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教興寺の戦い(4) 勝者と敗者
しおりを挟む・天文十二年(1543年) 四月七日 河内国高安郡 教興寺 六角定頼
突撃が速い。
朝倉勢が見る見るうちに滝川の陣に迫っている。既に朝倉も鉄砲隊がどういう物かは理解しているはずだが、鉄砲を避ける動きが一切見られない。
景紀め。もはや生きて戻らぬ覚悟というわけか。
突撃して来ている兵はほとんどが足の速い騎馬兵だ。物見はその後に徒歩の兵が来ていると思って『およそ五百』と報告してきたようだが、実数は三百も居ない。
三百に満たぬ兵では本陣までは届かない。滝川鉄砲隊の前に多くは馬を失うだろう。
轟音が響き、鉄砲隊が火を噴く。数十騎が落馬した次の瞬間、次の轟音が鳴る。久助(滝川一益)め。三倍もの騎馬の集団が目の前に迫るこのギリギリの状況で、なお鉄砲を二段に分けたか。大した肝っ玉だ。
一射目で討ち漏らした敵も二射目で多くが落馬し、後続を巻き込んで連鎖的に落馬が広がる。もはや馬に乗って駆けているのは五十に満たない。
だが、こちらも三射目は無い。もはや敵は鉄砲隊の目の前に詰め寄っている。次の弾を込めている暇は無い。
滝川隊の後ろに控えた長柄隊が前に出て残った五十騎に襲い掛かかった。
勝負あったな。
……む。一騎、長柄隊の壁を抜けて来た。
馬上の男は血に塗れているが、近付くにつれて徐々にはっきりと顔立ちが見えてきた。
随分年を食っているが、あの鋭い目つきには確かに見覚えがある。
とうとうここまで来たか。
「景紀……」
俺の方も一歩、また一歩と前に踏み出す。
「上様!」
進藤が声を上げるが、俺の制止で黙り込んだ。俺に駆け寄ろうとした近習達も動きを止める。
目の前に近付く馬は既に足取りも怪しく、馬上の景紀も腹に二発の銃弾を食らい、左肩の槍を受けたであろう傷からは血を流し続けている。
もはやまともに動ける状態じゃないことは一目見れば明らかだ。
「……定……頼」
俺の目の前まで馬を寄せると、馬上の景紀が死力を振り絞って右手に持った太刀を振り上げた。
コツンッ
力なく振り下ろされた太刀を手に持った軍配で受ける。
軽い斬撃だ。木製の軍配でも容易に受け止められるほどに……。
同時に馬がその場で力尽き、前足を折って崩れ去った。馬上の景紀も投げ出され、俺の目の前で仰向けに倒れる。
「会いた……かったぞ……」
「ああ、俺もだ」
目と目が会った後、景紀が俺から視線を外して空を見上げた。
朝にはどんよりと曇っていた空だが、今は雲も晴れて青空を覗かせている。
「儂の……負けだ。……儂は、ついに……義父を超えることが……できなんだ……ようだ」
「……そうでもない。朝倉宗滴、三好元長、尼子経久、徳川清康。皆手強い相手だったが、俺の目の前まで馬を寄せて来たのは、お前が初めてだ」
「ふふ……嬉しいことを……言ってくれる」
視線を戦場に移すと、朝倉勢の後ろから三好勢が駆けつけ、生き残っていた朝倉兵を次々に討ちとっていく。どうやら必死で追いかけて来たようだな。
「次は……負けんぞ……冥途で会ったら……必ず……儂が勝つ……」
「冥途って……死んでもまだやるつもりか? さすがに勘弁してくれ」
ニヤリと笑った景紀の目から徐々に光が消え失せる。
笑ったまま息絶えやがった。
ふん。……笑って死ねる人生か。
俺には出来ないな。例えば俺が今死ぬとしたら、とても笑っては死ねないな。顔を歪めて意地汚く生き延びようとするだろう。俺にはまだ、やらねばならんことが残っている。
最期は笑って死ねたお前が、少しだけ羨ましい。
「義父上!」
三好勢が朝倉の討伐を進める中、本陣に駆け付けた三好頼長が慌てて俺の前まで来て頭を下げる。
「申し訳ありません! 某の手落ちでございました」
「……気にするな。榎並城は完全に包囲出来ていたわけでは無い。朝倉が城を捨てれば、押し留めることは不可能だった」
「ですが……」
「それに、朝倉は真っすぐにここに駆けて来たのだろう?俺がここに現れることを読み切っての行動としか思えん。朝倉宗哲の軍略こそ、見事だった」
俺の言葉を聞いた頼長が、倒れている景紀に向き直って合掌した。景紀は、頼長にとっても篠原長政の仇だ。だが、その死に様は見事だったと頼長も認めたのだろうな。
さて、太平寺の方は……
こっちも粗方終わったか。
……ひどい物だ。累々たる死体が山を為し、大和川が真っ赤に染まっている。まさに屍山血河だ。
自分でやったこととは言え、やはり心は少し痛む。
義晴や遊佐はどうなったか。
突然の朝倉の出現に四郎も蒲生も海北も一時的に動揺した。もしかしたら、逃げ切られたかもしれんな。
だが義晴はともかく、遊佐の方はもはや再起は出来まい。
遊佐は今回の戦の為に河内だけでなく紀伊や和泉の兵も動員していたが、それらの多くは大和川で散った。
今すぐにこれ以上の兵を募ることは難しいはずだ。
遊佐との戦は、俺の勝ちだな。
「勝鬨だ! エイ!エイ!」
”オオー!!”
