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9巻

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 序章―――― 大魔導




 アークレスト王国から北西に遠く離れた地に、ハトリアという小さな国がある。
 かつてこの地に舞い降りた邪神によって穿うがたれた大穴を、女神が清浄な大地を埋め込んでふさいだという伝説が残っている以外には、特に目をくもののない国だ。
 峻険しゅんけんな山脈と大河に挟まれた国土は狭いが、肥沃ひよくな大地に恵まれており、農業と酪農らくのうが盛んで、国民は総じて穏やかな気質をしている。
 攻めるにかたく、また侵略したところでそれに見合った利益を得られない地理条件から、長らく平和を享受きょうじゅしていたこの国は今、その歴史を終えようとしている。
 当代ハトリア王国第一王女エラリナは、ハトリアという国の穏やかな国風をそのまま人間にしたかのごとき、しとやかで愛らしい少女であった。
 国民がエラリナ姫こそはハトリアの花、ハトリアの至宝とうたい、愛し、親しんだこの姫こそが、国の歴史に幕を引く事になった要因である。
 周囲の山脈から切り出した灰褐色はいかっしょくの石材を家屋かおくにも道にも用いた、王都オトハの中央広場に、殺気立った民衆が殺到していた。彼らは組み立てられたばかりの断頭台の上で拘束された少女に、血走った憎悪の眼差まなざしを向けている。
 今まさに花のくきを思わせるか細い首を鋼鉄の刃で断たれようとしている少女こそが、エラリナであった。
 広場につどった数千にも届こうかという民衆から、色が着きそうなほどに濃い憎悪を浴びせられながら、エラリナは幸福な夢にひたっているかのような笑みを浮かべていた。
 いずれ婿むこを取り、温かな家庭を築くであろうと誰もが――きっと彼女自身も――信じていた少女が、ある男に恋をした事が、全ての切っ掛けだった。
 その男は、王都の外から出て花摘はなつみをしていたエラリナの前に、気まぐれな風のように現れて一目で彼女の心を奪ってしまった。
 それからというもの、エラリナは変わった。
 それまで年頃の少女らしい美への関心が比較的とぼしかったエラリナが、男の気を惹く為におのれを美しく着飾りはじめた。
 こうした変化に、側仕そばづかえの侍女や母親達は最初こそ喜びを示したが、それも短い時間の事であった。
 ほどなくして、エラリナの行動は徐々に常軌じょうきいっしはじめる。
 時折訪ねて来る男の視界に自分以外の女性が入る事を許さぬようになり、以前はまるで興味を抱かなかった豪奢ごうしゃな衣装や装飾品、美貌びぼうを保つ為によいとされる希少な嗜好しこう品を、金に糸目をつけずに求めた。
 父や母がたしなめ、教育係や友人達がいさめようともエラリナは一向に態度を変えず、あろう事か父王を廃して自ら玉座ぎょくざに就いてしまう。
 国政の実権を握った彼女の乱心ぶりはいよいよ加速し、国民にかつてない重税を課し、国中の年頃の女達を投獄するという暴挙に出た。
 これに従わぬ者は身分の貴賤きせんを問わず、王命への反逆として処刑を命じる徹底振りだ。
 連れ去られる娘に追いすがる年老いた父母、あるいは夫や幼子おさなごが、その場で容赦ようしゃなく斬り伏せられるといった事が、国中で起きた。
 武力も魔力も知力もひいでたものを持たぬエラリナが一夜にして王座に就けたのには、彼女が恋した男の助言と助力があったからこそであったが、凄惨せいさんな暴政にしいたげられた民達はそれを知らない。
 男への恋慕れんぼに突き動かされて良心の呵責かしゃくを捨て去ったエラリナの圧政は、わずか一年で一万人の死骸しがいの山を築き上げた。
 そして当然の帰結として、国民と生き残っていた貴族の大部分による謀反むほんを引き起こした。
 正気を失ったとしか思えないエラリナの行動に反感を抱かぬ者などいるはずはなく、一度事が動き出せば、彼女の身辺を守る近衛このえですら謀反に加担し、エラリナは呆気あっけないほど簡単に拘束されて、弁護する声一つなく断頭台のつゆと消える運命を決定付けられたのである。
 広場にはエラリナを殺せ、家族のかたきだ、首を断て! と、報復を求める叫びが木霊こだましている。
 しかし、ハトリアという国の歴史の中で最も民に憎まれ、恐怖されたエラリナは、そんな民衆の言葉にわずかも心を動かされてはいなかった。
 こうしてドレスをぎ取られ、粗末な服で断頭台に首を固定されてもなお、彼女の心にあったのは、一目で心を奪っていった男の事だけ。
 これまでの行い全てが、彼の為だった。
 エラリナは、彼の為になら一万人といわず十万人の国民全員を捧げてもなんら悔いはないと考えていた。
 彼の為に何かが出来る事が、どれだけ幸せであったか。エラリナは彼と出会ってからずっと幸福な夢の中を生きている。
 恋を知った事で、全てがきらびやかに輝き、鮮やかな色を得た世界の中で、彼はより一層の色彩をもって存在した。
 彼の眼差しを受け、言葉を掛けられ、彼の腕に包まれる自分を想像していれば、エラリナは幸せだったのだ。
 そして彼女は信じていた。必ずや彼が現れて、自分を助け出してくれると。
 冷たい断頭台の刃が自分の首を切り落とした時も、ゴロリと石畳いしだたみの上に転がった首から流れる血があたりを赤く染めはじめた時も、エラリナはそう信じ続け、笑顔のまま死んだ。
 エラリナの首が落ちたのにわずかに遅れて、広場に集った人々は歓喜の声を上げた。突如として変貌した暴君がついに倒れ、ようやく平穏が帰ってくるのだと、彼らは心の底から喜んでいる。
 そんな広場の騒ぎを、鐘楼しょうろうの屋根の上から冷ややかに見つめている人影が一つ。
 風に流される黒髪をそのままに、この国の王族でも手に入れられない最高品質の絹でられたゆったりとした青い衣服で体の線を覆い隠した若い男だ。
 見る角度を変えれば絶世の美女とも思える不可思議な男は、不吉なほどに赤いくちびるあざけりの微笑を浮かべて、エラリナの首に槍を突き立ててさらし上げている民衆を見つめている。
 首を断たれてもなおエラリナが愛し続けた男――名をバストレルという。それがこの人影の正体であり、同時に魔導結社オーバージーンの総帥そうすいにして人類最高の大魔法使いであった。
 彼の財力や知力、魔法のわざからすれば、この国に求めるものなど何もないはずなのに、わざわざエラリナを凶行に走らせたのは、ある狙いがあったからだ。
 広場の民衆が歓喜と安堵あんどの海に浸っている時、バストレルがうっすらと目を細めて一言こぼした。

