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6巻
6-1
しおりを挟む第一章―――― 金炎の君
さんさんと太陽の光が照りつける中、私は使い魔であるラミアの少女セリナと共に、ガロアの外の草原へと繰り出した。
依頼で赴いた天空都市スラニアで、忌まわしき実験をしていた魔導結社オーバージーンの魔法使いを討伐した私達は、ガロア総督府をはじめとする各所からの事情聴取に追われて、このところは慌ただしい日々を送っていた。
だがそれも一段落して、私達の学校生活にもようやく日常が戻りつつある。
件のスラニア行きの際、港への移動には自作のホースゴーレム〝白風〟に乗っていたのだが、これが街の商人や軍人の目に留まり、私のもとに製作依頼が多数舞い込んだ。今日はその最後の納品の為に、こうしてセリナと外出している。
これまで私は学院が斡旋する様々な依頼をこなしてきたが、学院を介さずに直接依頼を受けて商人と品物を取引するのは初めての経験である。
私達がホースゴーレムの納品に向かった相手は、アークレスト王国に留まらず、近隣諸国に広く商いの手を伸ばしているユーラス商会の代表、カリバー・ユーラスという大商人だ。
辺境の村で日々大地と格闘しながら暮らしてきた私には、今一つピンとこない名前ではあったが、魔法学院に入学してガロアで暮らすようになってからは、このユーラス商会の看板を頻繁に目にしている。級友のファティマに尋ねたところ、国内屈指の経済力を誇る大商人だと教えられた。
ホースゴーレム製作に関する報酬は応相談とさせてもらったが、まあ、これは依頼人の求めるホースゴーレムの用途や性能次第で変動するので致し方ない。
依頼を受けてからというもの、私は連日ユーラス氏が所有するガロアの屋敷を訪れ、彼が必要としているホースゴーレムの性能や用途、外見の注文を聞き取っていった。
ある程度要件が出そろった時点で、白風の製造に際し使用した材料――ただし一部はどうしても地上では手に入らないので誤魔化したが――を列挙した紙を提出し、ユーラス氏に最終的な仕様と予算を決定してもらった。
ユーラス氏は馬好きの人物としても有名で、個人で百頭近い馬を所有している。各国に馬の牧場を持っていて、競馬経営や軍馬の供給まで行っているのだという。
そうして培った人脈や、早馬や駅馬車を用いた迅速な情報網を利用して、現在の地位と巨万の富を築いた経歴を持っている。
ガロア近隣の街道を疾走する白風の姿を目撃したユーラス氏は、本物の馬にしか見えない生き生きとした躍動感、そして決して本物の馬ではあり得ない速度や持久力、銀に輝く四肢の装甲の煌めきに心底魅了されたらしい。
初めて彼の屋敷を訪ねた時も、私やラミアであるセリナよりも、私が見本として連れてきた白風に夢中になり、話を始めるのに随分と待たされた。
今日の為に私が用意したホースゴーレムには、ユーラス氏の注文に合わせて装甲に華美な装飾を施してある。
ホースゴーレムは今、ユーラス氏を背に乗せて思うままに草の海を駆けまわっている。
またユーラス氏用の特別製とは別に、量産を前提とした安価なホースゴーレムも用意した。こちらには彼の護衛を務める男性が跨ってユーラス氏に追従している。
一向に馬を止める気配のないユーラス氏を見て、私の傍らのセリナが少し困惑気味に微笑んだ。
「だいぶ気に入って頂けたみたいですね。あの様子なら大切にしてもらえそうですし、良かったですね、ドランさん」
馬上のユーラス氏は太鼓を打ち鳴らしたかのような大声で楽しげに笑っている。
ふむん。この声を聞けば、彼が心底楽しんでいると誰もが理解するだろう。
私にとって商人というのは、数日に一度村にやって来る行商人くらいしか縁がなかったので、どういう人種か馴染みがないのだが、今のところは特に身構える必要もなさそうだ。
