江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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呉服前

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 ・天文四年(1535年) 三月  近江国蒲生郡 石寺楽市  侍女のヨネ


 今日も御裏方様はフラリと楽市の呉服屋を覗きに来られた。お立場もあるのだからお城に商人を呼ばれれば良いようなものなのに、お方様は毎回決まって自ら足を運ばれる。
 店先を彩る様々な反物を見るのが楽しいと仰っていたけれど、本当に変わったお方ですこと。これでは御屋形様のことをとやかくは言えませんね。

「あら、これは珍しい模様の小袖ですね」
「ありがとうございます。敦賀から入った絹に鹿の子絞りの染を施した逸品でございます」
「とても綺麗。クチナシ色の布地も華やかで初々しい風情がありますね」
「とても良くお似合いですよ」

 見本布を腕に当てながらお方様が楽し気な顔をされる。本当に着道楽な方ですね。

「でも、私には少し若々しすぎるわね。二十歳くらいの娘でないと華やかさが引き立たないわ。それよりもお願いしていた打掛は仕上がっていますか?」
「ええ、こちらです」

 店主が奥に案内して着物かけに掛かった打掛を披露する。
 右肩の辺りに大ぶりな紅葉を配し、大胆に余白を作った模様は確かに華やかな中にもすっきりとした美しさがある。

「とても良く出来ていますわ」
「ありがとうございます。御裏方様の描かれた絵の通りに出来上がったのではないかと思います」

 打掛に袖を通して御裏方様がますます嬉しそうな顔をされる。
 この打掛は御裏方様自ら絵を描いて呉服商に注文されたもの。近頃の御裏方様は自らお好みの絵を描いて染を注文される。ご家臣の奥方には御裏方様のお召しになる打掛や小袖が独創的で美しいと評判であるとか。それはいいのですが、そろそろ着なくなった御着物も整理されないと呉服が溜って行く一方です。

「ありがとう。後でお城に届けてくださいな」
「へい。毎度ありがとうございます」


 呉服屋を辞してお城に戻る道中で不意に御裏方様が足を止められる。
 目線の先を追うと茶店で茶を出す女中がまめまめしく立ち働いているのが見える。

「あの娘……とても溌溂とした顔立ちをしていますね。先ほどの鹿の子の小袖がとても似合いそう」

 また始まった。これ以上侍女を増やしてどうするのでしょうか。

「ヨネ、先ほどの鹿の子の反物も小袖に仕立てて御城に届けるように伝えて頂戴。それと、あの娘を……」



 ・天文四年(1535年) 三月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


「御屋形様。お茶をお持ちしました」
「うん」

 部屋の外から志野の声が掛かり、上の空で返事をする。今は斎藤道三からの文に返書を認めているから顔を上げるわけにはいかない。
 文机に向かっていると机の左の隅に茶が置かれる。茶碗を差し出す手と共に黄色い袖が視界の端をよぎって違和感を覚える。
 最近では志野は黄色い着物を着ることは少なくなっていたはずだ。

 顔を上げてぎょっとする。目の前には見知らぬ侍女が引きつった顔で笑っていた。またか……。
 部屋の入口に顔を向けると変わらず志野がニコニコと笑っている。楽しそうな笑顔に思わずため息が出て来る。

 最近の志野はこうやって俺に新しい侍女のお披露目をしてくる。新しい侍女というが、実際は新しい側室候補のお披露目だ。
 確かに色々タイプの違う娘を見せてくれるが、今月に入ってこれで三度目になる。そんなにあれやこれやと側室ばっか増やしてどうしようってんだ。

 侍女を下がらせた後、改めて志野を部屋の中に呼び入れた。

「志野。いくらお寅が懐妊したとはいえ、こうも侍女を次々に見せられても困るぞ。第一今の娘はどこの娘だ?」
「楽市で見つけた娘です。鹿の子の小袖がとっても良く似合っていたでしょう?」
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
「あら、お気に召さなかったのですか?困りましたね。これで三人目だというのに一人もお気に召す娘がおられないとは」
「お気に召す召さないの問題じゃない。いきなりどこの馬の骨かわからん娘を見せられても困ると言っているんだ」

