鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第六章 蒲生賢秀編 元亀争乱

第71話 忠三郎賦秀 初陣

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主要登場人物別名

左兵衛大夫… 蒲生賢秀 蒲生家当主 織田家臣
駿河守… 青地茂綱 青地家当主 織田家臣 賢秀の実弟

弾正忠… 織田信長 織田家当主
左近将監… 滝川一益 織田家臣
五郎左… 丹羽長秀 織田家臣

――――――――

 

 賢秀は五月に岐阜城に伺候し、鶴千代の元服の儀に立ち会った。
 まだ生意気そうな顔つきは健在だったが、どうやら信長周辺の小姓や近習達にやり込められる場面もあったようで、自分こそが天下で一番という思い上がりは幾分かマシになったような気がする。
 人質ではあっても、結果的に日野から出て広い世界を知ったことは鶴千代にとっても良いことだったのだろう。

 元服した鶴千代は織田弾正忠の『忠』の一字を賜り、『忠三郎賦秀やすひで』を新たな名乗りとした。

 永禄十二年(1569年)八月
 信長の許しを得た賦秀は、父の賢秀と共に一旦日野中野城へ戻り、父と共に南伊勢へと出陣する。滝川一益によって進められていた伊勢攻略も大詰めを迎え、信長は伊勢国司の北畠具教を討って伊勢一国を手中に収めようとしていた。


「はっはっは。似合うではないか、鶴千代」
「そうでしょうか、叔父上。弾正忠様からお許しを頂き、しつらえて頂いた具足でございますが」
「おお、そうかそうか。ならば、弾正様のお目に届く働きをせねばならんな」

 伊勢の蒲生陣では賢秀、賦秀の親子と共に弟の青地茂綱も交えて三人で語り合っていた。
 賦秀は真新しい金押しの具足を纏い、ぎこちなく手足を動かしている。自分が父の定秀と共に摂津に出陣した日のことを思い出して賢秀も思わず目を細めた。


 今回の合戦は蒲生だけでなく、六角旧臣の主だった者達、即ち進藤賢盛、後藤高治、永原重康らと共に青地茂綱も青地城の軍勢を率いて参陣していた。南近江衆は北畠の本城である大河内城の南の山に陣を張り、織田信長の実弟の織田信包の指揮下に入っている。
 信包を補佐するのは滝川一益と丹羽長秀で、二人とも信長にとって股肱とも言える重臣だ。

 大河内城の西の山には佐久間盛信、木下秀吉、氏家直元らを配し、東には柴田勝家、森可成、佐々成政らを布陣させ、北には磯野員昌らの浅井勢を配置した。
 信長の本陣は東側の一番奥に置き、柵の内側を塙直政、前田利家、河尻秀隆らが警護している。
 後の織田家中の勇将・猛将達が一堂に会するような重厚な陣立てに対し、さすがの伊勢国司北畠も包囲陣を破ることが出来ずに大河内城に籠るしかなかった。

「殿、滝川左近将監様がお見えになっています」

 近習の言葉を受けて賢秀は思わず立ち上がった。陣の入り口に目を向けるのと同時に陣幕がめくられ、外から髭面の偉丈夫が本陣の中に入って来る。賢秀に続いて賦秀や茂綱も立ち上がって一礼した。

 ―――しまった!

 賢秀は己の迂闊さを恥じた。
 相手は織田家の重臣滝川左近将監一益だ。共に六角家に仕えていた頃は蒲生家が格上であったとは言え、今の蒲生家は織田家の新参者に過ぎない。対して滝川一益は早くから信長に仕え、今や信長の信任厚い重臣として織田家中に名声を得ている。

 賢秀らは今日着陣したばかりだが、信長からは大河内城はゆるゆると囲んで兵糧攻めにすると下知が出ている。その為、新参者としての挨拶回りは明日に行う予定でいた。
 まさか着陣したその日に向こうから挨拶に出向いてくるとは予想だにしていなかった。だが、こうして滝川一益が出向いてきてしまった以上、一旦一益を帰らせて改めてこちらから挨拶に出向くというわけにもいかない。
 このことが知られれば、蒲生は新参であるにも関わらず六角家臣時代の威風を恃み、織田家の重臣である滝川一益にわざわざ挨拶に来させたという風聞が立ってしまうことにもなる。