ただ、友人のファティマやヨシュア達の話によれば、商人の中には貴族にお金を都合して、相手が借金を返せないのをいい事に不正や特権の付与を強要する者もいるという。ユーラス氏の正体は果たして……
護衛の男性に声を掛けられたユーラス氏がようやく馬首を巡らし、私達の方へと向かってきた。
今年で五十歳になるというユーラス氏は、背丈こそ決して高くはないがたっぷりと厚みのある体格をしている。ただしそれは決して贅沢三昧による肥満ではなく、ぎちぎちに張りつめた筋肉の上にうっすらと脂肪が乗っているというもので、その両腕も商人というよりは拳闘士を思わせる厳めしさだ。
先祖代々商人の家柄のはずだが、彼に限っては傭兵や冒険者から転職したと言われた方が納得がゆく。
顔立ちも今はにこにこと満面の笑みを浮かべているものの、岩の塊を荒っぽく削ったような造りで、後ろに流して整髪油で固めた黒髪も見る者に厳しい印象を与える。
ユーラス氏の傍らに控えている護衛の男性はゲッドという名前で、私より頭二つ分も背が高く、両手が膝に届くくらいに長いのが特徴的だ。年齢は三十代半ばほどだろうか。
全身にぴったりと張り付く黒革の服を着ていて、武器は腰に差したナイフくらいしか携帯していないが、私の感覚は彼の肉体に常態的に付与された身体強化の魔法と薬品のかすかな異臭を感じ取っていた。
「ドラン君、この馬は実に素晴らしい! まるで私自身が風になったかのように速く、それでいて動きも滑らかだ。尻や腰が全く痛くならん。何よりとても賢い。ほんの少し乗っただけで私の意図を汲み、手綱や鐙を使わずとも行きたい方へと行ってくれる。どうやら目や耳も普通の馬以上に鋭敏なようだな。草に埋もれて見えない石や穴、倒木を私が気付くよりも早く避け、安全な道を選んで走ってくれた」
興奮と歓喜に顔を赤くしたユーラス氏は、ホースゴーレムから降りるや、私の両手を痛いくらいに力を込めて握って、一気にまくし立てた。
自分の作品を褒めてもらう分には私も嬉しいのだが、興奮した中年男性の顔を間近に見るのはあまり愉快な体験ではない。
「喜んでいただけたのなら何よりです。速度は最大で普通の馬の三倍で、そのまま丸二日は走り続けられます。術式の中枢はお教え出来ませんが、馬体の調整や整備に関しての資料も用意してありますので、お抱えの魔法使いの方にお渡しください。手に余るようでしたら、私がすぐに対処いたします」
ユーラス氏用のホースゴーレムは茶色い表皮に巨馬と呼ぶにふさわしい立派な体躯を持ち、脚部や額を覆う装甲にも金細工を象眼した堂々たる代物だ。
このホースゴーレムで市中や街道を行けば、すれ違う人々の視線はごく自然に吸い寄せられるだろう。
「うむ、至れり尽くせりだな。それでこの馬達には何を与えれば良いのかね? 普通の馬と変わらぬものでいいと前に聞いたが、魔晶石や精霊石などは必要ないのか?」
「食事は生身の馬と同じで問題ありません。ただ、量は十分の一程度で十分足りますよ。内蔵している魔晶石や精霊石を交換する時期についても、資料に記載してあります」
「そうかね。君が出してくれた見積もりの金額を考えると、実に良い買い物をさせてもらったよ。ゲッド、お前の馬の方はどうだ」
ゲッド氏が騎乗している量産型は、主に情報伝達を目的として試験的に運用されるのだという。
遠距離通信の方法には調教した鳥や魔法を用いた手段などもあるが、いずれも一長一短あり、早くて確実な連絡方法を新たに模索するのが彼らの狙いだ。
量産型の方は並みの馬と同等の大きさで、頭や胴の体毛は栗毛。四本の脚も同色の装甲で覆われている。
ホースゴーレムは重い荷を牽くのも、連日連夜走るのも得意なので、きっとユーラス氏の役に立つ事だろう。
将来的にベルン村で活用するホースゴーレム量産の試作を兼ねていたので、私としては報酬も含め、二重の意味でありがたい依頼であった。
