江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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屋形が揺れる時

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 ・天文六年(1537年) 二月  越前国丹生郡真柄館  真柄勘助


「四月には府中城へ進軍と相成りましょう。真柄様のご賢明なるご判断をお待ち申しております」
「確かに承った」
「では、手前はこれにて」

 そう告げると、商人が厨の勝手戸を開けて出ていく背中を見送る。あの者は確か布施源左衛門と申したな。三年前から丹生郡や南仲条郡を行商して回っているというが、まさかあのような話を持ち込んで来るとは思いも寄らなかった。
 雪深い越前では行商人が荷を運んでくれるのを心待ちにする者も多い。ああやって繋ぎを付ける下地を作っていたということか。

 今や我が家でも布施とやらの持ち込む綿織物や干し肉などは無くてはならぬ冬備えとなっている。彼らが通わぬようになれば、それだけで我らは生活に不便を強いられねばならん。何とも恐ろしい物よ。


 四月になれば六角が攻めてくる……か。

 近江宰相直々の密書には、府中に参じれば過去の経緯は水に流すとも書かれてあった。我ら丹生郡や南仲条郡の者は宗滴殿に従って北近江に侵攻したが、その罪は一切問わぬと。

 ……決して悪い話ではない。今や一乗谷の御屋形は当てにならず、六角の侵攻に怯えて城に閉じこもっている有様だ。一乗谷からの援軍も期待できない現状では、我ら真柄家のみが六角と戦ったとしても無駄に死人を増やすだけだ。
 確かに我が真柄家は朝倉家の被官だが、それも朝倉が頼もしければこそ御屋形として仰ぐのだ。当てにならぬとなれば道を違えるのは自然の理。我らとて領地を守ってゆかねばならんのだからな。

 それに、斯波治部大輔(斯波義統)が陣頭に立つとなれば名分も十分すぎる。我らが降ったとしても世のあざけりを受けることはあるまい。元々越前は斯波家の分国だったのだ。
 うむ。やはりここは近江宰相の申される通りにするが上策であろう。いや、今すぐにでも金ヶ崎城へ人質を差し出すが良いかもしれん。

 さて、そうなると問題は一乗谷城に詰めている三郎をどうやって呼び戻すか……。
 いきなり所用有りと言えば朝倉家に気取られよう。三郎は事実上の人質なのだからな。かといってこのまま見殺しにするのも忍びない。

 ……儂が病になるか。


「殿、こちらに居られましたか」
「おお、厨はちと冷えるな。風邪をひいてしまいそうだ」
「今火を起こしまする。どうぞ居室へ」
「うむ。ハ、ハックション」
「あれあれ、間もなく春ですのにお風邪を召されてはお役目に差し障りますよ」
「良いのだ。ついでに儂は一か月ばかり病で伏せることになる。左様心得ておけ」

 妻が不思議そうな顔をしている。ま、それくらいでちょうど良いか。儂が重病だと信じれば三郎を呼び戻す文も迫真の物となろう。



 ・天文六年(1537年) 三月  近江国蒲生郡常楽寺湊  六角定頼


 まだ風は冷たいが、良く晴れている。絶好の出航日和というやつだ。

「万寿丸!どこに行くのです!」
「吉法師、待ちなさい」

 お寅の声とお花の声が同時に響く。母親同士はともかくとして、万寿丸と吉法師は割と仲良く遊んでいるようだ。二人とも今じゃすっかり走り回るようになって侍女たちを困らせているらしい。
 将来はやんちゃ仲間にでもなるのかな。

 まだ春先で風が冷たいが、足に履いた皮足袋たびが暖かく包み、足先の冷えを軽減してくれる。足袋の内部に繰り綿を仕込み、綿布を縫い付けて内張としてある。
 海北綱親から走りやすい足袋を作ってくれと言われて会合衆と職人たちが知恵を絞って作った足袋だ。

 皮足袋そのものは今までにもあったが、皮一枚で作られていて歩き心地は決して良いものではなかった。そこを改善するためにクッション材を縫い付けて改良したらしい。
 旅人や行商など長距離を歩く者には重宝されているとのことだが、北軍では特に防寒用としても重宝している。手先足先が冷えると身体能力がガクンと落ちるからな。寒い中の行軍では今や必需品だ。

