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金継ぎの青 上:ブルー編

ギレオと揺らぐ青

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 「ギレオさん、俺にも何か……仕事はないかな」
 相変わらず視線のうつろげな青井が家政夫に願い出た。ギレオはまたかと渋面をつくり上司の奥方を諫め始める。この申し出は何度目だ。
 「あーね、ブルーさん。俺は家政夫だよな」
 「……ああ、うん。そうだけれど」
 「そうだけどじゃないっしょ!あんたの言うシゴトっつうのはね、俺のやるべき家事!なの!!そんで何度も言うけど俺ァあんたの護衛なの!!ブルーさんを働かせでもしたらな!手加減知らねえあんたの旦那にぶっ殺されるのは!俺!!なの!!!さんづけもやめろっつっただろ!!」
 語気を荒げて言い含めるギレオに対し、青年はぽかんと口を開けて突っ立っているだけだった。怒ったりなんだりだという反応はせず、ただかなしげに呟いた。後頭部でひっつめた黒髪の束が心許なげに揺れる。
 「でも、でもな……俺、今なんにもやることがなくて……せめて見ているだけはしてていいかな……」
 「はぁア?それ本気で言ってんの……?やめろよ冗談でも弱っちいこと言うの!俺じゃなかったらつけ込まれて尻の毛まで毟られてるとこだぞ!」
 バルドの側近にはその手の輩が多い。言葉尻を捕まえて隙あらば昇給を迫る守銭奴、やたら制度の穴を突こうとするサボり魔、上司の命を狙うのが趣味の凶悪殺鬼犯。あれらにとって見ればこの奥方は最高の交渉材料になるだろう。いまいち意味が掴めていない青井は視線をうろうろさせている。
 「ぁ、ああ……?ごめん……」
 「ホラ謝るゥ!!!もう初手が駄目!!もっとふんぞり返って!!冷酷そうに!!練習いくぞォ!!お前を殺すぞって言ってみて!!」
 「お、お前を……こ。……い、言えませんよ!」
 「なんで!!言いそうだろ!ヒーローだもんよ!!」
 「世話してもらってる相手にそんなこと言えるわけないでしょ!!」
 清一は憤慨している。オーガ族の若者は両手で顔を覆って嘆いた。
 (こいつ本気なんだ!本気で使用人にへりくだってるんだ!!)
 とことん魔界に向かない奴だなという本音はひとまず置いておく。弱肉強食が常の魔界において弱みを握られた者から潰されていくのは当然のこと、一度しっかり教えておかねばなるまい。
 ギレオは自前の割烹着を腕まくりすると青井に向き直った。
 案山子の如く棒立ちになっていた人間の体がびくついて萎縮する。
 「———いいですか。悪さもせずに謝罪は禁句っす。悪さしたら尚更に禁句っす」
 「そ、んな馬鹿な」
 「そんなも馬鹿もねえ!魔術に詳しい奴はごめんの三文字であんたから目玉でも心臓でもぶん取ることができるんだ。いくら屋敷から出なくたってブルーさん自身がふにゃふにゃしてたんじゃあ守りようがないんすよ!?」
 魔界は読んでそのまま、魔ものが棲まう世界である。力自慢のオーガ族でも魔術の類いで攻め込まれては太刀打ちできない。他の魔族からイニシアチブを取れるようになったのはここ三百年に限った話だ。
 ……強力な魔術結果の張られたこの邸内にいようとも完全に安心することはできない。屋敷の主と同等か、それ以上に高位の魔族であれば結界など簡単に破られてしまうからだった。
 「ボスの屋敷にちょっかいかける馬鹿なんてそういねえけどよォ……」
 既に過去の話となりつつあるが、ギレオは上司にあたるバルドの女癖の悪さを憂慮していた。
 あれだけ派手に遊び歩いていた男が、戦にのめり込んで愛人を全て切ったのが数年前のことである。思い返すもおぞましい。バルドからすっぱり切られた彼女たちの報復はほうぼうからオーガ族に害を及ぼし、当時の側近数名は傷病休暇に入ったままだ。心の病と聞いただけで想像はついた。だから母さんも魔女を引っかけるのはよせと忠告したのに!

