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翡翠挽回 下:グリーン編
ヒーローを追いかけて
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夢魔の庭園———リリス領区の植物園で、オーガの少年が雑草摘みをしている。燦々と射す陽光はリリスの魔法に依るものだ。影のない世界を、魔女の師事を受けるダゴン少年は如雨露を傾けて回る。
「マンドラゴラよし、カゲカズラよし。次はガマに———……。あれ。根っこ?」
蒲の群生地へ見回りに向かおうとした少年は、目当ての湿地に見慣れぬ根を見つけた。水面からぬるりと生えた大樹の根は見る間にめきめきと持ち上がっていく。目を丸くして見上げるオーガの少年を見下ろすように、男は水飛沫を立ててその巨体の全容を現した。
泥に塗れた八本の脚。ぎょろぎょろと辺りを見回す六つの目玉が難儀そうに数度瞬きを繰り返した。
「…………ふうふう、せ、せま———ここ水源すくなすぎ……!!」
「あ、えええ!?あ、あの……」
「はあ、はあ……こ。こんにちは。君がダゴン君?」
六つ並んだ眼球を充血させて、蒲の水田から蛸人間がその身を起こす。魔王軍幹部第五位兼クラーケン族種族長、深海冥王ルブルは衣についた泥を拭い、目の前で怯える異教徒の仔に自ら触腕を差し伸べた。
「———ルブル様、こっち!」
父親の知人だと知るや、ダゴンは直ぐに警戒を解いた。少し心配になる程無警戒に、ルブルの手をひいて植物園を案内してくれる。……人なつこい子供だ。素直で賢い。彼は母体であるブルーの勤務時間が終わるまで、大抵この植物園で過ごしているのだそうだ。茶を差し入れてくれた家庭教師が日中の世話を任されているという。
「君はとても優しいね。俺のことが怖くない?」
ルブルはわざと、畏怖を煽る完全体の姿で庭園を訪れた。登場こそ格好つかなかったが、本来ならば陸地の植物園に軍服姿のクラーケンが存在すること自体おかしな話である。クラーケン族を始めとした海洋魔族は、陸地の魔族からその見た目を気味悪がられることが多い。試しに身体を些か膨張させて触手をぐるぐる回し、光背を演出してみせる。大概の魔族は恐怖に失禁したりするものだが、目の前の子鬼はそうならなかった。
「いいえ!クラーケン族の方にお会いするのは初めてです!!吸盤がとってもかっこいい!!」
「え、あ、そう……?」
「それに———多分僕たち、おんなじくらいの年ですよね!嬉しいなあ!!」
にこにこと当然のように、ダゴンは其れを言い当てた。
「……そんなこと言われたの、初めてだなあ」
ルブルはしゅるしゅると擬態を整える。少し気恥ずかしそうに人間の子供へ変身した彼に、オーガ族の子供は大喜びだ。
「すごい!すごい!!変身まで!!抱っこしていいですか!?」
「ふふ、いいの?相手に一度聞くなんて、おじさんの息子とは思えないなあ……」
逆たかいたかいの他にも、ルブルはダゴンの遊び相手になってやることにした。ダゴンの態度には一切の畏れが感じられないのでとても気分が良い。
「もう一回?いいのかい?」
「えへへ。だって、ルブル様もお嫌じゃないみたいなので」
「…………。うん。そうかあ……」
小一時間ほど戯れたあと、ルブルはダゴンにあるものを渡した。彼の父から頼まれた品だ。
「それをかけて、お……僕のことを見て」
それは煤け、古ぼけた金縁の眼鏡であった。言われるままに眼鏡をかけた子鬼の頭が不安げに傾ぐ。
「あのー……これ……」
「見えないでしょう。———普通の魔族は、そういう風に世界が見えてる。暫くそれをかけて慣れるといい」
「で、でも!こ、これかけてたら……わからないです。皆が何を考えてるか!!」
魔族の中にも異能を持って産まれる者がある。ダゴンの目はおそらく、相手の心を覗くどころか……魂そのものを観測することができるのだ。イイコすぎる、己の息子をバルドはそう評した。
「あれは相手のしてほしいように動こうとする。かなり危険だ、目隠しが欲しい」
