを思い知らされて心が痛くてたまらない。
真正面から現実をこれでもかと突きつけられてようやく自分の不甲斐なさを実感するという結末だもの。
ため息しか出てこない。
「だったら、あなたはどうしたいのよ?」
定食のお味噌汁に口をつけた後でそう問う自分に、龍空は『豚キムチ定食』に箸を伸ばした。
キムチの匂いが生姜焼き定食を凌駕していく。
赤い唐辛子と混ぜ合わさった脂身の多い豚肉はプルプルと箸の先で楽しげに揺れながら龍空の口の中へと消えていった。
「仕事行くよ」
「は?」
「愛希を家まで送ったら仕事行くよ、オレ」
掴んでいた生姜味の豚肉を落としそうになる。
てっきり他の男と同じように『ホテル行こう』と言われると思っていた。
それなのに仕事?
自分を送って?
連れて行くんじゃなくて、送っていく?
同伴じゃなくて、本当にデートのつもりなの?
「特別な関係は?」
「特別な関係になってるよね?」
「は?」
「なんで? 今までこんなふうにつき合ってきた男と話したことなかったでしょ? これ、今までのことと比べたらものすごく特別な関係じゃない?」
『YES』と思わずうなずいてしまいそうな自分がいる。
いかん、いかん、いかん。
この男のペースにまったくもってドハマりしているではないか!?
だけど否定もできない。
だって今までのどんな男ともこの男とはまったく違う。
今まではなにを言われても反論できなかった。
ううん、反論する気も起きなかった。
言いたいことを飲み込んで我慢する。
それがいつもだった。
でもこの男の場合は最初が最初だけに、自分を繕っても仕方ないという諦めもあって言いたいことの半分くらいは言えているような気がする。
それでも――
「セックスは?」
「したいよ、もちろん。男だし」
当然でしょう? と言いたげに背をのけ反らせながら龍空は答えた。
そこ、胸を張るところではなかろうよ……とツッコみたくなったが我慢する。
「じゃあ、なんでしないのよ?」
「セックスってすぐにしなくちゃいけないの? それにね、愛希。男はね、苦労して手に入れた女じゃないと大事にしないんだよね。苦労した分、気持ちがそこに上乗せされていくのね。だから簡単に手に入っちゃうと大事にできないの。だからセックスまでの回数は大事になるの。男に誘われたからって簡単に『いいよ』って返事しちゃダメなの。わかる?」
今度は私に近寄れるだけ顔を近づけてきて前のめりの状態で力説する。
わかる?と 言われてもわからない。
『セックスまでのデート回数が大事』
『苦労して手に入れないと大事にできない』
『苦労したぶんだけ気持ちが上乗せされる』
それならなぜこの男はそれを実践しようとしているんだろう?
私を本当に大事にしようと思って言っていると?
本気?
どこでそんな気になった?
だって酔っぱらって胸ぐら掴んで大声で迫ってゲロッた女だよ?
どのタイミングで『大事にしたい』スイッチが入る?
「本当に……目的なんなのよ?」
じっと龍空を見つめる。
龍空は動かし続けていた箸と口をとめて、私の目をじっと見つめ返した。
先ほどの店でも見せたあの熱い眼差しに射止められるみたいに体が強張る。
「しわ」
「え?」
箸を置いた右手がこちらへまっすぐ伸びてきて、その指先が眉間に触れた。
眉間の皮膚がぐっと伸ばされる。
「愛希は笑った顔のほうが絶対にイイんだよ。だから、オレ。これから愛希が少しでも笑えるようにするからね」
ニッコリとほほ笑まれる。
返す言葉が見つからない。
この男がなんで私なんかと特別になろうとしているのかわからなくて、戸惑いだけが膨らんでいく。
「なんで? なんで私なのよ? なんで私にそんなこと言うのよ?」
コイツはホスト。
言葉で女を酔わせて、いい気分にさせて、貢がせて、金積ませて、それで生計成り立たせている最低男。
そんな男の上っ面な言葉にどうしてこんなに動揺するんだ!
私はバカだ、大バカだ!