 志野が物憂げに遠くを見つめて頬に手を当てる。妙に色っぽい仕草だな。

「でも、クチナシ色の小袖が良く似合っていましたし、化粧をあまり使わないところも瑞々しくて素敵でしたわ」
「そういう問題じゃないと言っているんだ。ともかく、この前みたいにいきなり寝所に入らせるなんてことはやめてくれ。びっくりするから」
「はいはい。承知いたしました」

 まったく、志野の奴最近趣旨が変わってるんじゃないか?
 俺の側室を探すというより、志野のデザインした小袖を美しく着こなせる娘を探しているように見えて仕方がない。なんか変な物に火が着いていなければいいが……。



 ・天文四年(1535年) 四月  山城国 京 相国寺  朝倉景高



 お目通りは散々だった。特に公方様はロクに話も聞かずにさっさと奥へ下がって行ってしまわれた。お怒りなのであろう。本来は代理を寄越すなどと失礼な話でもあるからな。
 しかし、それを儂に怒られても困る。儂が自ら望んで使者の役を買って出たわけではない。兄上に言われてやむなく上洛しただけだ。

 もっとも、この役目を失敗すればきっと兄上は儂を叱責するだろう。近頃の兄上は九郎ばかりを可愛がり、儂を疎んじておられるからな。

 そもそも文句があるなら近江宰相の言う通り兄上自ら上洛すれば良かったではないか!くそっ!面白くない!

「大野郡司殿には此度のお役目ご苦労なことでしたな」
「宰相様からも公方様へのお取次ぎの程よろしくお願い申す」
「確かに承り申す。ささ、まずは一献飲みましょう。料理も酒も京で一番の物を用意させました」

 近江宰相から勧められて酒を一口飲む。澄んだ酒など初めてだが、思ったよりも甘く口当たりが良いものだな。少し黄色がかった色合いでほのかにきな粉のような香りがする。

 目の前の膳には美味そうな料理が色々と並んでいる。
 中央のこれが噂の近江牛か。山椒を振って塩焼きにしてあるのか、山椒の香りがふんわりと漂う。小鉢には青菜の味噌和えやたたきゴボウが並び、アユの甘露煮などが添えてある。
 刺身の魚は何だ?桃色の身の魚など見たことが無い。鮭など塩辛くて刺身では食えぬし……

「それは淡海の海で取れたマスでござる。小皿に添えてあるのは醤油だ。醤油を付けて刺身を食うと美味いですぞ」

 ほう。これが噂に聞く醤油というものか。
 どれ……うむ。美味い。刺身と言えば炒り酒だったが、醤油を付けるとふくよかな魚の風味が口中に広がる。
 これほど贅沢な食事を供されるとは、随分と歓待されたものだな。儂は六角家にとって宿敵の朝倉家の使者だというのに。

「しかし、此度のことは大野郡司殿にはご心痛なことでございましたな。公方様はあの通りお怒りでござるし、仮にこのまま詫びを受け取らぬとなれば越前に戻って益々辛いお立場に立たれよう」
「お心遣い痛み入り申す。仰せの通り、仮に公方様からお許しを頂けねば越前に戻っても某は兄から叱責されましょう」
「此度のことはそもそも九郎殿の失態。にも関わらず責任を取らされる次郎殿のお立場には深く同情致す。御心配召されるな。公方様には必ずや某がお取次ぎ申そう」
「重ね重ね、お心遣い痛み入る」

 なんだ。六角は本心では我が朝倉を討ちたがっていると兄上は言っていたが、とんでもない。心より儂の身のことを心配し、様々に気を使ってくれるではないか。
 兄上は負けが込んで疑心暗鬼に陥っているだけではないのか?