「御屋形様、お待たせいたしました」
「船の上では子供たちを離さぬようにしておけよ。湖に落ちたら凍え死んでしまうぞ」

 お寅とお花が肩で息をしながら桟橋にやって来る。
 ……まあ、心配なさそうだな。
 万寿丸も吉法師も侍女の背に帯で括り付けられてジタバタしている。これならばそうそう落ちることはあるまい。

「ま、ゆっくりとにおの海の景色を楽しむといい」


 船が岸から離れて動き出すと、すぐに雪化粧をまとった比良山系が目に入って来る。
 やっぱ比良の暮雪は遠くから見るほうが綺麗だな。比良山の近くに住まう者には厄介な雪だが、見ている分には真っ白に光る山肌が神々しさを感じさせる。

 隣の進藤も思わず見とれている。竹生島に行くと言った時は『こんな時に』と怒られたが、弁財天には勝運や武運長久の御利益もあるからと納得させた。戦国大名なんてやってたら『こんな時』じゃない時が無いんだから、行ける時に行っとかないと。

 まあ、進藤も連れて来たのは休暇替わりという意味合いもある。たまには政務を離れてゆっくりと船旅をするのもいいだろう。
 それに、竹生島詣でを終えたら俺は山本山城に入り、そのまま金ヶ崎へ向かう予定だ。主だった軍勢は既に金ヶ崎に向けて進発させてある。斯波義統も十日後には金ヶ崎入りする手はずになっている。ただ遊びに行くわけじゃない。

「時に御屋形様。金ヶ崎の海北からの文によれば、真柄を始め丹生郡や南仲条郡の者達は既に金ヶ崎城に人質を参らせているそうにございます。こちらが降った国人の面々で……」

 言いながら進藤が懐から文を取り出す。やれやれ、こんな時くらいゆっくりと景色を楽しんだいいのに、仕事熱心だねぇ。

「まあ、ここじゃ何だ。中で聞こう」



 ・天文六年(1537年) 四月  越前国足羽郡一乗谷城  朝倉景紀


 朝倉家から国人衆の離反が止まらぬ。
 父が重病だの兄が食の毒に当たっただのもっともらしい理由を付けているが、一月の間にこれだけ何人も都合よく病になったりするものか。間違いなく六角の手が回っているのだろう。国人衆の人質は誰一人返さぬようにしているが、果たしてそれで離反が食い止められるかどうか……。

 どうしてこうなったのだ。
 三年前に高島郡に攻め入ったあの時、儂は命を捨ててでも六角の本陣に討ち入るべきであったかもしれん。六角の本陣が間近にあったのは確かなのだ。己の命を捨ててでも六角を討ち取っておれば、今頃は義景様の元で朝倉は繁栄できていたかもしれん。
 あるいは、義父上が急ぎすぎたのか。京から戻った時、短兵急に兵を進めずに北近江に浅井を戻して六角と浅井の戦を支援する体制にしておれば、あるいは六角もここまで急激に領域を広げることは出来なかったかもしれん。

 いや、どのみちあの男ならば謀略によって浅井を降し、手練手管を用いて敦賀を狙って来ただろう。今更言っても詮無きことながら、あの時義父上が討たれさえしなければ……。

「九郎殿、少しよろしいか」
「これは右兵衛殿(朝倉景隆)、評定の結果は出ましたか?」

 右兵衛殿は一族の重鎮として長夜叉様(朝倉義景)に代わり今の朝倉家を取り仕切っている。その右兵衛殿によって儂は評定を外された。
 確かに儂が評定に出れば主戦派の者が勢いづくだろう。つまり、右兵衛殿は六角に降るつもりなのだろうな。

「未だ揺れておる。一乗谷城の天険を盾とし、あくまでも六角と戦うべきという意見もある。六角とて尾張に松平、京に木沢を抱えていつまでも越前だけに掛かっているわけにもいかぬはずとな。
 その主張も一理あるが……。木沢に勝ちを譲ってまでこの時に越前に侵攻することを優先したのだ。六角とてここでおいそれと退くようなことはあるまい」
「今からでも府中に兵を送り、府中城を固く守れば……」

 儂の言葉に右兵衛殿がゆっくりと首を振る。詮無きことを言っているのは自分でも分かっている。
 六角軍は明日にも木ノ芽峠を越えて来そうな状況だし、府中城のある南仲条郡や丹生郡の者達は既に金ヶ崎城へ人質を送っているという噂もある。今から府中に兵を出したとして、今度は南仲条郡で国人衆と戦をすることになる恐れが大きい。
 だが、それでも儂は六角に降ることを是とはできぬ。

