江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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天下最強の三河衆

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 ・天文九年(1540年) 六月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


「話は分かった。こちらとしてもすぐに返答は出来んが、出来る限り望みは聞き届けよう」
「有難うございます。何卒よろしくお願い申します」

 深い皺の入った額を下げて蓮淳が丁寧に礼を述べる。髭や僅かに生える毛髪は既に真っ白になっている。
 俺が進藤と共に頷き返すと、すっと立ち上がった蓮淳がそのまま案内の者に連れられて控えの間まで下がって行った。思えば、蓮淳も年を取ったものだな。

 しかし、なんだかなぁ……

「年の功とでも言えばいいのか。あの蓮淳が、随分と毒気が抜けたものだな」
「左様ですな……。して、如何なさいますか?」
「ふむ……」

 蓮淳が目通りを願ってきた用件は今までの経緯からは意外な物だった。
 三河の民衆は連年の戦で疲弊し、耕作を放棄した田も増えて来ているそうだ。考えてみれば、清康は三河を統一してから休む間もなく尾張や遠江に遠征を繰り返し、戦の止む年は無かったな。

 その上で今回の西国での飢饉だ。通常伊勢から東国へ出荷していた米を留めたことで、東海戦線でも兵糧が不足気味になった。清康の目論見では遠江を奪い取れば民を食わせる米を得られると考えていたようだが、実際には思った以上に降伏する者が多くて米が思うように集められていないらしい。
 さすがの清康と言えども自ら馳せ参じて味方になった者の領地から、供出された以上の米を無理矢理略奪するわけにはいかんしな。

 それが六角にさえ打ち勝った天下無敵の三河軍団の実態というわけだ。勝ち続けることで己の立場を確保してきた清康は、勝って奪う以外に食わせていく方法を知らない。だから意地でも勝たねばならんし、勝った先には降伏した民衆を食わせる為の戦が待っているという悪循環だ。戦が強くなるわけだよ。

 蓮淳は三河の門徒たちが飢えで苦しみ、挙句に尾張に野盗に入っては戻って来なくなるのを見るに見かねたらしい。何とか本證寺を通じて三河に食糧の援助を願いたいと申し出て来た。

「援助せぬわけにはいかぬだろう。『海内豊楽』を旗印にしている俺が、三河にだけはそれを為さぬというのでは天下に示しがつかん」
「……しかし、西国への援助でこちらも米の備蓄は随分薄くなっております。今回三河へ米を援助すれば、飢えることは無くとも徳川との戦を起こすゆとりは無くなります」
「分かっている。まずは米以外の麦や豆類の援助から始めるつもりだ」

 やれやれ、妙な成り行きになってきた。

 しかし、今会ったのは本当にあの蓮淳か?
 先年の尼子上洛戦の事も涙ながらに詫びていた。蓮淳としても本意では無かったそうだがな。

 証如からの文はそのほとんどが自分が見る前に信徒総代である石川清兼に奪い去られ、自分とは関わりのない所でいつの間にか本證寺と本願寺が尼子と徳川のつなぎ役となっていたそうだ。
 全ての事情を知ったのは清康が流民を尾張に放った後だと言っていた。武士の戦に関わらぬと約しながら、再び一揆紛いの事を起こしてしまったと泣いて頭を下げる姿は、とてもあの蓮淳とは思えなかった。
 元より頭からそれを信じることは出来んが、あの涙が嘘とも思えんのだよなぁ。

 仮に今回の事が作り話だったとして、三河にどんな利があるか……。

 まずは三河の政情不安が払拭される。
 享禄一向一揆の本質は空腹に耐えかねて民衆が蜂起したことが根本にある。おそらく後年の三河一向一揆も同様だ。

 三河は元来物成りの豊かな土地じゃない。耕作に適した土地は限定的だし、三河国自体がさほど国土の広い国ではない。
 だからこそ清康は当初守山城を制圧し、穀倉地帯である濃尾平野への侵入拠点を確保しようとしたんだろう。
 史実の三河一向一揆も、その発端は徳川家康が守護不入の権を侵したからだというが、守護不入による最大の特権は税負担の免除だ。つまり、徳川家康は三河で独立するにあたって既得権益をそのまま認めてやれるほど収入にゆとりが無かった。まして三河一向一揆の前には三河国内でいくつかの勢力が家康に反旗を翻していたはずだ。守護不入の権を認めてしまえば、国内の反乱勢力を討伐するための戦費にすら事欠く有様だったんだろう。

 徳川家康が織田信長との同盟を堅守したのも同じ理由が根底にあるはずだ。熱田や津島から米を入れてもらわなければ、三河一国の農業生産力ではたちまち干上がってしまう。だから家康は何があっても織田との同盟を切ることは考えられなかった。
 衣食が足りて初めて人は支配者の言葉に従うようになるものだ。逆に言えば、衣食が足りれば大多数の者は為政者の言葉に素直に従うものだからな。


 次に清康の利としては六角領の食糧を使って徳川の兵を養うことが出来る点だ。その兵は結局は六角と戦うための兵だ。つまり、こちらとしては身銭を切って敵の兵力を支えてやる結果となる。

 ……だが、言ってしまえばその程度か。

 そもそもこっちはその気になれば近江・越前・尾張・伊勢・大和・南山城の軍勢を動員できる。今のところこっちは西に敵を抱えているわけではない。そして摂津と美濃は頼めば軍勢を出してくれるだろう。例え徳川が全兵力を振り向けたとしても尚こっちの方が兵力は勝っている。

 さらに言えば、その場合は今回の密談は偽装で、蓮淳は清康の指示で観音寺城に来たことになる。つまり、蓮淳は総本山である本願寺を六角に売り渡してまで徳川清康に付いたということだ。

 そこまでするだけのメリットが蓮淳に果たしてあるか?