「旦那様の仰る通り、今まで乗っていた馬が全て駄馬と思えてしまう名馬です。全く同じ馬が複数用意出来て仕様書の通りに働いてくれるなら、良い買い物でしょう」
ゲッド氏はやや聴き取り辛い声でボソボソと喋り、私の方を見ようともしなかったが、感想自体は本音だろう。
ユーラス氏との距離感や、周囲に向ける視線から、私達がユーラス氏に危害を加えぬように警戒している様子だが、わざわざこちらを貶める為につまらない嘘を吐くような性格ではなさそうだ。
「そうだろう、そうだろう。しかし……この馬のゴーレムを他の連中にも使われるかもしれんと考えると惜しいな。どうだねドラン君、我が商会所属の魔法使いとなっては? そこらの商人や貴族の方々よりも良い待遇を約束する。そちらの使い魔のお嬢さんも纏めて面倒を見るぞ」
軽々しく冗談めかした発言であったが、にこやかに笑む厳めしい顔の中で、ユーラス氏の瞳は真剣に私を値踏みするように光っている。
街道を疾駆したホースゴーレムの持ち主がガロア魔法学院の生徒である事を迅速に突き止めた情報網を考えれば、製作者である私の事も既にそれなりに調べてあるだろう。
「身に余るお申し出で大変ありがたく思いますが、私はまだまだ未熟な一介の学生にすぎません。今は勉学に励み、一人前の魔法使いとなる事を第一に考えねばならぬ身です」
「うむ、そうか。謙虚だな。では君が魔法学院を卒業したら、また声を掛けさせてもらおう。さ、屋敷に戻ろうか。報酬を払わねばな。東国から取り寄せた菓子もあるぞ。君の故郷での暮らしなども聞かせてくれたまえ。仕事柄、わしもあちこちを旅するが、北部に行ったのはもう随分と昔だ。あの頃とどう変わったのか興味がある」
私とセリナはユーラス氏の屋敷でしばし雑談をした後、金貨がたっぷり詰まった袋と異国のお菓子を山ほど貰って魔法学院へと戻った。
翌日、魔法学院の敷地に私が建てた浴場のテラスには、セリナをはじめ、馴染みの級友達が集まっていた。
ガロア魔法学院の〝四強〟の一人にして圧倒的な美貌で絶大な人気を誇るクリスティーナさん、同じく四強で〝氷花〟の二つ名で呼ばれるネル、人懐っこいファティマに、その使い魔の半バンパイア、シエラ。
男連中は授業中の為不参加なので、私の周りには美しい花ばかり。
……ああ、男女を問わず、付近を通りかかった生徒達から浴びせられる嫉妬の視線のなんと鋭い事か。
もはやこれが日常とすら言えるが、煩わしくはあるし、セリナに何か嫌がらせでもされるんじゃないかと思うと、少し心配になってしまう。
まあ、〝やられたらやり返す、やられる前にやれ〟が鉄則の辺境で育った私は、嫌がらせなどされようものなら容赦をするつもりはないが……。ともあれ、何事もないのが一番である。
今日は各自が持ち寄ったお菓子に加えてユーラス氏から貰ったお菓子もテーブルに並べて、のんびりと午後のお茶を楽しんでいる。
「――とまあこんな具合で、ホースゴーレムは好評だったよ。二十頭ほど追加注文もしてもらえたしね」
ファティマが焼いてくれた巨大アップルパイを口に運びながら、私は同席している女性達にユーラス氏との商談について話す。
貴族の令嬢が手ずから料理をする。これは余程酷い暮らしをしていない限りまずあり得ないというのが、我が王国での一般的な認識である。
ところがファティマは甘いものが大好きな事もあり、こうしてしょっちゅうお菓子を作っては分けてくれる。まこと、ありがたい事である。ふむふむ。
「ユーラス商会はなんでも手広くやっているからねえ~。そこの代表に気に入られるなんて、商人を志す人達からしたら血涙ものだよぉ」
手元のアップルパイを小さく切り分けながら、ファティマがいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。