確かに、ルブル率いる海洋魔族はその手の旧い魔道具を多く保管している。呪いの指輪たる「流転の瞳」が最たる例だが、所有者の能力を最大以上に引き出すこの指輪とは反対に、術者の異能を抑え込むための装備もまた海洋議会の保管庫には納められていた。
「いいこに言うこと聞くなら、そのままでいいんじゃない」
「馬ァ鹿、親の言いなりなんて不健全だろうが。このままじゃ屋敷の外に出られやしねえ。俺様を恨んでる奴なんかわんさといるんだぞ。キメラ狩りにも連れてきたいしよ……駄々のひとつも聞いてみてえだろ」
オーガの言うことは少し、わからない。しかし反面ルブルにはその矛盾が好ましく思われた。自分も子供を持ったらわかるのだろうか。ルブルは胸に少しの寂しさを感じながら、それでわかったと返事をしたのである。
……眼鏡のサイズは合ったようだ。目の前で戸惑う恩人の子息の手を取り、ルブルは穏やかな心でそのつるのふちを撫でた。一族秘蔵の魔力水晶体、その一部を削り出して研磨した二枚のレンズ。
「必要に応じて使ってくれたら嬉しい。途方もない悪意から君を護ってくれるだろう。
———父君から託されたものを、君に返そう。ダゴン。我が眷属の名を継いでくれたあなたに———その生が実り多きものになりますよう」
それは美しい或る日の午後だった。ルブルが微笑むと、レンズの奥に座す金冠の瞳は穏やかに細められる。近くで見ると微かに、その光彩が青を帯びているのがわかった。
両親に祝福された目だ。おじさんの子供。あのひとの憧れから生まれた子。
……深海冥王は六つの瞳を閉じて、幼子の征く先に災いのないよう願いを捧げた。
「あっれェ!?誰かと思ったら青井先輩じゃないですか!」
息子を迎えに来たらとんでもない奴と出会ってしまった……青井清一は手を腰の得物にかける。
ツカツカと踵を鳴らして距離を詰めてくる彼は、今魔界を騒がせている張本人、清一との因縁深き嘉名碧であった。眼鏡の奥でちょっと瞳孔が開いた瞳が真っ直ぐこちらを射抜いてくる。
「おかしいなあ奇遇だなあ、息子くんのお迎えでしょきっとそうだ!!僕もなんですよォいや本当に偶然だなぁ!!」
「……ッひ、久しぶり……あまり寄らないでくれないか」
つい本音が口を突いて出る。あと三歩で間合いに入るが嘉名は敵ではないから、決して袈裟懸けに斬り殺してはいけない。それは断じていけないことだ……反射的に痙攣する右腕を押さえ、清一は一歩後退して身体を仰け反らせる。長年かけて体に染み込んでしまった恐怖はなかなか抜けないものである。
「…………。」
赤端ジュンロク。本名入江タツキ、当代の、そして最後のヒーローレッド———魔族を無差別に殺し歩いていた彼を嘉名が手にかけたのはつい数週間前の話だ。店に仕掛けられていたモノアイから壁に映写されたその中継映像を清一も見た。砂埃に濃霧、遠い距離から撮影されたそれは一見出来の悪い特撮映画のようにも見えたけれど……赤端を貫いた一閃の光は、確かに嘉名の弓術による一撃だった。
聞きたいことが色々あった筈なのに、喉につかえて言葉が出てこない。
どうして寝返る気になったのか。赤端との間で何があったのか……。映像を通してレッドのことを見たというのに、彼のことを殆ど思い出せないままの清一には不可解な疑問ばかりが残った。
まとまらない質問をすることは諦めて、清一はおずおずと嘉名の首から下へ視線を移した。映像では身体が半分以上損壊していたが……復活を果たしたルブルに修復された手足は今もなお無事のようである。よかったと思える自分に些か安堵する。
ルブルに伴われ、嘉名は事件の後すぐに魔王城へ護送された……バルドの報告に依れば、彼は主人と共に現在蟄居を命じられている筈だ。
「か、身体治ったんだな」
「は?」
「……き、謹慎処分、解けたのか」
「…………あー、ハイ……まあね」
ほんの僅か、翡翠の目が意外そうに見開かれる。目を合わせていられなくて清一は一歩後ろに後退りながら再び床まで視線を落下させた。……植物園中央に据えられた人口恒星の光は壁すら突き抜けて回廊を照らす。