「さて、ここまでは予定通りですが……」

 その言葉に刺激を受けたかのように、突如として王都一帯だけを強烈な縦揺れの地震が襲った。
 広場に駆けつけていた人々は例外なく倒れ、王都中の建物にも次々とひびが走って倒壊している。
 唯一、バストレルの立つ鐘楼だけが揺れずにそびえていた。
 もしやこの地震はエラリナの呪いではないかと、一部の人々が心に黒い不安を抱く中、石畳の下から赤い粘液ねんえきつつみを破る勢いで噴出しはじめた。
 人々が呆然ぼうぜんと自分達の足元を見つめているうちに、粘液は次々と彼らに襲い掛かり、呑み込んでゆく。
 人々は苦悶くもんの表情を浮かべるも、見る間に分解されて跡形もなく消えてしまった。
 さながら王都を丸々呑み込む規模の超巨大な人食いスライムが出現したという事象だが、この程度でバストレルが自ら動く事はない。
 次々と粘液に食われてゆく人々は、途轍とてつもない苦痛と共に、自分達の国がいにしえの邪神を封印した地に建国されたという事を思い出しながら、死んでいった。

「やれやれ。女神の加護を受け継ぐ王家の者を民衆に殺害させ、その血を大地に捧げる……これが封印を解除する手段とは、手間をかけさせてくれるものです」

 ほどなくして王都中の人間を食い尽くした粘液は、まだ物足りないと言わんばかりに王都そのものを呑み込みはじめた。
 灰褐色の石を積み上げた橋や家、城は言うに及ばず、かつて邪神を封じた女神をまつった神殿すらも粘液に呑まれて形を失っていく。
 わずかに一時間と経たずに、王都の全ての生命と王都それ自体を食べ尽くした粘液は、そこでようやく満足を覚えたらしい。
 王都の郊外にまで広がりつつあった巨体を、エラリナの首が断たれた広場を中心として集束させてゆき、側頭部から湾曲した二本の角を生やした巨大な髑髏どくろへと変える。
 鐘楼から飛び立ち、空中から悲劇を見守っていたバストレルは、姿を取り戻したソレに向けてうれしげな笑みを零した。
 この状況は彼の目論見もくろみ通りのものだった。エラリナを恋に狂わせた事も、ハトリアの万を超える人々を生贄いけにえにした事も、何もかもが……