「恐れ多いことにございます。まさか滝川様から我が陣へ出向いていただけるとは露ほども思わず、ご無礼を仕りました」
「いやいや、そのように畏まられずに……。某が好きで出向いて来たのですから、どうかお気になされるな」

 気にするなと言われても気にしてしまうのが賢秀の性格だが、一益もこめかみを指で掻いて困惑の体をしている。このままでは肝心の話が進まない。
 ともあれ、陣内の上座の床几を進めて自らは下座に移ることで上位者として立てることにした。
 茂綱や賦秀もさっきまでの馬鹿話が嘘のように決まりの悪そうな顔をして座っている。

「しかし、滝川様から出向いていただけるとは魂消たまげました。進藤殿や後藤殿の陣にはもう行かれたのですか?」

 六角家中の序列で言えば、進藤や後藤の方が格上だった。その両家に先に行っていたのだとしたら、蒲生だけが礼儀知らずのそしりを受けなくても済む。
 だが、一益の返事は賢秀の淡い期待を打ち砕いた。

「いや、お手前に会いたくて参りましたのでな。他の陣には寄っておりません」

 ―――ということは、礼儀知らずは蒲生だけになってしまうか

 暗澹たる心持になった賢秀は、できるだけ肚の中を顔に出さぬように心がけた。恐らく明日には進藤も後藤も滝川一益や織田信包に挨拶に出向くだろう。このままでは蒲生だけが礼儀を知らぬと言われてしまうことになるが、一益は最初からそのつもりで蒲生陣を狙って来たのかもしれない。もしもそうだとすれば、一益は蒲生を快く思っていないことになる。

 今は同じ織田家臣とはいえ、昨日まで敵同士だったのだ。昨年の和田山城の攻防では蒲生勢の奮戦によって滝川勢にも少なくない被害が出たと聞く。そのことを恨みに思っての仕儀だとすれば、今後滝川一益は事あるごとに蒲生の名を貶めようとしてくるだろう。

 手に負えないのは敵よりも足を引っ張る味方だ。滝川が蒲生の足を引っ張ろうとするのならば、こちらとしても易々と肚の内を見せるわけにはいかない。

 表面上の穏やかな顔とは対照的に、賢秀は固唾を飲んで一益の次の言葉を待った。



 ※   ※   ※



「実は、和田山城で防戦に当たっていたのが蒲生勢と青地勢だと聞きましてな。あれほど粘り強く戦った武士の顔を一目見たいと、左兵衛大夫殿や駿河守殿が到着されるのを待ちわびておったのです」
「過日はご無礼を仕りました。乱世の習いとはいえ、我らの働きによって滝川様の手勢に被害を出させたのは申し訳なく思っております。今後は織田家の新参者としてお引き立てを……」
「ああ、いや。ですから、恨みに思うとかそういうことではないのです……」

 一益も困り果ててしまった。元々一益には蒲生陣を訪れたことに一切他意はなかった。純粋に勇将として名高い蒲生左兵衛大夫と同じ陣に配されたことを喜び、今後は共に織田家を支える家臣となるのだからと軽い気持ちで挨拶に出向いただけだ。

 そもそも織田家では上位者に出向かせては無礼だなどという礼儀作法を心得ている者の方が少ない。信長お気に入りの母衣衆の中には挨拶すらもまともに返さない者も居る。元々が尾張のごろつきを近習として雇い入れた者達で、信長自身も傾奇者としての青春時代を過ごしているのだから礼儀作法が身に付く道理が無かった。近頃では信長自身がそのことを苦慮し、家臣に礼儀作法を身に着けさせようと茶の湯を推奨したりもしている。

 そこへ来て賢秀の態度を見て、一益の方が配慮に欠ける振舞だったかと反省しているところだ。当の一益自身が礼儀を無視して賢秀の面目を潰してしまっているのだから、甥の慶次郎のことを礼儀知らずだなんだと叱れない。