「明日、国人衆の子弟を国元に返すこととする」
「……某は承服できませぬ。六角に降ることは我が義父の名において受け入れることなどできませぬ」

 右兵衛殿が深くため息を吐く。恐らくそのことを儂に納得させようと訪ねて来られたのだろうが、何度言われてもそのようなことが納得できるはずがない。

「そなたの気持ちもわかる。それ故、そなたは一乗谷城を落ちよ」
「……某を厄介払いされるおつもりか?」
「そう受け取られても構わぬ。だが、仮にここで我らが城を枕にしたとして、朝倉家を再興する夢は潰えよう。違うか?」
「それは……」

 右兵衛殿の言われることもわかる。ここで討ち死にすれば朝倉家の再興は夢と消える。
 だが……それでも儂は……

「九郎殿は長夜叉様を連れ、今のうちに越前を離れて堺へ参るが良い」
「堺へ……それは何故に……」

 右兵衛殿が懐からいくつかの書状を取り出す。

「……それは?」
「亡き御屋形様の文箱の中から出て来た。厳重に封印をし、余人には知られぬようにしておられた。中身を知るのは儂と九郎殿だけだ。
 ……次郎(朝倉景高)の裏切りによって潰えたが、恐らくこの文を出す前に大願成就を願って波着寺へ詣でようとしておられたのだと思う」

 文には我が朝倉の苦衷を訴える内容が滔々と述べられている。三条相国、そして細川右京大夫に対し、臣従も辞さぬと言い切ってさえおられる。
 まさか兄上がここまでの覚悟を固めておられたとは……。

「亡き御屋形様は何としても朝倉を生き残らせるために必死だったのだ。我らがその志を無にすることはできまい」
「それはどういう……」
「儂はこの城に残り、最期まで時を稼ぐ。戦を控え、交渉を引き延ばし、お主らが堺へ参る為に越前から落ちる刻を稼ぐ。それ故、必ずや九郎殿は朝倉を再興させてくれ」

 どういうことだ? 右兵衛殿は六角に降るつもりではないのか?

「そのようなことをされれば、右兵衛殿は降ったとしても責めを負わされるのでは……」
「儂は落城と共に腹を切る。家中の主だった者達は全て九郎殿が連れてゆかれよ」
「し、しかし、それでは肝心のこの城の守りは……」
「何、郭のそこかしこに旗指物でも括りつけておくとも。この右兵衛尉一世一代のハッタリを見せてくれる」

 何と……儂は右兵衛殿を誤解していた。そこまで肚を括っておられるとは……。

「長夜叉様を頼むぞ。先の一向一揆の撃退により、九郎殿の武名は宗滴殿にも引けを取らぬと天下に鳴り響いておる。三千の手勢で五万の一揆勢を粉砕した戦ぶりは見事だった」
「しかし、そこまでの御覚悟を固めておいでであれば尚の事、共に近江宰相の肝胆を寒からしめてやれば……」

 言い切らぬうちに右兵衛殿が寂しそうに首を振る。

「例えここで戦ったとしても結果は変わらぬ。朝倉が滅亡するという一事は変えられぬ。皆で揃って討ち死にするよりも、僅かでも再興の可能性を残すのが武士たる者の務めだ」
「……」
「明後日、そなたらが一乗谷城を出た後にそなたの居館に火を放つ。九郎殿は長夜叉様と共に炎の中で果てたと申しておこう。
 山崎新左衛門(山崎吉家)、前波藤右衛門(前波景定)はそなたについて行くと申しておる。堺へ逃れ、三好越後守殿(三好政長)を頼るが良い。必ずや力になってくれるだろう」

「何故、某に? 右兵衛殿が長夜叉様を連れて逃れられれば……」
「領地も無くロクな兵も持たぬ状態で堺方を頼るのだ。朝倉九郎左衛門の武名は必ずや長夜叉様のお役に立とう。儂はそなたほどに武の才に恵まれてはおらぬ。腹を切るなら儂の方だ」

 鼻の奥が痛い。目の端が熱い……。
 右兵衛殿は何故笑えるのだ。

「九郎殿は生きて恥を晒されよ。儂は一足先に今は亡き御屋形様の元へ参らせてもらう」

「右兵衛殿」

「……後を、頼むぞ」


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