「ハトリアの地下で眠り続けていた邪神ネスタシア。かつてこの地に顕現けんげんした分霊ぶんれいといえども神は神。私とこの剣の試運転の相手にはちょうど良い」

 バストレルはハトリアの人々やエラリナへの罪悪感など欠片かけらもっていない声でつぶやき、マントをひるがえして右手に握る長剣を陽光にさらした。
 つばの中央に円形の鏡のような物体を埋め込んだ、優美な造形の剣。
 これこそ遥かなる太古に極めて高位の竜をほうむった、最高位の神器じんきと同等かそれ以上の力を秘めた恐るべき剣であった。
 顕現したネスタシアは分霊であるからか、それとも数百年にわたる封印の影響か、ほとんどけもの同然の知能しか持っていないようだったが、バストレルの持つ剣の脅威きょういは分かるらしく、粘液に形作られたがらんどうの眼窩がんかで頭上のバストレルを見上げた。
 悪意をたっぷり宿したネスタシアの視線が、バストレルの全身とたましいを襲った。
 高位の霊的存在の加護や魔法による守りがなければ、その場で五体が爆裂して、魂から発狂する視線に晒されているというのに、バストレルのすずしげな顔に変化はない。
 真夏に涼風を浴びたかのごとく、心地好さそうですらある。

「これから神器持ちと相対する予定がありましてね。貴方あなたはちょうど手頃な相手でした。色々と試したい事もありますし、少しは頑張ってくださいね、神様?」

 もしネスタシアにバストレルの言葉の意味と邪悪な意図に気付ける知性があったならば、神々の被造物に過ぎない人間風情が神を試し切りの的にするとはなんたる不遜ふそんと、怒り狂った事だろう。
 知性はなくとも侮蔑ぶべつの感情は分かるのか、ネスタシアは天にあおぐべき自分を見下ろすバストレルへ、ますます悪意をつのらせた視線を向けた。

「おやおや、人間如きが気に食わないと言いたげですね。ですが貴方の封印を解く為に、それなりの労力を支払ったのは私なのです。少しくらい見返りを望むのは、おかしな事ではないと思いますがね」

 バストレルは駄々だだをこねる子供をさとすような口ぶりで告げ、赤い粘液が変形した髑髏の邪神へと斬りかかっていった。
 人類最強と称される自身の魔力への自信と、それ以上の剣への信頼が、バストレルの全身にあふれている。

「さあ、体を切り刻み、その上で貴方の魂を構成する魔力を頂戴ちょうだいいたしましょう。分霊といえども魔力の量は膨大ぼうだい。我らオーバージーンの大望たる超人種による世界統一、そして人間ではなく『人』へと進化する為の実験に役立たせてもらいましょう」

 邪神すら資源にすぎないと言い切り、バストレルは剣を振り下ろした。
 バストレル自身の膨大な魔力と、彼が契約している数多あまたの邪神達の加護、そして右手にある剣が発する常軌を逸した強大な力が融合し、ネスタシアの放つ邪悪なる神気と激突する。
 次の瞬間、まるで太陽がそこに落ちたかのような光が熱と爆風を伴って周囲に荒れ狂った。
 そしてその日、ハトリアの王都は消滅した。
 人影がなく、廃墟はいきょになったという事ではない。瓦礫がれき一つとて残っていない、文字通りの消滅だ。
 後日、様子を見に行った王都近隣の村の住人は、かつて王都が存在していた場所に、古の邪神封印の伝説をなぞらえるように巨大な穴が穿たれているのを見て、唖然あぜんと立ち尽くす事しか出来なかった。
 残されたハトリアの人々は隣国へ自ら併合を申し出て、ハトリアという名前はこの地域を示すものへと変わり、国家としての歴史に終止符を打ったのである。
 剣の試し切りと邪神の魔力の確保という目的を果たしたバストレルは、エラリナの事もハトリアという国の事も記憶の彼方かなたに捨て去ったのだった。


 第一章―――― 始原の七竜




 美少女ラミアのセリナと共にベルン村に帰省きせいした私――ドランは、エンテの森に住む友人達の招きに応じて、彼らの都、ディープグリーンを訪れていた。
 都では世界樹の活性化を祝う祭典がもよおされており――途中、無粋ぶすいな悪魔の横槍などもあったが――私達はこの滞在を大いに満喫まんきつしたのだった。
 村の皆へのお土産みやげもたっぷり買い、いざベルンに戻ろうというところで、私達は思わぬ相手から見送りを受けていた。
 エンテの森の大重鎮だいじゅうちんであり、私が通うガロア魔法学院の長であるオリヴィエ学院長と、もう一人。

