イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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金継ぎの青 上:ブルー編

憂いの狭間

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 青井は屋敷の外を知らない。
 捕虜である自分の身元引受人とされるバルドが、屋敷から青井を出すことを許さないからだ。青井も己のしてきたことを思えば、積極的に脱出を図る気はしなかった。魔族たちからすれば自分は間違いなく戦犯であろうし、脱走したところですぐ殺されてしまうに違いない。
 ……現役のヒーローだった頃。青井は休みもなく、ラボと宿舎と戦場を延々行き来する生活を送っていた。およそ引きこもっていられる時間は貴重かつむしろ好ましいものだ。……身の程をわきまえて大人しくしておくに限る。うっかり外に出て脱走などと嫌疑をかけられれば、何より身元引受人のバルドに迷惑がかかる。
 家主のバルドは青井の自由を奪う代わりに、とかく彼を大事に扱った。
 軽口でからかい、好色さのままに体を求めてくるものの、同居人としても妻としても彼を手厚く遇している。
 日々自分の暮らしやすいよう人間サイズの家具が増やされていくのを、青年は不思議な気持ちで観察していた。だだっ広い金ピカ屋敷に日中ひとり残される暇を気遣ってか高価な娯楽品が取りそろえられ、嬉しそうに買い物をした当の本人はその封を切ることさえせず出勤していく。毎朝バルドが帰宅時間だけ告げて魔王城に向かうのを見送っていると、青井は自分が齢十もいかない子どものように思えてくる。せめて食事を作っておこうとするのだがそれもうまくいく時ばかりではない。青井は料理が下手だった。
 舌が治りきってねえんだ、当然だろ。食事の進みが悪い青井を見かねてか、大鬼はなじることもなく、夕飯の味直しを担当してくれたりもする。優しいバルド。快適な衣食住。……軽口混じりに愛の言葉を囁かれながら、青井は膨れる腹をただ撫でる日々を享受している。

 ———痛いこともされないし、あげつらって馬鹿にされることもない。ただ本当に穏やかな時間が過ぎていく。たまに夢を見ているのかと思うことがある。
 凪の時間はいつまで続くのだろうかと不安になることもあったが、少し見下ろせばごてごてしたゴールドの指輪が目に入って、最近どうにも悩み続けることが難しい。俗にいう婚約指輪である。失くしたらことなのでチェーンのネックレスに通して首に下げていた。———指でつまめば、これまた凄みのある金獅子の装飾がこちらを睨みつける。いかにも魔界の呪具と言わんばかりの禍々しいデザインだが———、しかし胸に下げたこれを触ると、どういうわけか青井の発作は大抵治まる。バルドが青井の未来を約束して贈ってきた指輪だ。妙に愉快な造形をしているせいだろう、ぎらぎら光って瞬いてする様子を眺めていたら数時間経っていたなんてこともざらだ。
 自分からねだりはしたものの、まさか本当にプロポーズしてくるとは思っていなくて内心狼狽えた日も既に過去のもの。

「こんな風にヒモみたいなことしてていいのか……」
 今日も今日とてぼさぼさの黒髪を雑に後ろでひっつめて、青井はひとり朝飯の片付けをする。オーガ規格の巨大な皿を桶の水ですすいで、汚れを洗い場に流そうと最近取り付けられたばかりの蛇口をひねれば……まさかの温水が出てきて軽く目を見開いた。バルドのやつが邸内をこまごまと改築していく度に驚かされる青井なのだが、そもそもオーガ族の巨躯に合わせて設計されたこの屋敷である。人間用に設備を改修してもらわないと青井は家事すら一苦労だ。得意げに蘊蓄を垂れる鬼の顔が脳裏に浮かぶ。
「……蛇口増設するだけでいいって言ったのに」
 胸の奥のむず痒さを誤魔化すように、青井はざぶざぶと皿洗いを続行する。お互い血で血を濯ぐ戦いを繰り広げていた頃を思い返せば卒倒しかねないが事実、バルドは青井にとてつもなく甘い。人を小馬鹿にしたような尊大な態度や軽口は変わりないものの、捕虜として引き取ってからはまるで恋人にするような扱いをして青年を甘やかしたがる。
「…………。」
 皿洗いを終えて、青井は首に下げられた金の指輪を指先でいじる。バルドは己を娶ると宣言してこれをよこした。真に受けると振られたときに痛い目を見る。わかってはいるけれど……青井は平静を装って指輪を受け取り、バルドの太い指へ対の指輪をはめた。ヒーローとしての職を失い、守るべき郷里も遠いものとなってしまった青年にとって、今やこれだけが現実と己を繋ぐ錨である。