「ふむ、お抱えの魔法使いもそれなりに居るだろうし、その者達からも他の商人の方々からも、余計なやっかみを受けなければよいのだが。私としては出来る事をしているだけではあるものの、どうにも不安が纏わりつく」
私が肩を竦めると、目の前のネルが冬眠前の栗鼠みたいに頬を膨らませ、貴族の子女としてあるまじき形相で口を開く。
「大丈夫、君は何が起きても〝ふむ〟と呟いて、力業で解決する人間。というか、口で言う割には不安を感じているようには見えない」
この娘は年がら年中戦闘魔法について研究し、鍛錬と実践を行っている為、慢性的にお腹を空かせており、食べられる時はとことんまで食べる。
用意しておいたクッキーや果実の砂糖漬けなども、すでに大半がネルの胃袋に収まっている。
「力業か。魔法使いとしては知恵をもって解決するのが正道なのだろうが……」
「解決出来れば手段は問題ではない」
実に彼女らしい持論である。ネルは言いたい事は言い終えたらしく、黙々と給仕に徹しているシエラに皿を差し出し、アップルパイのお代わりを受け取った。
半バンパイア半人間のままのシエラは相も変わらず無表情を通しているが、主のファティマに向ける視線には、随分と慈愛の色が濃さを増している。
彼女は半バンパイアであるから、日中での行動は少なからず負担になる。にもかかわらず、わざわざ肌のほとんどを覆い隠すフード付きのローブを纏い、影のようにファティマに寄りそって行動を共にしている事からも、シエラがファティマに対して向ける感情が推し量れるというものだ。
少なくとも今のシエラにとって、ファティマに使い魔として仕える事は生きる理由の一つになっているのだろう。
その傍らで、砂糖たっぷりの紅茶を優雅に楽しむクリスティーナさんが、私にしみじみと言う。
「ユーラス氏との繋がりは制約も増えるかもしれないが、村の将来の為に尽くしたい君にとっては良い方向にも働くと思うぞ」
母親を失ってからしばしの間極貧生活をしていた反動なのか、クリスティーナさんは今でも食欲に関しては忠実な方で、お菓子を胃袋に収めた量はネルに引けを取らない。
それでも遠巻きにこちらを覗き見ている生徒達に恍惚の溜息を吐かせるのは、彼女の気品ある振る舞いと並外れた美貌の為せる業であろう。
「ドランさん、クリスティーナさんは何をしても絵になりますね。女の私でもぽ~っとなっちゃいます」
クリスティーナさんがティーカップを傾ける仕草に、私の隣でとぐろを巻くセリナが言葉通り熱っぽい息を吐き出しながら語る。
当のクリスティーナさんは紅茶とお菓子に夢中になって、周囲の視線になどまるで気付いていないのだが。
きっちりと自分のお皿にパイやお菓子を取り分けて、ネルに食べられないように確保しているからこそ落ち着き払っているが、もし早い者勝ちだったら、クリスティーナさんとネルはお菓子を巡って熱戦を繰り広げているところだろう。
外見は並外れた美少女なのに、二人とも食い意地が張っているからなあ。
「ふむ。遠巻きに見ている連中も、セリナと同じ感想を抱いているだろうな」
私はなるべく周囲を見ないようにして、クリスティーナさんの言葉を吟味する。
「村の将来か……。ベルン村での麦や穀類の生産は村人を養える程度に留めて何かしら特産品を作るか、逆に周辺の野原や荒野を開拓して一大生産地にするか……」
私が真面目な顔で真面目な事を言ったので、クリスティーナさんもティーカップから口を離し、真剣な表情になって少し考え込む。
今クリスティーナさんが口をつけたティーカップを売りに出したら、きっと信者の生徒達が大枚叩いて買おうとするだろう――などと、邪な事を思いついてしまう。
いや、もちろん実行はしないけれども。うん……しないしない。
私の内心など露知らず、クリスティーナさんは大きく頷いて同意を示す。
「そうだな。ドランの言うように、ベルン村の特徴が欲しいところだな。といっても、既にすぐ近くにあるエンテの森の諸種族との交易の窓口になりつつあるようだし、君が村を離れているうちにも交易の方で着々と豊かになっていきそうだ。そっちの方向で発展を考えたらどうだ?」