———嘉名の身なりは整っていた。黙っていれば人形のように整った顔には真新しい眼鏡がかけられ、白光を受けて艶めく翡翠の髪は頭の右側で束ねられている。右手には未だ不気味な指輪が嵌まっていたが———武器の携行はしていないようだ。
(…………。そ、そうだ……礼を言わなければ)
リスノワヘの襲撃は彼なりの忠告だったのかもしれない。そう考えたのは意外にも清一の夫たるバルドであった。
『アレに比べりゃ、カチ込んできたのがドクソミドリで随分マシだったかもしれねえな』
清一はバルドの言を思い出す。……グリーンはその後、レッド暗殺を成功させた功績により海洋議会のメンバー入りを果たしたそうだ。ルブルの監視付きで今後は深海を中心に活動するらしい。清一はぎこちない動きで、後ろに逃げ出したい気持ちを何とか抑えこむ。
「前の時は……追い返して済まなかった」
「…………」
「その……冗談だったんだろ?その指輪も……こ、壊してしまってすまない。脅かすようなことを言ったのも、理由があってのことだったんだよな。ああして危険を知らしてくれたなんて思わなくて———」
「はあ?何言ってるんです。僕は本気でしたよ」
「え?」
清一の手が自動的に得物の柄へかけられる。
「いやいや———うっかりルブルを生き返らせちゃったから冴えないオチが着いちゃったけど。リーダーを殺して、ルブルの遺骸さえ手に入ったら、僕は本当に深海の王になれた。全く残念です」
清一の何とか浮かべた笑顔が引き攣り笑いに変化した。危険思想を開示され、背筋へ冷たい汗が伝う。
カツコツと踵の鋭い革靴でにじり寄りながら、嘉名はぺらぺらと話を続けた。笑顔自体は美しい。硝子の奥の目はケミカルグリーンに妖しく濁っている。
「実に残念、失敗です。今回はね———。今でも思ってますよ、ニンゲンの配下が欲しいなあって。まだ受け入れは叶います。売春窟のボーイやるくらいなら……どうかいつでもクラーケン社へ。俸給もはずみますよ!」
———清一の手が片手剣の柄へ戻された、その瞬間である。
ずるりと巨大な蛸の脚が庭園の入り口からこちらへ伸びてきた。触手は不気味に清一へ迫る美青年の胴体を頭から真っ二つ叩き割り、地面に吸盤型の染みを作った。
バーテン服の青年は呆気にとられて動きを止める。そして触腕に次いで植物園を出てきた息子に悲鳴を上げた。
「ダゴン!!止まりなさい、来ちゃ駄目だ!!」
「母上ー!こちらルブル様!!父上のお友達なんだって!!」
「———え、は、え?ル……ルブルって……」
清一はこの時既に二度剣を抜いていた。一撃目は嘉名の履いたヒールの踵を、二撃目には突如現れた異形の触腕を。……おかしい。根元から切断された筈の触手は未だ健在で、なにより触手によって頭蓋から真っ二つにされた嘉名の様子が妙だった。縦に裂かれたというのに血飛沫が出ない。
断面は寸断されたゼリーのようにぐよぐよとうねり、やがて息せき切ってやってきたクラーケン……おそらく深海冥王その人であるルブルによって繋ぎ合わされ、何事もなかったかのようにしっかりと接着されてしまった。
目を見開いたままマネキンが如く硬直している嘉名を小脇に抱え、ルブルが呼吸を整えている。
「ふう、ふう……。すみません。この人ちょっと、病気なんです」
「あ、そ、はい……お、俺、すみません……。あ、あの切っちゃったところ……」
「あ、だいじょうぶ……。僕たちその、実体では来てないので。今は思念体なので全然、攻撃は通りません。ですから安心して頂いて……はい、はい……不敬罪とか百年前に廃止しましたので……」
慌てる清一にとりなすルブル、継ぎ合わされて中継の絶えた嘉名の思念体。ダゴンは興味深そうに三人のまわりを回っている。
「……お前、後で覚えてろよ。あんなこと僕は思っちゃいないんだからな」
「はいはい。でも先遣隊にいれば———いつか嫌でも顔を合わせるんだから。素直になれるように、頑張ろうね」
