江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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足利一族

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 ・天文二年(1533年) 二月  近江国滋賀郡 坂本  六角定頼


 とりあえず上洛の件は義晴の意志確認ができるまでは俺から言うことは無いと言ってうやむやにした。肝心の義晴があの様子じゃあ今すぐことを起こすことは無いだろう。

 しかし、やはり気になる……。
 義晴のあの目はどう考えても常軌を逸している。まるで心の病を抱えているような……。

 待てよ。そう言えば何かの本で読んだ覚えがある。足利幕府の初代足利尊氏には不確実ながら精神病の所見が見えると。ただの戯言やトンデモ論の類だと思っていたが……。

 足利尊氏には名将としての伝説が多い。矢の雨が降り注ぐ戦場でも恐れることなく笑っていたとか、慈悲深く仇敵すら詫びを入れれば即座に許したとか、物を惜しむことが無く気前よく配下に所領を配って回ったとか。
 その一方で自分を支え続けた功臣の高師直を追放して一族郎党首を刎ねたり、実の息子を毛嫌いして政敵として排除したり、さらには自分の手で追放したはずの後醍醐天皇の崩御を聞いて悲しみに泣き崩れたとかの奇行も目立つ。
 極めつけは途中で何度もやる気を無くし、全てを弟の直義に譲って出家すると喚いたこともあると聞く。

 多くは伝説に近いものだから確実ではないが、それにしても尊氏の人物像は思慮浅く行動には一貫性が無い人物と言える。まるでその時の気分で全てを決めているような男だ。
 そして、そんな性格に当てはまる症例がある。

 ……双極性障害。いわゆる躁鬱そううつ病だ。

 この病の厄介なところは躁状態と鬱状態が交互にやって来ることだ。そのため、周囲からは情緒不安定気味で気性の激しい人物だと思われることが多い。常に鬱状態ならば何かおかしいと思われもするが、躁状態の時には活動的になるから、精神病だとは気づかれないケースも多々ある。
 精神病という概念が広く知られている現代ですらそうなんだから、この時代ならまずもって病気だとは思われない。生まれ持った性格だとしか認識されないはずだ。

 そして、ひとたび躁状態に入れば鬱状態の反動もあって自分の気持ちや思い込みを最優先に物事を決め、かつ攻撃性が助長される。気分が高揚して開放的になる反面で怒りっぽくなって他人の話を聞かないようになる。要するに我がまま勝手が極まる。
 現代だと衝動買いで大金を散財したり、家族と何も相談せずに会社を辞めるなんかの大きな決断をしたり……。

 双極性障害は十八歳から二十代という青年期に発症する。子供の頃は聡明な男だったのが、大人になれば人が変わってしまったというのが発病のサインと言われている。
 そしてもう一つ最悪の特徴は、双極性障害が遺伝によって因子を受け継ぐ可能性が高いと言われていることだ。直接の原因は強いストレスや不規則な生活などが発症のトリガーになると言われるが、遺伝的素質に加えて将軍になっても実権が無いというストレスが発症のトリガーになっていたとしても不思議じゃない。

 実際、尊氏の祖父や父も奇行を繰り返したり突然自殺したりと言った行動があったそうだ。そして子孫にも異常な精神状態であったと思われる者が居る。
 足利義教は些細なことで激怒する性格だったそうだし、足利義政は弟を後継者に指名した後に実子が産まれたが、後継者問題をうやむやにしたまま自分の世界に引きこもった。それが応仁の乱を引き起こす原因になっていることにもお構いなしだ。足利義尚は完全に失敗している六角征伐に拘り続け、誰の言葉にも耳を貸さずに結局家臣の心が離れて孤立したまま陣没した。

 義晴の子供達にもその形質はある。
 足利義輝は三好長慶の命をしつこいくらいにつけ狙い、暗殺騒ぎを起こしたり各地の大名に三好を討てと呼号したことも一度や二度じゃない。それに足利義昭は織田信長の再三の忠告にも耳を傾けずに無茶苦茶な政治を繰り返し、とうとう信長も我慢ならなくなって足利義昭の行動を制限するまでになった。そう言えば前公方の足利義稙も自らを将軍に返り咲かせてくれた細川高国を異常なまでに嫌い、追い落とそうと画策し続けたんだったな。

 いずれも共通しているのは当時最大の勢力を持つ男に対して異常なまでの攻撃性を持っていたことだ。普通に考えれば天下を平定するためには実力者と協力関係を維持するのがベターだ。三好や織田の軍勢を使って将軍直轄領を回復し、反抗的な大名や国人衆を切り従えて『将軍家』の武威を高める。有力大名を排除するのはそれからでもいいはずだ。にも関わらず義輝も義昭も時の実力者に噛みつくことだけに終始した。

 なんだか妙に辻褄が合って来る。とても嫌な方向に……。
 まさに呪われた一族というわけか。その時点で最も勢力のあるやつを叩き潰しに来るなんてまるでキング〇ンビーみたいなモンだ。冗談にしても笑えないな。


 だが、六角定頼は終生足利義晴との関係は良好だった。何故だ?