「確かにエンテの森に住む者達と交流があるのは、王国広しといえどもベルン村くらいだ。ふむ……自給自足の目処が立ったらエンテの森との関係を深めるのと、後はモレス山脈の資源なども利用出来るようになると面白い」
私の個人的な繋がりではあるが、モレス山脈に住む竜達とは良好な関係が築けているし、彼らの眷属である飛竜や人魚達と継続的な交流が持てれば、交易だけでなく観光でも、ベルン村に外部から人を集められるようになるかもしれない。
加えて人や物、情報などの流通がより活発になるように、ガロアからベルン村までの道を早期に整備しておく必要があるか。ふむむん。
「エンテの森はともかく、モレス山脈は難しいんじゃないか? ベルン村からでもそれなりに距離があるだろうし、道中の森や道にも猛獣や魔物の類がそれなりに出没するだろう」
私の発言に、クリスティーナさんが疑問を呈した。
「そこはそれ、モレス山脈に関しては地道に切り開くか、セリナの伝手を頼るさ」
「ラミアの里がありますからね。私の紹介なら皆快く、道中の護衛や宿の提供をしてくれると思いますよ。ラミアの事を必要以上に怖がらないでくれる方々は、私達からすると咽喉から手が出るほど欲しい相手ですしね」
えっへん、と言わんばかりに胸を張るセリナを見て、クリスティーナさんは納得の表情を浮かべる。
セリナの出身がモレス山脈を構成する山の一つにある隠れ里だと思い出したのだ。
「なるほどな、セリナが居る時点でモレス山脈の方にも伝手は出来ていたわけか。幸先が良いと言うべきなのかな。ああ、そういえばベルン村はリザード族とも友好関係にあったんじゃないか? 彼らがモレス山脈の調査を手助けしてくれたら随分と助かるだろうね」
クリスティーナさんも認めるように、私の計画はあながち非現実的という訳でもない。北から流れて来るゴブリンやオークなど、魔物の数が増えてきているのが不安要素ではあるが……
私が思案に暮れながらクッキーを頬張った時、私に似た気配を放つ少女がふんふん、と鼻息荒く私達のお茶会へと近づいて来た。
神造魔獣の魂を持つ少女、レニーアである。
天空遺跡からガロアへ戻って来て以来、私は彼女の魂と肉体の調節に手を貸しており、近頃はレニーアも――流石に前世ほどではないにせよ――神造魔獣としての力を振るえるようになっていた。
彼女の創造主は破壊と忘却を司る邪神カラヴィスである為、どうしても魂が生み出す力は邪悪なものとなってしまう。
しかし、魔法学院の中で生活するのにそれはまずかろうと思い、レニーアに掛けられている封印の上に、私の力による浄化の術を施して純粋な力へと濾過している。
これでレニーアがかつてに近い力を使っても、マイラール教団の神官などに怪しまれる事態にはなるまいて。
「ドランさん!」
不世出の人形師が命の炎を燃やして製作した人形が、命を得て動き出したかのように整いすぎた容姿を持つレニーアは、相変わらず私以外の者には興味がないようだった。
いや、〝超人種〟であるクリスティーナさんにだけはどうしても嫌悪の情を向ける傾向にあるから、全く関心がないわけではないか。
レニーアがクリスティーナさんへと向ける嫌悪は、前世の自分及び父と慕う私の仇が超人種だった事が理由なので、こればかりはいくら言葉で注意しても簡単には直らない。
そんなレニーアだが、本日は珍しい事に一人の少女を伴っている。
人間全般を見下しているレニーアが魔法学院で友人を作っているとは思ってもいなかったし、彼女の口から友人の存在を聞かされた事もなかったので、この来訪は大層意外であった。
レニーアが連れてきた少女は、浴場のテラスでテーブルを囲む私達の顔ぶれが魔法学院の有名人揃いという事に気付き、おっかなびっくりという様子。