「ドラン様、またお好きな時にお越しくださいね。私はいつどんな時でも、貴方様を歓迎いたします」

 そう言って私に微笑ほほえんだ可憐かれんな少女は、エンテの森の世界樹――エンテ・ユグドラシルである。
 天を覆わんばかりの大樹である彼女は、こうして人の姿を模して我々の前に顕現するのだが、森の住人にとっては神にも等しい存在だ。
 そんな彼女が直々じきじきに見送りに来たとあって、私の隣にいるウッドエルフのフィオや、小さな妖精のマールは驚きのあまり目をぱちくりさせている。黒薔薇くろばらの精、ディアドラはもう慣れたものらしく、気にする素振そぶりはない。

「世界樹殿にそう言ってもらえるとは、光栄の至りだな。エンテの森の人々とは良い関係を築きたいと常々思っているから、ありがたい事だ。それより、私達の見送りに来て良かったのか? まだ祝祭は続いているから巫女姫みこひめ殿と同調の最中だろう」
「ご懸念けねんなく。ドラン様達をお見送りするのに支障はございません。それに彼女は今、休憩きゅうけい中ですもの」

 エンテは耳に心地好い笑い声を零すと、何も持っていない両手を差し出した。
 すると、そこに世界樹が放出しているのと同じ光の粒子が集中して、白い球体から翡翠ひすい色の長い葉が伸びる、握り拳大こぶしだいの物体が現れた。

「どうぞこれをお持ちください。以前のサイウェストと今回の件、二度も私達を災厄さいやくからお救いくださった事へのお礼です。そして今後もドラン様とその故郷の方々との信義と友愛に基づいた交流が持たれる事を願い、これをお贈りいたします」

 受け取った物を見つめていると、それが何かを悟ったディアドラが息を呑んだ。
 セリナは蛇眼じゃがんに魔力を通して、この物体の解析を始める。

「うう~ん、なんでしょう? びっくりするほど豊潤ほうじゅんな魔力が詰まった植物のなえみたいですけれど、エンテの森の固有種でしょうか?」

 ガロア魔法学院の大図書館にあるあらゆる植物関係の図鑑にも載っていない苗を前に、セリナは尻尾しっぽの先端と小首をかしげて難しい表情を浮かべる。
 ふむ、相変わらず可愛らしい仕草をするわい。

「これは世界樹の苗だ。エンテの分身とも言えるだろう。この地上世界において樹木関係の素材でこれ以上の品はあるまい。エンテよりも成長した世界樹の苗を除けば、だが」

 私がこの苗の正体を明かすと、セリナは目を丸くして驚いた。

「ええ、エンテさんの苗ですか!? 世界樹の苗なんて聞いた事もありませんよ!」
「ふふ、私からのせめてもの贈り物です。苗とはいえ世界樹ですから、植えればマナを放出します。その恩恵で土地は徐々に清められ、生命力に満たされていく事でしょう。作物や樹木の生育に一役も二役も買いますよ。それに若木になれば、枝を削って魔法の杖や魔法具の材料にも出来ます。成長にはどうしても時間がかかりますけれど……」
「ありがたく頂戴しよう。しかし世界樹から苗を直接贈られるとは、前代未聞ぜんだいみもんだな」
「ふふ、ドラン様に喜んでいただけたなら、何よりです」

 そう言ってエンテは無邪気むじゃきに笑う。そこには一辺の曇りもなく、ただ私達の役に立ちたいという願いのみが見て取れた。
 私の正面に立つエンテの頭の位置がちょうど良い高さだったので、私は笑顔につられて彼女の頭を軽くでた。

「ああ、とても嬉しいよ」

 私の手がエンテの髪に触れるごとに、彼女の笑みは喜びの輝きを増していく。
 ふぅむ、古神竜という恐ろしく古い存在である所為せいか、私は貴重きちょうな年上かつ格上の存在として、エンテのような者から甘えられる傾向にある。
 私がそんな相手をとことん甘やかす性分しょうぶんである事も原因の一つとはいえ、バンパイアクイーンのドラミナに水龍皇すいりゅうおう龍吉りゅうきつときて、今度は世界樹か……
 まあ、今回は私の方から頭を撫でたが、これまでの経験からエンテと会うたびに甘やかしてしまう未来が容易に想像出来る。

「えへへ、幹や枝を撫でられた事はありましたけれど、頭を撫でてもらったのは初めてです。こんなに心地好いものなのですね」
「喜んでもらえて何よりだ。この苗は大切に育てるとするよ。最後の最後に驚くようなお土産をいただいてしまったな」