男なんてみんなやりたいだけのカス男って知っているのに。
この男だってその他大勢の男と絶対変わらないって思っているのに。
どうしてもう一度信じたいって期待なんかしようとしているわけ?
それも一番信用してはいけない職業を極めている男に!
「大丈夫、愛希。絶対に後悔はさせない。オレは愛希の『最初』で『最後』の男になって見せるから」
これはなんの宣言なの?
このときの私はこの言葉の意味を理解できなくて、ただ黙ったまま悪魔のようなほほ笑みを浮かべる相手を見つめ返すことしかできないでいた。
大好きな豚の生姜焼きが冷めていくのを見送るほどに――
仕事帰りの混雑した道の状態からずいぶん走りやすくなっているとはいえ、車移動で20分ならそこそこな距離がある。
賑やかな繁華街のちょっと裏通りの小さなお店。
向かった場所はそこだった。
先ほど行ったオシャレな店とも、高級店とも程遠い。
本当に庶民の味方的なお店。
扉に貼られた学生向けの大盛り定食の写真といい、古ぼけ方といい、庶民に愛される『the 定食屋』というのがぴったりな店へ龍空はヒョイッと通いなれたように引き戸の扉を開けて、のれんをくぐった。
するとこの店を営んでいるらしい年配夫婦が龍空を見るなり「あら、龍空くん」とそう呼んだ。
「まあ、珍しいこともあるもんねえ」
案内された席に着くなり、奥さんはそう言って小さく笑った。
「いやあ、彼女が『生姜焼き定食』が『どうしても』食べたいって言うもんだからさあ」
龍空は目をキラキラさせて奥さんに答えた。
いや、生姜焼き定食が好きだとははっきり言ったが、どうしても食べたいと言った覚えは微塵もない。
「もっとお洒落なお店に行ったらいいのに。龍空くんならいくらでもそういう店知っているでしょうに」
「なに言っているんですかあ。 ここのお店と奥さんの笑顔がオレの一番ですよお」
「あら、いつにも増して口が上手なんだから。それじゃあサービスしなきゃねえ」
「本心ですからあ。ここ、オレの日本一。あ、ちがうか。世界一?」
お得意の営業スマイルでぽんぽんと言葉が出てくる龍空に呆気にとられる。
調子がいいのか、相手を気持ちよくさせるのがうまいのか。
奥さんは嬉しそうに口元を手で覆うと「本当に龍空くんには敵わないわねえ」と笑った。
「ご注文は?」
「彼女には『生姜焼き定食』を。オレはそうだなあ。豚キムチ定食で」
すると奥さんは「はいね」と快く返事をして奥の厨房へと戻っていった。
去っていく奥さんの足取りがスキップに見えるのは私の見間違いじゃないだろう。
年配の女性までウキウキさせてしまうホストという生き物って本当に恐ろしい。
「いい店でしょう?」
出された水に口をつける私に向かって、龍空はそんなふうに問いかけた。
いい店。
確かに落ち着く。
イチャイチャカップルもいないし、お店のお客もまばらだし。
仕事帰りのサラリーマンがゴロゴロしているお店のほうがホッとするなんて女子としてどうなのよ?と思いはするけれど、下手に周りの目を気にすることなく座っていられるのは安心する。
仮に『割り勘ね』と言われても、財布と相談するなんてこともせずに済みそうな店であることは間違いない。
「常連みたいね。意外だわ」
「そう? 長いこと世話になっている店なんだよね。学生時代からずっとここに通い詰めているからさ。それにここは愛希以外、今まで連れて来たことないの。愛希が初。ね、安そうな定食屋って言っても特別ってかんじしない? ね? ね?」
「そう……ね」
本当にそれが真実ならば『特別感』が少しもないわけじゃない。
チェーンのファミレスに連れて来られるよりは幾分いいと言わざるを得ない気もする。
「それにね、味は抜群なんだよ。安くて早くて美味い! きっと愛希、この店の虜になっちゃうよ」
『楽しみでしょう?』
子供みたいなまん丸の目をキラキラさせてそんなことを言う龍空の姿は、先ほどの店で見た姿とは打って変わっていた。
高級店では澄ました格好つけ野郎に見えたのに、今は人懐っこいワンコに戻っている。
これさ。
『お手』
って言ったら、『お手』をするんじゃなかろうか?