 ムキムキもゴリゴリの精鋭オーガが涎を垂らして再起不能にされる程であるから、目の前のぼんやりした青年など魔法ひとつで幼児帰り状態にされてしまうに違いない。自我が残されていればめっけもん、日常生活はまず送れなくなるだろう。……バルドの歴代の愛人たちはみなプライドが高く、性格などことさらに禍々しい。ブルーが囲われているという情報が魔界全土に知れ渡っている現在、彼女たちがその名誉にかけて泥棒猫を叩きのめす算段を整えているのはその辺のガキまでもが知っていることだ。
 そういう事情をどこまでボスが伝えているのかいないのか。おそらく青井は何も知らないのだろう。ブルーは心身に後遺症を抱えていて実質療養中の身だそうだから、拠り所であるボスの歴代彼女なんて知れたら余計に情緒不安定のまごまご野郎具合が悪化してしまう。性格はどうあれ愛人たちは、皆それはもう抜群のスタイルの持ち主ばかり。勿論顔も美女揃いだったなあ……。いやでもとっても苦労をさせられたし、あいつら正直いい気味だな……。
 (……あのボスと八年続いた相手もそういないよなあ)
 バルドは手も早いが相手と切れるまでも早い男だった。女の方も勿論愛情はなく、バルドと関係を続ける理由はその莫大な財産にある。三世紀半にかかる年齢の叔父に一人も子供がいないのは、相続権を奪取されることを危惧しているからだ。ああいう付き合いはどちらにも良くない。様々な念書、呪い、祝福……種を残さないためにあらゆる安全策を弄して夜遊びに繰り出していた叔父を、その点においてのみギレオは心底軽蔑していた。
 ちょっと前まで本当に、彼は糸の切れた凧のように好き勝手生きていたのだ。
 そういう男が———八年間、魅せられたようにのめり込んだのがこの人間。狂犬と渾名される剣の鬼……今は療養中にある青井清一である。
 「……確かにまあ、やることないってのも気持ちに良くないしな……」
 「えっ。えっえっ」
 ギレオは少し考え、手もみして俯く青年を台所へ引っ張っていった。怪人用の大きな椅子に座らせるとざるを一皿手渡す。中にはぎっしりと、食中草の若芽が詰まっている。洞のような青井の瞳がにわかに光を宿した。
 「今日の夕飯に使うんで、皮を剝いてくれますか。こんなふうに」
 「……!!わかった!」
 薄い表情ながらも男前な顔に喜色が広がり、青井はせっせと食材の下準備を始めた。あれだけ戦場で暴れ狂っていた男が、自分の指示に嬉々として従っている。
 ギレオにとっては不思議な気分であったが、そう悪くないものでもあった。あの恐ろしいヒーローがまるで子分になったようだ。これは少し強めに出てもボスに告げ口されなかろう。
 幻想魚を捌きがてら調理の雑用を思案し出した時だった。
 「すごいなギレオさんは。昨日のシチューもごちそうになりました。その、とても美味しかった」
 青井の悪気無い言葉が、ギレオのそういう邪な思考を叩きのめす。内心腕をもがれた報復にこき使ってやろうか目論見始めていたギレオは、良心に打撃を食らって危うく包丁を取り落としかける。
 「な、なんっだよ急に!!なんも出ませんからね!まあ俺は、一通り料理は?できますし?」
 「すごいな……」
 「すごいな」
 思わず鸚鵡返しに聞いてしまう。すごいなってどういう意味だっけ。
 「え、料理できてすごいなって、そのままの意味で……」
 「なんだよォもうゥ!!一品足すぞコラァ!!」
 なんでこんなアクのない奴がボスに惚れてんだろう。オーガ族の厨房でリンチにされたあの日を思い出し、ギレオはトイレに隠れて少し泣いた。
 体の瑕疵を差し引いても見目が良く性根も素直だ。立場を悪用して理不尽な命令もしてこない。非常に育ちがいい。この御仁が強欲爺に惚れる要素などあるだろうか。面倒をみればみるほどブルーのつけこまれ体質が察せられて恐怖すら感じるギレオである。
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