薄い緑色の髪を腰まで伸ばし、首の後ろで橙色のリボンで括った少女は、レニーアと同じくらいの背丈だが体の凹凸は起伏に富んでおり、顔つきもどこか気の弱そうな印象で、レニーアとは何から何まで正反対の印象を受ける。
まるで共通点のなさそうな二人だが、色々と正反対だから逆に馬が合ったのだろうか? にこにこと微笑むレニーアは、伴っている少女の事など忘れた素振りで、空いている椅子を持ってきて、私の隣に腰を下ろした。
レニーアに取り残された形になった少女は、おろおろと私達を見回していたが、気を利かせたクリスティーナさんに勧められ、空いていた椅子に腰掛ける。
魔法学院で一、二を競う有名人であり、お近づきになると嫉妬の矢の雨に晒される危険を伴うクリスティーナさんを前に、少女は「ひゃい」と奇妙な声を出してそれきり硬直した。
「ふむ、最近だとあまり見なくなっていたが、出たな。クリスティーナさんの顔面精神攻撃」
道行く生徒達がこうなるのは珍しくないが、一緒のテーブルに着く相手がこうなるのは久しぶりであった。
「出ましたね。流石、顔を見せただけで相手を籠絡させる、魅了人間のクリスティーナさんです」
世の中には視線を交わした生物を石へと変えてしまうメデューサという魔物もいるが、クリスティーナさんの場合は顔を見せるだけで相手を魅了してしまう。
しかもそれは呪いや魔法を用いての事ではなく、生まれ持った美貌だけで為してしまうのだから凄い。
「ドランもセリナも、人の顔をなんだと思っているのだ。そんなにはっきり言うものではないよ。私だって面と向かってそんな言い方をされれば傷付きもする」
私の率直な感想にクリスティーナさんは口を尖らせて抗議した。凛と大人びた風貌のクリスティーナさんがそんな子供っぽい仕草をすると、途端に普段とは違う可愛らしさが顔を覗かせる。
レニーアが連れて来た少女は、そんなクリスティーナさんの変化を目の当たりにして、もはや口から魂が抜け出ていそうな精神崩壊状態に陥っていた。
「おい、イリナ、そんな女の顔を見たくらいで情けない顔をするな。しゃきっとしろ。しゃきっと」
クリスティーナさんをそんな女呼ばわりする度胸があるのは、魔法学院ではこのレニーアくらいだろう。
他の生徒達では畏れ多くてクリスティーナさんをそのように呼ぶ事はすまい。
イリナと名前を呼ばれた気弱そうな少女はレニーアの呼びかけで正気に戻って、何度もクリスティーナさんに頭を下げる。
「すすすす、すみません。私、イリナ・エベナ・クラナンです。れ、レニーアちゃんのくくくクラスメイトです。それと、レニーアちゃんがとんでもなく失礼な事を言って、き、き、気にしないでください。この子、誰が相手でもこんな調子だから、私が代わりに謝りますから」
しきりに頭を下げるイリナに、クリスティーナさんは困ったように笑い、落ちつかないイリナを宥める。
「君に謝ってもらわなくても、私は気にしてはいないよ。レニーアとはスラニアに行った時からの付き合いだが、どうにも私は彼女に嫌われているようでね。邪険にされる事には慣れている」
「れ、レニーアちゃん、クリスティーナ先輩にそんな失礼な事をしていたの!?」
私に満面の笑みを向けていたレニーアが、そのままの笑顔をイリナへと向ける。レニーアも食欲には忠実らしく、残っていたお茶菓子をもりもりと口の中に放り込んでいた。食いしん坊娘三人目か。
「ふん? ひょんな、んぐ、そんな女は敬うに値せん。天上天下、三界において私が心の底から敬意を抱くのはお二方のみ」
レニーアの言う三界とは善き神々の住まう天界、私達の住まう地上界、悪しき神々の住まう魔界の事だ。
他にも冥界や精霊界などが存在するのだが、レニーアに関わりがあるとするならこの三界くらいだろう。
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