「でさ。この後どうする?」
「この後?」
「そう。この後」
含みのある笑みを口元に湛えて見せながら龍空はそう訊いた。
この後どうすると聞かれてもと思いながら時計を見る。
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食事をして、店を出れば9時近くになるのか。
9時以降に何をするか。
今までの話の流れから考えれば、二人になれる静かなところにでも行って文字通りの『特別な関係』になるのが普通か。
それを自分に言わせたいのか、この男?
「あなたはどうしたいのよ?」
そう尋ねると龍空は一拍考えたのち「別に」と答えた。
「別に?」
「うん、別に」
なんなんだ、その回答は。
『やる気なし』的その発言はなんなんだ?
「特別な関係になりにきたとか言ってなかった?」
「言ったよ」
「じゃあ……」
『セックスするしかないじゃない』という言葉を飲み込んだ。
セックスが好きじゃないのに自分から『セックスしよう』なんて口が裂けても言いたくない。
できれば回避一択。
今までは相手から求められたから仕方なく承諾はしたけれど、求められないのであればスルーしたい行為なのは言うまでもない。
すると龍空は上目で天井を見上げたまま
「セックスしよう」
そう言った。
来たな、やはり。
当然の回答だ。
それがこの男の目的なんだ。
いや、男全般の目的、と言っても過言じゃない。
やっぱり避けて通れないか――と心の中で嘆息したときだった。
「って言われたら、愛希はきっとうなずいてくれちゃうんだろうねえ」
ニッコリと目の前の男は笑みをたたえてこちらをじっと見つめてきた。
フェイント攻撃?
どういうこと?
いや、本当はしたいんだけど私の事情を知っているだけに誘ってこないだけなの?
それとも私に『セックスしよう』ってどうしても言わせたいの?
「愛希ってさ、今まで何回目のデートでそういうの、OKしてきたわけ?」
直球ストライクを投げ込まれる。
なぜその質問?
そしてなぜこのタイミング?
「なんで言わなきゃいけないのよ」
「大事なことだもん、愛希を知る上でとってもね。でも想像はつくよ。愛希のことだから相手に『セックスしよう』って言われたら、たとえそれが1回目のデートでも『NO』とは言わなかったでしょ? 合コン行って、数時間一緒にいて、多少会話して、『これから二人で飲みなおさない?』とか連れ出されて、飲んで飲んで飲みまくった後、『愛希ちゃんともっと深い仲になりたいんだけどホテル行かない?』みたいに言われたら、とりあえず『OK』してホテル行っちゃうわけだよね。で、嫌われたくないのか、それとも単に『NO』と答えるのが面倒なのか、本来は避けて通りたいのに仕方なく毎回OKしちゃうんだよねえ。この人は違うかもしれないってどこかで期待もしさ。でも結果、毎回そうじゃなくて傷ついちゃうわけだ。悪循環この上ない話なんだけど、男にとっては好都合なんだよねえ、それってさ。金は使わなくても簡単にセックスできちゃうわけだから」
『ああ、本当、よくわかるよ、愛希の悲しい気持ち』
フォローのつもりでそんな共感めいた一言を付け加えているのなら逆効果だとこの男に言ってやりたいが、ごはんがきてしまっては、その言葉を飲み込まざるを得ない。
――でも図星なんだよね。
しっかり分析されているというか、見透かされているというか。
この男が突いてくることが図星以外のなにものでもなくて反論しようがない。
さらに、だ。
この男の言葉を聞くたびに自分が男という生き物にとってどれほど都合がいいのかを思い知らされて心が痛くてたまらない。
真正面から現実をこれでもかと突きつけられてようやく自分の不甲斐なさを実感するという結末だもの。
ため息しか出てこない。
「だったら、あなたはどうしたいのよ?」
定食のお味噌汁に口をつけた後でそう問う自分に、龍空は『豚キムチ定食』に箸を伸ばした。
キムチの匂いが生姜焼き定食を凌駕していく。
赤い唐辛子と混ぜ合わさった脂身の多い豚肉はプルプルと箸の先で楽しげに揺れながら龍空の口の中へと消えていった。
「仕事行くよ」
「は?」
「愛希を家まで送ったら仕事行くよ、オレ」
掴んでいた生姜味の豚肉を落としそうになる。
てっきり他の男と同じように『ホテル行こう』と言われると思っていた。
それなのに仕事?