 エンテの頭を撫でている私を見たディアドラが、隣のセリナに問いかけるのが聞こえた。

「セリナ、また〝むむむ顔〟にはならないのかしら?」
「なんですか、むむむ顔って。まあ、心がざわつかないと言えばうそになりますけれど、エンテさんはどちらかというと親というかお兄ちゃんに甘える妹に見えますし」
「そうねえ、ユグドラシル様は無邪気で無垢むくかただし、ドランと特に相性の良い性格の例かしらね」

 私はエンテの頭を撫でるのをやめ、魔法で収納空間にしている影の中から布袋を取り出して、その中に苗を入れた。
 他のお土産と一緒に影の中に仕舞しまうより、こうして手に持っている方がエンテの誠意せいいに応える形になるだろう。
 すると、これまで黙って私達のやり取りを見守っていた学院長が一歩進み出て、小さく頭を下げた。

「ドラン、貴方のおかげでユグドラシル様とこの森に住む人々の多くが救われました。この森の住人として、心から感謝しています。それにしても、貴方が竜の転生者であると聞いた時にも驚きましたが、よもや古神竜とは……。学院長として口にすべき言葉ではないのですが、こう言わざるを得ません。ドラン、競魔祭きょうまさいで他校の生徒と試合をする際は、出来る限り手加減してあげてくださいね」

 競魔祭とは、王国にある五つの魔法学院の対抗試合である。

「もちろん、常日頃から人間の範疇はんちゅうに留まる振舞いを心がけておりますよ」

 もっとも、場合によっては古神竜の力を振るう事を躊躇ちゅうちょしないのは、言わずもがなである。

「貴方の考える〝人間の範疇〟がどこまでのものなのか心配ですけれど、その言葉を信じましょう。ただ、貴方の素性すじょうが分かった事で、レニーアとの関係が一層気になってきますが……」

 ふむ、レニーアが神造魔獣しんぞうまじゅうの魂を持っていると知っては、学院長の頭痛の種がまた一つ増えてしまうだろう。

「必要があればレニーアの方から話すでしょう。それに、知る必要がない事は知らないままにしておいた方が、何かと良いものです」

 そうして、私達は楽しげに手を振るエンテと、どこか物憂ものうげな学院長に見送られて、ベルン村へと帰還するのだった。


     †


 さて、無邪気なエンテに素性を暴露ばくろされた事も切っ掛けとなり、私はかつて同胞達と共に創り出した竜界に帰省をしようと心に決めた。
 善は急げと言うし、ベルン村に戻った私は人の姿の分身体を村に残し、本体の方で竜界を目指した。
 一旦、この星が丸い事を視認出来るほどの高度に転移してから、魂の情報を抽出ちゅうしゅつし、白竜ではなく古神竜としての肉体を再構築する。
 しかし、やはりと言うべきか、転生の影響で魂の持つ情報が劣化している為、古神竜としての肉体が前世と比べていささかみすぼらしく見える。

「アレキサンダーの奴は、今の私を見たら笑い転げそうだな。バハムートとリヴァイアサンはあわれむ気がするが、それはそれでつらいものがあるなあ」

 ほぼ確実であろう未来の予想図に思わず溜息ためいきいてから、私はれい的知覚の手を高位の次元へと伸ばす。
 天界や大魔界の他、精霊界や冥界めいかいなど、地上世界とは次元を異にするいくつもの世界が、私の知覚に触れていく中で、ベルン村と同じく故郷と呼んでもつかえのない――いや、ベルン村ほどではないか――竜界の存在を捕捉ほそくした。

「変わらず無事なようで、まずは何よりだな。では、久方ぶりに兄弟達と再会するとしよう」

 天界や魔界と同じく、竜界は異世界からの許可なき侵入を拒絶する結界がほどこされているが、古神竜である私は当然問題なく通過出来る。
 異なる次元に存在する竜界へと移動する為、私は周囲の空間に干渉かんしょうして次元軸を竜界と同じものに調整した。
 まずはこれで竜界へと転移が可能になる。
 次はその中でどの位置に転移するかだが……やはり最初は実質的に竜界をたばねるバハムートに顔を見せるのがよかろう。
 バハムートは竜界の中心部にきょを構えていたはずだ。
 わずかな浮遊感と朝日を思わせる柔らかな光に包まれた後、私の目に飛び込んできたのは、どこまでも続く青い空と白い雲、漆黒しっこくの闇の中で無数の太陽や星の輝きが広がる夜空、そして果てしなく透き通った海がつぎはぎになって構築された場所だった。
 これこそが竜界。数多の星や浮遊大陸が存在しているのは大魔界とさして変わらぬが、竜種の為の世界であるから、私にとってはただいるだけでも非常に心地好い場所である。

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