五月、公園で。

天井つむぎ

文字の大きさ
上 下
3 / 5

障害物リレーのアンカー。

しおりを挟む
「運動会?」
「行きたくないです……」
砂の城をつくりながら、僕は重いため息をつきました。
じゃんけんに負けた僕は、障害物リレーのアンカーに任命されました。
「走るの苦手なの?」
「苦手どころか大嫌いです。マラソンもビリから数えた方が早くて、鬼ごっこもすぐ背中をタッチされて……」
ため息をつく僕を見て、お兄ちゃんは吹き出して笑います。足が遅い僕はやはりおかしいのでしょう。
(ちょっと胸が痛いけど)
「あ、ごめんごめん。悪い意味じゃなくて」
「……え?」
「ようちゃんが『自分はこれが嫌い』って話すの珍しかったから。なんか良かった。年相応な一面もあって」
お兄ちゃんの言っている意味がよくわかりません。
理由を聞く前に夕風が吹き、砂が舞います。
「痛……っ」
目がかゆくて痛くてたまりません。擦ろうとした手をいつもより強い力で掴まれ、驚きました。
「こういう時は目を洗ってから目薬。俺の貸すよ。ようちゃんの瞳が傷ついてもダメだし」
自分でやるのは苦手な目薬を、お兄ちゃんは何も言わずしてくれます。しかもベンチに座った膝に頭を乗せてももらいました。僕が何度か目を閉じてしまっても「もう一回やろうねー」とめげずに付き合ってくれます。
「もし、明日も痛みが残るようなら眼科に行った方がいいよ」
「もう痛くないです。ありがとうございました」
心臓がバクバクするのと同時に喋ったせいで、きちんとお礼できたか自信はなかったです。
「そういえば運動会、いつやるの?」
「今月の中旬です」
「結構早いね。俺が小学生の時は秋だったのに」
昔を経て今があります。小学生の頃のお兄ちゃんはどんな感じだったのでしょう。
(落ち着いたムードは昔から? きっと面倒見のいいお兄ちゃんだったんだろうな)
とても気になりますが、触れられたくない過去もあります。聞きたい気持ちをグッと堪えました。
それから僕の小学校を改めて確認したお兄ちゃんは、「応援するから楽しみなよ。走り方も教える」と素敵なを提案してくれました。最高に嬉しかったです。

お父さんとは、一年前にお別れをしました。今は遠い空の上から僕達家族を見守ってくれていると思います。
(けど、お母さんとおばあちゃんが喧嘩するところはあんまり見たくないよね)
もちろん僕も見たくありません。というより、喧嘩して欲しくありません。
走るのがとても速かったお父さん。家にはたくさんのキラキラしたトロフィーが飾ってあり、一番の数字が並んでいます。
「三組の命運がかかっているんだから、負けたら承知しないわよ!」
「柏木ん家のおとーさん、選手だったんだからよゆーだろ?」
悪気があるのかないのかは知りません。
(……走る速度まではお父さんに似ていないよ)
すると、出番が近づいて暗くなっている僕の耳に、聞き馴染みのある声が飛んできます。
「よーうちゃーん!」
六学年が一斉に集まる大のお祭り。我が娘や息子、孫を応援する家族は生徒の倍以上いて、単なる空耳かと思いました。
「陽助くーん! 柏木陽助君! 頑張れええ!!」
(……あっ)
その人は普段、大声を出さなかったり、砂の城に興味を持った子達が寄ってくると隠れたり、とにかく自ら目立つのが苦手な人でした。
でも今日だけは、目と鼻の先で声を張り上げています。他の子達や僕のお母さん達の視線が集中しようと、一生懸命僕の名前を呼んで応援しています。
──本当は、断ることもできました。
お兄ちゃんが笑い涙をこぼしながら言ってくれたように、「僕は走るのが苦手だから嫌だ」とクラスメイトに伝えてアンカーを辞退すれば良かったんです。
簡単なことなのに、怖くて怖くてできませんでした。
ピストルの音より、心臓の音の方がうるさいです。
大きく腕を振り、目線は前へ向けます。走って、走って、走って。
障害物リレーのアンカーはお題のある机まで走り、お題の答えと一緒にゴールします。
(えっと、えっと……僕のお題は……)
『年上の大事な人』。折りたたまれた紙にはそう書いてあり、僕は真っ先に体が動きました。脇腹の痛みなんて関係ありません。
「お兄ちゃん! 来て、くだ……さい!!」
突然走ってきた僕に驚いた様子のお兄ちゃんでしたが、笑顔でOKしてくれて、僕達は手を繋いでゴールしました。

「いつも陽助君にはお世話になっております」
昼食の時間。お兄ちゃんは僕のお母さんとおばあちゃんに深々とお辞儀し、挨拶をしていました。
「あ、あのね。お母さん。お兄ちゃんはえっと……」
「陽太郎の知り合いかい?」
僕が説明に戸惑っていると、おばあちゃんが不思議そうにお兄ちゃんを見ています。後ろではお母さんが眉を寄せていました。
背中を転がる汗が冷えてきて、僕はとっても怖かったのですが。
「こんにちは、おばあちゃん。僕は陽助君のお友達です」
柔らかく笑うお兄ちゃんは僕の手をギュッと握り締めてくれました。
「そうなのかい」
「はい。優しくて思いやりのある良い子で、話していてとても楽しいです」
「ふふ、そうね。友達ができて良かったね、陽助ちゃん」
久し振りでした。おばあちゃんにちゃんと名前を呼んで貰えたのは。
それからみんなで一緒に弁当を食べたのですが、お母さんのもお兄ちゃんがつくったのも両方美味しかったです。おにぎりは塩っ辛く感じましたが、今まで食べた中で一番幸せな味がしました。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】地味令嬢の願いが叶う刻

恋愛 / 完結 24h.ポイント:9,180pt お気に入り:3,427

私と元彼と新しい恋人

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,322pt お気に入り:18

【完結】 嘘と後悔、そして愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,088pt お気に入り:324

錬金術師始めました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:383pt お気に入り:1

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,831pt お気に入り:301

貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:199,605pt お気に入り:12,468

僕よりも可哀想な人はいっぱい居る

BL / 連載中 24h.ポイント:732pt お気に入り:40

処理中です...