 ……そうか。定頼が『天下を取ろうとしなかった』からだ。

 六角定頼は細川晴元を管領に据えて名を取らせ、自分は幕政を牛耳るという実を取った。大舘尚氏は天文期の幕政について何につけても『六角少弼にお尋ね然るべく存じ候』と書き残した程、幕府の裁定には濃厚に六角定頼の意思決定があった。

 だが、実態は六角定頼が天下を差配していながら足利義晴の目には細川晴元こそが当時一番の実力者だと映っていたんだろう。表面上六角定頼の領国は南近江半国に北近江と北伊勢をほぼ支配下に組み込んだ程度だ。それに対して、細川晴元は阿波・讃岐・摂津・大和を抑えて北河内や丹波にも影響力を発揮しているように見える。
 実際の所は六角定頼は細川晴元の行動を度々制限して飾り物の管領にしていただけだが、そこの微妙な政治的駆け引きは見えていなかった。おそらく見ようともしなかったんだろう。定頼とは対照的に足利義晴と細川晴元の方はこれでもかと言うくらいに揉め続けた。でありながら、晴元が三好長慶によって没落するとあっさりと随伴を許している。とても今まで憎み続けて来た男に対する態度じゃない。

 足利義晴にとって憎むべきは『天下第一の実力者』であり、実力を失った細川晴元はもはや憎悪の対象にはならなかったんだ。天下第一の実力者に対抗するためには天下第二の実力者を抱き込むのが手っ取り早い。だからこそ六角定頼は常に足利義晴と細川晴元の調停者であり、良き協力者という立場で居続けることができた。義晴も定頼の言うことだけには忠実に従っていた。結果的に史実の定頼は最良の選択をしていたという訳か。

 この仮説が正しいとすると、京を抑えて摂津・大和を制圧し、河内にまで進軍したあたりで足利義晴は俺を敵視し始める。名実ともに俺が『天下第一の実力者』になってしまうからな。三好長慶と足利義輝、織田信長と足利義昭の関係になる。
 あの様子を見る限り、躁鬱病の症状はもう相当に進行している。ましてやそれを治療できる薬も医者もこの時代には無い。そもそも病気とも思われていないんだ。治療法があるはずがない。


 参った……。
 これじゃあ勢力を広げれば広げるほど足利将軍とはケンカすることが運命づけられているようなものだ。信長が最初は足利義昭を大切にしながら、最後には敵対せざるを得なかったのも当然の成り行きだったのかもしれん。

 いっそやられる前にこちらから足利義晴を討つか?
 ……駄目だ。そんなことをすれば周辺国が黙っちゃいない。飾りとは言え仮にも相手は武家の棟梁だ。何度も将軍家から敵視された三好家ですら、義輝弑逆の後には周辺国の反発を生んだ。まして義晴はまだ俺に対して何もしちゃいない。この状態で将軍家と敵対しても周辺国の賛同は得られない。我から望んで『六角包囲網』を作ってしまうことになる。

「御屋形様。御屋形様」

 ん?ああ、もう日ノ岡砦に着いたのか。馬を引かれながら考え事に没頭していて気付かなかった。

「ご苦労だったな。早速だが進藤新助と蒲生藤十郎を呼んでくれ」
「ハッ!」

 馬を降りると近習が砦の中に駆け込んでいく。
 ともあれ、この仮説はまだ俺の中だけで留めておいた方がいい。どのみちこの時代で話しても理解されるとも思えないが……。
 とりあえず山科に最低限の兵を置いて軍勢を近江に戻そう。南山城も今は進出しない方がいい。足利義晴をどうするかを決めないままに勢力を拡大することは自殺行為だ。

 商人と寺社に次いで足利対策か。次から次に、頭が痛い……。



 ・天文二年(1533年) 二月  山城国宇治郡 日ノ岡砦  蒲生定秀


 御屋形様が視察に来られたがどうもいつものご様子と違う。突然視察に来られたかと思えば、何やら心ここにあらずという感じだ。

 ……さては、今夜遊びに行く遊女屋でも考えておられるのか?まったく御屋形様の遊女遊びにも困ったものだ。付き合わされる某も役得……じゃない、気が咎め……ないこともない。
 さてさて、遊女屋は早くに進出してきたから既に三軒ほどある。今夜はどこへ連れていかれるか。楽しみ……もとい、困ったものだなぁ。

「何をニヤニヤしておる?」
「あ……いえ、何でもありません」

 新助殿が御屋形様と某を交互に見ながら深くため息を吐く。新助殿は戦も外交も手腕は抜群なのだが、いかんせん融通が利かない所がある。

「御屋形様にも申し上げまする。遊女遊びもほどほどになさいませ。お側女をお迎え為されれば良いことでありましょう。まったく、藤十郎もお留めするどころか御屋形様と共に遊び歩く始末では……」
「そ、某は御屋形様に万一のことがあってはならぬと、護衛役を務めているだけにございます」

 あ、しまった!これでは御屋形様一人が悪者になってしまう。恨みがましい目で見られ……ない?

「あの、御屋形様?」
「……ん?」
「いえ、御用の趣は何であったかと」
「……あ、ああ。そうだったな」

 新助殿と顔を見合わせる。どうもそういうことを考えておられるのではないようだ。どんな大事が出来しゅったいしたのか。

「新助、藤十郎」
「ハッ!」
「近江に軍勢を戻す。山科の警備は番役に交代で務めさせる故、お主らも一度近江へ戻るがいい」

 軍勢を戻す?しかし、ようやく伏見に進軍用の砦を作り始めたばかりだが……。

「何かございましたかな?」
「ああ、今は言えんがこのまま南山城に進軍するわけにはいかなくなった。今は最低限山科を確保するだけに留める」
「……承知致しました。兵を退く準備を致しまする」

 新助殿が頭を下げたのに合わせて某も慌てて頭を下げる。どうやら余程のことが起こったようだな。
 北伊勢や北近江に変事でも起こったのかもしれん……。

 某も鼻の下を伸ばしている場合ではない。気を引き締めよう。

――――――――

ちょっと解説

足利氏に双極性障害の気質があったというのはあくまで俗説であり確定した論ではありません。とはいえ、足利義晴以降の足利将軍が何故河内や摂津の将軍直轄領を回復する為に動かなかったのかという疑問があったので、それに対する回答としては納得できるなと思ったので物語に採用しました。
なお、この物語はフィクションであり(以下略)
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