 そもそも六角家は自ら望んで朝倉を攻めたわけではない。
 享禄の頃には宗滴殿が攻め込んだゆえに対応しただけであるし、此度の戦も北近江に侵入した九郎と浅井備前守を撃退したに過ぎぬ。敦賀から何度も攻められれば侵攻軍の元凶である敦賀を奪い取って近江の安寧を図ろうとするのは至極当然のこと。

 それに、六角家は長年敦賀郡司家とは対立しているが、我が大野郡司家と事を構えたことはただの一度もない。美濃でのこともあくまで同盟先の土岐左京大夫を援助したに過ぎぬしな。
 考えてみれば全ては敦賀郡司家が余計な手出しをしたからこそ六角と余計な戦火を交えることになった。勝敗は兵家の常なのだから負けたことをいつまでも恨みに思うのは滑稽なことだ。

 なんだか馬鹿々々しい限りだな。兄上や九郎は己の尻尾の影に怯えて柳の木に吠え掛かる犬と同じではないか。腹を割って話してみれば、近江宰相は決して悪い男ではない。
 何より、儂の立場をおもんぱかって様々に歓待してくれるではないか。越前では割を食わされてばかりだったというのに、京に来た方が歓待されるというのも皮肉なものだ。

「時に、越前では加賀の一向一揆とも事を構えねばならん。やむを得ぬこととは言え、朝倉殿は某が敦賀を奪ってしまったことには腹を立てておられような」
「いいえ、近江宰相様は降りかかる火の粉を払っただけのことと某は心得ております。勝敗は武家の常でありましょうし、恨みを残す方が滑稽でござろう」
「そう言ってもらえて有難い。敦賀郡司殿は何としても某を討つと常々口にされておると聞く。某も近江守護として近江に攻め寄せられれば対応せぬわけにはいかぬが、それにしても恨みだけを残すは無益なこと。何とか話し合う機会を作れればと思い、こうして上洛を勧めさせてもらった」
「左様でありましたか」

 ほうれ見よ。宰相様は何も朝倉を恨んでなどおられぬ。九郎が吠え掛かる故に対応されているだけではないか。
 六角と朝倉の間を引き裂こうと画策する九郎は怪しからぬ。それを可愛がり、九郎の口車に乗って六角と戦に及ぶ兄上も兄上だ。越前に戻ったらそのことを兄上に今一度申し上げねばならん。

「今回は次郎殿と腹を割って話せて良かった」
「いえ、某も近江宰相様の真意を聞けてようございました」
「……いっそのこと、次郎殿が朝倉家の惣領であれば今後は無益な戦をせずに済むのだがなぁ」

 ……ふむ。
 確かに、あの兄では今後の六角と朝倉の間は不安だな。また九郎めに乗せられて六角と戦に及ぼうとすることもあり得ぬことではない。また六角と戦などすれば、それこそ朝倉家そのものが危うくなる。あの兄では駄目かもしれぬ。九郎可愛さに目の曇ったあの兄では伝統ある朝倉家を危険に陥れる恐れが残る。

「いや、詮無き繰り言であった。ささ、もう一献」
「ありがとう存ずる」

 ……ふむ。
 朝倉家を保つためには宰相様をこそ頼りとすべきかもしれぬ。宰相様と和睦すれば、越前は加賀に全力を振り向けられる。朝倉の宿敵は六角ではなく一向一揆なのだ。
 あの兄はそのことを分かっておらぬかもしれぬ。九郎の口車に乗り、六角を敵視するだけの能無しでは朝倉を潰すだけだ。

 そうよ。朝倉家をこれ以上あの阿呆に任せてはいかぬのかもしれぬ。儂が間を取り持つだけではまだ不安だ。いっそのこと儂が朝倉家を率いればその恐れも無くなる。儂こそが朝倉家を率いるべきではないのか。

「宰相様、この場を借りて一つご相談を致してもようございましょうか?」
「ん?何かな?」

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