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―― 序章 ――
【一】僕の境遇
しおりを挟む僕はベルンハイト侯爵家の次男として生まれた。性差はSub。
この世界には、男女の性別の他に、Dom・Sub・Switch・Usualの四つに区分できるダイナミクスが存在している。その中で、僕が生まれたSubは、簡単に言えば『支配されたい』という欲求を持つ。《命令》を貰うと、喜んで従ってしまう。本当は嫌でも――Domの命令には自然と従ってしまう。そういう時は、Sub dropと呼ばれる状態になる。極度のパニック状態のような精神状態になる。
Domというのは、Subとは逆で、『支配したい』といった欲求を持つ人々だ。
そんなDomにもSubにも、どちらにも転化可能なのが、Switchと呼ばれる人々である。
でも圧倒的多数の者は、そのいずれでもないUsualだ。男女という性別しか持たない人々の事である。
「……」
寝台の上で体を起こした僕は、ギュッと両手でかけられていたシーツを握った。ぐしゃりと皴になった。酷い眩暈と頭痛がしていて、自分がまたSub drop状態だった事に気が付いた。
本来Domは、Subがセーフワードを述べると、《命令》を止める。だけど僕に命令する婚約者のヘルナンドは、セーフワードを取り決める事を許してはくれなかった。ヘルナンドは、支配欲の強いDomだ。
バフェッシュ公爵家の嫡子であるヘルナンドと僕は、生まれた時からの許婚関係だ。幼少時は、時々手紙のやりとりを義務的に行い、年に一・二度挨拶をする程度の関係だった。それが変化したのは、十三歳の歳に、魔術によるダイナミクス判定があった時だった。結果は、ヘルナンドがDomで、僕がSub。それ以後、ヘルナンドは僕を無理矢理、《命令》で従わせるようになった。いいや、僕の事だけじゃない。多数のSubに《命令》をして悦に浸っていると、僕は知っている。
腹部がキリキリと痛む。呼吸をすると、全身がズキリとした。
昨日何度も、《動くな》という命令をされて、殴られたり蹴られたりした結果だ。そのまま僕は、またSub dropしてしまったらしい。抵抗できなかったし、する事を許されていない。
僕の生涯は、このまま暴力に晒されて終わるのだろうか。
きっと結婚して一緒に暮らすようになったら、もっと酷くなるだろう。
暴力を振るわれた理由は、僕がうっかり、ヘルナンドの不貞に言及してしまったからだ。貴族は許婚には婚姻するまで手を出さないという、暗黙の了解がある。それは国教である聖ルベルト教が定めている事でもあり、聖書にも記載されている。だからヘルナンドは僕の体を暴く事だけは出来ない。露見すれば、国外追放と決まっている。代わりにヘルナンドは、性交渉をしても問題視されない平民に熱を上げていて、ここのところは王都にあるプレイバーに足蹴く通っている。プレイバーは、DomとSubが待ち合せたり、その場限りの関係を結ぶなどする場所だ。当初はヘルナンドも一夜限り体を重ねていたようだったが、最近では常連の一人のSubに入れ上げているそうで、外聞が悪いから注意するようにと、ヘルナンドのお母様から僕は頼まれた。
ヘルナンドは僕に、
《暴力について言ってはならない》
と命令しているし、
《人前では仲睦まじいフリをしろ》
とも命令しているから、僕はその通りにするしかない。
その上辺を、ヘルナンドの両親も周囲も、僕の家族ですらも信用している。だから僕に、注意をするように頼んできたのである。僕は誰にも、現在の境遇を訴える事が出来ない。だが勿論、結果は散々だった。
『お前にはそんな事を言う権利はない。俺に何をされても悦ぶただのMのクセに』
殴られながら、嘲笑されて、浴びせかけられた言葉の数々。
俯くと涙が込み上げてきた。正直、肉体的にも精神的にも辛い。
「……っ」
僕は手の甲で涙をぬぐった。それから、長々と瞼を閉じていた。僕をこの境遇から助け出してくれる人がいるならば、もう誰でもいい。僕はきっと、その人物の手を掴むだろう。
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