「エイ!エイ!」
”オオー!!”
・天文十二年(1543年) 四月七日 河内国古市郡 葛井寺 足利義晴
「ここで良い」
葛井寺の本堂に座り、『御小袖』を脱いだ。
腕や足にはいくつもの矢傷を受け、動くだけで体中に痛みが走る。
あの後、大和川を渡って高屋城に逃げ延びたが、既に高屋城には六角の旗がはためいていた。別働の一手が迂回して高屋城を落としたのだろう。
見事な手際よ。
「公方様。何卒……」
「左衛門佐(大館晴光)。もう、良いのだ」
「しかし……」
「余は六角に敗れた。我らを釣り出し、伏兵にて殲滅する。思い出しても見事な戦であった」
余が嬉しそうに話すのが気に食わぬのか、左衛門佐が悔しそうな顔をする。
いや、泣いておるのか。左衛門佐は最後まで六角に勝つつもりであったようだからな。
備中(海老名高助)や美作(進士晴舎)は無言で俯くばかりだ。思えば、内談衆には苦労ばかり掛けたな。
「他の者は皆逃げ出したか」
「恥知らずな者達でございます。公方様に取り立てて頂きながら……」
「良いのだ。これから世は変わる。余の死と共にな」
「公方様、今一度申し上げます。生きて再起を図りましょう。関東や西国は未だ六角の手が及んでおりません。お味方を募り、必ずや六角を打倒しましょう」
ふふ。六角を打倒する……か。
あの時、江州(六角定頼)が病であると聞かされた時、余の心には欲が出た。足利の世を再興し、天下を平らかにするという欲が……。
いや、違うな。天下無双と言われる六角定頼に勝ちたいという欲だ。あの時は確かに、天の意志は余と共にに在ると思ったのだがな。
『天に意志など無い。在るのは人の意志だけだ』
どこからともなく江州の声が聞こえる。
幻聴か?いや、あるいはまことに江州の声なのかもしれん。
……そうよな。結局余が天の意志と感じた物は、実際は江州によって導かれた人の意志だった。
将としての格が違う。それを嫌というほど思い知らされた。
思えば、江州は昔から余を『天下人』ではなく『一人の人』として大切にして来てくれた。強く、頼もしく、そして優しかった。実の父を碌に知らぬ余にとっては、真の父とも思うてきた。
父を超えるとは、かほどに難しいものだったか。
「公方様……」
「左衛門佐、備中、美作。お主らに頼みたいことがある」
「何なりと」
「菊幢丸(義輝)と千歳丸(義昭)を頼む。余と同じ轍を踏まぬように、父とは違う道を生きよ、と」
「……確かに、承りまする。どうかお心を安らかにお持ちくだされ」
「頼んだ」
一呼吸入れると、腰刀を前に置いて着物の前を寛げる。
不思議と体の痛みが引いていく。死とは、これほど安らかな物なのか。
願わくば、六角の作る新たな世をこの目で見たかった。
足利などに……将軍などに生まれなければ、江州の……定頼殿の膝下に頭を垂れることも出来たであろうにな。
刀を抜き放ち、自らに向けて刀身を握る。手には冷たい太刀の感触が伝わって来る。
さらばだ、御父。
願わくば、皆が笑える良き世を築いて下され。
・天文十二年(1543年) 五月 和泉国和泉郡 岸和田城 内池甚太郎
茶室の中には湯の沸く音が響き、河内守様(遊佐長教)がいつもと変わらぬ手つきで茶を点てている。
手痛い敗北を喫したというのに、平然としておられるのは何故だ?