 食堂の椅子に腰を下ろし、青井はバルドの寄越した写真の束に目を通していく。写真の向こう、清一の母は年老いていたが壮健そうな様子であった。小さな漁村には簡素な露店が並び、通りを荷馬車が行き交っている。
 ……生活は見違えるほど楽になったようだった。寒さが厳しく年中飢えに悩まされるあの村で、今は売るほど食料があるのだ。
 「街も景気が良くなってきたみたいだし。そのうち俺の身売りなんていらなくなるな……」
 故郷の写真を綴じ込んでいるアルバムの中では、市街地全体が復興へ動き出している様子が見て取れた。界境防衛ラインにほど近い街は治安が悪く、本来農耕にも商売にも向かない土地だ。それがバルド率いるオーガ族が自警団を配備してから目に見えて活気づいている。バルドは首都と魔界を繋ぐ経由港として、青井の故郷を始めとした複数の街と連携をとっている。商人たちを別の担当区画から誘致して、魔界と人間界の物流ラインを形成しようとしているらしい。
 『市場が育つまで税率も低めに設定してやる。恩を売ってやれば後が楽だぁらな』
 算盤を見えない速さで弾きながらバルドが邪悪に笑っている。
 膝に乗せられながら契約書の束を眺めていた青井は、紙面に知った名前を見つけておずおずと切り出した。
 『……西南地区のブロック、商工会の代表の男を知ってるけど……恩に着るような性格じゃない。その、後々のために……難癖つけられたりしないように警戒した方がいいと思う。ね、念書とか……』
 門外漢が何を言うと馬鹿にされるかと思ったが、バルドは機嫌良さそうに笑みを深めた。
 『商売に関する契約書は全地区回収済みだ。にしてもそうか、お前がいりゃあ……舐めた野郎が初めからわかるわけだ。なあなあ、つまらねえか知らねえがよ、暫く俺様に付き合って里の情報を売ってくれよう』
 怪人らしいねっとりした含み声が青井を呼ぶ。……青年は恩がある孤児院の保証さえしてくれるのならと知っている情報を話した。役人は警官と癒着していてライフラインに関する利権を牛耳っており、そのせいで住民はいつも生活が苦しかった。新設された商工会の各代表は軒並みかつての役人たちであること、その中でも税の中抜きが激しいとされていた数名を教えると、バルドは青井の耳にこう囁いた。
 『この間からここいら辺で急に売り上げの回収率が下がってなあ。お前の話と照らし合わせて考えると、どうにも上がりをピンハネしてる悪い奴がいるらしい。いい子だ、助かるぜ』
 撫でくり回されて青井が憤慨する。
 『……そういうのやめろ』
 『あん?』
 『こ、子どもみたいに言うな!確かに十八から育っちゃいないけど……俺は成人済みの男なんだぞ』
 『あに言ってんだ。お前26だったか?ははは!俺様からみりゃガキもガキだわ』
 荒く髪をかき回され、抗議の声もそれ以上言葉にならず舌の上で唸りに消えた。
 その後市場にはびこりかけていた汚職の芽は摘まれ、派手に横領を行なっていた代表は無事別の者にすげ変わった。見せしめを受けてだろうか、他の代表たちはわりかしクリーンな商売に励んでいるらしい。———そういうことが何度かあって、青井はバルドの仕事に関してそれほど懐疑的にならなくなった。善人ではないが、悪人でもない。この男は根っこから商売人なのだ。
 『金はいいぞお、金は力だ。魔王の統治が続く限り俺様はこの金貨を集め続けるぞ……気に食わねえ野郎だが、金を発明した点においては感謝しかないね』
 その、金を。彼の集めた貴重な金銭を———実入りの見込めない寒村へ、湯水の如く注いでくれるのはいつまでだろうと、時折青井は不安になる。
 青井の残した給金だって孤児院には振り込まれているはずだが、それを確かめる術はない。約束をふいにされた可能性だってある。このままバルドの支援に頼って村全体を発展させていけば、確実に家族の生活は豊かになるだろう。青井の遺した金など比ぶべくもないほど生活は安定する。
 『俺様に口説かれた甲斐、あっただろ?』
 こともなげにバルドは笑う。
 『お前の心配事が減ったなら———そりゃ俺様だって、投資の甲斐があったってもんだ』

 ……バルドは仕事もできればそれに見合う野心も持ち合わせた傑物だ。本人の誇る財力に加え、悪ぶってはいるが部下の人望も厚い。魔族としてのカリスマ性は勿論性格だって悪くない。気遣いができて甲斐甲斐しく、傷ついた青井には優しかった。あいつといるのは楽しい。同居人として暮らすバルドは完全にただのいい人だった。
 ここ最近不安が強いせいもあるだろう。……一緒に過ごせば過ごすほど、青井は与えられたものに対してどう返していいかわからなくなっていく。
 ぼんやり写真を眺めていると、その爪先に湿った感触があった。
 「……ズールか。ご飯どうした。やっぱ美味しくなかったか」
 青井は足元に這い寄ってきた巨大なスライムに話しかける。ズールの餌はもともと台所にでる残飯や生ごみだったそうだが、バルドのいない日中は青井の皿を狙ってやって来る。先にバルド邸に住み着いていたズールとしては、後輩である青井のほうが良いものを食っているのは納得いかないのかもしれない。以後青井は己の作った昼飯を半分このスライムに提供するようにしていた。ズールは大抵それを残さず食べるのだが、今朝は少し残したようである。しゃがんでみれば、その粘体をびちびち流動させ、残った飯の入った皿を青井のほうに押し付けて来る。
 「……?もういいのか?」
 皿を下げようとすると、粘体が激しく跳ねて何かを訴える。どうやら抗議のようだ。やはり返せとばかりに皿を奪われる。青井のすねをべちりとひと叩きすると、ズールは食事を再開した。
 「いでっ!な、なんだいったい……」
 もずもず目の前で平らげられていく飯を眺め、しゃがんで組んだ腕に額を押し付ける。膨れた腹がいささか苦しい。
 ———あいつ、俺のどこが良かったんだろう。
 もうずっとぼんやり考えている謎がため息に代わって吐き出された。
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