ルブルの仲介により清一と嘉名がまともに会話を成立させるのは、それから更に数ヶ月後、恒星の照らす晴れたある日のことだった。
冒険は続く。災禍は世界に根強く残っている。
……再び動き出した憧れの続きに、ルブルは眩しそうに目を細めた。
「マンドラゴラよし、カゲカズラよし。次はガマに———……。あれ。根っこ?」
蒲の群生地へ見回りに向かおうとした少年は、目当ての湿地に見慣れぬ根を見つけた。水面からぬるりと生えた大樹の根は見る間にめきめきと持ち上がっていく。目を丸くして見上げるオーガの少年を見下ろすように、男は水飛沫を立ててその巨体の全容を現した。
泥に塗れた八本の脚。ぎょろぎょろと辺りを見回す六つの目玉が難儀そうに数度瞬きを繰り返した。
「…………ふうふう、せ、せま———ここ水源すくなすぎ……!!」
「あ、えええ!?あ、あの……」
「はあ、はあ……こ。こんにちは。君がダゴン君?」
六つ並んだ眼球を充血させて、蒲の水田から蛸人間がその身を起こす。魔王軍幹部第五位兼クラーケン族種族長、深海冥王ルブルは衣についた泥を拭い、目の前で怯える異教徒の仔に自ら触腕を差し伸べた。
「———ルブル様、こっち!」
父親の知人だと知るや、ダゴンは直ぐに警戒を解いた。少し心配になる程無警戒に、ルブルの手をひいて植物園を案内してくれる。……人なつこい子供だ。素直で賢い。彼は母体であるブルーの勤務時間が終わるまで、大抵この植物園で過ごしているのだそうだ。茶を差し入れてくれた家庭教師が日中の世話を任されているという。
「君はとても優しいね。俺のことが怖くない?」
ルブルはわざと、畏怖を煽る完全体の姿で庭園を訪れた。登場こそ格好つかなかったが、本来ならば陸地の植物園に軍服姿のクラーケンが存在すること自体おかしな話である。クラーケン族を始めとした海洋魔族は、陸地の魔族からその見た目を気味悪がられることが多い。試しに身体を些か膨張させて触手をぐるぐる回し、光背を演出してみせる。大概の魔族は恐怖に失禁したりするものだが、目の前の子鬼はそうならなかった。
「いいえ!クラーケン族の方にお会いするのは初めてです!!吸盤がとってもかっこいい!!」
「え、あ、そう……?」
「それに———多分僕たち、おんなじくらいの年ですよね!嬉しいなあ!!」
にこにこと当然のように、ダゴンは其れを言い当てた。
「……そんなこと言われたの、初めてだなあ」
ルブルはしゅるしゅると擬態を整える。少し気恥ずかしそうに人間の子供へ変身した彼に、オーガ族の子供は大喜びだ。
「すごい!すごい!!変身まで!!抱っこしていいですか!?」
「ふふ、いいの?相手に一度聞くなんて、おじさんの息子とは思えないなあ……」
逆たかいたかいの他にも、ルブルはダゴンの遊び相手になってやることにした。ダゴンの態度には一切の畏れが感じられないのでとても気分が良い。
「もう一回?いいのかい?」
「えへへ。だって、ルブル様もお嫌じゃないみたいなので」
「…………。うん。そうかあ……」
小一時間ほど戯れたあと、ルブルはダゴンにあるものを渡した。彼の父から頼まれた品だ。
「それをかけて、お……僕のことを見て」
それは煤け、古ぼけた金縁の眼鏡であった。言われるままに眼鏡をかけた子鬼の頭が不安げに傾ぐ。
「あのー……これ……」
「見えないでしょう。———普通の魔族は、そういう風に世界が見えてる。暫くそれをかけて慣れるといい」
「で、でも!こ、これかけてたら……わからないです。皆が何を考えてるか!!」
魔族の中にも異能を持って産まれる者がある。ダゴンの目はおそらく、相手の心を覗くどころか……魂そのものを観測することができるのだ。イイコすぎる、己の息子をバルドはそう評した。
「あれは相手のしてほしいように動こうとする。かなり危険だ、目隠しが欲しい」
確かに、ルブル率いる海洋魔族はその手の旧い魔道具を多く保管している。呪いの指輪たる「流転の瞳」が最たる例だが、所有者の能力を最大以上に引き出すこの指輪とは反対に、術者の異能を抑え込むための装備もまた海洋議会の保管庫には納められていた。