自分を送って?
連れて行くんじゃなくて、送っていく?
同伴じゃなくて、本当にデートのつもりなの?
「特別な関係は?」
「特別な関係になってるよね?」
「は?」
「なんで? 今までこんなふうにつき合ってきた男と話したことなかったでしょ? これ、今までのことと比べたらものすごく特別な関係じゃない?」
『YES』と思わずうなずいてしまいそうな自分がいる。
いかん、いかん、いかん。
この男のペースにまったくもってドハマりしているではないか!?
だけど否定もできない。
だって今までのどんな男ともこの男とはまったく違う。
今まではなにを言われても反論できなかった。
ううん、反論する気も起きなかった。
言いたいことを飲み込んで我慢する。
それがいつもだった。
でもこの男の場合は最初が最初だけに、自分を繕っても仕方ないという諦めもあって言いたいことの半分くらいは言えているような気がする。
それでも――
「セックスは?」
「したいよ、もちろん。男だし」
当然でしょう? と言いたげに背をのけ反らせながら龍空は答えた。
そこ、胸を張るところではなかろうよ……とツッコみたくなったが我慢する。
「じゃあ、なんでしないのよ?」
「セックスってすぐにしなくちゃいけないの? それにね、愛希。男はね、苦労して手に入れた女じゃないと大事にしないんだよね。苦労した分、気持ちがそこに上乗せされていくのね。だから簡単に手に入っちゃうと大事にできないの。だからセックスまでの回数は大事になるの。男に誘われたからって簡単に『いいよ』って返事しちゃダメなの。わかる?」
今度は私に近寄れるだけ顔を近づけてきて前のめりの状態で力説する。
わかる?と 言われてもわからない。
『セックスまでのデート回数が大事』
『苦労して手に入れないと大事にできない』
『苦労したぶんだけ気持ちが上乗せされる』
それならなぜこの男はそれを実践しようとしているんだろう?
私を本当に大事にしようと思って言っていると?
本気?
どこでそんな気になった?
だって酔っぱらって胸ぐら掴んで大声で迫ってゲロッた女だよ?
どのタイミングで『大事にしたい』スイッチが入る?
「本当に……目的なんなのよ?」
じっと龍空を見つめる。
龍空は動かし続けていた箸と口をとめて、私の目をじっと見つめ返した。
先ほどの店でも見せたあの熱い眼差しに射止められるみたいに体が強張る。
「しわ」
「え?」
箸を置いた右手がこちらへまっすぐ伸びてきて、その指先が眉間に触れた。
眉間の皮膚がぐっと伸ばされる。
「愛希は笑った顔のほうが絶対にイイんだよ。だから、オレ。これから愛希が少しでも笑えるようにするからね」
ニッコリとほほ笑まれる。
返す言葉が見つからない。
この男がなんで私なんかと特別になろうとしているのかわからなくて、戸惑いだけが膨らんでいく。
「なんで? なんで私なのよ? なんで私にそんなこと言うのよ?」
コイツはホスト。
言葉で女を酔わせて、いい気分にさせて、貢がせて、金積ませて、それで生計成り立たせている最低男。
そんな男の上っ面な言葉にどうしてこんなに動揺するんだ!
私はバカだ、大バカだ!
男なんてみんなやりたいだけのカス男って知っているのに。
この男だってその他大勢の男と絶対変わらないって思っているのに。
どうしてもう一度信じたいって期待なんかしようとしているわけ?
それも一番信用してはいけない職業を極めている男に!
「大丈夫、愛希。絶対に後悔はさせない。オレは愛希の『最初』で『最後』の男になって見せるから」
これはなんの宣言なの?
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結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
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