「ともかく、某が出向いたことには他意はございません。というよりも、織田家ではそのような礼儀を気にせぬ者も多く居りますれば、蒲生殿も左様にお気になされるな」
「はあ……」
「それよりも、一つ蒲生殿の軍略を伺いたいと思って参りましてな」

 警戒心を覗かせる賢秀を大汗をかいてなだめながら、一益はようやく本題に入った。

「軍略……と申されましても、我ら蒲生はひたすらに先陣で粘り強く戦うことしか能がございません。そのような大それた軍略などは」
「ふむ。例えば、弾正忠様は今夜に夜襲をかけようとされております。丹羽五郎左らがその任に当たるとのことですが、左兵衛大夫殿が夜襲を命じられたならばどのような備えをなさいますか?」
「左様……」

 言葉を受けて賢秀が思わず天を仰ぐ。一益もつられて空を見上げると、山際に消える夕日を覆い隠すように分厚い雲が西から東に向かって流れている。その様子を見て一益は内心ニヤリと笑った。

「鉄砲は出しませんな。某が夜襲を行うとなれば、弓の上手で一隊を作ります。その上で、持ち槍で武装した足軽を前面に押し出します」
「鉄砲は城攻めには有効な武器でござるが、それをあえて使わぬとは何故に?」
「夜分に入れば雨が降って参りましょう。玉薬(火薬)が雨に濡れては鉄砲は役に立ちません。昼日中ならば油紙で雨を防ぐことも出来るかもしれませんが、闇夜では雨に濡れることを防ぐことは出来ますまい。
 それよりも音の出ぬ矢を多く射込んだほうが城方も慌てましょう。闇夜から突然に矢が振って来れば、百の矢が三百にも四百にも感じられます。鉄砲を撃ちかけるよりもその方が夜襲には向いているように思えます」

「なるほど、ごもっともに存ずる」

 正直なところを言えば、一益の考えも賢秀の意見と全く同じだった。滝川一益は織田家中随一の鉄砲衆だという自負があるが、それだけに一益は鉄砲の弱点も知悉している。丹羽長秀らは夜襲に備えて鉄砲を用意していたが、賢秀が今言ったことをそっくりそのまま一益も長秀に向けて言ってきたところだ。

 ―――さすが蒲生は鉄砲の扱いに慣れている

 国友ほどではないが、日野も鉄砲の産地として近頃では名を高めている。和田山城攻めでは蒲生の鉄砲兵に散々に撃ちまくられたが、本音を言えば自分以外にあれほど鉄砲を効果的に運用できる者が居るとは思っていなかった。滝川一益は蒲生賢秀によってその思い上がりを打ち砕かれたと言ってもいい。

「いや、感服いたした。さすがは音に聞く蒲生左兵衛大夫殿ですな。これからも良しなに願いますぞ」
「いえ、こちらこそよろしくお願い申す」

 ひとしきり話を終えた一益は、賢秀に続いて茂綱や賦秀にも挨拶を済ませた後、揚々と自陣へ引き上げていった。
 賦秀はそんな一益の後姿をじっと目で追っていたが、一益はそのことに気付かなかった。


 その夜、一益の忠告を無視して丹羽長秀、池田恒興、稲葉良通らが鉄砲を持参して夜襲を仕掛けたが、賢秀の予言通り鉄砲が使い物にならず、夜襲に出た将は手痛い反撃を食らいながら大河内城から撤退した。
 信長はその様子を見て改めて兵糧攻めに切り替え、周辺の稲を刈り取って捨てさせて徹底的に大河内城への兵糧搬入を妨害した。

 腹が減っては戦は出来ぬの格言通り、十月には北畠具教も降伏し、信長の次男である信雄を養子にして家督を譲るという条件で降伏する。
 こうして忠三郎賦秀の初陣は終わった。終わってみれば、武功を立てる余裕などは無く、ただただ父と共に大河内城を眺めているだけの初陣となった。


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