「いいこに言うこと聞くなら、そのままでいいんじゃない」
「馬ァ鹿、親の言いなりなんて不健全だろうが。このままじゃ屋敷の外に出られやしねえ。俺様を恨んでる奴なんかわんさといるんだぞ。キメラ狩りにも連れてきたいしよ……駄々のひとつも聞いてみてえだろ」
オーガの言うことは少し、わからない。しかし反面ルブルにはその矛盾が好ましく思われた。自分も子供を持ったらわかるのだろうか。ルブルは胸に少しの寂しさを感じながら、それでわかったと返事をしたのである。
……眼鏡のサイズは合ったようだ。目の前で戸惑う恩人の子息の手を取り、ルブルは穏やかな心でそのつるのふちを撫でた。一族秘蔵の魔力水晶体、その一部を削り出して研磨した二枚のレンズ。
「必要に応じて使ってくれたら嬉しい。途方もない悪意から君を護ってくれるだろう。
———父君から託されたものを、君に返そう。ダゴン。我が眷属の名を継いでくれたあなたに———その生が実り多きものになりますよう」
それは美しい或る日の午後だった。ルブルが微笑むと、レンズの奥に座す金冠の瞳は穏やかに細められる。近くで見ると微かに、その光彩が青を帯びているのがわかった。
両親に祝福された目だ。おじさんの子供。あのひとの憧れから生まれた子。
……深海冥王は六つの瞳を閉じて、幼子の征く先に災いのないよう願いを捧げた。
「あっれェ!?誰かと思ったら青井先輩じゃないですか!」
息子を迎えに来たらとんでもない奴と出会ってしまった……青井清一は手を腰の得物にかける。
ツカツカと踵を鳴らして距離を詰めてくる彼は、今魔界を騒がせている張本人、清一との因縁深き嘉名碧であった。眼鏡の奥でちょっと瞳孔が開いた瞳が真っ直ぐこちらを射抜いてくる。
「おかしいなあ奇遇だなあ、息子くんのお迎えでしょきっとそうだ!!僕もなんですよォいや本当に偶然だなぁ!!」
「……ッひ、久しぶり……あまり寄らないでくれないか」
つい本音が口を突いて出る。あと三歩で間合いに入るが嘉名は敵ではないから、決して袈裟懸けに斬り殺してはいけない。それは断じていけないことだ……反射的に痙攣する右腕を押さえ、清一は一歩後退して身体を仰け反らせる。長年かけて体に染み込んでしまった恐怖はなかなか抜けないものである。
「…………。」
赤端ジュンロク。本名入江タツキ、当代の、そして最後のヒーローレッド———魔族を無差別に殺し歩いていた彼を嘉名が手にかけたのはつい数週間前の話だ。店に仕掛けられていたモノアイから壁に映写されたその中継映像を清一も見た。砂埃に濃霧、遠い距離から撮影されたそれは一見出来の悪い特撮映画のようにも見えたけれど……赤端を貫いた一閃の光は、確かに嘉名の弓術による一撃だった。
聞きたいことが色々あった筈なのに、喉につかえて言葉が出てこない。
どうして寝返る気になったのか。赤端との間で何があったのか……。映像を通してレッドのことを見たというのに、彼のことを殆ど思い出せないままの清一には不可解な疑問ばかりが残った。
まとまらない質問をすることは諦めて、清一はおずおずと嘉名の首から下へ視線を移した。映像では身体が半分以上損壊していたが……復活を果たしたルブルに修復された手足は今もなお無事のようである。よかったと思える自分に些か安堵する。
ルブルに伴われ、嘉名は事件の後すぐに魔王城へ護送された……バルドの報告に依れば、彼は主人と共に現在蟄居を命じられている筈だ。
「か、身体治ったんだな」
「は?」
「……き、謹慎処分、解けたのか」
「…………あー、ハイ……まあね」
ほんの僅か、翡翠の目が意外そうに見開かれる。目を合わせていられなくて清一は一歩後ろに後退りながら再び床まで視線を落下させた。……植物園中央に据えられた人口恒星の光は壁すら突き抜けて回廊を照らす。
———嘉名の身なりは整っていた。黙っていれば人形のように整った顔には真新しい眼鏡がかけられ、白光を受けて艶めく翡翠の髪は頭の右側で束ねられている。右手には未だ不気味な指輪が嵌まっていたが———武器の携行はしていないようだ。