 ……無い。腹立たしい生臭坊主だったが、今までの蓮淳はあくまでも浄土真宗本願寺派という教団内での立ち位置を守り、教団を武士と対等に渡り合える勢力にするために権謀術数を用いて来た。肝心かなめの教団を売り渡してまで清康に付く理由が無い。


 反対にこの話が真実だった場合、六角の援助によって清康の求心力は急速に低下する。三河国内に蓮淳というもう一つの『為政者』が生まれることになるからだ。
 しかも蓮淳は豊かな六角領から平和裏に食糧を調達できる伝手がある。戦に次ぐ戦で疲弊した民衆にとって、蓮淳が救いの神に映ったとしても不思議ではない。

 まあ、だからと言って清康に対する一揆を俺が扇動することは出来ないがな。一揆のような暴動を容認する治世などあってはならない。むしろ狙うべきは三河衆の無力化だ。

 三河衆の多くは蓮淳が戦うなと指示を飛ばせば矛先が鈍るだろう。三河は武士の中にも一向門徒が多い。それらの一般門徒にとって、信徒総代と本證寺住職の言葉が真っ向から対立することになる。
 動揺するなという方が無理な話だ。

 それに、『一揆を起こせ』ならば蓮淳も渋るだろうが、『誰とも決して戦うな』であれば聞き入れやすいだろう。蓮如の教えと一致する部分でもあるからな。

 ……ふむ。やはりここは多少無理をしてでも本證寺への援助を行う方が六角にとっての利が大きい。
 どういう成り行きになるかは分からんが、少なくとも今打つ手としては悪くない。

 だが……

「援助云々の前に、まずは今年の六角領の物成りを確認するのが先決だな。浅見対馬守は今どこに居る?」
「今頃は海津から敦賀にかけて検地の状況と代官衆の仕事ぶりを検分して回っているはずです」
「すぐに呼び戻せ。この件は対馬守も交えて検討する」
「ハッ!」

 念のため蓮淳に三河への帰路に用心するように言っておこう。明確に近江に来たと分からんように、角屋の商船で送り届けるようにしようか。それならば石山本願寺に行っていたという言い訳もできるだろう。



 ・天文九年(1540年) 七月  遠江国佐野郡 掛川城  徳川清康


「近頃三河兵の集まりが悪いな。勝ち戦の最中だというのに離脱する者も出ているそうではないか。何か聞いていないか?」
「いえ、某は何も……」

 安芸守(石川清兼)が青ざめた顔で下を向く。

 ……フン。どうやら蓮淳のことはしらばっくれる腹積もりのようだな。本證寺の寺内町に伊勢からの荷が密かに届けられていること、儂が把握しておらぬと思っているのか。

 ま、いい。忌々しいが、助かったのも事実。
 儂が頭を下げることなく、軍を起こすことなく、六角の食を使って民を食わせられるのだ。その間に儂は駿河を征服し、今度こそ確実な収入を得なければならん。
 まったく、戦とはままならんものだな。勝てば米は手に入ると思っていたが、勝てば勝つほど膨らんだ兵を食わせる米が必要になる。こんなことならば、あの時あくまでも尾張を奪い取っておけば良かったわ。

「殿、武田の使者が参っております」
「よし、通せ」


 しばらく待つと目付きの鋭い男が通されて来る。わざわざ甲斐から敵地を抜けて掛川城まで来るとは、何かマズいことが起こったようだな。

「武田家臣、板垣駿河守(板垣信方)と申しまする。三河守様(徳川清康)には急な訪問にも関わらずお目通りをお許し頂き、恐悦至極にございます」

 ほう。この男が板垣駿河守か。旧主陸奥守(武田信虎)を追放し、若造の大膳大夫(武田晴信)を当主に据えて実権を握っていると聞く。
 その駿河守自ら参ったということは、余程の事が起こったと見えるな。

「徳川三河守である。駿河守、早速だがお主ほどの重臣を寄越すとは、よほど容易ならざる事態が起きたと見えるな」
「ハッ!北条の策謀により、富士城の富士兵部少輔(富士信盛)が北条へと寝返りました。我らは駿東郡へ進出しておりましたが、一旦前線を下げざるを得ません。お約束しておりました東西からの挟撃が困難となったこと、重々お詫びするようにと主から言付かって参りました」

 ふむ……。
 富士城は駿河と甲斐の国境にあり、甲府の喉元を抑える拠点だ。そこが北条へ寝返ったとなると、武田は甲府の防衛にも手を割かねばならん……か。

「良いのか?そうなると駿河は我らの独り占めとなるぞ?」
「……無論、承知の上でございます。駿河から甲斐への道が確保されるのであれば、我らとしても目的は達せられます。今後とも何卒良しなにお願い申し上げたいと存じまする」

 フ……。まずは駿河との通行を確保できれば良し、か。
 血を流した割りに随分と譲歩するではないか。

「分かった。大膳大夫殿には委細承知したと伝えよ。我が徳川が今川に止めを刺す、とな」
「ハッ! 約定を破る結果となったこと、重ねてお詫び申し上げまする」

 この際、武田は北条にぶつけるか。
 北条は今川を支援すると号しているが、やっていることは武田を駿東郡から追い払っただけで駿府へ軍勢を送る気配はない。元々北条が奪い取っていた駿東郡を確保するために兵を出して来ただけだ。
 北条が本格的に今川に援軍を送るとなると厄介だが、武田と遊んでいるだけならば問題は無かろう。

「明後日に掛川城を出陣する。大井川を越え、花沢城を落として駿府の喉元を抑える。各々、出陣の用意を整えよ」
「ハッ!」


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