もはや遊佐家には六角に対抗できる力は無いはずだが……。
目の前に差し出された茶碗を受け取り、一服する。
美味いな。茶が美味いと思ったのは久しぶりだ。
「結構なお手前で」
「うむ」
茶碗を返すと、今度は河内守様が自身の分の茶を点て始めた。
「ところで、此度のお召しは何用で?」
「お主、何故六角に降らなかった? 六角から誘いは来ていたのであろう? いつまでも岸和田城に留まる必要は無かったのではないか?」
なんだ、そのことか。
教興寺の合戦の後、右大将様(六角定頼)は京へ戻り、岸和田城は尾張守様(六角義賢)によって包囲された。今も外には六角の兵がひしめいている。
河内守様としても降るつもりなのだろうな。
「河内守様が降ることを留めるつもりはありません。ですが、手前にはこの戦を起こした責任がございます。のうのうと生き残ることなどは……」
「ふふ。その真面目過ぎるところがお主の良い所でもあり、悪い所でもある。意地を張らずに素直になれば良かろうに」
「手前の事はともかく、河内守様は……」
「儂は降るつもりは無い」
降るつもりは無い?
この状況で、まだ何か策があると言うのか?
「不思議そうな顔だな。事ここに至れば、もはや策などは無いぞ」
「であれば、何故降らぬと?」
「降ったとて行く末など知れている。降将として領地を召し上げられ、六角から俸禄を貰って細々と生きるのみだ。それならば、儂はここで死ぬ。一度は六角と天下を争った男として、乱世の梟雄として史に名を残そうと思う」
ふっ。素直でないのはどちらだ。
「おっ。笑ったな」
「可笑しいですか?」
「ああ、お主が笑うのは随分と久しぶりな気がするぞ」
そうか……私はそれほどに感情を無くしていたのか。言われるまで気が付かなんだ。
「何故、儂は茶の湯を好むのかの……」
唐突に何の話だ?
「ふふ。太平寺で敗れてここに逃げて来る間、ずっと考えていた。何故人は茶の湯を好むのか」
「答えは出ましたか?」
「ああ。それは、人が一揆の世に飽いているからだと儂は思う」
一揆の世に飽いている?
それが茶の湯と何の関係があるのだ?
「人は宗門によって繋がって来た。宗門によって『結縁』を繰り返して来た。だが、それは同時に宗門の争いを生むことにもなった。
宗門によって一揆が結ばれ、それが世を動かして来た。だが、人はそれに疲れているのだろう。
宗門とは関係のない結縁の方法を探った。それが茶の湯であり、連歌であり、唐物といった文物なのだ。つまり、『同好の士』という縁を結ぶことで宗門に頼らない人との繋がりを作りたいと願った。
だからこそ、茶の湯がこれほどに人に愛されているのではないか、とな」
「興味深いお話ですな」
「今になって気付くとは、我ながら間抜けな話よ。自ら茶の湯を好みながら、儂はそのことにとうとう気付かなんだ。宗門を抱え、宗門の一揆を兵力として抱えることで勢力を為した。
だが、右大将はそれを否定し、宗門に寄らぬ結縁を推し進めた」
「……式目、ですな」
「その通りだ。式目によって繋がり、勢力を広めていった。それが六角の強さなのだと改めて思い知らされた。思えば、儂は最初から六角に負けておったのかもしれん」
思えば、最初から六角様は式目を推し進めて来られた。式目による結縁か……。
あの時、六角様が申されていたことだったな。
「お主と別れた後に腹を切るつもりであったが、お主も死ぬつもりであるなら共に逝かぬか?」
「良いですな。ですが、手前は腹を切る刀を持っておりませぬ」
「なに、良い物がある」
そう言って河内守様が奥の棚から何かを取り出す。
丸い器から何やら紐のような物が伸びている。不思議な形だな。
「これは六角の使う『焙烙玉』というやつだ。この紐に火を点ければ、大きな炎が吹き上がるそうだ。
ここで着火すれば、共に死ねるだろう」
そう言いながら、平蜘蛛の釜の上に焙烙玉を三つ無造作に置いた。
「平蜘蛛を壊してしまってよいのですか?」
「惜しい逸品だ。儂があの世まで持ってゆきたい。九十九髪茄子は朝倉に返そうかとも思ったのだがな……。宗哲が死に、返す相手も居なくなった。
折角だからこれも儂があの世に持ってゆくとしよう」
「好みの茶器に囲まれて冥途へ行くとは、巷の茶人が聞けば涎を垂らすかもしれませんな」
「そうであろう。これこそ『粋』というものだ」
二人して大声で笑う。
こうして声を上げて笑うのは本当に久しぶりだな。今一服茶を喫しながら、焙烙玉に点けられた火を眺めて二人で笑う。
……後悔は山ほどある。だが、このお方と共に歩んできたのは事実だ。
最期は二人で死ぬというのも悪くない。
「間もなく火が回りますな」
「うむ。あの世でもまた、茶を振舞って進ぜよう」
「楽しみにしております」
瞬間、焙烙玉が弾ける音がした。
お頭、六角様、おさらばです。どうか、お元気で。
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