(…………。そ、そうだ……礼を言わなければ)
リスノワヘの襲撃は彼なりの忠告だったのかもしれない。そう考えたのは意外にも清一の夫たるバルドであった。
『アレに比べりゃ、カチ込んできたのがドクソミドリで随分マシだったかもしれねえな』
清一はバルドの言を思い出す。……グリーンはその後、レッド暗殺を成功させた功績により海洋議会のメンバー入りを果たしたそうだ。ルブルの監視付きで今後は深海を中心に活動するらしい。清一はぎこちない動きで、後ろに逃げ出したい気持ちを何とか抑えこむ。
「前の時は……追い返して済まなかった」
「…………」
「その……冗談だったんだろ?その指輪も……こ、壊してしまってすまない。脅かすようなことを言ったのも、理由があってのことだったんだよな。ああして危険を知らしてくれたなんて思わなくて———」
「はあ?何言ってるんです。僕は本気でしたよ」
「え?」
清一の手が自動的に得物の柄へかけられる。
「いやいや———うっかりルブルを生き返らせちゃったから冴えないオチが着いちゃったけど。リーダーを殺して、ルブルの遺骸さえ手に入ったら、僕は本当に深海の王になれた。全く残念です」
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カツコツと踵の鋭い革靴でにじり寄りながら、嘉名はぺらぺらと話を続けた。笑顔自体は美しい。硝子の奥の目はケミカルグリーンに妖しく濁っている。
「実に残念、失敗です。今回はね———。今でも思ってますよ、ニンゲンの配下が欲しいなあって。まだ受け入れは叶います。売春窟のボーイやるくらいなら……どうかいつでもクラーケン社へ。俸給もはずみますよ!」
———清一の手が片手剣の柄へ戻された、その瞬間である。
ずるりと巨大な蛸の脚が庭園の入り口からこちらへ伸びてきた。触手は不気味に清一へ迫る美青年の胴体を頭から真っ二つ叩き割り、地面に吸盤型の染みを作った。
バーテン服の青年は呆気にとられて動きを止める。そして触腕に次いで植物園を出てきた息子に悲鳴を上げた。
「ダゴン!!止まりなさい、来ちゃ駄目だ!!」
「母上ー!こちらルブル様!!父上のお友達なんだって!!」
「———え、は、え?ル……ルブルって……」
清一はこの時既に二度剣を抜いていた。一撃目は嘉名の履いたヒールの踵を、二撃目には突如現れた異形の触腕を。……おかしい。根元から切断された筈の触手は未だ健在で、なにより触手によって頭蓋から真っ二つにされた嘉名の様子が妙だった。縦に裂かれたというのに血飛沫が出ない。
断面は寸断されたゼリーのようにぐよぐよとうねり、やがて息せき切ってやってきたクラーケン……おそらく深海冥王その人であるルブルによって繋ぎ合わされ、何事もなかったかのようにしっかりと接着されてしまった。
目を見開いたままマネキンが如く硬直している嘉名を小脇に抱え、ルブルが呼吸を整えている。
「ふう、ふう……。すみません。この人ちょっと、病気なんです」
「あ、そ、はい……お、俺、すみません……。あ、あの切っちゃったところ……」
「あ、だいじょうぶ……。僕たちその、実体では来てないので。今は思念体なので全然、攻撃は通りません。ですから安心して頂いて……はい、はい……不敬罪とか百年前に廃止しましたので……」
慌てる清一にとりなすルブル、継ぎ合わされて中継の絶えた嘉名の思念体。ダゴンは興味深そうに三人のまわりを回っている。
「……お前、後で覚えてろよ。あんなこと僕は思っちゃいないんだからな」
「はいはい。でも先遣隊にいれば———いつか嫌でも顔を合わせるんだから。素直になれるように、頑張ろうね」
ルブルの仲介により清一と嘉名がまともに会話を成立させるのは、それから更に数ヶ月後、恒星の照らす晴れたある日のことだった。
冒険は続く。災禍は世界に根強く残っている。
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